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Hatto Hoax

Joyce Hattoという名前を聞いて誰だか分かる人は、かなりのピアノ通と言えるだろう。1928年に生まれ、昨年77歳で亡くなったイギリスの女流ピアニストである。このHattoをめぐって、今ピアノファンの世界では大変なスキャンダルで大騒ぎになっている。

Hattoはガンに冒されたために1970年代には公の場で演奏することをやめ、以後は夫がオーナーであるレーベルからCDを出し続けた。近年になり、その録音がどれもあまりに素晴らしいということが世界中に広まり、Hattoこそ最も素晴らしく偉大なピアニストだと名のある評論家がこぞって絶賛するようになったのである(一昨年書かれたHatto評参照)。ラヴェルのピアノ曲全集やショパンのマズルカ、ブラームスのピアノ協奏曲というメジャーなレパートリーはもちろん、アルベニスの「イベリア」全曲やメシアン「20のまなざし」、それにショパン=ゴドフスキーのエチュードといったディープな作品まで見事に弾ききっていたのだから、一部のピアノ愛好家にとって、彼女はもはや生ける伝説になっていたのだった。

ところが今月になって、それら大量の録音のかなりのものが、他のピアニストによる録音のコピーもしくは適当にスピードなどを編集したものだということが明らかになったのである。これはピアノオタクを自認するような人にとっては、もう大変な衝撃だった。なぜなら、彼らはコピー元となった録音ももちろん聴いてよく知っていたからだ。しかしそのコピーであることに全く気づかず、「今までのどんな録音より素晴らしい」とべた褒めしていたのだから、メンツが丸つぶれになってしまったのである。私が入っているピアノマニアのメーリングリストでも、日本有数のコレクターと言える面々が皆ショックを隠せないようだった。ほぼ同じ演奏を聴きながら、片方だけに熱狂してしまったわけだから無理もない。「受けたショックは『あるある』の比じゃない」というコメントもあった。私自身は最近はもうレアな録音を追いかける元気はなくなってしまっていたので、Hattoについても存在以上のことは知らなかったけれど、もしCDを入手して聴いていれば、きっとだまされていたに違いないと思う。

演奏家が誰であるとか楽器のメーカーがどこであるとか、また評論家にどう評価されているのかといった付帯情報に影響されることなく、ただ聞こえてくる音のみによって判断し評価するのが、正しい音楽鑑賞のあり方であるというのが、おそらく愛好家の一般的な認識だろう。しかし結局のところ、人間はどうしても本質以外の情報に影響を受けてしまうのだということを、今回の事件は教えてくれているような気がする。誰かの録音をコピーするなどという稚拙なやり方は、普通なら一発でばれてしまう。しかし、公の場に姿を見せず、実在すら疑いたくなる女流ピアニストが、闘病生活を送りながらも次々と難曲を録音してリリースする……などと語られれば、これはもうその録音が希有な名演であってほしいではないか。その無意識の願望が、幾多の猛者を引っかける巧妙なミスディレクションとなったのではないかと思う。

なお今回の一件はWikipediaにまとめられている。現在も新しい情報が入るたびに更新されているようである。

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コメント

これは初耳です(ロンドンに住んでいながら・・・)。こんなことが有り得るとは、一体どういうつもりでこのような詐欺行為を続けていたかわかりませんが、ファンを全くないがしろにした破廉恥きわまりない行為としか言い様がないですね。
今度HMVに行ってちらっと見てきます(流石にもう陳列されていないと思いますが・・・)。

なんかこの話し、今の詰将棋界でも起こり得る事ですね。
盗作で無い事は確かなので、全くの同列に論じるつもりは断じてありませんが、有名人が「傑作だ」と書いたら、雪崩を打って賞賛の嵐…、というのは、今まさに起こっている事ですし。

> これは初耳です(ロンドンに住んでいながら・・・)。こんなことが有り得るとは、一体どういうつもりでこのような詐欺行為を続けていたかわかりませんが、ファンを全くないがしろにした破廉恥きわまりない行為としか言い様がないですね。

レーベルのオーナーである夫が今回の件に関係しているのは確かだと思いますが、
Joyce Hatto本人がどう認識していたのかが知りたいですね。
おいおい明らかになっていくだろうと思います。

> なんかこの話し、今の詰将棋界でも起こり得る事ですね。

もちろん、他人の評価などに惑わされず、作品だけを見て評価すべきというのが理想ですし、
今回引っかかった人もみんなそういうちゃんとした見識があったと思うのです。でもだまされた。
結局、作者の有名度や他人の評判といった作品以外の要素の
影響を全く受けないというのは、不可能なのではないかと思います。
大方の意見と正反対のことを言えば影響を受けていない、というわけでもないですし。

まあ演奏にしろ詰将棋にしろ、何かある対象を鑑賞して評価するときは、
自分も無意識のうちに周りに影響されているかもしれない、
という謙虚な姿勢を忘れないことが大事なのではないかと思います。

「作品以外の要素の影響を全く受けない」のが「不可能」であるのはわかります。
さらに、私には、その種の「影響」は影響というよりも、むしろ、作品や作品鑑賞の成立にとって「必要不可欠な要素」に近い、と思えます。「"影響"を除外して考えられる独立性」という観念自体がすでに近代芸術の「影響」下にあるのではないでしょうか。
したがって、「Hattoによる演奏です」とプリントされたCDとコピー元の録音の区別が付かないのは仕方ない。音情報としてではなく、作品として別物です。むしろ、自分が聴き間違えて「メンツが丸つぶれになってしまった」と感じるコレクターたちの方が問題だと思います。もちろん、気持ちはわかりますよ、、、。
珍しくマジになって書いてますが、感想をいえば、これ、夫Hattoさんの悪ふざけだったら素晴らしいのに。

私の思うところもほぼ同じです。
中心にある録音だけでなく、それに付随する様々な要素
すべてをひっくるめて一つの作品なのですよね。

ただ、私はコレクターの方たちもよく知っているだけに、
彼らの方が問題であるとまでは言いたくないのです。
いくら音以外も込めて作品だといっても、だから今回の行為が問題ないというわけではありませんし。
それに今はみんな、誰の録音がどう編集されたかを特定することに情熱を燃やしていて、
それはそれでとても楽しんでいるように見えます。
人にもよりますが、「メンツが丸つぶれ」というほどでもないのかもしれません。

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