« 無駄な時間 | メイン | 梅雨 »

シューマン没後150年

最近になって気づいたのだが、今年はモーツァルトの生誕250年であるだけでなく、シューマンの没後150年の年でもあるのだった。そんなにマイナーな作曲家ではないと思うのだが、モーツァルトがマスコミにもやたらにとりあげられるのに比して、シューマンは誰もほとんど話題にしていない。だからというわけでもないけれども、このところシューマンをよく聴いている。

ピアノを弾く人でショパンが嫌いという御仁には滅多にお目にかからないが、シューマンは結構好き嫌いがはっきり出るように思われる。学生時代に所属していたピアノサークルでも、シューマン嫌いは必ず何人かはいたものだ。気に入らないのは、おそらくその「アマチュアくささ」が原因だろう。ロマン派などと呼ばれていても、ショパンやリストは曲の構成や細部の書法、指使いに至るまですべてが計算され尽くしている。まさに職人芸、プロの仕事なのである。ところがシューマンは、素人がプロになった気で書いているような印象を受けてしまう。フロレスタンとオイゼビウスだのダヴィッド同盟だの、自分の勝手な空想の産物を曲名につけたりして憚らないし、曲の冒頭に「できるだけ速く」と指示しておきながら、あとになって「さらに速く」、「もっと速く」などと論理的に矛盾しているようなことを書いたりする(ピアノソナタ第2番第1楽章)。本人があまりピアノを弾けなかったからか、音の置き方も演奏者のことを考えておらず、やたらと弾きにくい(「夢のもつれ」という曲は、その弾きにくさから別名「指のもつれ」と呼ばれている)。ショパンやリストが、聴く人を感動させるためにこれ以上ないというほど冷静沈着に作曲しているのに対して、シューマンは自分で自分の曲に感動し、酔ってしまっているのである。

しかし、そんなアマチュアくささが逆に大きな魅力となっていることも確かだ。いったん彼の独りよがりな夢想に自分も乗ることができれば、むせかえるようなロマン派の世界を体感できる。没後150年の年でもあるし、短い曲でもちょっと譜読みしてみようか、と考え始めている。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://monsieur.ddo.jp/cgi-bin/mt_3/mt-tb.cgi/102

コメント

あっしはいつになってもショパンがだめ~です。

そういえばjoryさんがショパン弾いているのは見たことないですね。
いやでも、「『滅多に』いない」ですから、少しはいるってことで……。

コメントを投稿