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2007年06月30日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.5


Kubbelは1942年に亡くなっており、これは死後に出版された作品。底本に示された変化手順だけでは分かりにくいと思い、かなりつけ加えている。コンピュータ検討ももちろんできなかった時代だから、ある程度不完全作品が含まれているのはやむを得ないだろう。Kubbelがせっかく創った作品を出版しなかった理由は不明だが、もしかしたら再検討の必要ありとでも思っていたのかもしれない。

2007年06月29日

そうだ、京都行こう

すっかり蒸し暑くなった。昨夜は比較的早くに寝たのだが、やはり寝苦しさからか眠りが若干浅いようで、日中はどうしてもえらく眠くなる時間帯がある。たいていは昼食後だ。眠いのをこらえていても効率が悪いからといつも10分か20分その場で居眠りしてしまうのだが、単に睡魔に負ける自分を正当化しているだけとも言える。

来週、京都で行われる研究集会をちょっと見に行ってみることにした。集会の日程は月曜から木曜なのだが、H大の非常勤は休みにくいので、火曜日の講義が終わったその足で東広島駅から新幹線に乗る2泊3日プランで行こうかと思う。少し人の講演でも聴いて刺激を受けよう。

2007年06月27日

看寿賞発表

1年間に発表されたすべての詰将棋の中から、最も優秀な作品に贈られる看寿賞。その平成18年の受賞作品が昨夜、詰パラのホームページで発表された。今年は短編賞に中村雅哉氏の11手詰、中編賞が該当なし、長編賞が添川公司氏の「新桃花源」1205手詰に決定したとのことである。決まるまでの詳しい選考過程は詰パラ7月号を見るとして、まずは受賞が決まったお二人にお祝いを申し上げたい。

詰将棋作家の中には、大した実力もないのにたまたま将棋世界に載った一作で看寿賞受賞まで行ってしまった人もいれば、毎月のように素晴らしい作品を発表していながらなぜかなかなか受賞が決まらない人もいる。中村さんなどは後者の最たるもので、もう3回くらい受賞していてもおかしくないような状況だった。2ヶ月ほど前の詰備会の席上でお会いしたとき、そろそろ来るんじゃないですかなどという会話をしたのだが、やはりという感じである。去年の高坂さんもそうだが、受賞すべき人、いや、受賞しなければならない人が受賞したと言っていいのではないかと思う。中村さんは傑作を1年の間に何作も創られるので、どの作品で受賞するのが妥当だったかはいろいろ意見のあるところだろうが、そのあたりは選考過程にも何か書いてあるだろう。

中編賞が該当なしというのはやや意外だったが、では当然受賞すべきだった作品があったかと問われると、すぐには思い出せないというのが正直なところ。もっともこれは、単に私の作品のチェックがいい加減だからというだけのことかもしれない。長編賞については、「新桃花源」は事前にほとんど当確マークがついていたような状況だったと思う。添川さんはきっと今後も、当たり前のように受賞回数を増やしていくに違いない。もう1作、田島秀男氏の超難解作(馬鋸入り複式金鋸に龍鋸が絡み合うという超絶的な289手詰の作品)も受賞してよいように思っていたのだが、収束の変化別詰がマイナス材料だったのだろうか。少なくとも、有力候補としてあげられたのは間違いないだろう。

ともあれ、選考過程を読むのが楽しみである。

2007年06月26日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.4


Kubbelは1914年、St Petersburger Heroldに掲載された彼の作品(38番として掲載予定)を検討しているうちに、副産物として本作にたどり着いたらしい。Kの微妙な位置関係とNのジャンプが絡み合っていて、なかなかいい作品ではないかと思う。なお本作は手順紹介の部分が若干長いので、盤面と棋譜が離れすぎないように、いつもと盤面の配置を変えて掲示してみた。

2007年06月25日

眠れぬ夜に

寝苦しさに昨日起きるのが遅かったツケが加わって、昨夜は全く寝つけなかった。幾度寝返りを打とうとも、数分もすればたちまち、今投げ出している手や足が接しているシーツの生暖かさがどうしようもなく気持ちが悪くなる。仕方なく姿勢を変えると、身体とシーツがこすれる音が静寂の中で妙に脳裏に響く。それがまた起きている自分という存在を意識させるのだった。一度こうなると、自分は普段、なぜ眠りに落ちることができているのかが不思議で仕方がなくなる。意識が途切れることなどあり得ないような気分になってくるのだ。昼飯を食べたあと、耐えきれないような眠気にしょっちゅう襲われていたはずなのだが、いったいあれはどうしていたのだろう?

そこで何かを数え続けるという古典的な方法にすがることにした。試しに、「イチローのヒットが1本、イチローのヒットが2本……」と数え始めてみる。しかしこれは効果がないことが明らかになった。打つ瞬間の映像を頭の中で再生するのだが、すぐ余計なことを考え出すのだ。同じ方向にばかり打ち返しているはずはない、さっきライト前だったから次は流し打ちだななどと思い、左方向へ打球を飛ばす映像を流す。ヒットが3本……そうだな、センター返しもある(映像)、ヒットが4本……やっぱり内野安打もないと不自然だろう(映像)、ヒットが5本……たまにホームランも打つんだよな(映像)、ヒットが6本……ここいらでバントヒット入れておくか(映像)……といつの間にか「打球の飛ぶ方向が偏らないようにする」ことに腐心してしまい、ますます頭がさえてきてしまうのである。やはり単調な羊の方がよさそうだ。

かくして今日も寝不足の一日であった。

2007年06月24日

何もしない休日

昨夜夜更かししていたせいで今朝はすっかり惰眠を貪ってしまい、ハッと気がついたらすでにお昼近く。今日のNHK杯将棋トーナメントはせっかく解説が羽生三冠だったのに、最後の10分程度しか見られなかった。うーん、もったいない。

梅雨空の一日で、どこへ出かけるという気も起こらず、ピアノを弾いたりチェスのエンドゲームを考えたりして漫然と過ごしていた。夕飯は麻婆豆腐。

2007年06月23日

リヒテルが弾くショパンの練習曲

この間、前奏曲というジャンルを最初に開拓したのはショパンではないようだと書いたが、練習曲の地位の確立については間違いなくショパンの功績が一番だろう。もちろん彼以前にもエチュードは存在したが、ショパンの登場によって練習曲というものの意味合いはまるっきり変わってしまった。初めてショパンが練習曲なるものを書いていると知ったとき、私はハノンやツェルニーのようなものを思い浮かべ、ショパンもそんな練習のための(芸術的にはあまり価値のない)曲を書いていたのかと思ったものである。また練習のための曲というからには、他のショパンの曲よりはだいぶやさしいのだろうなとも思った。だからそのどちらもが全く正反対であると分かったときは、かなりびっくりしたのをよく覚えている。

そのショパンのエチュードだが、今日ネットをふらふらしていたら、リヒテルがOp.10-4を弾いている映像を見つけた。この曲はショパンの練習曲の中でもかなり難しい方に入るが、いったいどうしたんだろうと思いたくなるようなすごいスピードで弾いている。音だけは昔聴いたことがあったが、映像もあるとは知らなかった。こういうものが簡単に見られるようになったのだから、えらい時代になったものである。

2007年06月22日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.3


同じ形のメイトが2つの変化において縦か横に一路ずれて現れるという趣向を、カメレオン・エコーと呼ぶ。一路ずれることによってマス目の色が入れ替わることからついた名前だ。この作品では2つのメイトでQの位置が上下逆になっているものの、広義のカメレオン・エコーと言っていいだろう。底本では初手に対して枝分かれする2本の変化は対等に書かれているのだが、ここでは棋譜再生の都合上、片方をメインライン扱いさせてもらった。

本作もポーン・エンディングの作品としては、比較的あっさりした作り方だと思う。初形にKとPしかない作品はここまでの3作だけなので、ここはあまりKubbelの得意領域ではなかったのかもしれない。ポーン・エンディングというとやはりGrigorievの一連の作品群が思い出されるが、KubbelのはGrigorievと比較して、Pが簡単にすたすた前進を始めてしまう印象だ。一方Grigorievはこうしたポーンレース系よりは、Pの前進をあくまで含みとしたKの微妙な動きに主眼が置かれているように思う。同じ駒を使っていても作風の違いが感じられて面白い。

2007年06月21日

先のことは分からない

毎日蒸し暑いが、梅雨に入ったというのに相変わらずどんよりとした曇り空ばかりで、一向に雨の降る気配がない。関東でも全然降らないので、梅雨入り宣言をした気象庁に苦情が増えているのだそうだ。前から思っているのだが、いつからいつまでが梅雨であったとか、この日に春一番が吹いた、などと発表するというのは、ナンセンスとしか言いようがないと思う。梅雨というのは、何となくこの時期は普段より雨の日が多い年が多い、という共通認識程度のもので、少なくとも明確に期日を規定できるようなものではないのではないだろうか。何をもって梅雨や春一番とするのか、定義がはっきりしていないものを「宣言」したところで意味がないような気がする。どのみち、昨今の異常気象では歳時記通りに季節が進行することなどあまり期待できないのだから、淡々と明日の天気を予報してくれれば個人的には十分だ。それで外れるのは仕方ない。所詮、先のことは何があるか分からないものである。

今日はいつもの研究メンバーでセミナー。合間の雑談で、先日の温泉施設爆発事故の話になる。あの界隈は学生のころ、大学から渋谷の繁華街に歩いていくときにいつもそばを通っていたのでそれなりに知っているのだが、あんなことが起きるとは夢にも思わなかった。あの瞬間に大学にいた人の話も聞いたが、現場から500メートルくらい離れているのに、落雷かと思うような凄まじい轟音がしたという。全く、先のことは何があるか分からない。

2007年06月20日

24の前奏曲

このところは相変わらずスクリャービンを弾いたり聴いたりしている。弾く方は練習曲を継続中で、実に遅々とした歩みではあるが、少しずつ譜読みが進んでいくのが楽しい。一方、CDは最近はずっと前奏曲集である。

前奏曲という名前を最初に聞いたのは、やはりショパンだったと思う。この曲名はもちろん何かの前に弾かれるのだと思ったから、前奏の曲ばかり24曲も集めた曲集というのは、当初はずいぶん妙な気がしたものだ。平均率クラヴィーア曲集のスタイルからフーガを取り除いた形だとやがて分かったが、こうした前奏曲の「独立」を最初に行った人は誰なのだろう。ショパンだろうとずっと思っていたのだが、フンメルが彼より早く24の前奏曲集を書いているようだ。するとフンメルか?いずれにしても、よい形式を発明してくれたものだと思う。というのも、24曲セットの前奏曲を書いている作曲家はかなりたくさんいるが、そのどれもが非常にいい曲なのである。ショパンは言うに及ばず、スクリャービンもラフマニノフもそうだし、カバレフスキーやショスタコーヴィチ(彼はフーガ付きの曲集もある)、そしてカプースチンも捨てがたい。あと、あまり知られていないところでかなり好きなのが、イギリスの作曲家、ヨーク・ボウエンによる24の前奏曲。スティーヴン・ハフが弾いているボウエンのピアノ曲集に一部が収録されている。このCDは私のお気に入りの1枚である。

2007年06月19日

夏への扉

火曜日なのでいつも通りH大に出張。東京に比べるとこちらの気温はまだましな方だと思うが、それでもじめじめした空気はいよいよ本格的になってきて、さすがに蒸し暑さがきつくなってきた。H大では電気代節約のために真夏にならないとエアコンは使用できないようになっているから、おそらく来週も蒸した空気の中で黒板と向き合わなければならないだろう。

講義の始まる前、教卓の上で講義ノートを見ながら無意識に右手でスクリャービンをなぞっていたら、前の子にめざとく見つけられてしまい、「せんせぇ、ピアノ弾くんですか?」と聞かれてしまった。さらに別の学生には「せんせぇ、これ見て下さい!」とノートを見せられる。裏表紙いっぱいに「夏」と大書してある。以前の一件のせいだろう。反応に困っていたら何人かにケラケラと笑われてしまった。うーん、バカにされているんじゃないだろうな……まあ講義が始まればみんな真面目に聞いているし、普通に質問に来てくれたりもするから別にいいのだけれど。

2007年06月18日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.2


ポーンエンディングの作品としてはかなりあっさりしている方だと思う。息抜きのつもりで気軽に作った小品、というところだろうか。それでも、discovered attackの入るスタディとしては、Kubbelはこれを気に入っていたようである。

2007年06月17日

将棋番組を見て

昨日の反動か、今日はやたらに早く目が覚めた。日曜日ということで教育テレビの将棋番組をぼんやりと見ていたのだが、どうも淡泊な将棋であっけなく大差がついて先手が早々に投了。見込みがないと思ったのだろうし、実際もうほとんど指す手がない局面ではあったけれども、一昨日の名人戦第6局でとんでもない大逆転劇を見たばかりだったから、もう少し、せめて11時半過ぎまでは粘ってほしかったという気もした。だいたいそうしないと、そのあとの感想戦に割り当てられる時間が長すぎて、間が持たないのだ。早く終了してあまり争点がなかった対局の方が感想戦の時間が長いというのは、何とも皮肉なものである。今日も最後の10分くらいはほとんど話すことがなくなってしまい、敗れて沈みきっている棋士のみならず感想戦参加者が全員、「もう早く終わってくれ、早く時間が過ぎてくれ……」と思っているのが痛いほど伝わってきて、見ているこちらがいたたまれなくなってしまった。

以前は確か、対局があまりに早く終わってしまったときのために「将棋パトロール」とかいうミニ番組が用意されていて、過去の珍局や珍記録を紹介したりして時間を埋めていたように思うのだが、今はああいうことはしていないのだろうか。今日などは最後の15分はそういう番組でも挿入した方がよかったような気がする。例えば、短編や中編を中心に詰将棋の名局を浦野七段あたりが紹介する番組を出せば、指将棋専門のファンにもアピールできていいのではないか。「新たなる殺意」のような恐ろしい3手詰がこの世に存在することは、まだまだほとんどの将棋ファンは知らないだろう。

とはいえ、考えてみるとそこでその作品を紹介してしまっては、初めてその作品を見る人から考える機会を奪ってしまうことになるから、やはりまずいか。

2007年06月16日

喉の調子

またちょっと寝不足気味だったので、今日はゆっくり寝ていようといつまでもベッドでゴロゴロしていたら、いつの間にかお昼をすっかり回ってしまっていた。さすがに午前中に起き出さないと、正しい人間の生活ではないような気がする。

このところ、どうも喉の調子が変だ。痛いというほどでもないが何か違和感があって、うがいをしたり水を飲んだりするとしばらくは治まるものの、やがてまたおかしくなってきてしまう。最初は放っておけばすぐ治るだろうと高をくくっていたが、どうもずいぶん長引くので、今日は夕方の外出の際に薬局に立ち寄って喉スプレーやのど飴などを買ってきた。薬剤師のおばちゃんの話では、黄砂や光化学スモッグのせいで、今年は喉が炎症を起こしている人が多いのだそうだ。まあしばらくはかなり頻繁にうがいをするなどして、気を遣うことにしよう。

2007年06月15日

Movable TypeとWordPress

昨日スタディのエントリーを書いたので、ある程度続くことを期待してチェスカテゴリーの下に独立したサブカテゴリーを作り、ツリーの形で表示されるようにした。ブログ全体に関わるようなこうした変更をした場合には再構築という操作をする必要があるのだが、このブログもいつの間にかエントリーが400を超え、この再構築作業にえらく時間がかかるようになってしまった。それでもまだ20分程度ですんでいるものの、大規模なブログになると何時間もかかるようなことがあるらしい。ファイルをPHP化して再構築時間を短縮することもできるのだが、面倒でまだやっていない。いずれは手をつけなければいけないだろう。

このブログはMovable Typeというソフトを利用している。ブログ用のソフトは何種類かあるが、日本国内ではMovable Typeのシェアが高いようだ。他のソフトをほとんど見かけないので、少し前までブログ業界ではMovable Typeの一人舞台なのかと勘違いしていたほどである。実際には世界的にMovable Typeはすでに少数派となってきており、代わりにWordPressが台頭してきているらしい。最近は国内でも、風みどりさんのブログなど、MTからWPに移行するサイトを見かけるようになった。インストールが簡単、再構築を必要としない、プラグインが豊富といったメリットがあるようだ。もっとも、今の状態にそれほど強い不満を持っているわけでもないから、長い再構築時間は我慢しつつ、当分はMTで行こうと思う。

2007年06月14日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.1

やる気が萎える前にとにかく始めてみようということで、Kubbelのエンドゲームスタディの1番を書いてみた。時間のあるときに少しずつ進められればと思うのだが、果たしていつまで続くことやら。内容や体裁について、不備があれば指摘していただければ幸いである。

棋譜と盤面は連動していて、棋譜をクリックすればそのときの盤面になる。一度クリックすれば矢印キーでも動くので、その方が操作性はいいかもしれない。また、棋譜から離れて自由に盤上の駒を動かしてみたいときは、単にその駒をクリックすればよい(ドラッグではないので注意)。


底本の解説によると、1926年にShakhmatny Listokに掲載された "Stalemate studies" という記事の中で、Kubbelはこの自作とSeleznievの作品を引用し、ステイルメイトをテーマとしたポーンエンディングのスタディとしてはこれらがベストだと思うと書いているという。参考までに、Seleznievの作品も図面と手順のみ掲げておく。




2007年06月13日

小さな演奏会

大学の講堂で小さな演奏会をやるというので、夕方に自室を抜け出して行ってみた。冒頭の学長の挨拶での説明によれば、この大学にはそもそもピアノがなかったが、是非置いてほしいという学生からの熱いメールを受け取ってから何とかしようと思っていた。しかし、こんな小さな大学の予算でグランドピアノを買える金が急に捻出できるはずもない。思案していたところへ、退任した前学長から家のピアノを寄贈したいとこのたび申し出があり、今日のこの催しを開くことができたとのことだった。

その前学長への感謝状贈呈のあと、ピアノという楽器のルーツに関して国際学部の教授が30分ほど講演をされ、それに続いて演奏会ということになった。といっても、同学部の女子学生3人がピアノ、オーボエ、それにソプラノで今流行の「千の風になって」など数曲を披露するというもので、あっという間に終了。それでも、勤務先で人の演奏を聴けるということは思ってもみなかったので、なかなか新鮮でよかったと思う。今後もときどきこういう催しをやることになるのだろう。

こうしてせっかくピアノが入ったのだから、今後ちょっと時間ができたときに気軽に練習できたりすれば願ってもないことなのだが、おそらくそれは無理だろう。今回のようなイベントのときに使われるだけではないだろうか。こうなってみると、学生時代、あのピアノサークルの環境は恵まれていたのだなあとあらためて思ってしまう。会室(ピアノの会の部屋なのでそう呼ばれていた)に行けば、弦の折れまくった2台のグランドピアノがいつもガンガンと鳴り響いていたし、もう1つのキャンパスにも食堂の上の階にグランドピアノが無造作に1台置かれてあり、事務から鍵を借りれば誰でも自由に好きなだけ弾くことができたのだ。あれはあのディープなピアノサークルならではの環境だったのだなということを、今になって実感してしまうのだった。

2007年06月12日

談話会出席

今日は午前中のうちにH大に移動。1時からの談話会でN大のflopさんが講演されるためである。終了後に少しお話しもできたが、極小モデル理論の現在の状況がよく分かっただけでなく、専門家が集まった研究集会での裏話なども聞けたりしてなかなか面白かった。いつも思うが、できる人は話もうまい。

非常勤は先週の中間試験の返却。多かった間違いなどを一通り説明してから積分の定義に入った。夜はまたT君と夕飯。先週は彼は東京で講演があって大変だったようだ。8時半頃に彼の家の前で彼を降ろし、夜の山陽自動車道をひた走って9時半頃帰宅。

2007年06月11日

作品集届く

注文してあるエンドゲームスタディの本が届くにはあと1週間くらいかかりそうと一昨日書いたばかりだが、今日帰宅してみたら届いていた。思っていたより早く到着してくれて、2日遅れで誕生日プレゼントが届いた気分である。ラインナップは
Leonid Kubbel's Chess Endgame Studies
The Platov Brothers - Their chess endgame studies
Depth and Beauty - The chess endgame studies of Artur Mandler
Works of Simkhovich
The fruits from my chess garden - W.Proskurowski
の5冊。メインはやっぱり440作収録のKubbelということになると思うが、213作載っているPlatov兄弟の作品集も大変なボリュームだし、Mandlerのは作品ごとの解説の充実ぶりがすごい。これに今あるTroitzkyやKasparyanやPogosyantsを加えれば、スタディのコレクションとしてはちょっとしたものになったのではないだろうか。

さて、届いた以上は当初の計画を実行に移そうと思うのだが、KubbelもPlatov兄弟も冒頭の問題から私にとってはかなり難しい。少なくともさらっと内容を説明することはできそうにないので、ちょっと検討する時間をつくらないといけない。まあ実戦の役に立つかどうかは分からないが、チェスの駒たちと少しは仲良くなれるだろう。

2007年06月10日

推理将棋

少し前に「会話型将棋プルーフゲーム」として何回か紹介した新手のパズルだが、興味を持つ人が増えていよいよ盛り上がってきたようだ。まずこの名称をもっとなじみやすいものにしようという議論が始まって、結局「推理将棋」という名前に落ち着いた。この推理将棋を紹介する何らかの記事も、近々詰パラに載るらしい。また詰将棋メモでは出題と解答募集が行われているほか、新作も募っているようだ。最近は詰将棋もすっかり数が増えて、真に新しい手順や趣向はなかなか出にくくなってきている。何か目新しいものに飢えていた詰将棋愛好家にとって、推理将棋は欲求を満たすのにうってつけだったということだろう。しばらくはブームが続きそうだ。

推理将棋という名称が提案されたとき、対抗馬として「隣の将棋」という名前も出ていた。これは問題文の会話が当初、「昨日将棋センター行ったら、隣の奴らがおかしな将棋指しててさ」という台詞からたいてい始まっていたことに由来する。結局「推理将棋」に決まったが、「隣の将棋」も通称として使おうという話になったようだ。私は推理将棋のよい作品も創れていないし解く方もからきしダメだが、上記の台詞を最初に書いたのは私なので、その点だけは推理将棋興隆に貢献できたかなという気がしている。

2007年06月09日

また一つ

また一つ、年をとってしまった。子供のころは一大イベントであった誕生日も最近は……などと書くと、去年の今日と同じになってしまう。とはいえ実際のところ、いつもの土曜日と何も違いはなかった。日もだいぶ高くなってからのそのそ起き出し、パスタをゆでて食べ、コーヒーを一杯。午後はスクリャービンを弾いたりエンドゲームの本を解くでもなしにパラパラと眺めたり。夕方に車で市街地に出かけてちょっと買い物をし、夕飯をすませて帰ってきた。

先週書いたエンドゲームスタディの紹介だが、注文してある作品集が届くのにまだもう一週間くらいはかかりそうな気配。Kubbelの他にも何冊かまとめて発注してあるので、手に入ればエンドゲームのコレクションが少し充実したものになりそうだ。こういうのは詰将棋の作品集と同じで、とにかく持っていたくなるものである。解ける解けないとはまた別の話だ。届くのを楽しみにしている。

2007年06月08日

暑気払い

予定通り、今日は夕方からIw先生とバスで市街地に移動し、本通商店街にあるちょっとしゃれた飲み屋へ。どんよりとした曇り空だったのだが、地下街を抜けて外に出ようとしたらいつの間にか雨が降り始めている。次の瞬間、ドカーンという凄まじい爆音が鳴り響いた。すぐ近くに雷が落ちたらしい。店に入って飲み出すまでの間は、激しい雷とアーケードにたたきつけられる雨音でIw先生の声も聞こえにくいほどだったが、刺身の盛り合わせをつついているうちにいつしかそれも収まった。6時半頃から始めて3時間半くらい、大学のことやそれぞれの生活のことなどあれこれお話しする。Iw先生は以前千葉県は鎌ヶ谷にお住まいだったことがあり、鎌ヶ谷大仏の交差点だとか駅前のイトーヨーカドーだとか、ローカルな話が通じてしまうのだ。もっとも、お互いずいぶん長いことあのへんには行っていない。きっとかなり変わってしまったことだろう。

10時頃帰宅。

2007年06月07日

採点ほぼ終了&自宅サーバの不調

昨日と今日でどうにか中間試験の採点は一通り終わった。思っていたより結構出来がよくて少しびっくり。ちょっと試験直前の問題演習が親切すぎたのかもしれない。講義の感想や文句なども書きたかったら自由にどうぞと言っておいたので、何人かはいろいろ書いてきてくれていた。実はこういうのを読むのが一番楽しみなのである。根が単純だから、分かりやすくていい講義ですなどと書いてあると、お世辞だと分かっていてもうれしくなってしまうのだ。もっとも、それが点数に影響を与えるようなことはもちろんないので念のため。

ところで先ほどこのブログを書こうとしたときに、急にサーバが応答しなくなってしまった。様子を見に行ってみると、ハードディスクがギリギリと激しい音を立てている。何の操作も受けつけないのでどうしようもない。それが5分くらい続いて、これは大変なことになったのではないかと青くなりかけたときに突然ギリギリ音がやみ、再びアクセスできるようになった。おかげでこうやってこれを書けているわけだが、何だったのかはまだ不明である。考えてみると、もう少し非常時に対する備えをしておかないといけないのかもしれない。古いノートPCにVine Linuxを適当に入れてずっと動かしているのだが、何年も稼働していればある日突然お亡くなりになってしまうことだって十分あり得る。ちょっと対策を考えよう。

去年まで一緒に一般情報処理という演習を担当していたIw先生から、たまにはちょっと飲みに行きませんかと誘われたので、明日の帰りはやや遅くなる見込み。

2007年06月05日

中間試験

今日はH大にて中間試験。試験中は学生証を机の上に出してもらって一つ一つチェックしていくのだが、何と登録していた人が全員受験していた。数学なんてかったるいもんやってらんねー、といって途中から放棄するような人が数人くらいいるだろうと思っていたのだが、こいつは単位が取りやすいから受けておけという情報でも上の学年から流れているのだろうか。ともあれ、明日からは採点である。私はどうも要領が悪くて採点にも時間がかかってしまうのだが、何とか来週の講義までに終わらせてしまいたい。

いつも夕飯を食べているT君は今週は東京に出張中のため、終了後はさっさと車に乗り込んで帰途に就いた。

2007年06月04日

麻疹急接近

今日はまたいつもの研究メンバーでセミナー。といっても、先週の月曜木曜と続けてやってこれまでの研究に一段落をつけたために、今日はこれからどのへんを調べていこうかという話が中心。こういうことが分かれば面白い、これを証明できれば発展しそう、などといろいろこの先の希望はあるのだが、まだどうやっていいかが分からないので、「できればいいね」と言っている段階である。最後の方はほとんど雑談になってしまった。このメンバーでのセミナーはたいていこうだ。4時頃に終了し、それから2時間半ほど会議があって、7時過ぎに帰宅。

会議中に、最近の麻疹による大学休校の話題になった。神戸や岡山ではすでに何校か休みになったらしいけど広島ではまだあまり聞きませんねという話だったのだが、帰ってからネットを回っていて驚いた。うちの大学から目と鼻の先にあるHS大が、麻疹のために明日から2週間くらい全学休校するらしい。直線距離にしてせいぜい1キロしか離れていない。遠い世界の出来事のような気がしていたが、一気に現実的な話になってしまった。仮にうちの大学も休校になったりすると、夏以降のいろいろな予定がすべて狂ってかなり大変なことになる。どうなるか少し心配だ。

2007年06月03日

ダブルプレイ&免許証の更新

少し早めにお昼のパスタをすすりながらテレビをつけたら、大リーグをやっていた。ちょうどマリナーズがノーアウト一塁・三塁のチャンスを迎えたところで、打席にイチローが入ろうとしている。以前の経験からもうあまり生で見ないことにしていたのだが、聞けば25試合連続安打だというではないか。さすがに行けるだろう。
「さあこの好機にバッターはイチロー、現在25試合連続ヒット中、この間の打率が何と4割4厘!本西さん、レンジャーズ側はどういった守備形態をとるんでしょうか?」
「まあ1点はしょうがないということでダブルプレイ狙いでしょうけど、イチロー君からはまずダブルプレイは取れませんからねえ」
「そうですね……打った!ショート正面、セカンドから……あっと一塁もアウト、ダブルプレイ!うーん、ダブルプレイでしたね、本西さん?」
「うーん……」
すぐテレビを消す。何で見ているとこうなのか。

お昼をいつもより少し早めに食べていたのは、午後から免許証の更新に行くつもりだったためである。東京にいる間は車に乗る必要性がほとんどなかったので免許取得もサボっていたのだが、広島は車社会、大学生になったら免許を取るのが当たり前という場所だ。特に30過ぎの男性で免許を持っていないなどというのは、ここでは宇宙人に近い存在なのである。広島に赴任してすぐ、銀行に口座を開設しに行ったときのことを思い出す。身分を証明する必要があるわけだが、女性行員がにこやかに言うのである。
「あっ、免許証で結構ですよ」
そこで私が「いや、免許持っていないんですけど……」と言った瞬間、顔からさっと笑みが消えるとともに、行員は「えっ……」と絶句して真っ青になってしまったのだ。いや、実際はそこまで大げさではなかったと思うが、そうだったような気がするほど驚かれたのである。そんなことで、私も腹を決めて自動車学校に通い、何とか免許をいただいたのであった。

というわけで、今回は免許取得から初めての更新であるため、2時間の初心運転者講習というのを受けなくてはならなかった。運転免許センターはうちから車で5分くらいのところにあるから行くのは簡単なのだが、待ち時間も含めてとにかく時間がかかる。加えて、周りが明らかに大学生と思われるような若い人ばかりでどうも居心地が悪かったが、どうにか耐えて新しい免許を交付してもらったのだった。やれやれ。

2007年06月02日

エンドゲームスタディの紹介

いつも愚にもつかぬ事ばかり書いているこのブログだが、何か一つくらい連載めいたものを企画してもいいかなと最近漠然と思っている。今考えているのは、誰か特定の作家のエンドゲームスタディ作品集を採り上げ、一作ずつ紹介していくという案。といっても解答手順をただ羅列したり、作品集の解説の訳をつけて終わりにしたりするのではつまらないので、中級者以上には明らかであるような変化手順もなるべくつけ、自分なりの感想もできれば書いていく。所詮はビギナーであるから、そういうスタイルの方が自分にとっても勉強になるのではないかと思う。

ただ、誰の作品をやるかが問題だ。とりあえず今手元にあるのは、Genrikh Kasparyan (1910-1995) の "The Complete Studies of Genrikh Kasparyan"(545作)、Alexey A. Troitzky (1866-1942) の "Collection of Chess Studies"(360作)、Hugh Blandford (1917-1981) の "Published Works & Notebooks"(167作)、Ernest Pogosyants (1935-1990) の "A (First) Century of Studies"(100作)である。しかしKasparyanはあまりに作品数が多いうえにかなり難解な作品ばかりのようでさすがに躊躇してしまうし、Blandfordのは余詰作や未完成作品なども合わせて収録しているので、ここでわざわざ紹介するのには向かないように思われる。Pogosyantsは比較的手頃だろうか。ただ、Troitzky以外の3人に言えることだが、作品集が世に出てからまだせいぜい10年であり、数作ならともかく片っ端から作品をウェブ上で紹介していくのは、ちょっと問題があるのかもしれない。となるとTroitzkyかなと思うが、すでに同種の企画がChess Chroniconで始まってしまっているので、今さら自分の出る幕でもないような気がする。

というわけで、どうするかまだ考え中である。

2007年06月01日

どこにも出せない作品展

たくぼんさんのところで「第1回どこにも出せない普通詰将棋作品展」が出た。早速眺めてみたが、何だ何だ、どこにも出せないなどと口では言いつつ、皆さんやたらに立派なものを……うーん、はめられたような気がしてきた。こんなことならペンネームで発表しておけばよかったかもしれない。いや、このブログでツインを投稿したと書いてしまっているから、あまり意味はないか。

それにしても、この「どこにも出せない」はうまい企画だと思う。詰将棋を創っている人は、口ではどう言っていようとも、本心ではみんな自作がかわいくて仕方がない。だから出来が悪くても、一点でもいいと思えるところがあるなら、実はそれを人に見てもらいたくてうずうずしているのである。ある水準以上でないと雑誌には掲載されないので、そういう作品はほとんどの場合、見せたいけど見せられない、でもやっぱり誰かに見せたい……という作者の葛藤とともに保管されている。そこへ来て「どこにも出せない」ことが前提となっている作品展だと言われれば、もう出したくなる衝動を抑えきれない。それが、詰将棋作家というものである。

こういう作品はまだまだそれぞれの手元に眠っているに違いないから、この企画は今後も長続きするのではないかという気がする。