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2007年08月31日

詰パラ9月号&500回

今日も疲れた。帰宅して郵便受けをのぞいてみると、詰パラ9月号が届いていた。今月は詰将棋全国大会のレポートや詰将棋順位戦の結果発表など、いろいろ読むところが多い。すっかり人気が定着した感のある推理将棋の連載もある。もちろん記事を読むだけでなくて、詰将棋もせめて短手数のものだけでも解いていきたいが、昨今の忙しさの中で、さてどこまでできるやら。

本エントリーがこのブログ500番目のエントリーである。去年の2月25日に始めたから、553日目での500回達成ということになる。まあ張り切って絶対毎日書くと意気込んでいるといつか必ず息切れするから、10日に一度くらい休む今程度のペースくらいが自分にはちょうどいいようだ。

2007年08月30日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.13


並べてみれば分かる通り、最終局面で「!」の形が出現する。エンドゲームのあぶり出し曲詰と言えよう。この連載で紹介できる日が来るかどうか怪しいが、ずっとあとの346番でもフィニッシュで盤面縦一列に駒が並ぶ作品がある。

2007年08月29日

彗星の話

今日も一日中やることがあってちょっと疲れた。

昨日の皆既月食をきっかけに思い出した懐古談の続き。1985年の秋から翌年の春にかけてハレー彗星が接近したときにはマスコミも上を下への大騒ぎだったが、天文ファンは少しそれを苦々しく思っていた。というのも、マスコミが騒いだ天文現象はたいてい期待外れに終わるというジンクスがあったからである。特に彗星は事前の明るさ予想が必ずしも当たらない場合が多く、がっかりさせられることが多かった。古くは1974年のコホーテク彗星で、「今世紀最大」とマスコミが大々的に報道した(ほとんどすべての天文現象は「今世紀最大」とされる)ものの大したことがなくて「誤報テク彗星」と呼ばれたし、私が高校の地学部で天体観測に熱中していたころも、マックホルツ彗星が「真っ暗ホルツ彗星」、オースチン彗星が「大嘘チン彗星」と期待外れが続いたものである。結局、望遠鏡を使わずに肉眼ではっきり尾を引く姿を確認できたのは、10年前のヘール・ボップ彗星が最初で最後かもしれない。天文熱がピークのころにあれが来ていたら、狂喜していたことだろう。

そういえば、次にハレー彗星が来るのは2061年である。私は仮に生きていれば88歳ということになるが、まあまず無理だろう。今このブログを読んでいる方のうち何人が、再び訪れた彗星を目にできるだろうか。ちなみにヘール・ボップ彗星が次に戻ってくるのは西暦4380年。地球はそのころ、いったいどうなっていることか。

2007年08月28日

皆既月食

LunarEclipse2.jpgLunarEclipse1.jpg今日は皆既月食だということは知っていたが、事前の予報では雲がかかって見るのは難しそうということだったので、あまり期待しないでいた。ところが夕飯の用意をしながらふと窓から東の空を見たら、山の上に赤銅色の月が見えているではないか。せっかくなのでデジカメをベランダに持ち出して何枚か撮ってみる。今ひとつの出来だが、何の準備もなく撮ったのだからこんなものか(1枚目には通りがかった飛行機の光が線状に写り込んでいる)。露出は2.5秒から10秒程度まで何パターンか試してみたが、撮るたびに写り具合をその場で確認できるのだから、便利な時代になったものである。凍てつく夜に必死でNikon FEを空に向けていた20年前には思いもよらぬことだった。

日食と月食では日食の方が若干頻度としては多いが、日食が非常に狭い地域でしか観測できないのに対し、月食はそのとき夜の地域であれば見られるわけだから、結果的には月食の方が見る機会が多くなる。1年に1回か2回はあるのが普通だ。今でも覚えているが、1985年は5月と10月、1986年も4月と10月と2回ずつ皆既月食があり、天文少年だった私は何としてもいい写真を撮ってみせると燃えていたのだった。当時はハレー彗星も来ていたころで、天文現象のスケジュールがずいぶん詰まっていたような気がする。ハレー彗星の方は、東京の空が明るすぎるのに加えて天気にも恵まれず、まともな写真は撮れなかったが、月食については、少なくとも1986年10月18日の皆既月食は、結構いい写真をものにできたのではなかったかと思う。いわゆる多重露出で、欠け始めから終わりまでの数時間を10分くらいの間隔で1枚に写し込むのである。途中で少しでも三脚が動いたりしたらすべてが終わりになるし、変化する月の明るさを見て露出時間をどうするかも決めなければいけない。すべてはただ1枚の写真のためである。何とも緊張感があった。

当時撮った写真、実家に帰ったときに少し見返してみよう。

2007年08月27日

アイススパイク

IceSpike.jpg冷凍庫から氷を取り出そうとしたら、氷から角のような突起が出ていた。実はこれを見るのは初めてではない。前に見たのはちょうど1年ほど前のことである。そのときも不思議に思ったのだが、今回はさすがに気になって少し調べてみた。どうやらこれは、アイススパイクと呼ばれる現象らしい。水は凍るときに体積が増えるが、凍り出した表面にまだ凍っていない小さい穴が残っていると、そこから内部の水が凍りながら盛り上がってくる。それがこういう造形を生み出すのだそうだ。

それならなぜ普段はあまり見られないのか。詳しい解説を読むと、このアイススパイクができるためには蒸留水であることが重要で、普通の水道水では塩素が邪魔をしてできにくいとのこと。また、アイススパイクができやすいのは-7度前後であり、日本の通常の冷凍庫の設定温度である-18度はちょっと低すぎるということらしい。

この解説が正しいとすると、近所のホームセンターで一番安かった浄水器は、頼りなさそうで実は案外塩素分を除去していたのだということになる。この時期は冷凍庫の扉を開けると一気に中の温度が上がるので、水が凍っていくときの温度がいつもより若干高くなっており、結果的にアイススパイクができやすい環境になっていたということなのだろう。

物理のいい勉強になった。

2007年08月26日

Gratin dauphinois

GratinDauphinois.jpg午前中は半分寝た頭でNHK杯将棋トーナメントを見ていたが、中盤で大差がついて盛り上がらないまま終わってしまい、今ひとつだった。パスタを食べ、アイスコーヒーを一杯飲んだあと、午後は来週の講演の準備。なかなか進まないが、やっとまとまった時間がとれてよかった。

夕飯に久しぶりにグラタンをつくってみた。一応グラタン・ドーフィノワのつもりなのだが、それは要するにじゃがいもしか使っていないということでもある。大して手をかけていないときでも、こういう名前で呼ぶと急にえらく立派なものをつくったように思えてくるから不思議だ。あまりおいしそうには見えないかもしれないが、自分では悪くないと思っている。

2007年08月25日

演奏会に向けて

学生のころに所属していたピアノサークルの同期たちで、3年半ぶりにOB演奏会をやろうという話がいよいよ固まってきた。期日は来月の16日、場所は都営大江戸線牛込柳町駅から徒歩5分のところにあるTOMONOホールというところ。入場はもちろん無料、出入りも自由である。準備作業をほとんどやってくれているO君がチラシ(PDFファイル)を作ってくれた。私はともかく、他は本当にうまい人ばかりなので、当日お暇な方は是非。プログラムはまだ未定だが、決まり次第掲載したいと思う。

曲は5月と同じとはいえ、少しは練習しないとまた恥をかいてしまう。夕方に市街地まで出かけ、ピアノスタジオで弾いてきた。夕飯をそのへんで食べて、近くのスーパーで買い物をしてから帰宅。

2007年08月24日

忙しい一週間

どうも今週は忙しくていけなかった。会議や書類作りに加えて部屋を訪れた学生さんの質問につきあったりしていると、毎日帰るのが遅くなってしまう。来月の上旬に講演をしなければいけないのに、まだ全然準備ができていない。すでに人前で何度か話したネタとはいえ、ちょっとこのままではまずい。この土日にでも何とか時間をつくらないと。

それにしても、人前で話をするというのは何度やってもうまくいかないものである。学生時代も含め、発表させてもらったあとに「今日はうまくいったな」と思えたことは一度もない。ほとんどは、質問にうまく答えられずに立ち往生したり、ごまかそうとして意味不明のことを口走ったりして、あとからそれを思い出してくよくよする、その繰り返しだ。そしてまた、あのときあんな間抜けなことを言ってしまったとか、質問していた人があきれているように見えたとか、もしかしたら気のせいかもしれないようなことを、いつまでも覚えているのである。これは精神衛生上、あまりよろしくない。

人前で何かやってみせて失敗するという意味では例えばピアノ演奏もそうだが、あれは演奏直後こそがっくりしても、うまく弾けなかった記憶は時の経過とともに薄れ、曲がりなりにもあの曲をあのとき演奏したんだ、という満足感だけが残るのである。やはり趣味の世界は気楽でいい。

2007年08月22日

高校野球の決勝戦

毎日暑い日が続いているが、今日は午後に夕立がやってきてだいぶ気温が下がった。これがあるとないでは、その夜の寝苦しさが全然違ってくる。

今日の高校野球の決勝戦、結果を知ったのはすべて終わった夕方になってからだったが、広陵高校は劇的な逆転負けを喫してしまったようで、少し残念。というのも、この高校はうちから車で5分くらいのところにあるのだ。車社会のここ広島で、「車で5分」は相当な近所という感覚である。最近は昔に比べると高校野球の結果をあまりチェックしなくなってしまっていたが、さすがに今日はどうなったかなと少し気になっていた。今にして思えば、あの突然の驟雨は広陵の負けを告げるものだったのかもしれない。

2007年08月21日

ヘルプメイトの担当

昨日はプロブレム・パラダイス(通称:プロパラ)の解答提出締切日だったので、一昨日の夜に詰四会から帰宅後、せっせと解答を清書していた。私の頭では手を着けられる問題は限られているのだが、オーソドックス(通常のプロブレム)とヘルプメイト(白黒が協力して黒のKを詰める)はなるべくトライするようにしている。ただ、少なくともヘルプメイトについては、解答を書いて送るのは今回をもってしばらくお休みすることになるだろう。飽きたからではない。次号からヘルプメイトコーナーの担当をすることになってしまったからである。つまり、解答する側から出題する側に回るのだ。私のようなビギナーではとても務まらないと思ったのだが、前任者のK坂さんやチーフ・エディターのW島さんから口説き落とされてしまったのだった。

出題する側に回ると言っても、自分で問題を考えるわけではなく、あちこちから投稿されてくる作品を吟味し、発表するに値すると思われるものを選んで載せるというのが仕事になる。今はコンピュータがあるから、作品の完全性のチェックはまあだいたいどうにかなる。しかし、その作品のよさや欠点を感じ取れる確かな鑑賞眼が、果たして自分にあるのか。これが問題だ。作者の狙いをしっかりくみ取って解答発表時に解説できなければ、時間をかけて創作された方に申し訳ないことになってしまう。

また、ヘルプメイトを創作して日本の雑誌に送ってくれるなんて奇特な方は世界を探してもそうは多くないから、作品の在庫を常に切らさずにいられるかという点も不安だ。前任者のK坂さんも、掲載する作品がいつ底をつくか心配しながら、自転車操業で毎号乗りきっていたらしい。ただこれについては、自己紹介を兼ねて担当を交代したことを何人かのプロブレミストにメールで知らせたところ、1時間くらいですぐ新作を投稿してくれた方がいたので、少し希望を持てるような気はしている(わざわざ新担当の挨拶メールを送ったのは正解だったようで、"Japanese politeness is well known!" なんて書いてあった)。

となるとやはり一番の課題は、自分の「見る目」ということになるだろう。今は本業も他の趣味もいろいろあって忙しいが、時間を見つけて少しずつ鑑賞力をつけていきたいものである。

2007年08月20日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.12


見ての通り、生前発表されなかった10番と同じ収束になる。おそらく、このツークツワンクのフィニッシュから出発していろいろな逆算を試行錯誤した結果、こちらの方がよいと判断したのだろう。

2007年08月19日

第3回詰四会

第3回詰四会に参加。車で広島港まで約30分、そこから約70分の船旅で松山観光港に到着する。さらにバスに20分ほど乗れば、もう松山市街である。今日の詰四会は前回から一転、12名も集まった。関西どころか東京からもこの会合のためにやってくる方がいらっしゃるのだから、その情熱とヴァイタリティにはただただ頭が下がる。

今回は、「清くて涼しい作品」を作ってこいということになっていた。猛暑の続く夏にはぴったりだ。このお題に合う作品を当初は持っていたのだが、結局それは別のコーナーに投稿することになったのは以前書いた通りである。そこで、今日は仕方なく急遽こしらえた間に合わせの作品を持参していった。主張も何もなく、それらしい手をただ指していけば詰むという平凡極まる一作である。課題の「涼しさ」だけは意識したが、あんなのでは涼しいどころかお寒いだけではないだろうか。結局採用していただけることになったものの、酷評が今から予想される。

ところで、詰四会の会場は松山市民会館というところだ。公共の施設なので、いくつかある会議室をいろんな団体が会合のために利用しており、それぞれの部屋の入口にその団体名が掲示されている。トイレに行ったついでに何となく一通り見て回ったのだが、これがなかなか面白い。
「詰四会」
「(株)東海サミット面接会場」
「無教松山聖書集会」
「紅日俳句会」
「東洋整体学院説明会」
「気学勉強会」
「偕和會」
「都市鑑定研究会」
世の中いろんな集会があるんだなという気にならないだろうか。一般の人から見たら「詰四会」が何の集まりか一番分からないと思われるが、個人的には最後の「都市鑑定研究会」というのが気になった。何をする会合なんだろう?

参加された方々と松山市駅前で夕飯をいただいたあと、たくぼんさんの車で港まで送っていただいた。10時頃帰宅。

2007年08月18日

ツイていない日

木曜日の夜は寝苦しさで寝つけなかったので、昨夜はその分を取り返すべくたっぷり寝ようと決めていた。ところが、今朝はいきなりチャイムでたたき起こされる。宅配便だというのだが、時計を見ると8時半だ。何でこんな時間にと思いつつ、大あわてで服を着た。
「あっどうも、ここにハンコお願いしまーす」
差し出された伝票を見ると、受取人欄に知らない人の名前が書いてある。
「これ、違いますけど」
「えっ、そうですか?前に住んでいた人かな」
「いや、前の人も違う名前です。……これ住所違うじゃないですか、II番って書いてありますよ」
「あれ、そうですか?いや、こっちはIII番って書いてあるんですよ」
そう言って配達員が見せた小包の送り先住所は、明らかに「II番」と書いてあった。そもそも、伝票はそのカーボンコピーなのだから、同じに決まっているのだ。なぜあれが「III番」に見えるんだ?おかげで安眠計画は失敗に終わってしまった。睡眠を妨げられるのはあまり愉快なことではない。ましてその見返りが何もないとなればなおさらだ。

これを皮切りに、今日はとにかくツイていなかった。そのまま起きていたらかえって昼近くになって眠くなり、ウトウトしていて昼食が変な時間にずれこんでしまったり、パスタをゆでようとしたら切れていたり、パソコンをいじればいつも安定しているソフトがどうしても異常終了してしまったり。何をやってもうまくいかない日というのはあるものだ。

床屋に行ったあと、日が落ちて気温が少し下がったのを見計らって市街地まで出かけた。明日の詰四会に持っていくもみじ饅頭を買ったあと、夕飯後にピアノスタジオで少し練習。学生時代のピアノサークルの同期数人で、来月中旬にOB演奏会をやろうという話が固まりつつある。以前は毎年のようにやっていたが、ここ数年はご無沙汰だった。詳細は決まり次第ここに載せるつもりだが、自分は練習している時間がないので、5月と同じ曲目でお茶を濁す予定。

帰りも妙な車に追い立てられたり、帰宅して氷菓を食べようとしたら溶けていたり。ツイていない日とはそうしたものだ。

2007年08月17日

チェスボードの早くて簡単な作り方

将棋盤というと、木材としては榧や桂が使われ、高級品になると日本刀を使って漆でマス目の線を引いたりするが、チェスボードがどうやって作られているかということは、今まであまり見聞きしたことがない。一部の装飾的な高級品を除き、将棋盤のような伝統工芸品のような扱いは受けていないのだろうと思ってはいたが、最近「チェスボードの早くて簡単な作り方」と題する映像を見つけた。なるほど、これなら簡単である。もちろんチェス盤全部が全部こうではないのだろうが、将棋盤に比べるとずいぶんとお手軽だ。駒の作成現場も一度見てみたいものである。

2007年08月16日

夏期休暇終了

ほぼ2週間ぶりに広島の我が家に帰宅した。新幹線はいつもに比べれば空いている方で、あれくらいならあんな前から地獄のような暑さのホームに並んでいなくてもよかったかもしれない。何しろ、今日は国内最高気温の記録が更新されたのだというから驚きだ。子供のころから、「日本で一番気温が高かったのは山形で記録された40.8度」と言われ続け、それがすっかり頭にすり込まれていたのに、突然それが変わってしまうのである。もっとも昨今の日本の熱帯化を見ると、今回の記録は10年ともたないのではないかという気もする。

さて、出張と帰省でずいぶんと家を空けてしまったが、明日からはいつもの日々が始まる。やらなくてはいけないことがずいぶんとたまっていて、元のペースに戻るまでには少し時間がかかりそうだ。

2007年08月15日

わが世界線

強烈の日射しの中、二宮から市川の実家に戻る。ニュースではしきりに帰省ラッシュの混雑を伝えていたが、実際には拍子抜けするほど空いていて、予想よりずっと早く到着してしまった。

以前、ガモフの啓蒙書に出ていた数学の試験にまつわるエピソードについて書いたが、二宮滞在中にそのガモフの本を見つけた。ジョージ・ガモフ・コレクション第3巻の「宇宙=1,2,3…無限大」である。件のエピソードは、そこに収録されたガモフの自伝「わが世界線」の中にあった。だいたい話の大筋は記憶の通りであったが、少し勘違いもあった。ガモフは1904年にウクライナのオデッサで生まれ、少年期をそこで過ごした。やがてロシア革命が勃発する。社会が混乱する中、食糧事情が悪化したオデッサの様子を伝えるエピソードとして、あの話が紹介されていたのだった。以下にその部分を抜粋する(表記などはすべて訳本のまま)。



……次に述べるのは、当時オデッサ大学の物理学の若い教授だった。私の一友人から聞いた話である。彼の名はイゴール・タムといった(1956年ノーベル物理学賞受賞者)。オデッサが赤軍に占領されていた時期のあるとき、彼が近くの村へでかけて、銀のサジ半ダースでニワトリを何羽くれるかと村人と交渉していたとき、その村にマフノーの一隊が侵入してきた。彼らはその地方をうろつきまわって赤軍を襲撃していたのである。彼らはタムが都会人の服装(あるいはそのなれの果て)をしているのを見て、彼をつかまえて首領のところへつれていった。その首領はあごひげをはやし、高い黒い毛皮の帽子をかぶり、広い肩に機関銃の弾帯をひっかけ、腰のベルトに手榴弾を二つさしていた。
 「こら若僧、お前は共産党の手先で、わが母国ウクライナをてんぷくしようとしているんだな! 死刑だぞ。」
 「いえ、ちがうんです」とタムは答えた。「ぼくはオデッサ大学の教授で、ここへきたのは食糧を少し手に入れるためだったのです」
 「たわけ!」と首領がいった。「いったい何の教授なんだ?」
 「数学を教えています。」
 「数学だって?」と首領はいった。「よろしい。そんなら、マクローリンの級数を第n項で切ったときの誤差範囲は何かいってみろ。できたら放免してやる。できなければ銃殺だぞ!」
 タムはわが耳を疑った。というのは、この問題は高等数学のかなり特殊な分野に属する問題だったからである。銃口を突きつけられ、震える手で、彼はようやく答えを書いて首領に渡した。
 「合っとる!」と首領はいった。「なるほどお前は本当に教授だな。家へ帰れ!」
 この首領がだれだったかは、もうだれにもわかるまい。もしあの男がその後ずっと生きていたら、きっといまはウクライナのどこかの大学で数学の講義をしていることだろう。


というわけで、に敵方をドイツ軍と書いたのは記憶違いであった。なおマフノーとはウクライナの無政府主義者である。1917年の二月革命後反革命軍と戦ったが、その後ボルシェビキに反対して戦い、1920年になってソビエト軍によって鎮圧され、国外へ亡命して死んだ。

ガモフの啓蒙書はどれも非常に面白い。最も有名なのはおそらく「不思議の国のトムキンス」だが、個人的には「1,2,3…無限大」が一番印象に残っている。読んでみて損はない。

2007年08月14日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.11


2007年08月13日

ヒキとの遭遇

夕方、7年前に亡くなった祖母が住んでいた二宮の家に移動する。前に来たのはだった。明日はここに親戚が集まることになっている。こちらは15日にまた市川に戻り、翌16日に広島に帰る予定。

7時過ぎに着いたので、荷物だけ置いて夕飯はどこか外で食べようということになったのだが、歩き出してすぐ、足元に大きなカエルがいるのに気づき、びっくりして立ち止まる。握り拳よりさらにもう一回りは大きい。暗闇の中だったので、危うく踏みつけるところだった。子供のとき、雨に合わせてこの大きさのカエルが路上に数匹出てきたのを見た記憶があるが、逆に言えばその程度しか遭遇したことがない。蛇とは広島でもよく出くわしているのだが、あの図体のカエルは久しぶりであった。

2007年08月12日

真夏の演奏会

昨日更新できなかったのは、帰宅したのが深夜になったからである。灼熱地獄の中、上野の奏楽堂で行われた演奏会に行っていたのだ。プログラムを見てもらえば分かるが、午後1時半から午後8時までぶっ通しでピアノを弾くという、まさにピアノ好きが集まった催しである。かつてのピアノサークルの先輩や後輩が半分くらいで、終了後の打ち上げに誘われ、結局ついていくことになった。数年ぶりに話した人も多かったが、変わったなと思う人は一人もいなかった。外見や性格はおろか、選曲の嗜好や演奏の姿勢に至るまで、笑ってしまうほどに前のままの人たちばかり。何だか自分一人歳を重ねているのではないかという気分にさえなってしまった。学生のときとまるで変わらずに、ひたすらピアノを弾くことに情熱を傾けている人たちを目の当たりにして、弾くことの楽しさを改めて思い出したのであった。

今日は猛暑を避けて家にずっと逼塞。昨日の演奏会に刺激を受けて、夕方にしばし鍵盤に向かってみた。

2007年08月10日

実家に帰宅

午前中に最後の講演があり、お昼を食べてセミナーハウスをあとにする。昨夜は話し込んでいてやや就寝が遅くなったこともあり、全部終わったときにはかなり疲れ気味だった。連続して人の講演を聴くというのはそれだけでエネルギーを消費するものだが、それに加えて大勢の人たちとの共同生活というのは常にある程度の緊張関係を強いられ、一見楽しそうでも確実に疲労感が蓄積されていく。ましてオーガナイザーの一員となればなおさらだ。

まあともかく、これで一仕事終わった。これからもまだいろいろ懸案事項はあるが、それはすべてお盆休みの後。まずは実家で一息つこう。

2007年08月09日

セミナー四日目

山奥でのセミナーも4日目。今回はオーガナイザーの一人なのだが、その関係で午前中に初めて座長をやることになってしまった。講演前に講演者の紹介をしたり、講演後に質問がないか聴衆に聴いたりするくらいだけれど、何だか国会見学か何かで豪華すぎる大臣の椅子に座った小学生の気分である。やはりこの世界では、自分はまだまだ青二才だ。

午後もたっぷり講演があり、さすがに夕方は少し疲れた。夕食後のひととき、場の流れで数人にマジックをやることになったのだが、大事なネタで一つ失敗をしてしまった。全く、こんな初歩的なミスをするとは情けない。もっとも、昔からやっている十八番はうまくいき、かなり強い印象を与えることができた。演じてから何時間か経つが、今も横でどうやったのかを議論している(ちょっと気分がいい)。

明日、実家に戻る予定。

2007年08月08日

ラベンダーパーク

Lavender2.jpgLavender1.jpg今日は午後に2時間ほど講演の中休みがあったので、セミナーハウスから徒歩30分くらいのところにあるラベンダーパークなるところまで足を伸ばしてきた。冬場はスキー場になるところだが、雪のない時期は一面にラベンダーが植えられており、この時期はちょうど満開になる。標高1,200メートルくらいのところなのだが、太陽が照りつける中で山道を歩くのはさすがにしんどかった。

一通りラベンダーの紫色を眺めた後、そろそろ戻りましょうと歩き出す。冬にはスキー場になるようなところだからずっと斜面を下っていくことになるのだが、だいぶ歩いたところで忘れ物に気づいた。上の方で眺めを楽しもうと双眼鏡を取り出したとき、眼鏡を外してベンチに置き、それをそのままにしてきてしまったのである。眼鏡をかけていないことに気づかないのだったら、最初からかける必要などないのではないかと思われるだろう。実際、日常生活では大して支障はないのだ。ただ講演を聴くときには裸眼で文字の読み取りが厳しく、元々そのために作ったのである。しかしかけたり外したりするのがわずらわしいので、結局ずっとかけて過ごすことにした次第(家では外している)。ともあれ、大あわてで再び斜面を登って降りる羽目になり、滝のような汗を流しながらセミナーハウスに駆け戻ることになった。

午後の講演中にまたにわかに空が雲に覆われ始め、やがて雷雨となる。ここへ来てからずっとこんな天気が続いている。きれいな星空を期待していたのだが、もう明日しかチャンスがないのでちょっと難しそうだ。

2007年08月07日

詰将棋啓蒙活動

昨日に引き続き、午前中はメインスピーカーであるS大学のM先生が講演されたが、大変説明がうまい方で、主催されたK先生も満足されていたようだった。お昼過ぎまではよい天気だったが、午後に入って少しずつ雲がたれ込め始め、最後の講演者のころには激しい雷雨になる。やはり山の天気は変わりやすい。

昨日のことだが、夕食後のひととき、学生さんが何人か集まって将棋を指していたので、去年と全く同じようにして、「新たなる殺意」を紹介して詰将棋の恐ろしさを体感してもらった。いつも思うが、将棋のルールを知っている人に、これほど詰将棋の世界の奥深さを知ってもらうのに適した作品はない。彼らが結構興味を示してくれたので、こちらも調子に乗ってフェアリー詰将棋をいろいろやってもらう。簡単なばか詰や安南詰などだが、最初こそ苦労していたものの、今日にはもう9手詰の安南詰を解けるくらいになってしまった。頼もしい。毎年ここで詰将棋やその変種を広めているが、いつかここから一流の作家が出てくれることを期待しよう。

2007年08月06日

セミナーハウスにて

群馬の山奥に来ている。去年も来たところだ。この前は新幹線を使ったが、今年は特急で沼田駅まで行き、そこからバスに乗って約50分。駅に着いたときは真夏の太陽が照りつけてひどい暑さだったが、うねうねと曲がりながら山を登っていくとどんどん気温が下がり、バスを降りたときには心地よい涼しさになっていた。そこからさらに山道を15分ほど登ったところが、目的地のセミナーハウスである。外界から隔絶された環境。アガサ・クリスティーなら一人ずつ殺されていきかねないようなところだ。金曜日までここで毎日講演を聴いて勉強することになるが、今年は自分の講演はないので幾分気は楽である。

2007年08月04日

N700系乗車

たらこパスタを腹に入れ、皿洗いをすませるとすぐ出発した。今回のお出かけは出張と帰省を兼ねるので、広島に戻ってくるのは16日の予定である。

14時ジャストに広島駅を出る新幹線が今月から走り始めたN700系だということが分かり、初めて乗車することができた。自分にとっての一番の改善点は、スピードが上がったことでも車内が広くなったことでもなく、窓側のすべての座席でコンセントが使えるようになったこと。1年以上前から待ち望んでいたことがようやく実現したわけだ。幸い今日は混雑もさほどではなく、悠々と座席を確保することができたので、早速ノートPCをつないで遊んでいた。

そんなわけで新幹線は比較的快適だったのだが、市川駅に着いたら異常な状態になっていた。ホームから改札に人があふれかえっていて身動きが取れない。そこかしこに浴衣の女性がいるので、この大混雑の原因はすぐに分かった。花火大会という名前で私が想起するイメージは、もはや轟音とともに空に咲く大輪の花ではなく、拡声器を通した「立ち止まらないでください!」というような絶叫が響き渡る中で果てしなく続く牛歩である。

2007年08月03日

四色問題ゲーム

夜半は強風にあおられてバラバラと雨が窓にたたきつけられる音が聞こえていたが、朝になって家を出るころには、幸いもう峠を越えていた。

比較的人口に膾炙している数学の問題の一つに「四色問題」がある。すでに証明されたので「問題」ではなく「定理」というべきだろうが、主張は「平面上のどんな地図も四色で塗り分け可能である」というものだ。ネットを巡っていたら、「四色問題ゲーム」なるものを見つけた。コンピュータが相手の対戦ゲームであり、自分は黒とグレーを、コンピュータは緑と橙の2色ずつを持ち、交互に色を塗っていく。もちろん、隣接している領域は違う色で塗らなければならない。自分の2色で相手より広い面積を塗れば勝ちなのだが、適当にやっているとこれがなかなか勝てない。少なくとも私は、3ゲーム目か4ゲーム目あたりですぐ負けてしまう。誰かお暇な方は、是非挑戦してランキングに名前を載せてほしい。

来週は群馬県の山奥で行われる代数幾何セミナーに参加することになっているため、明日実家に移動する予定。

2007年08月02日

あるページの閉鎖

台風が現在広島に接近中で、外はだいぶ風の音がうるさくなってきている。スピードが早いようなので、明日の朝には暴風雨のピークを過ぎていることを期待したい。

詰将棋をメインテーマとしているウェブページはネット上にたくさんあって、気が向いたときにちょくちょく見に行っているのだが、数日前にそのうちの一つが「仕事等、いろいろと身辺が忙しくなってき」たことを理由に突然閉鎖されてしまった。いや、「閉鎖」というと入口に鎖をかけただけのように聞こえるが、要するに削除されてしまったのである。過去の名作の紹介や詰将棋創作にまつわる様々な論考やエピソードが楽しめるページであっただけに、何とも残念でならない。

普通に更新されていたページが突然削除されるのには相応の事情があるはずで、それをどうこう言うべきではないと思う。ただ、いつも見ているページを何気なく訪れて「ページを表示できません」というあの木で鼻をくくったような文字列が表示されたときの、あの言いようのない喪失感はどうだろう。一日に何千人も訪れるような人気ページは別にして、自分でホームページやブログを持っている人のほとんどは、もしそこがある日突然消滅したらものすごくがっかりするような読者を抱えているのだということを、あまり認識していないのではないだろうか。ブログにコメントやトラックバックが全く入らなくても、毎日のように見に来てくれている人は確実にいるのである。私自身、そのうちここをなかなか更新できなくなる日も来ると思うが、サーバトラブルなどの非自発的な理由でない限り、いきなり削除するようなことはなるべくすまい……と一応思っている。

2007年08月01日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.10


1938年に作られたが、Kubbelは結局これを発表しなかった。その代わり、同じ収束形になる12番を翌年に創り、こちらを世に出している。また、黒がNではなくBを持っているときに同じようなツークツワンクに持ち込む作品として、51番がある。

なおKubbelが本作を創る前、白黒の役割を交代した作品がすでにJ.Hašekによって発表されていた。Kubbelが知っていたのかどうかは分からないが、参考までに手順のみ掲げておく。