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2007年05月31日

詰パラ到着

ここしばらく続けてきた研究を今月中に一区切りつけてしまおうということで、月曜日に引き続き今日もセミナー。しかしちょっと寝不足で全然頭が回らず、何だかあまり議論についていけなかった。毎度のことだが、週の後半になるにつれて睡眠不足がひどくなり、週末にまとめて寝て回復というパターンからなかなか抜け出せない。

帰宅すると詰パラ6月号が届いていた。今月はかなりお早いお着きだ。詰将棋デパートのコーナーを担当されていたHさんが今月いっぱいで降りられるとのこと。私にとってはまずピアノサークルの先輩であり、アムラン招聘などの活動を通じて知った方だったから、あとから詰パラのコーナー担当者と知って驚かされたものである。そういえば数学科の後輩であるMさんも、先月号で担当を降りられてしまったのだった。自分のよく知っている方が担当を外れるのは残念だが仕方ない。まあお二人には、それぞれのコーナーで作品を採用していただいたことがあるのでよしとしよう。

2007年05月30日

塚田賞の発表

遅ればせながら、近代将棋誌の最新号を買ってきた。今回は普段の詰将棋のコーナーに加え、塚田賞受賞作の発表と今月上旬に行われた詰将棋解答選手権の記事があり、いつも以上に読むところが多い。

塚田賞の発表については、すでにたくぼんさんのページや将棋雑記などで記事の充実度の低さを嘆く声があり、どんな感じかある程度予想はしていたが、まあ思っていた通りのものだった。選考委員らが自らの持ち点を各作品に分配して投票し、各部門のトップが受賞となるわけだが、どの作品に何点入ったかという集計表がないので、知りたかったら自分で足してみるしかない。さらに受賞作のどこがすごいのか、何が評価されたのかが全く解説されていない。去年は出ていた各選考委員の短評も今年はないから、作品内容についてはまさに手順だけということになる。

歴史ある塚田賞なのだから、もちろんもっと充実させてほしいとは思う。ただその一方で、詰将棋ファンがメインの読者層ではない(とおそらく編集部が考えている)雑誌であれば、まあこんなものなのかもなという気もする。詰将棋関係の記事も力を入れようと頭で思っているだけでは、なかなかそれを長期にわたって実行していくのは難しいと思う。何より詰将棋が好きで、今まで生み出されてきた名作がどれほどすごいのかを自分の感覚で実感しているような人だったら、集計表や解説を載せずにすませるということは生理的にできないのではないかと思うのだ。しかし今の編集部の編集方針では、結局塚田賞はこれくらいの扱いが妥当という感覚なのだろう。それはもう仕方ないことで、そのことを批判しようとは思わない。

ただ、ちょっと作品は投稿しにくいなという感じを持ってしまうのは否めない。昨年、詰将棋全国大会の記事は書かせてもらったが、未だに作品を投稿したことはない。

2007年05月29日

試験前の演習

火曜日なので午後からH大に出かける。すっかり暑くなった。少し早く着いたので、昨日セミナーで会ったばかりのI先生の部屋にお邪魔し、最近の研究の話などをする。昔に出た論文集やプレプリントのコピーもいくつかいただいた。大学が小さいと基本的な文献を集めることもままならないので、大変助かる。

非常勤の方は、今日は普通の講義はお休みにして最初の30分で演習問題を解いてもらい、後半はその解説に充てるということにした。来週に中間試験をしますと宣言してしまっているので、結構みんな真剣。しかも、終了後に次々にやってきて質問をしてくるのだが、これがなかなか鋭い。おまけに、こちらが以前に配った練習問題の解答にいくつか誤植があったらしく、何でこう書いてあるのかとずいぶん悩ませてしまったようだ。ちょっと申し訳ないことをしてしまった。詰将棋で言えば、余詰作品を掲載してしまったようなものである。やっぱりチェックはちゃんとしないとダメだ。

終了後、いつものようにT君と合流。彼も今日は所用で少し遅れたため、夕飯は8時頃になった。

2007年05月28日

セミナーと会議の一日

先週の月曜と同じく、今日も朝から夕方まで3人でセミナーをしていた。ここしばらく、ある種の準楕円曲面上にある特異ファイバーの局所的な計算をしていたのだが、得られた式をどうまとめるかが問題だった。ずらずら書いてもどうも煩雑になるばかりで分かりにくい。結局、図を描いて説明するのが一番いいという話になり、ずっとTeXと格闘していた。ずいぶん長い間この研究には時間を費やしているし、そろそろケリをつけないといけない。

セミナーが終わると入れ違いに5時半から会議。さっさと終わるだろうと高をくくっていたのだが、案に相違して2時間くらいかかってしまい、思っていたより帰りが遅くなってしまった。しかも疲れた足取りで車に乗ろうとしたら、運転席正面の窓ガラスに鳥の糞がべっとり……。ウンの悪いことである。

2007年05月27日

あるエンドゲームスタディができるまで

イギリスのプロブレム作家、ヒュー・ブランドフォード (Hugh Blandford, 1917-1981) が、British Chess Magazineの1968年3月号に "The Anatomy of an End-game Study" という記事を書いている。自作を例にとり、最初のアイデアから作品が完成するまでを順を追って説明しているのだが、こうやって創作過程を詳しく述べた文献というのはあまりないように思われるので、適当に訳してここで紹介してみる。詰将棋作家にとってもある程度参考になる一文なのではないかと思う。


あるエンドゲームスタディができるまで

私はこれまでずっと、アイデアが推敲によって一つの作品に昇華していくまでを段階を追って説明すれば、きっと面白いだろうし、また他の作家や作家の卵にとっても役立つのではないかと思っていた。最近創作した作品を例にとって、ここでやってみることにしよう。

ABC
Blandford-A.pngBlandford-B.pngBlandford-C.png
No white kingNo white king

A: まず簡単なところから始める。この局面で黒番なら、例えば1...Kd8 2.Ra8+とすれば白が勝てる。白番でも、1.Rb7 Kd8 2.Rb8+で白の勝ちである。ではこの局面をいじって、白番のときにさらに何手か白のRを動かすようにできるだろうか?(とりあえず、白のKは盤上にはあるが自由には動かせないと仮定しておく)

B: 全体を1列左にずらしてみると、こういう配置を得る。もし黒番ならAと同じで黒負けである。白番だとすると、1.Rb7 Kc8 2.Re7 Kd8 3.Ra7という駒さばきでテンポをかせぐことができる。これで同じ駒配置で黒番になったから、先ほどと同じく黒の負けになる。さてこれを作品にしていくためには、自由に動かせない状態で白のKを配置しなければいけない。

C: 例えばこんな配置にしておけば、白Kは端っこに封じ込められているから条件を満たしている。しかしこれでは配置が静的すぎて、白Kが指し手に関わる可能性がほぼ全くなくなってしまう。もう一度考え直そう。次の図では、白と黒がともにツークツワンクの状態にある形としてしばしば見かける、白KとPたちの配置を用いている。

DEF
Blandford-D.pngBlandford-E.pngBlandford-F.png
D: この局面も必要な条件を満たしているが、白Kと新たに置かれたPたちがお互いにツークツワンクの状態にあり、先ほどよりはオープンな配置になっている。ここで白番なら、1.Rb7 Kc8 2.Re7 Kd8 3.Ra7と進めれば勝ちだ。ではこれに適当な序をつけて、Dの局面に到達するようにできるだろうか?駒を足さずにできればその方が望ましい。

E: 図で白番として、作意は1.f6 Kd8 2.f7 Rf8 3.Ke2 b3 4.Kd3 d4 5.Rb7 Kc8 6.Re7 Kd8 7.Ra7で勝ち。しかしこの配置ではキズが2つある。(i) 白は4.Kd1 b2 5.Kc2と指すこともできる。(ii) 黒は1...Re6 2.f7 Rf6+と指すこともできる。

次ではこの欠陥に注意して作図する。

F: b列とd列にいた白KとPたちを一列右にずらすことによって、1...Re6の方はつぶせる。1.f6 Re6 2.f7 Rf6としてももはやチェックではないため、3.f8Q+ Rxf8 4.Ra8+で白は勝てるからだ。白の手の非限定に対しては、黒Pをe3に加え、白Kをg2に置く(ここなら相変わらずe3に2手で行ける)ことで解決する。作意は1.f6 Kd8 2.f7 Rf8 3.Kf3 c3 4.Kxe3 e4 5.Rb7 Kc8 6.Re7 Kd8 7.Ra7で勝ち。3.Kf1なら3...c3 4.Ke1 c2である。

もう一度Fを見てみると、最初は白のRが7段目にいない方が明らかによさそうだ。そこでこうする。

GHNo.1467 in B.C.M.,
March 1968
Blandford-G.pngBlandford-H.pngBlandford-No1467.png
Win
G: ここでは白のPをf6まで進め、白Rはa2に引いてある。作意は1.Ra7 Kd8 2.f7 Rf8なのだが、白は1.f7 Rd(fh)8 2.Ra8+と指しても勝ててしまうので、この配置では余詰が発生してしまう。もし白のKが最初はh列にあるのなら、1.f7? Rh8+ 2.K- Kd7となるから白は勝てない。c4の黒Pを一つ後ろに下げておけば、白Kのh列への移動は簡単にできる。それが次の図である。

H: 作意手順は1.Ra7 Kd8 2.f7 Rf8 3.Kg2 c4 4.Kf3 c3 5.Kxe3 e4 6.Rb7 Kc8 7.Re7 Kd8 8.Ra7で白勝ち。ここでもう一声、白のRのRb7-e7-a7というさばきを反復させることはできないだろうか?実はこれは初形位置においてc6に黒Pを追加するだけで簡単にできる。

これでゴールに到達。No.1467の作品ができた。作意は1.Ra7 Kd8 2.f7 Rf8 3.Kg2 c4 4.Kf3 c3 5.Kxe3 e4 6.Rb7 Kc8 7.Re7 Kd8 8.Ra7 c5 9.Rb7 Kc8 10.Re7 Kd8 11.Ra7 c4 12.Rb7 Kc8 13.Re7 Kd8 14.Ra7で、黒が結局ツークツワンクに陥って白の勝ちとなる。

この完成版だが、指摘しておかなければならないことが2点ある。まず黒のダブルポーンのペアが2つもあることは、配置の自然さを若干損ねている。また、白の2手目と3手目は交換可能である。これはそれほど重大な欠陥ではないだろう。

2007年05月26日

舞い上がる音、地に落ちる音

先週の土日は演奏会やら寺巡りやらで動き回っていたが、今週は特に何もない。やっぱりこういう週末がときどき入ってくれないと疲れてしまう。

午後は電子ピアノに向かっていた。先週までは演奏会で弾く曲ばかり練習していたが、もう何を譜読みして遊んでもいいわけだ。次はどうしようか、とあれこれ考えるこの時期が実は一番楽しい。途中で止まっているシャコンヌやグラナドスの「藁人形」あたりを進める手もあったが、何となくまたスクリャービンに回帰してしまった。私が最も好きな作曲家の一人である。今日やっていたのは練習曲Op.8-5とOp.8-6。どちらもスクリャービン特有の弾きにくさに満ちていて、無理をしすぎると手を痛めかねないような曲だが、聴いている分には朗らかかつ流麗で実に美しい。

確かプロコフィエフの言葉ではなかったかと思うが、「スクリャービンは音たちが舞い上がっていき、ラフマニノフはすべての音符が地に落ちる」。このイメージは弾いてみるとなおいっそう納得できる。ラフマニノフの和音は重厚で、鉄柱を地中深くまで突き立てるように振り下ろされるのであるが、スクリャービンはいつもふわふわと空中を漂っている。いや、ふらふらと言った方がいいかもしれない。焦点の定まらない目で浮遊している感じだ。Op.8の練習曲集はまだ初期の作品なのでその傾向は控えめだが、それでも萌芽は見て取れるように思う。

スクリャービンに特徴的な点として、長調短調を問わず、#系の調の曲が非常に多いということがある。Op.8では調性が#系の曲は12曲中8曲に及ぶし、それ以外にもソナタ第2,3,4,5番、練習曲Op.2-1、Op.42-5、幻想曲Op.28、詩曲Op.32-1など、彼の初期から中期にかけての主要な曲はすべて#系である(後期に入ると機能和声の世界を離脱するので、もはや調性は存在しない)。ちなみにラフマニノフは、代表曲といえるピアノ協奏曲第2,3番、ソナタ第2番などはすべて♭系の調性である。こんなことも、上に述べた音たちが飛び出す方向についてのイメージと無関係ではないだろう。

2007年05月25日

残念なニュース

この間迷っていたツインの作品は、結局「どこにも出せない普通詰将棋」展に投稿してしまった。数年前に山田康平さんのツインの5手詰が特集されて詰パラに載ったことがあったが、十分な内容がありながら、解答者の反応は今ひとつさめたものだったような記憶がある。あの内容でもあんな感じなのだから、自作は投稿水準に達していないと厳しく評価されることは想像に難くない。まあよい、雑誌に投稿したわけではないのだし、ダメで元々である。

詰将棋関係で残念なニュースが二つ。1つは、勝手に将棋トピックスが当面更新を休止するとの報。ご多忙とのことなので致し方ないが、大変残念だ。将棋の話題を中心として詰将棋、フェアリー、チェスプロブレムの最新情報は、ここから仕入れることが多かったように思う。とにかく情報に対してソースを明示し、常に客観的で冷静に事実を伝えてくれるので、そこらへんのニュースサイトよりよほど信頼感があった。今後も不定期には更新されるとのことなので、また復活してくれることを期待したい。

もう1つは訃報である。北海道の詰将棋界の重鎮、阿部重治郎氏が亡くなられたとのこと。北海道は3月の田利廣さんに続いて大物詰キストを失ったことになる。昨年の夏、横浜で行われた詰将棋全国大会の場で、11歳の男の子を相手に大道詰将棋をうれしそうに出題されていたことをよく覚えている。ご冥福をお祈りしたい。

2007年05月23日

TeX on RedHat

今日は取り立てて何の用もなかったので、講義の準備をしたり研究関係の論文に目を通したり、時間を有意義に使えるのではないかと思っていた。ところが午後に入ってしばらくしたころ、うちの講座に所属する4年生が訪ねてくる。TeXでレポートを書こうと思ったら、日本語がうまく出ないという。まあ彼のちょっとした勘違いだろうと、軽く考えて学生部屋に行ってみた。うちの講座では今年度から、4年生が使うマシンを全面的に入れ替えた。学生一人につき1台で、OSはRedhat Enterprise Linux。つい最近業者から納入されたばかりで、基本的にはこれの面倒は私が見ることになっているのである。

実際の症状は、思っていたよりずっと厄介なものだった。TeXのコンパイルはできるのに、DVIファイルを見ようとすると、
FreeType error : (8)
Unexpected error in "read_ZEIT_char()"
という謎のエラーメッセージを吐いてビューアが落ちてしまうのである。学生の話では、日本語が入っていないドキュメントであれば問題なくプレビューできるという。

とりあえず検索してみたら、同じエラーで悩んでいるらしい人の書いた記事がたくさん出てきた。どうやら、VFlib2-VFjfmとVFlib2-conf-jaという2つのパッケージがインストールされていないことが原因らしい。そこでこれをどこかから取ってきてrpmでインストールしてみる。すると今度はビューアは表示されるようになったが、書いてある日本語が文字化けしている。これがどういうことなのかまたあれこれ調べ、Redhatでは少し前からEmacsのデフォルトの文字コードがEUCからUTF-8に変更されたことが原因らしいということにようやく気づいた。では文字コードを変えようとnkfを使おうとすると、これまたRedhatの最近の仕様で、nkfはインストールされていないということが判明。こんな基本コマンドが入っていないなんてとあきれて、これもファイルを取ってきて入れてしまう。かくしてやっと日本語がきれいに表示されるようになった。それにしても、TeXはUNIXやUNIXライクな世界では基本中の基本のはず。OSのインストール時に言語を日本語に設定した以上、DVIビューアで日本語を表示するために必要なパッケージは、最初から当然インストールされるべきだろう。ディストリビューションとして、ちょっと問題ではないかと思う。

他の学生のマシンにも対応していたため、一区切りつけて自室に戻ったときはもう夕方。今日は結局、自分のことは何もできなかった。自分の技術不足のせいとはいえ、コンピュータは面倒を見るのにとかく時間がかかるものである。

2007年05月22日

気色悪い一人称

H大で非常勤の日。中間試験を2週間後に行うことにしていて、今日はその出題範囲までだいたい説明してしまった。直前まで突っ走ると学生が気の毒なので、来週は主に復習と演習に充てようと思う。去年と比べると一部省略した話題があるが、数学を専門とするわけではない人たちが相手だから、あまり詰め込んでも消化不良になるだろうし、適度にカットすることにした。

もうすぐ試験があると公言したからか、今まで誰も講義後に質問に来なかったのに、今日は何人もやってきた。それはまあ何とか無難にお答えして、ではそろそろ帰ろうかというとき、教室の中央でたむろしていた学生たちに声をかけられる。
「先生、先生は自分のことを何て呼ぶんですか?」
「えっ?……自分のことを?……いや、別に……」
「今日、自分のことを『なつ』って言ってませんでした?」
「えっ?いやいや、そんなこと言ってないよ」
「でも、『なつ、ここは重要だと思うから』とかって聞こえたんですけど」
「いやいや、それはないって。何を言ったか覚えてないけど、とにかく何か違うことを言って、それがそう聞こえただけだと思うけど」
「何だ、ちょっと期待したのに」
期待って……30過ぎの男が自分のことをそんなふうに呼んでいたらあまりに気色悪いだろう。しかし何の台詞を聞き間違われたのか、謎だ。

夜はいつも通り、T君と夕飯をともにする。給油と買い物に立ち寄り、帰宅は10時頃。

2007年05月21日

日常への回帰

今日はH大からI先生がいらして朝からセミナー。特異点の局所的な式をあれこれ議論しながら4時過ぎまで計算する。それが終わるとすぐに今月の専攻会議で、夕方にようやく自分の部屋に戻ってくると明日の非常勤講師の準備。帰宅は予定していた時間よりずっと遅くなってしまった。いつもは土日に気力を充電しているので週明けは比較的快調なのだが、何せ昨日の今日である。さすがに疲れた。普段の生活に非日常的なイベントが挿入されると、そのしわ寄せが直後の日常にやってきて元に戻るのがちょっと大変だ。ずれたいろいろを今日でどうにか調整したつもりなので、明日からは何とか普通にやっていけるだろう。

2007年05月20日

奈良を巡る

演奏会から一夜明け、さて今日はどうしようかと考える。さっさと帰って家でゆっくり休む手もあるし、京都に移動して知り合いと落ち合うプランもある。しかし、やはり奈良は滅多に来る機会もない。すぐに立ち去るのももったいないということで、今日は奈良観光の日ということにした。

朝方はどんよりとした曇り空で、肌寒さを感じるほどだった。最初に訪れることにしたのは法隆寺。ホテルの前にあるバス停からバスに乗って直接向かったのだが、乗ってすぐにパラパラと雨が降り出した。これは今日の計画は途中で切り上げかな……と一時は観念したのだが、バスを降りる前にやんでしまい、それ以後一度も雨には悩まされずにすんだのは幸いだった。

DSC00031.jpgDSC00024.jpgここに来たのはいつ以来だろうか。もしかしたら前は修学旅行のときあたりまでさかのぼらないといけないかもしれない。南大門から入り、大講堂、五重塔、金堂からなる西院伽藍とその北東側にある大宝蔵院、さらに東大門を抜けてしばらく行ったところにある夢殿と見ていったが、大宝蔵院の内部で展示品を結構じっくり眺めていたために結構時間を使ってしまった。さすがに最古の木造建築、国宝と重要文化財が当たり前のようにずらずらと並んでいる。菩薩ごとのポーズや持ち物の違いをもう少し子細に見ようとしたのだが、そこへ小学生の大集団が「あっ、しょーとくたいしはっけん!」などと叫びながら雪崩のように流れ込んできてしまい、やむを得ず撤退する。

DSC00067.jpgDSC00061.jpg法隆寺を出たところでちょうど法隆寺駅行きのバスがやってきたので乗り込み、JRで奈良駅に移動。ここから興福寺を経て東大寺まで歩いたのだが、これが結構な距離でかなりいい運動になった。興福寺は中金堂が現在大規模修復中。東金堂と国宝館は入れたようだったが、法隆寺で時間を使いすぎたので、ここは外から五重塔を眺めるだけにして東大寺の方向に抜けていった。奈良公園に近づくと、あちこちを鹿が歩いている。鹿は宮島にもいるが、さすがに生息数はこちらの方が上だろう。写真を撮っていたら、中学生の大集団が「あっ、鹿発見!」などと叫びながら怒濤のごとく押し寄せてきてしまい、やむを得ずその場を離れる。

DSC00090.jpgDSC00083.jpg東大寺にようやく到着したころは青空も広がってかなりいい天気になった。大仏殿の偉容はさすがに見事。これでも再建時に少し小さくされたそうで、元々は幅が1.5倍あったらしい。昔バチカンに行ったときも感じたが、やはり巨大であるということはそれだけで、見ている人をひれ伏したくなるような気分にさせてしまう。中の大仏の高さは15メートル。珍しく写真撮影が禁止されていなかったのでいろいろな角度から撮ってみた。大仏殿の内部だとシャッタースピードは1/10から1/8秒程度になり、しっかり肘を固定しないとブレてしまうが、まあまあ写真にはなったようだ。

DSC00123.jpgDSC00101.jpgこのあたりでかなり足が疲れてくる。周囲には二月堂・三月堂に正倉院、春日大社など見るべきものはいくらでもあるが、さすがにしんどくなってきたので、今回はパスすることにした。残りの時間は、ちょっと離れたところにある薬師寺と唐招提寺の見学に充てることにしたのだが、今思うとこの判断は正しかったのどうか。薬師寺の方は何と今夜からライブをやるのだそうで、その準備の真っ最中。金堂裏の広いスペース一面にパイプ椅子が並べられ、中央の舞台ではドラムやベースが音響のテストなのか「ドン、ドン、ズドン」とか「ブーン」という耳をつんざくような爆音をひっきりなしに出している。金堂に安置された薬師如来像はなかなかいいと思うのだが、この状況ではありがたがれという方が無理だろう。心なしか、如来もうるさそうな顔をしているように見えた。一方そこから数分歩いたところにある唐招提寺。こちらは金堂が平成12年から平成21年までの大規模修理中。歴史の教科書などでよく見たあの建物は、トタンの無粋な建物に完全に覆われてしまっていたのだった。薬師寺の分こちらに期待していただけに、これは残念だった。ただ寺の雰囲気は薬師寺よりはるかによい。特に一番奥にある鑑真和上の廟は、地面に敷き詰められた毛布のような苔や池の向こうで咲いているアヤメも相俟って、落ち着いた空間を作り出していた。何より静寂なのがよい。ここまでいたるところで出くわしてきた修学旅行生も、ここでは全く会うことがなかった。やはりここは薬師寺路線に走らず、この静けさを守っていってもらいたいものである。

これにて奈良観光は終了。京都を経由して7時過ぎに広島に自宅にたどり着く。今日は歩いた歩いた。これで今回のイベントもすべて終わり。明日からまたいつもの生活である。

なお、今回撮った写真は別のページにまとめておいた。

2007年05月19日

演奏会終了

演奏会もその後の打ち上げもすべて終了し、今はホテルからこれを書いている。さすがにちょっと疲れた。

朝8時20分広島発の新幹線に乗り、京都に着いたのが10時過ぎ。そこで近鉄に乗り換え、11時半頃に大和八木に到着した。会場にはかつてのピアノサークルの知り合いもいたが、初めて会う人でも話してみると共通の知り合いがいることがわかり、そこから会話がつながっていく。ピアノオタクネットワークはこうやって張り巡らされていくわけだ。

さて肝心の演奏だが、まあこれは予想通りというところか。チェスの大会と同じで、心構えがあまりできていないのに、いつの間にかピアノの前に座っていたという感じ。練習では間違えたことのないような箇所でも突然手が動かなくなって空白部分をつくってしまったり、次はどこを弾くんだっけと思った瞬間に出てこなくなってしまったり。椅子の高さももう少し高くした方がよかった。昔の経験を思い出せば、いつも通りの演奏会本番だったというべきかもしれない。幸いお客さんも少なかったし、久しぶりに出たのだからまあこんなものだろう。

他の方はさすがに皆さんうまい人が多かった。Fさんの弾かれたホロヴィッツ編の結婚行進曲など、本物と何ら遜色ない弾きっぷりで見事の一言。一昔前は、ホロヴィッツ編とかシフラ編といえば真似したくてもできない雲の上の超絶難曲だったのだが、ピアノサークルの同期のU君を始めとして、90年代あたりから華麗に弾きこなす人がどんどん出てきた。かつては誰も看寿の後に続けなかった煙詰が、ある時期から雨後の竹の子のように創られ始めたようなものかもしれない。

終了後、近くのデパート上階にある店で打ち上げ。今日初めてお会いした人ともいろいろお話しできたし、久しぶりに会う方とはかつてのようにマニアックなピアノ談義を楽しむことができた。最後の方は相当酔っぱらっている人もいて何だか大変だったが、9時半頃にようやく終了。一部の人は2次会に行こうと次の店を探し始めていたが、少し疲れてきたのでそこで失礼させてもらう。しかしみんな飲み方が若いなあと年寄りじみた感心をしてしまった。

とにかくこれでひとまずイベントは終了。今日はよく寝られそうだ。

2007年05月18日

演奏会前日

また山陽道を小一時間走ってH大へ赴き、代数学セミナーに出席。着いたころは曇り空だったが、セミナー中にゴロゴロと鳴り始め、帰宅したころには豪雨になっていた。やれやれ。

もう本番が明日なので帰ってから少し弾いてみたが、結局うまく弾けないところはそのまま残ってしまった。こんな状態で演奏会に出ようというのだから、全く図々しい話だ。ムード音楽風の曲を選んだのはこうなることをある程度予期していたためで、練習不足でもこういう曲の方がまだごまかしが利くのである(バッハなどは練習不足がモロに出るからこわい)。しかしそれにも限界がある。今月初めのチェスと同じで、今ひとつテンションが高まっていない気がするのだ。ほどよい緊張感を今から持っていなければいけないと思うのだが、ピアノにばかり時間を割けない環境ではなかなか難しい。

まあ今からどうこう言っても始まらない。難曲に挑戦して崩壊を繰り返していた学生時代を思い出しながら、楽しんでこようと思う。

なお、明日は更新できるかどうかはホテルの環境次第。無理な場合は明後日の帰宅後ということで。

2007年05月17日

どこにも出せない作品

たくぼんさんのところで、「どこにも出せない普通詰将棋」の作品展をやるとのこと。面白い企画だ。そういうのだったら何かストックが……と思って調べてみたが、出てくるのはひどいのばかり。これこそ真の意味で「どこにも出せない」代物しかない。考えてみるとこの「どこ出せ」作品展の趣旨は、「面白いアイディアが実現されているが、どうしても小さなキズが消せなかったので投稿はできない」ような作品に光を当てようということなのだろうから、ただの絶連(=絶対手の連続)作はそもそもお呼びでないのである。まあ資格があるとすればずっと前に創ったツイン作くらいだが、これを放出してもいいかどうか、少し考えよう。

そういえば、次回の詰四会用の作品もときどき考えてみているのだが、どうもちっともうまくいかない。お題が「清く涼しい作品」ということなので、なるべく難渋にならずにパラッとしたやさしい小品にしようと思うのだが、そうすると絶連の実につまらない作品にしかならない。いくらやさしくといっても少しは考えどころを……といじり出すと、たちまち重く醜い盤面が出現してしまう。「どこにも出せない」作品のリストを増やしているだけのような気もしてきた。

2007年05月16日

羽生さんの棋譜

先日のブリュッセルの早指しチェス大会の羽生三冠の対局は、強敵Nikolicを破った一局を中心にあちこちで棋譜の解説が上がったので、棋力のない私も少しずつすごさを鑑賞できるようになった。勝った対局のほとんどは、まだまだ駒数が多い中盤で華麗なタクティクスを放ち、一気に勝勢にしてしまっているようだ。そういえば、以前New in ChessのYearbookに掲載された対Wells戦の解説記事に「Sword of Samurai」というタイトルがつけられていたが、まさに鋭い刀で一刀のもとに切って捨てるイメージである。一般的に将棋が強い人がチェスを始めると、最初からかなりタクティクスが見える傾向にあると思う。となれば、将棋界最強と言っていい人が素晴らしいタクティクスを繰り出すのも自然なことかもしれない。

主催したチェスクラブの会報にも、大会で指された対局のうちのいくつかが、簡単な解説付きで紹介されたようだ(5/14付の記事)。羽生さんの対局は3局も出ている。Nikolic戦の棋譜の冒頭には「Habuの棋風は観戦している人を実に気持ちよくさせてくれる。初手から最終手まで、彼は攻撃の手を探し続けている」とコメントされているが、これも先ほどの「侍の刀」のイメージに通じるものがあるだろう。

それはいいのだが、この会報に棋譜を載せた担当者はどうもYoshiharuの方が名字だと思い込んでいるようだ。棋譜の冒頭に "Nikolic P. - Yoshiharu H." などと書いてある。「日本では名字の方が先」とどこかで知ってしまったために、かえって混乱してしまったのかもしれない。

2007年05月15日

夜のモーツァルト

火曜日なので午後からH大へ。今日はI先生が修士の学生のセミナーをやっていたので、こちらの講義が始まるまでしばらく同席させてもらった。いつもは金曜日にやっているそうで、おそらく今日だけの参加になるだろう。最近出た代数曲面論の本をテキストにしていた。そのあとは講義、さらにT君と合流して夕飯といつも通りのコース。

帰り道、最近かけっぱなしだったグラズノフ作品集のCDを出して、モーツァルトのピアノ協奏曲を久しぶりに流してみた。にも書いたことがあるが、お気に入りは第20番、第23番、そして第27番である。今日は20番を聴いていたのだが、映画「アマデウス」のラストでも使われた美しい第2楽章や疾走する第3楽章が、夜道を走りながら聴くといつも以上に魅力的に聞こえて実に心地よかった。昼間に聴くよりも、はるかに深く曲に没入してしまうのだ。思うに、ヘッドライトでかろうじて照らされた暗い視界と、対向車も人通りも少なくなって静かになった環境が、自分一人でこの曲を満喫しているという気分にさせてくれるのだろう。ジャック・ルーシェのプレイ・バッハあたりもそうだが、シックで軽やかに走り抜けるような曲は夜に聴くに限る。

2007年05月14日

演奏会プログラム

今度の土曜日に行われる演奏会のプログラムが一応決定した。主催者から送られてきたものをそのままここに載せておくが、まだ若干変更や誤植の可能性があるので、気づいた時点で随時修正していくつもり(5/17 AM1:47 一部修正)。

加古川ピアノ同好会第20回演奏会
2007年5月19日(土) 奈良県橿原文化会館小ホール(近鉄大和八木駅より徒歩3分)
12:45 開場/13:00 開演     入場無料

【第1部】 13:00~
1.水尾晃子シューマン交響的練習曲Op.13
2.水澤望ゴドフスキージャワ組曲より
・第1番 Gamelan
・第2番 Wayang-Purwa (Puppet Shadow Plays)
3.高山貴至ショパンノクターンOp.9-2
幻想即興曲Op.66
4.高橋幸枝ラフマニノフヴォカリーズOp.34-14
(伴奏:宮尾幹成)ドヴォルジャーク歌劇「ルサルカ」Op.114より「月に寄せる歌」
6.加川みどりモーツァルトソナタK.333
【第2部】 14:30~
1.古宮雅子スクリャービン左手のための2つの小品Op.9
2.佐藤祥子ベートーヴェンソナタ第10番Op.14-2
3.藤田健治ショパンスケルツォ第2番Op.31
メンデルスゾーン
=リスト=ホロヴィッツ 結婚行進曲と変奏曲
4.吉川貴子J. S. バッハ平均律II巻第19番イ長調BWV888
ベートーヴェン二つの幻想曲風ソナタより「月光」Op.27-2
5.坂田恭子フォーレ舟歌第1番Op.26
6.小笹真砂子ドビュッシー前奏曲集第1集より第12番「ミンストレル」
ラヴェル水の戯れ
【第3部】 15:50~
1.宮尾幹成中村八大夢で逢いましょう[1961]
(ピアノ編曲:中村八大)遠くへ行きたい[1962] (ジェリー藤尾)
こんにちは赤ちゃん[1963] (梓みちよ)
黒い花びら[1959] (水原弘)
上を向いて歩こう[1962] (坂本九)
2.斎藤夏雄フォーレ=ワイルド夢のあとでOp.7-1
ラフマニノフ=ワイルド静かな夜にOp.4-3
3.加藤英雄グレチャニノフパステルより「スクリャービンポエム」Op.32
グルダアリア
エクササイズ
4.高沖秀明リスト超絶技巧練習曲第8番「死霊の狩」
(1852/1837年混成版)
バラキレフ東洋風幻想曲「イスラメイ」 (ホロヴィッツ編追加版)
5.西村英士メシアンポール・デュカの墓への小品
ポール・デュカピアノソナタ変ホ短調より第4楽章

同好会の名称は加古川だが、今では近畿のあちこちで演奏会を行っているようで、今回はそれがたまたま奈良ということらしい。しかし、下手くそなのにこんな後半に組み入れられてしまった。どうなることやら、甚だ心配である。なお、ホテルはどうにか比較的近くのものを何とか押さえることができた。

2007年05月13日

グランドピアノで練習

この土日はちょっと真面目にピアノを練習した。さすがに演奏会前の最後の休日であるから、これ以上サボるわけにもいかない。まあどうあがいたところでミスだらけになるのは避けられないが、それでも曲に聞こえる程度にはしなければ、聴いている人に申し訳ないというものだ。

昨日はにホロヴィッツのピアノを弾かせてもらったスタジオに行って、スタインウェイを1時間弾かせてもらった。ここしばらくは、スタジオでの練習といってもアップライトでやっていたのだが、久しぶりにグランドにさわるとやはりだいぶ違うなと思わされる。タッチや音量ということもそうだが、昨日気づいたのは手がピアノにぶつかるということ。電子ピアノやアップライトで弾いていると気づかないが、音を弾いた手を鍵盤から離す瞬間、どうも私はときどき手を奥の方向に上げていることがあるようなのだ。グランドピアノだと当然そこは「壁」であり、指が衝突することになる。こういうことがあるから、少し高い料金を払ってでも、たまにはいいピアノで練習しないといけない。

ところで、演奏会は近鉄の大和八木駅という駅のそばなので、ゆっくり打ち上げに参加するためにも当日はその周辺のホテルに泊まろうと考えていた。ところがいざ検索を始めてみると、どこもかしこも満室ばかり。残っているのは1泊3万円からとか、バカも休み休み言えと言いたくなるような値段のところだけで、普通のビジネスホテルは本当に全然空いていないのである。どうもキトラ古墳の一般公開とやらをやっている影響らしいのだが、古墳の壁画を見るために奈良中のホテルが埋まるほどの人が来るのかと、あらためて驚いてしまった。とにかく、泊まる場所をもう少し探さないといけない。

2007年05月12日

Habu in Bruxelles Rapid

先日ブリュッセルで行われた早指しチェスの大会で羽生三冠が活躍されたことは周知の通りだが、そのときの羽生さんの全対局の棋譜を、チェスドクターさんが送ってくださった。ご厚意に感謝したい。早速、ウェブ上で見られるようにしてみた:
Habu in Bruxelles Rapid 2007 (閲覧にはJavaが必要)

一通り見てみると、羽生さんは少なくともこの大会では、白番なら1.e4で、黒番なら1.e4に対してはFrench、1.d4に対してはSemi-SlavなどQGD系で行くという方針で指されていたようだ。去年のLuzerner OpenではKIDなども指されていたが、基本的にはこのへんがメインの武器なのだろう。そういえば、一昨年の秋にグランドマスターのPeter Wellsを破って注目された一戦も、Semi-SlavのMeran Variationだった。

ともあれ、よく鑑賞して勉強させていただきたいと思う。

2007年05月10日

久しぶりの投稿

先月末の詰備会で大学コーナー担当のHiさんから投稿を勧められた作品を、昨日送っておいた。あまり見どころがなくて出来としてはよくない方だと自分では思っていたので、もしこれで大学に載せてもらえるのなら、この作品にとっては最も幸せな登場の仕方だと言えるだろう。ただその分、解答者から厳しい評価を受けそうなのが少々恐い。最近はみんな目が肥えてきて、容易なことでは感心してくれないのである。

言われてから投稿するまで少し時間がかかったのは、余詰の再検討をしていたためだ。実は詰備会の席上でこれを周りに見せたとき、九州からいらしていたHoさんから「この配置の方がよいのでは」と提案を受けた。微妙な修正だが、確かにその方が全体の据わりがよくなる。ただそのときは、「よく覚えていないが、きっと創作当時にその配置も考えてみたはずで、それでうまくいかなかったから今の形になったのだったと思う」とお返事をしてしまった。ところが帰ってよくよく調べてみると、Hoさんが指摘された配置でもちゃんと成立しているのである。作意に変化はなく、余詰も出ない。これなら明らかにこの配置の方がよいだろう。さすがに一流の詰将棋作家は鋭いなと感心するとともに、まだまだ自分は推敲が足りないと反省したのであった。

今回投稿するにあたっては、Hoさんの改良案を採用させていただいた。このブログを見ていらっしゃるかは分からないが、この場を借りてお礼を申し上げたい。

2007年05月09日

ピアノと長い指

この間チェスを指したとき、感想戦をしていたら相手の方に「あの、もしかしてピアノを弾かれるんですか」といきなり聞かれたのでびっくりしてしまった。何で分かったのだろうと思ったら、「指しているときに指が長いなあと思ったもので」とのこと。指の長い人が必ずしも鍵盤楽器をやるとは限らないし、ピアノを弾いていると指が長くなるわけでもないだろうから、あまり因果関係はないような気もするのだが、とにかく見事に当てられてしまったのだった。

実はこういうことは初めてではない。高校生のころからぐらいだろうか、初対面の人などに「指が長いですね」とか「手がきれいですね」などとよく言われるようになった。「手タレになれる」なんていうのもあった。自分ではそれまではまるで意識したことがなかったので、言われるほどだろうかと不思議に思ったものである。多感な高校生のときは、男で手がきれいなんて、とむしろマイナスの特徴だと感じていたくらいだが、最近ではさすがに言われて悪い気はしない。とはいえ今でも、人とそんなに違うだろうかという気はする。

今でも覚えているのが、高校の化学の実験のときのことだ。いくつかの班に分かれて実験をするのだが、その日は多分金属イオンの色を確認するという作業をしていたのだと思う。私が液を入れて試験管を細かく振ると、中の液体の色がさっと青緑色に変わった。「あっほら、きれいだよ」と言ったとき、向かいで見ていた女子生徒が
「うわっ、何ちょっときれい……その手!」
いや見るのそこじゃねえだろ、と反射的に突っ込んだのは言うまでもない。

指が長いとピアノを弾くのに有利だろうと思われがちだ。私の手だとどうにか10度が届くくらいだが、確かに一オクターブもつらいような手だったらかなり大変だろうとは思う。しかし、一オクターブ程度が限界という手でピアニストになっている人はいくらでもいる。アシュケナージやラローチャは多分私より手が小さいが、彼らの弾くラフマニノフやアルベニスは、手の小ささなど微塵も感じさせない。結局、努力と才能の問題であろう。

2007年05月08日

講義のペース

火曜日なのでH大に非常勤に出かける。山陽自動車道を降りてからしばらくSバイパスを走るのだが、途中にある電光掲示板に31度と表示されていた。もう夏の気温である。実際のところ、日本は四季から五季に変わりつつあるのかもしれない。春夏秋冬と、真夏である。

講義はテイラー展開がメイン。自分なりに丁寧に説明したつもりだが、時間をかけすぎて今日やろうと思っていたところまで終わらなくなってしまった。今年は昨年に比べるとペースが遅くなっている。去年の学生にアンケートをしたら「板書が速すぎてついていけない」という意見が多数あったため、意識して急がないように努めているせいだ。まあ4ヶ月弱で微積を一通りやるというカリキュラムにそもそも無理があるのである。どういう進め方が一番いいか、いろいろ試行錯誤してみるしかない。

終了後、T君とまた近所のファミレスで夕飯。9時頃帰宅。

2007年05月07日

ブリュッセルの羽生三冠

一昨日と昨日は、ベルギーはブリュッセルで行われていたチェスの大会に羽生三冠が参加していたので注目していた。持ち時間の少ない大会なので見ているそばからどんどん試合結果が更新されていくのだが、これが面白いように勝っていく。レーティングが2600を超える強豪グランドマスターにも勝ってしまったときは思わず声を上げてしまった。優勝したGMには敗れてしまったものの、最終的には11局戦って8.0ポイント、114人中6位とさすがの結果だった。それにしても、毎回期待を裏切らない人である。朝日オープン将棋選手権が進行中だというのに、その合間にさっとヨーロッパに飛んでチェスを指してくるというこの身のこなし。そしてそこでまたバリバリ勝ってしまうのだから本当に恐れ入る。いくら天才といえども勉強なしにチェスはうまくなれないはずで、いったいいつそれをしているのかが実に不思議である。

一番素晴らしいと思うのは、将棋界の第一人者である羽生さんが、チェスを指したいという動機だけで指しに行っていることだ。賞金なんて勝ったところでたかがしれているし、マスコミにアピールしているわけでもないから、チェスファン以外は誰も彼がそんな大会に出かけたなんてことは知らない。また早指しの大会なので、好成績を上げてもIMノルムが得られるわけでもない。飛行機の長旅で体力的にも消耗する。メリットはただ一つ、強豪と心ゆくまで素晴らしいチェスが指せるということだけであり、明らかにそのために出かけていっているのだ。そこがいいのである。

チェスはなかなか日本では人口が増えないと思うが、もしブームが起きる起爆剤があるとしたら、それはやはりものすごく強い人が出現することではないかと思う。それも生半可な強さではなく、常識的には考えられないような短期間で、急激にトップレベルに迫るような人である。それに一番近い位置にいるのは、やはり羽生三冠なのではないかという気がする。

なお今回の大会の結果は、ケレス・チェス・クラブチェスドクターさんのページでも見ることができる。

2007年05月06日

広島へ

午後の新幹線で広島へ。予想はしていたが、東京駅は大変な混雑だった。自由席車両の前は長蛇の列。何本かあとに発車する便の列に並び、ようやく座席を確保する。車内も岡山あたりまでは、立ち客の姿が消えることはなかった。乗っている間は居眠りしたり、詰パラの短手数の問題を解いてみたりしてぼんやり過ごす。こういうときは難解作品や派手な構想ものより、やさしくて力の抜けた手筋ものが一番よい。チェスの本も持ってはいたが、さすがに昨日の今日で開いてみようという気にはあまりならず。

ゴールデンウィークもこれで終わり。明日からまた日常が始まる。次の私的なイベントは演奏会ということになろうか。いい加減に真面目に練習しないと。

2007年05月05日

ゴールデンオープンにて玉砕

チェスの大会、ゴールデンオープンがこの連休中に行われており、今日一日で4局を指して競う1日コースの方に参加してみた。

正直に書こう。結果は玉砕、4連敗である。1局目で序盤早々にひどいブランダーをやらかし、短手数で投了に追い込まれてしまったときに、どうもこれはまずそうだという気がしてきた。対局中に違うことを考えたりしていて、全然集中していないのである。気がついたらチェス盤の前に座っていて、なぜ自分はこんなところにいるんだろうと思いながら指している感じなのだ。盤面を見ればとりあえず脳が勝手に手を考え出すような、「チェス脳」に全くなっていなかった。

2局目は序盤はまあまあという感じだったが、中盤にさしかかったところでまたしてもひどいポカでビショップ1個をポンと取られてしまった。気持ちを切らさずにエンドゲームまで粘ったが、結局ピースダウンの差が最後まで残ってしまってあえなくリザイン。3局目は序盤こそいい感じだったのだが、相手の勢いのある攻めに防戦一方になり、気がつけばやっぱりピースダウン。これはまあアホらしいポカによる損失ではなかったので、仕方なかったかと思う。そして最後の一戦が、これまた序盤でひどい見落とし。不利ながらもドローの可能性を信じてかなり頑張ったが、ついに力尽きた。中国地区選手権のときは、敗れたときもこういう負け方はなかったので、やはり何か気分的に入り切れていない面があったとは思う。

あと誤算だったのは対戦相手だった。対局の組み合わせはスイス式と呼ばれる方法で決まるため、勝てば強い人と、負ければ弱い人と次に当たることになる。1日コースはチェスを始めたばかりの人も参加するはずだから、そういう人に当たればさすがに何とか勝負になるのではという読みだった。ところが実際は、あまり実力差のある組み合わせにならないように参加者をいくつかのカテゴリーに分け、その中で組み合わせを決めていたのだった。道理で負けても負けても、レーティング1500前後の強い人しか出てこないわけだ。こうなると、1658という自分の仮レーティングが重くのしかかる。やはり人の実力は正しく評価されなければいけない。過小評価はよくないが、過大評価もよくないということだ。

まあともかく結果は結果、あれこれ言い訳したところで仕方がない。要するに弱いということである。さすがに終わった直後は憔悴したが、落ち着いて考えてみると、こうなるのが当然だったという気もする。だいたい去年あたりから勉強を始めたような駆け出しが、全国から強豪が集まるこんな大会で勝てるわけがないのだ。中国地区選手権のときはまさにビギナーズラックだったのである。今日でだいぶレーティングは下がるはずだが、実情に近づくという意味では好ましいと言えるだろう。

終了後、一昨日から3日コースの方に参加されていたHさんと落ち合い、反省会をかねて品川駅で夕飯。Hさんも今回は思っていた戦果を上げられなかったようで、やや悄然としていた。9時頃新幹線の改札口前でお別れする。祭りはこれにて終了。

2007年05月03日

片付け作業&新人作家のデビュー

連休明け直後からいよいよ本格的に実家のリフォームが始まるので、今日は一日中その準備に追われた。ここに越してきたのは私が中学1年生のとき。十数年を過ごしたこの子供部屋に堆積した、ありとあらゆる物を運び出して空っぽにしなくてはならない。春に帰ったときも少しはやったのだが、大半は手つかずのままで、この連休中にどうにかしなければならないのである。大量のCD、中高時代の教材、堆く積まれた天文雑誌、マジックの解説書にトリックネタの数々、昔折った色とりどりの折り紙……埃が舞う中を、一つ一つ取り出しては段ボール箱や紙袋に収める。全く、我ながらいろいろやったものだ。ベッドと学習机をベランダの窓から外に運び出し、だいぶ部屋は広くなった。しかしまだまだ押し入れの奥には、得体の知れない物体が積み重なっている。明日もこの作業をすることになるだろう。明後日のチェスの準備はほとんどできそうにないが、やむを得ない。

夕方、駅まで夕飯を食べに出かけた。店に入る前に本屋に立ち寄る。広島では将棋世界を手に入れるためにはあと2日は待たなければならないが、さすがにこちらは店頭に並ぶのが早い。手に取るとすぐ詰将棋サロンのコーナーをチェック。おっ、ついにH君がデビュー!これはめでたい。彼は先月からまた東京に戻ったようだが、今後も是非作品を生み出してほしいものである。

2007年05月02日

富士山確認

今日はもう休暇を取ってしまっていたので、お昼過ぎに家を出て実家に移動する。広島駅では「黒田の男気弁当」なる駅弁を売っていた。カープに残留した黒田投手は、広島では英雄なのである。あいにくお昼を食べてから出てきたので、弁当の中身は不明。

明日から再び連休だからか、平日とはいえ新幹線はそれなりに混雑していたが、通路側の座席をどうにか確保する。ちょうど車両の端っこの座席でうまい具合にコンセントを自由に使えたので、ノートPCでチェスボードを出してピコピコ動かしたりしていた。外はいい天気だったので、例の反対側に見える富士山がもしかしたら拝めるかもしれないと思い、掛川駅を過ぎて5分ほど経ったところでデッキに行ってみる。電車が大きく左にカーブを切ったあたりで、このへんで見えないとおかしいはず、と目を凝らしていたが、どうもそれらしいものが見あたらない。今回もダメか……とあきらめかけたそのとき、見つめていた領域からちょっとずれたところに三角形をした白い光芒のようなものがあるのに気づいた。電車が再び右にカーブを切り始め、それが見えなくなるまでほんの数秒しかなかったが、それでも富士山であることを確認するには十分な時間だった。空気の透明度はやや悪かったものの、これで長年の望みをどうにか果たすことができ、一応満足。

2007年05月01日

燃費の最高記録

火曜日なので非常勤講師のためいつものようにH大へ。4回目の講義で、さすがに開始前の騒がしさが顕著になってきたが、それでも始まってしまうとしんとするのは、多分部屋がそれほど大きくないからだろう。終了後、T君と彼の近しい学生さんの3人で夕飯。

彼らと別れてから夜の山陽道を西進し、インターチェンジを降りたのは9時半近くだった。家に帰る前にガソリンスタンドに立ち寄って給油する。ガソリンを入れるたびに、燃費はずっとチェックし続けている。いつもは13~16km/lという程度なのだが、今回は481.4キロ走って19.3km/lと、燃費の最高記録を更新してしまった。その次によかったのが17.7km/lだから、ダントツの数字である。三段峡に行ったり、非常勤やらセミナーやらでH大に何度も行ったせいで、高速道路を走っていることが多かったためだろう。急な加速を極力しないように努めていたのもよかったか。今日は124円/lだったが、最近はまた値上がりしそうな雰囲気なので、なるべくよい燃費で走るに越したことはない。