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煙詰

近代将棋6月号の詰将棋シアターと将棋世界6月号の詰将棋サロンに解答が載っている全作品を、kifファイルにしてまとめて入力する。2003年の年頭から何となく始めたもので、3年半近く経って作品データもだいぶたまってきた。とはいえ、毎年創られる詰将棋の数からすればほんの一部分だし、どうせ詰将棋データベースがのちに出るだろうから、あまり意味はないのかもしれない。しかしここまでやってきてやめるのももったいないし、何かの事情でできなくなるまでは続けていこうと思う。

ここから先は少しマニアックな話。近代将棋には新ヶ江幸弘氏の煙詰「静寂」が出ていた。これは、盤面の周辺でもなければ都(=5五)でもないという、煙詰としては珍しい位置で小駒4枚による詰め上がりを実現した作品である。元来煙詰とは、攻方の玉を除く39枚の駒(攻方の玉も含めて40枚の場合もある)が盤上に配置され、詰め上がるとそれらが煙のように消えて3枚になってしまうというものだ。しかし煙詰には、玉が盤の中央である5五で詰む都詰と呼ばれるものがいくつかあり、この場合は駒3枚で詰みの形を作るのが不可能なため、4枚での詰め上がりがゴールとされている。新ヶ江氏の作品は、盤の周辺でない位置で小駒のみ4枚の詰め上がりを目指したものだが、都詰でこの条件を達成するべく逆算するのは不可能であることが知られているため、7四という妙な位置での詰め上がりとなったわけだ。

とまあ、この作品のオリジナリティを説明するのはかなり大変だ。解説のY氏は、主張がマニアックであり、手順も「練られているものの華麗さまでは感じない」ので、「全体を通して作者の主張はやや空回り」ではないかと書いておられた。煙るというだけでは誰も驚いてくれない昨今、まあそういう評価になるのも仕方のないところだろう。

ただ個人的には、「周辺でも都でもない詰め上がり」というのは、これはこれで煙詰の1つの形態として十分立派なものと感じている。思うに、盤の中央で詰め上がるということは、それほどこだわらなくてもいいことのような気がするのだ。少なくとも、5五からずれていることがそんなにマイナスであるとは、私はあまり思わない。要は手順が面白いかどうか、だ。

曲詰に関しても同じことを考えている。盤の中央に文字なり図形なりが現れないと、「田舎曲詰」などと呼ばれて少し低く評価されてしまうことがあるが、中央からずれた位置に図形が出るのも、デザインとしてはそれはそれで現代的で悪くない気がする。それに、「中央でない」という理由だけで未だ発掘されていない魅力的な手順が、たくさん眠っているかもしれないのだ。

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