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2007年09月30日

世界チャンピオン決定

日本ではチェスファン以外誰も知らないが、今月はメキシコでチェスの世界チャンピオンを決める大きな大会が行われていた。将棋界は最近いろいろあったが、チェス界でも騒動では負けていない。組織の分裂などがあったせいで、10年以上もの間、誰もが認める真の世界チャンピオンが決まっていない異常な状態が続いていたのである。それをどうにか正常な状態に戻そうとして行われたのが今回の大会であり、優勝候補の筆頭に上がっていたViswanathan Anandが下馬評通りの安定感を見せて大会を制したのであった。勝つべきと思われていた人がその通り勝ったということは、ねじれていたチェス界を元に戻すにはよかったのではないかと思う。大穴が優勝してしまったりしたら、またぞろ対局形式に問題があったとかいう話になりかねない。

一応、毎日の対局結果とゲームの内容は簡単にチェックはしていた。といっても、もちろん勝負を分けた微妙な一着が分かるわけもなく、どんなオープニングが選択されているかを見る程度である。あとは、終局図か終局間近の局面を見て、ゲームの通り勝敗がつくくらい形勢に差があるかどうかを確認してみるくらい。ほとんどはさすがにすぐ分かるが、中にはちょっと考えてしまうものもある。まあこの程度でも、ビギナーにとっては悪くない頭の体操だ。

2007年09月29日

ゆっくり過ごす土曜日

今月は毎週のように遠出していたのでなかなか落ち着くこともできなかったが、久しぶりにゆっくりできる土日である。こういう日が7日に一度挟まらないと、やはりどんどん疲れがたまってきてしまう。今週は風邪で若干体調を崩していたので、この土日で完全に治してしまいたいところだ。

お昼にパスタをゆでて食べ、アイスコーヒーを一杯飲んでからピアノの練習。4時過ぎにネットで注文していた本が届く。それにパラパラと目を通していたら、いつの間にやらもう夕方である。そのまま家に引きこもっていてもよかったが、何となく車で市街地に出かけた。本屋に立ち寄ったあと衣料品店でチノパンを1本買い、それから電器店でマウスパッドを購入。帰宅後、先週ポインタが踊って使えなかったレーザーマウスに買ってきたパッドを使ってみたら、ブラウン運動がぴたりと止まった。なるほど、これが正しい姿だったか。このマウスパッドがないと踊り出すかもしれないというのはやや不便ではあるが、とりあえず、先週の買い物が無駄にならずにすんで満足。

2007年09月28日

数学の講演スタイルについて(続)

昨日の話の続き。他の分野でプロジェクターを使った発表が当たり前となって久しい現在、数学の世界(特に代数系)では黒板(またはホワイトボード)やOHPでの発表が未だに多数を占めているのはなぜなのか。もちろん他の分野と違って、準備なしに提示することが難しい複雑なグラフや写真がほとんど必要ないという面はあるが、それだけでは黒板発表が生き残っている積極的理由にはならないだろう。このことは、数学という学問の性質や数学者のものの考え方が本質的に関係しているように思う。

どんな学問も、考察すべき対象があって、その対象についてあれこれ実験したり、ああでもない、こうでもないと考えをめぐらせる。つまり、理解したいある存在があり、それを理解することを目的として考察が試みられるわけだ。しかし数学の場合、その目的と目的に至る考察という手段が半ば一体化してきてしまっているように思う。もちろん、理解したい数学的対象というものはあるのだが、それを理解するということは、すなわちそれについて考えるということなのだ。こうした目的と手段の一体化が他分野にないとは思わないが、数学に一番顕著な傾向であるのは確かだろう。おそらく、プロジェクターで紙芝居を見せるというやり方は、理解したい対象とそれを理解しようとするプロセスが、数学者にとってははっきり分離しすぎているように感じられるのではないかと思う。その発表者が何を証明したのか理解するということは、その人の考えていく過程を追体験するということであり、それにはその人が考える際に紙に書いていったであろう考察の道筋を、その場で再現してもらうことが一番しっくり来る。印刷されたものを見せるのではなく、その場で書いていくことにより、講演者と聴講者が思考していく過程を同時に共有するわけだ。この同時性が、数学者には心地よいのではないかという気がするのである。

まだ学生のころ、自分が所属していた大学で大きな学会が催され、その手伝いをしたことがあった。そのとき、前に工学系の研究室で勤めておられた経験のある事務の方が黒板発表だらけのプログラムを見て、「数学の人(特に代数系)は保守的で、新しいことを取り入れようとしないですね」という感想を漏らされたことがあったのである。いやそれは違う、これは数学という学問自体の性質に深く起因することなんですと私は向きになって反論したが、あとになって考えてみれば、そう思われるのも仕方ないかなという気がしてきた。数学の世界ではこれが性に合うんですといくら主張したところで、傍目から見ればプロジェクターのきれいな画面を使った発表の方がどう見たってスマートだ。今の世の中、見た目はとにかく大事なのである。

去年あたりからプロジェクターを使った発表をしてみているのは、そのへんのことも意識してのことである。やり方さえ工夫すれば、外から見てもそれほど遅れたスタイルには見えず、かつ同業者からもさほど分かりにくいと言われない発表をする余地はあるのではないか。そう思っていろいろ模索しているが、未だ道半ばである。

2007年09月27日

数学者の講演スタイル

朝一番で会議があり、いつもより早く勤務先に向かった。そして昼を挟み、夕方からまた別の会議。これがちょうど3時間くらいかかった。実は仙台から帰った翌日から風邪を引いていて、火曜日あたりは扁桃腺の腫れがひどかったのだが、幸いもうだいぶよくなったようだ。まだ本調子ではないとはいえ、今日の会議を何ということもなく乗り切ったのだから、もう峠は越えたと言っていいだろう。もちろん疲れはしたが、それは風邪を引いていようがいまいが関係のないことである。

会議に挟まれた日中は、TeXでプレゼンをするためのbeamerというクラスについて少し調べていた。今やほとんどの学問分野において、発表ないし講演とはすなわちプロジェクターでパソコンの画面を写す行為であり、さらにそれは多くの人にとって、某M社のP某というソフトを使う行為とほぼ同義になってしまっている。しかし数学特有の記号や表記を表現するのに市販のソフトはどうしても不十分であり、TeXに頼らざるを得ない。TeXはそもそも印刷される文書を作るためのものだが、これをプロジェクターでの講演用に改良する追加パッケージがあり、それが今日いじっていたbeamerである。他にprosperと呼ばれるものもある。去年の秋今月頭の講演ではこちらを使ったのだが、prosperはすでに開発が止まってしまっており、過去のものとなりつつある。そこで、これからはbeamerの時代だろうというわけだ。

そういえば先日仙台での学会に行ったとき、午前中の代数学分科会では13人の発表があったが、OHPを使った人が12人、黒板で発表した人が1人で、プロジェクターを使った人はゼロだった。多分この比率は、数学以外の学問領域にいる人から見たら相当奇異に映るであろうことは想像に難くない。プロジェクター12人にOHP1人で黒板がゼロの間違いではないのか、と言われそうだ。しかし少し前まではOHPすら少数派で、ほとんどの人は黒板もしくはホワイトボードを使った発表だったのである(私の所属する代数系の人たちは特にその傾向が強い)。他分野ではプロジェクターでの発表が当たり前になっている昨今、なぜ数学の世界だけは古いスタイルが生き残っているのか?それについては、また日をあらためて。

2007年09月25日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.16


2007年09月24日

レーザーマウス

昨日仙台から引き揚げるとき、ホテルでパソコンをバッグにしまおうとして誤ってマウスを床に落としてしまった。バキッといやな音がして表面のカバーが外れ、中の電池が1個飛び出した。帰宅後に使ってみようとしたところ、そのときの衝撃のせいで少し接触が悪くなったらしく、動かしても反応がない。しばらくいじっていたら復帰したが、これを機に新しいマウスでも買っておくかと思い立ち、今日はぶらっと電器店を訪れた。ずらっと売場に並んだマウスをあれこれ手にとって悩み、結局レーザーマウスで比較的小さなものを購入。オプティカルマウスより感度がよい第三世代のマウスというふれこみに乗せられたわけだ。レーザーを買うのは初めてである。

ところが帰宅して早速使い出してみると、いきなり困った現象が発生した。マウスポインタが勝手に動くのである。実は、昨日床に落としたオプティカルマウスもときどきそういう症状を示すことがあったのだが、それはポインタが一定方向にゆっくり動いていくというもので、いつも起きるわけではなかった。しかしこのレーザーマウスのポインタは、常に不規則に微動している。「踊る」という表現が一番しっくり来るが、マウスを動かさなくても勝手にふらふらと動き続けるのだ。ブラウン運動のサンプルとして使えるのではないかという気にすらなる落ち着きのなさである。感度が強いために、机から1cmほど浮かしても相変わらず不規則運動を続けていた。

とにかく、これではちょっと使えない。レーザーマウスというのはみんなこんなものなのだろうか。専用のマウスパッドを使えばいいのかもしれないが、こういうことに煩わされるのならボールを使ったマウスの方がましという気もしてくる。ブラウン運動に比べれば、ときどき掃除するくらい何でもないことだ。

2007年09月23日

杜の都を去る

ホテルをチェックアウトして外に出ると、空気がやたらに冷たいのに驚いた。そういえば昨日は昼過ぎまではやたらと暑かったのに、スターバックスでチェスを指しているときに急に気温が下がってきたと思ったら激しい夕立となったのだった。あとで調べてみたら、昨日の仙台の最高気温は31.2度で、それが今日は20.7度。道理でひんやりしたわけだ。明日も気温は上がらぬようで、どうやらあの雨とともに仙台の夏は去っていったらしい。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものである。

お昼頃の飛行機で広島に帰ってきた。同じ飛行機にH大のSu先生が乗っていらしたので、広島空港の食堂で食べながら少しお話しする。こちらもぐずつき気味の曇り空だったが、仙台と違うのは気温がほとんど下がっていないこと。暑さ寒さも彼岸までとはあまりあてにならない文句である。

さて、明日はゆっくりしよう。

2007年09月22日

杜の都でチェス

朝、TH大の数学会会場へ。午前中は代数学分科会の部屋でずっと講演を聴いていた。大きな教室の後ろの方に座っていたので、見渡すと見知った後ろ姿がそこかしこに見える。数学会は普段なかなか機会のない方と顔を合わせて近況を報告する場でもある。昼休みに入ったとき、岐阜の大学にお勤めのSさんをちょうどお見かけしたのでご挨拶し、そのまま生協食堂で一緒にお昼を食べた。昔、学生のころに遊んでいた某オンラインRPGを久しぶりにちょっとやってみないかという話に。確かにやってみたい気もするが、ゲームというものは中毒性があって一度やり出すとしばらくは相当に時間を取られるため、データだけでなく自分もセーブしながらプレイできるかどうかが問題である。

午後はフランス人のI先生による特別講演を聴き、さらに数学会賞秋季賞の授賞式の様子を見た後、チェスの師範であるHさんと会場を後にする。広瀬通に面したスターバックスに移動して半年ぶりの指導対局。元々実力差があるうえに、こちらはこのところピアノやら何やらに時間を使っていて全然チェスの勉強をしていなかったから、勝敗は見えている。果たして2局指して両方とも負けたが、まあ思っていたよりは頑張れたのではないか。特に1局目は、駒損して早くも負けかと思う状態から、相手のうっかりにも助けられて分の悪くないエンドゲーム勝負に持ち込めた。結局最後は押し切られたが、もうちょっとうまく指せばドローくらいにはできたような気がする。まあこのへんが実力差なのだろう。毎度思うが、タイムプレッシャーにどうも弱い。時間の使い方を会得するには、やはり経験を積むことが一番ではないかと思う。Hさんは毎週のようにチェス喫茶に通って修行を積んでいるようだが、広島にそういう場所がないのが何とも残念だ。

2局指したところで夕飯に行くことになり、夕立の中を仙台駅方面に歩く。駅構内の地下にあるレストラン街に行き、スペイン料理の店に入った。そこでパエリアをさらいながらチェスやら数学やらピアノやらについてあれこれお話しする。共通の話題が多いといいものである。10時過ぎに店を出て、ホテルの前でお別れした。

2007年09月21日

杜の都に来る

午後2時に広島空港を発つ飛行機で、ここ仙台にやってきた。天気は出発地も到着地も快晴。気温は広島よりは若干ましという程度で、こちらもまだ暑い。ただ、6時頃にホテルを出たらもうかなり夜の帳が降りてきていて、ずいぶんと東まで来たんだなと実感した。今の時期、広島の6時はまだまだ明るい。

仙台には何度も来ているが、今までは東京から新幹線ばかりだったので、仙台空港に降り立ったのは初めてである。ちょうど今年の3月に仙台空港鉄道が開業したばかりで、乗れば25分で仙台駅に行ける。これは便利だ。電車には同じ飛行機で広島から来たと思われる人たちばかり乗っていた。自分はボックス席の隅に座っていたのだが、あとの席に座ったのはご年配の男女3人で、どうもこれから青森で行われるスポーツの大会に参加するところのようだった。仙台から新幹線でさらに北上するわけだからなかなか大変である。もっとも、車内では楽しそうに四方山話に花を咲かせていた。
「おおそうじゃ、彼は具合ようなったんじゃろか」
「何や具合悪うなった原因は毛虫じゃいうて」
「あっこのお医者さん若いもんじゃけ最初分からんかったんじゃ」
「そうじゃ、抗生物質効かんのじゃいうて、そしたら毛虫じゃいうことなりよって」
というような会話で、誰かが毛虫のせいで体調を崩したということしか分からなかったが、東北の農村風景を眺めながら広島弁を聞くことになるとは思わなかった。

夕飯の牛タン定食で仙台に来たことを実感。明日は朝から講演を聴く予定。

2007年09月20日

明日より仙台へ

ここ数日は特に差し迫った用事もなく、幾分ゆっくりと過ごすことができた。明日から2泊3日の予定で、仙台で行われる秋季学会を見に行ってくるが、それが終われば9月の外出行動もようやく一段落する。もっとも、来月は下旬に
10月22~26日 城崎に出張
10月27日 神戸にて演奏会
10月28日 岡山にて詰備会
という新たな山が控えている。本業とお遊びで連日移動とは、我ながらご苦労なことだ。何でもかんでも中途半端に手を出すのが私の悪い癖である。数学にしろピアノにしろ詰将棋にしろ、もっと集中して打ち込んだ方がきっとよりよい結果を得られるのだろう。しかし、持って生まれた性分はいかんともし難い。

先ほどから明日の出張の準備をしているのだが、今月号の詰パラが見当たらない。さては今までの外出でどこかに置いてきただろうか。飛行機の中での暇つぶしは他にもアイテムはあるが、コレクションとして間が抜けるのは少々悔しい。

2007年09月19日

ピアノソロのための協奏曲

シャルル=ヴァランタン・アルカン(Charles-Valentin Alkan, 1813~1888)という人を知っているだろうか。19世紀の作曲家兼ピアニストである。当時はピアノの申し子としてショパンやリストと並んで有名な存在であり、彼らもアルカンから少なからず影響を受けたと思われるが、今では知名度に天と地ほどの差が開き、知る人ぞ知る謎めいた作曲家になってしまった。そうなるに至ったのには、彼の作品が当時としてはかなり先鋭的で聴く人を選ぶようなものであったこと、彼が後半生に演奏活動をほとんどしなくなり、家に閉じこもって宗教書の研究に没頭していた(彼の死因は、自宅の本棚が倒れてきたことによる圧死であった)ことなど、いろいろな理由が考えられる。しかし少なくとも、彼の作品の音楽的価値が低いからでないのは確かだろう。アルカンのピアノ曲は、他の誰にも真似できないようなオリジナリティの高いものである。

独創的な作品群の中でも、「短調による12の練習曲」Op.39はとりわけ異彩を放っている。12曲セットの練習曲というスタイル自体はショパンやドビュッシーにも見られるありふれたものだが、アルカンのそれはまるで別物と言っていい。12曲のうち、4曲目から7曲目までは「ピアノソロのための交響曲」、8曲目から10曲目までは「ピアノソロのための協奏曲」という副題がそれぞれつけられている。どちらも凄まじい曲なのであるが、特に後者の奇抜さは突出している。「ピアノソロのための協奏曲」とは何だか矛盾しているようなタイトルだが、つまりこれはピアノとオーケストラのために書かれた曲をあたかもピアノソロのために編曲したような体裁になっていることを意味しているのだ。とにかく巨大な曲で、第1楽章に相当するOp.39-8だけで1342小節(ベートーヴェンのハンマークラヴィーア・ソナタより多い)、演奏には約30分を要する。技術的な難しさは筆舌に尽くしがたい。聴けばちょっとしたカルチャーショックを受けること請け合いである。

この曲の演奏はあまりに難しいので録音も少なく、これまではマルク=アンドレ・アムラン (Marc-André Hamelin) がMusic&Artsというマイナーレーベルから出した伝説的な録音が知られているだけだったが、このたび彼がHyperionレーベルから新録音を出した。15年前の旧録音と勝るとも劣らぬ名演である。クラシックの系譜においては異端的存在であり、聴く人が皆気に入るとは思わないが、ちょっと変わったピアノ曲を聴いてみたいという方には強くお勧めしたい。

なおこの「協奏曲」については、若手ピアニストの森下唯氏が修士論文において詳しく解説しており、彼のページで全文を読むことができる。

2007年09月18日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.15


ギリギリの駆け引きの中で、異なる形のステイルメイトがメインラインと変化手順で4つも出現する。最後に駒が十字に並ぶさまは、詰将棋風に言えばあぶり出し曲詰というところ。簡素な配置にも関わらず、創り物ならではの面白さを十分に内包した一作と言えよう。

2007年09月17日

三度目の帰宅

広島にまた戻ってきた。こうやって帰ってくるのは今月に入って3度目だ。しかも実は、学会を見てくるために今週末に仙台に行くというお出かけがまだ残っている。一月に4回も泊まりがけで出かけるというのは、今までで初めてかもしれない。しかしそれが終われば、数週間は落ち着いて過ごせるだろう。

広島駅からは在来線で隣の横川駅に移動し、そこからバスに乗ることになる。このバスは、通勤時間帯を除いて20分から30分に1本くらいしか来ない。荷物も多いしさすがに疲れたし、あまり待たされるようだったらタクシーに乗ってしまおうかとも思っていた。ところが、改札を出てバス停に歩いていくと同時に向こうからバスが近づいてくるのが見え、自分がバス停に到着したまさにその瞬間、バスが停車して扉が開いたのである。特別待遇でも受けているかのようなタイミングであった。バスという乗り物は人がバス停に到着する直前に発車するよう設計されているのかと思っていたが、たまにはこんなこともあるものだ。もっとも、ここ数日分の運を一気に使ってしまったような心境である。

2007年09月16日

演奏会終了

今日は演奏会。牛込柳町駅から炎天下の道を歩いて会場に向かう。懐かしい同期の顔ぶれとも久しぶりに再会した。外見は誰も大して変わっていないものの、いつの間にやら子供を連れてきている人が何人かいるのが、やはり時の流れを感じさせる。「何かすっかり大学の先生って感じだね」と数人から言われたのだが、それが「老けた」ということの婉曲的表現ではなく、単に眼鏡とスーツの相乗効果であったと信じたい。

自分の演奏については、相変わらずつまらないミスをあちこちでしてしまったが、5月に同じ曲を弾いたときに比べればまだましだったように思う。会場のスタインウェイが弾きやすかったこともあるが、一度人前で弾いたということから来る若干の余裕もプラスに働いたのかもしれない。「夢のあとで」の聴かせどころをちょっと失敗してしまったのは残念だったが、「静かな夜に」の方はまあこれくらいできればよしとしなければいけないだろう。他の人たちの演奏もみんなじっくり聴かせてもらったが、選曲も演奏のスタイルもみんな昔のままで、この「変わっていない」感じが何とも心地よかった。

6時頃にすべて終了した後、少し歩いたところにあるアジア風料理の店で打ち上げ。座席をときどき移動してはあちこちでつもる話に花が咲いた。また来年にでもやろうと話がまとまったところで、10時半頃に散会。

2007年09月15日

再び東京に移動

明日は演奏会なので、昼過ぎに広島を発って実家に移動。またうまい具合にN700系に乗れたので、ノートPCを取り出してKubbelのエンドゲームを調べたりして過ごした。車内は3連休の初日だからか、結構な混雑ぶり。いったん名古屋で落ち着いたと思ったら、新横浜でまたバラバラと乗ってきて立ち客だらけになってしまった。新横浜から東京へ行くのに新幹線を利用する人があれだけいるというのは、ちょっと不思議である。

ピアノの方は、もう大した演奏ができないのは仕方ない。学生のころ、サークル主催の演奏会に何度も出させてもらったが、結局身についたのは「うまく弾けなくたって首を取られるわけじゃなし」という開き直りの姿勢だけだったような気がする。技術的には、今も昔もやっぱりダメである。昨日は少し早めに大学を切り上げて街中のスタジオに練習しに行っていたけれども、何だかどうも指がうまく回らなかった。普段電子ピアノでばかり練習しているから、ゆったりしたところでさえ力のいれ加減が分からずおかしなことになってしまう。こんな調子では明日はどうなることやら。まあよい、うまく弾けなくたって別に首を取られるわけじゃないのだ。

2007年09月13日

砂漠のロマン

一昨日会ったフランス人は日本語がペラペラだった。まあ来日13年で日本人と結婚したとかいう話だったから、ネイティブ並みに話せるのも当然なのかもしれない。しかしもっと滞在が短い外国人でも、日本語が非常にうまくてびっくりさせられることがしばしばある。外国語としての日本語は決してやさしくない言語なのではないかと思うのだが、微妙なニュアンスまで表現する受け答えに感心させられることも少なくない。

まだ大学院の学生だったころ、院生室という部屋に通うのが私の日課だった。大学院にはそう呼ばれる部屋がいくつかあって、学生たちは数名ずつそれぞれの部屋の所属になり、そこで黙々と勉強したり数学の議論をしたり、あるいは他愛もない雑談を楽しんだりして過ごしていたのである。私のいた院生室には、中国人の留学生夫妻が来ていた。日本語のうまい外国人というと思い出すのが、この夫妻の奥さんのことである。

夫の方が自分と同じ分野の学生だった縁で、数理ファイナンスを専攻していた奥さんともときどき話すようになったが、この奥さんが来日したばかりだというのに本当に日本語がうまく、いつも感心していた。敬語の使い分けなど、そこらの日本人よりよほどできると感じたほどだ。それでも彼女は飽き足らず、専門の勉強をする一方で外国人のための日本語の授業に出てよく勉強していた。たまたま机が近かったこともあり、その授業の予習復習をしていて分からないことがあると、奥さんはくるっとこちらに向き直って、「サイトウさん、質問があります」とときどき聞いてくるようになったのだった。

ところが、である。この質問になかなかうまく答えられないのだ。せっかく聞いてきてくれるのだからスパッと分かりやすく答えようといつも思っているのだが、たいていまともに表現できたためしがなく、無力感にうちひしがれることになる。考えてみれば、奥さんはこのときすでに外国人向け日本語検定の上級レベルをクリアしており、こちらが簡単に答えられるようなことは、最初から聞かずとも分かるのである。となるといきおい、質問内容は日本語独特の曖昧でぼんやりしたニュアンスに関することが多くなるのだった。

「サイトウさん、質問があります」
ある日そう言って奥さんが持ってきたのは、日本語の授業で今読んでいるというエッセイだった。砂漠でテントを張って一夜を明かした体験がつづられており、果てしなく続く悠久の大地と夜空に輝く幾多の星々に砂漠のロマンを感じた、というようなことが書いてある。
「サイトウさん、この『砂漠のロマン』って何ですか」
もちろんあとから考えると、ああ言えばよかった、こう言えば分かりやすかったと思うのだが、とっさにはなかなか考えがまとまらないのである。我々日本人が「砂漠のロマン」と言われて思い浮かべる茫洋とした何かは、確かに存在する。だが、それを言葉でどう表現すればいいのか。
「ああ、砂漠のロマンね、うん。これはね。えーと。ロマン……ね。これはほら、ね。何つーの?ねえ。あるでしょ?」
「何がありますか」
「あっ、つまり……えーと、ほら、砂漠は広いでしょ。見渡す限り砂漠で。すごい、広大な、ね。ぶわーっと。だからね、夢があるわけよ。夢ね。いや、夢っつっても寝ているわけじゃないんだけど」
「広いと夢がありますか」
「ああいや、別に広けりゃいつも夢があるってわけじゃないか。えーと、あっ、でもね、ああ、だから、広大な砂漠と満天の星空を見ていると、えーとほら、雄大な気分になるわけです。もう小さいことなんか気にならなくなる。それでね。えーと。えー……こうね、(握り拳をつくって)ぐっと、思うわけですよ」
「何を思いますか」
「……ロマンだなあって」
「……あっ、どうもありがとうございました」

日本語は難しい。

2007年09月12日

帰広

研究集会も今日で終わり。S大のU君が相変わらずの自由闊達な講演で3日続いた集会を締めくくった。広島に帰るI先生、また実家のある広島に立ち寄るというK大のNさんと3人でQ大を離れる。博多駅でお昼をすませたあと、午後の早いうちに新幹線に乗った。博多から広島までは65分。車中で流れる電光掲示板で首相辞任のニュースを知った。

今回は場所も比較的近いし期間もそれほど長くなかったが、それにしてはちょっと疲れてしまった。今日のところはゆっくり休んで明日以降に備えよう。何せ週末は演奏会のためにまた東京に移動である。今月は何かと動くことが多い。

2007年09月11日

モツ鍋とアプサント

研究集会も2日目。朝から夕方まで講演が続き、さすがにちょっと疲れた。やはり今回の研究集会はS先生の還暦祝いという意味合いが強く、昨日メインイベントが終わってしまったからか、何となくみんな気合いがのっていなかったような気がする。

absinthe.jpgmotsunabe.jpg終了後、学生時代の研究室の後輩で、今はQ大で若手のホープとして将来を嘱望されているT君と夕飯に行く。まずは彼お勧めのモツ鍋の店に連れて行ってもらった。モツ鍋というと、ものによってはくせがあって好き嫌いがはっきり分かれる傾向があるが、彼が紹介してくれたお店は京風ということであっさりしており、なかなかおいしく食べられた。白味噌風のスープがとてもよい。その後、T君がときどき行くというバーに行くことになる。日本に来て13年というフランス人がやっている店で、Mathiasという名前のその店主は、周りからは「まっちゃん」と呼ばれていた。T君に勧められてここでabsinthe(アプサント、ただしアブサンという呼び名の方が広まっている)という酒を初めて飲ませてもらった。ニガヨモギを原料としたリキュールの一種で、角砂糖を入れた氷水で薄めて飲む。元々のアルコール分が高いのでこれでも結構きつい。19世紀には広く飲まれた(ドガの "absinthe" という絵は1876年の作品)が、その後香味成分の中毒性が疑われ、20世紀初頭から比較的最近に至るまで各国で生産が禁止されていたといういわくつきの酒だ。私はそれほどアルコールには強くないので一杯だけちびりちびりと飲んだが、独特の香りと苦みで、確かに一度病みつきになったらやめられなくなるのも分かる気がした。

11時過ぎにホテルに戻る。やれやれ、今日も疲れた。

2007年09月10日

研究集会と還暦祝い

Q大の研究集会に参加するため、2泊3日の予定で今日から博多に来ている。表向きには普通の代数幾何学の研究集会だが、実際にはQ大の重鎮であるS先生の還暦をお祝いするというもう一つの意味がある。今日の最後にそのS先生が講演され、その後近くのホテルに移動してお祝いの会が催された。立食パーティー形式で2時間ほど。70名以上も参加者が集まったが、これもS先生のご人徳と親しみやすさのなせる技であろう。それにしても、代数幾何学の偉い先生方は50代後半の方がかなりいらっしゃるので、これから数年はこうした還暦をお祝いする集まりが増えそうだ。

終了後、何となく集まった5人ほどで近くのスタバでもう少しお話ししてから散会した。11時少し前にホテルに到着。

2007年09月09日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.14


2007年09月08日

プログラム

16日に行われる演奏会のプログラムがようやくほぼ固まった。以下の通りである。

卒業10周年記念・東大ピアノの会OB演奏会
2007年9月16日(日) TOMONOホール(地下鉄大江戸線牛込柳町駅徒歩5分)
13:15 開場/13:30 開演     入場無料

【第1部】 13:30頃~
1.ミシェル・カミロ/リメンブランス
スミス=ホロヴィッツ/アメリカ国歌大竹将也
2.カプースチン/前奏曲集より第1, 20番,即興曲植松洋史
3.モンポウ/前奏曲第1, 2, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10番不破友芝
4.ラフマニノフ/音の絵Op.39-5
ショパン/バラード第3番Op.47鈴木千帆
5.ベートーヴェン=リスト/交響曲第3番「英雄」Op.55より第1楽章近藤祐嗣
【第2部】 14:55頃~
1.ショパン/練習曲Op.25-1「エオリアンハープ」
スクリャービン/練習曲Op.42-5
ショパン/ピアノ・ソナタ第3番Op.58より第1楽章滋賀秀裕
2.ショパン/夜想曲第1番Op.9-1
ラヴェル/「クープランの墓」より「前奏曲」米林裕一郎
3.バッハ/トッカータBWV914
プロコフィエフ/トッカータOp.11井手直紀
4.ローゼンブラット/2つのロシアの主題によるコンチェルティーノ西本夏生
竹原敦子
5.ベートーヴェン=リスト/交響曲第3番「英雄」Op.55より第3, 4楽章 近藤祐嗣
6ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第4番Op.7より第1楽章吉村英二
【第3部】 16:30頃~
1.フォーレ=ワイルド/「夢のあとで」Op.7-1
ラフマニノフ=ワイルド/「静かな夜に」Op.4-3斎藤夏雄
2.上原ひろみ/グリーン・ティー・ファーム
ファジル・サイ/ブラック・アース,トルコ行進曲「ジャズ」大竹将也
3.シューマン/トッカータOp.7矢向謙太郎
4.モンポウ/三つの変奏
カプースチン/ピアノ・ソナタ第12番Op.102不破友芝
5.チャイコフスキー=プレトニョフ/組曲「くるみ割り人形」より
行進曲,インテルメッツォ,トレパック,アンダンテ・マエストーソ植松洋史

会場までの地図などはチラシ(PDFファイル、375KB)を参照のこと。写真の手のモデルは私である。1993年度入学生のOB演奏会であり、ちょうど卒業してから10年にあたるということで鍵盤の10度にかけたのだが、実際には違う学年からの参加がだいぶ増えた(出演する13人のうち5人は同期ではない)ため、少し意味づけがぼけてしまった。まあよい。入場は無料、いつ出入りするのも自由なので、当日お暇な方は是非。

今日はまたピアノスタジオに赴いてグランドピアノをさわってきたのだが、隣の練習室でジャズか何かの練習をしていたらしく、サックスやドラムが壁を通して響いてきて何だか集中できなかった。こちらもガンガン弾くような曲ならまだ何とかなるが、「夢のあとで」をあのドンドン音が響く中でやるのは簡単ではない。

[9/9 20:30 追記チラシをプログラムの内容が分かるものに差し替えた。

2007年09月07日

Nessun Dorma!

ルチアーノ・パヴァロッティが昨日亡くなったが、パヴァロッティといえばやはり真っ先に思い出されるのが、プッチーニのオペラ「トゥーランドット」の中で歌われるアリア「誰も寝てはならぬ」だろう。フィギュアスケートの荒川静香選手の演技でも使われて有名になった曲だ。

もう何ヶ月か前のことになるが、イギリスのタレント発掘番組 "Britain's Got Talents" でこの曲を歌い、一躍スターになったPaul Pottsという人がいる。あちこちで紹介されているのでご存じの方もいるだろう。その衝撃的なデビューの映像が見られる。南ウェールズで携帯電話のセールスの仕事をしているという彼がステージに出てきたとき、そのいまいちさえない容貌といい、安っぽいスーツといい、自信のなさそうな様子といい、どう見ても期待できそうにないなと審査員も冷ややかな顔をしている。「ポール、今日は何をするの?」「オペラを歌います」という返答に、おいおいオペラなんて勘弁してくれよという表情だ。しかしひとたび演奏が始まると、素晴らしい熱唱に会場の雰囲気は一変。審査員の顔がみるみる変わっていくのが痛快だ。大喝采の中、絶賛の講評を受けて彼は帰っていく。このあと、この番組で彼は優勝し、今ではCDデビューまでしている。この年末には女王陛下の前で歌うことが決まっているのだそうだ。

この映像は多くの人を感動させずにはおかないようである。もちろん、風采の上がらないこの男性が思いもよらない絶唱をやってのけたというそのギャップにも一因があるだろうが、基本的にはやはりこの曲自身の魅力に依るところが大きいのではないかという気がする。オペラにはいい曲がたくさんあるが、中でもこの「誰も寝てはならぬ」や「魔笛」の「パ・パ・パ…」などは、ちょっと聴いているだけでグッと来てしまう力を持っている。今回の映像でも、元々さして長くないアリアをさらに切り詰めて1分半程度にしているのに、会場の雰囲気は冷笑から熱狂へと完全に変わってしまった。歌の力とは誠に大したものである。

この男性に関する記事はnews.com.auに出ている。また、日本語での記事もあった。

2007年09月06日

帰還

広島に帰還した。実家から帰るときはたいていお昼過ぎまでだらだらしているのだが、今日は近づいている台風のことが心配だったので、ちょうど親が外出するのに合わせて午前中に出発してしまった。おかげで夕方にはこちらに到着。新幹線は案の定、6時頃から東京~名古屋間で止まってしまったらしいから、さっさと移動してしまって正解だった。こちらは台風の直接的な影響はないものの、フェーン現象でやたらに暑い。広島市中区の最高気温は36.9度だったとのことで、そろそろこういう数字を聞くのは終わりにしたいものだ。

明日は出勤。いろいろたまった仕事を片付けねばならない。

2007年09月05日

打ち上げ

3日間の予定で行われたワークショップも今日で終わり。午前中にElkies先生の講演が行われた後、午後はH大のI先生とT大のT先生が1時間ずつ講演した。終了後、Elkies先生と韓国から来ているK先生、それにI先生と私とオーガナイザーのO先生という顔ぶれで、横浜中華街に夕飯を食べに行くことになった。みなとみらい線の元町・中華街駅に着いたときはまだ5時過ぎだったので、少し散歩しようと山下公園を歩く。今日は雨が降ったりやんだりで、空気のじめじめ感がひどかった。

Elkiesさんとは電車の中からしばらくプロブレムの話を少しした。ちょうど手元にH本さんが昔創ったプルーフゲームの問題が印刷された紙を持っていたので、車内で彼に見せたところ「あまり時間がないから解けるかどうか……」としばらく眺めていた。そのとき電車が元町・中華街駅に到着したのでその紙切れは返してもらったのだが、階段を上がって外に出たところで、「さっきの問題だけど、c8でビショップにアンダープロモーションしてからh3経由で引き戻して、それからアンパッサンだろう」とすらすら正解手順のあらすじを言われたのには驚いた。配置を頭の中で覚えていて、歩きながら考えていたのである。3分程度でたちまち解かれてしまい、さすがに世界の頭脳は違うなと感心することしきりであった。彼が言うには、今は忙しくて時間がないのでエンドゲームスタディは創っていないけれども、プルーフゲームはときどき創作していて、つい最近もPG専門のメーリングリストに投稿したばかりとのこと。来月にギリシャで行われるチェスプロブレムの世界大会にも行きたいと思っているということだった。

中華街の店に入ったのは6時半近くで、それから9時頃まで、ビールや紹興酒を飲みながらあれこれお話しした。横浜駅で皆さんとお別れする。なかなか楽しくワークショップを終えることができた。

2007年09月04日

講演終了

昨日から始まったワークショップで久しぶりの講演をした。今回の企画は、以前紹介したこともあるNoam D. Elkies教授を迎え、午前中にエルキース先生による1時間半の講演、午後はミニワークショップとして1時間の講演を2つ行うというもの。その2日目の午後の講演をしてくれと頼まれていたのだ。1時間英語でしゃべり続けるというのは、こういう世界にいるのなら苦もなくできなければいけないことなのだろうが、私にとっては決して簡単なことではない。内容は去年の講演と基本的には同じなので、何度も同じネタで話をすることの引け目もあったが、とにかく最低限の準備をして臨んだ。まあうまくいったと胸を張ってはとても言えないが、準備の時間がなかったことを考えれば、無難に終わったと言うべきだろうか。ともあれ、場が紛糾するようなことにはならずにすんでホッとした。

会場には師匠の師匠にあたるS先生がお見えになっていて、君は話がうまいねと終了後にリップサービスを言っていただいた。大変うれしいことではあるが、実はにほとんど同じ内容の講演をしたときも同じような言葉を頂戴しているので、単に追体験をしていただいただけとも言える。まあこちらの話し方やプレゼン資料の作り方は、S先生のセンスとうまく波長が合うということだろう。

エルキース氏とは少しだけお話しする機会があったので、チェスプロブレムの話題を振ってみた。W島さんやプロパラのこともよくご存じのようだったので、今度からヘルプメイトの担当をすることになっていると言い、よかったら作品を創って送ってくれないかと無理にお願いしてみる。解くならできるが、創るのはちょっと……というお返事だったが、もしできたらということで、一応メールアドレスだけはお知らせしておいた。

ワークショップは明日まで。自分の発表が終わったので、明日は気楽に参加できる。

2007年09月02日

新幹線にて移動

お昼過ぎに広島を発って実家に移動する。またN700系に乗車できたので、車内ではコンセントにノートPCをつないで、ときどき居眠りしつつも講演原稿を見返したりしていた。天気は京都あたりまでは青空が広がっていたが、米原を過ぎてから急に雲がたれ込め始め、そこから先はずっと曇り空だった。気温も広島に比べるとだいぶ低いようだ。もっとも天気予報によれば、明日は西日本の暑さが関東地方にも広がるという。人の移動に合わせてくるとは、律儀な暑さである。

広島と実家の往復にはいつも新幹線を使っている。東京から西に向かう場合、大阪までなら新幹線、博多までなら飛行機にするというのが、世の人の大多数の選択だろう。しかし広島となると微妙なところである。世間的には、むしろ飛行機を利用するという方が多いのかもしれない。実際、何で飛行機を使わないのかと尋ねられたこともある。飛行機なら乗っている時間はせいぜい1時間半だが、新幹線はジャスト4時間。いったい何のメリットがあるのかというわけだ。確かに、乗っている時間だけを比べれば圧倒的に飛行機が有利だろう。しかし広島空港が非常に不便なところにあるうえ、羽田空港から実家までもかなり時間がかかり、結局家を出てから実家に着くまでにかかる時間はあまり変わらないのである。それだったら、椅子に縛り付けられずに過ごせる方がましという判断だ。

今日は広島発13:30か14:00のどちらかに乗ろうという予定だった。早い方に間に合うように家を出かけたが、忘れ物をしたことに気づいていったん戻ったので、後発の便に予定を変更することにした。こういうことが気軽にできるのも選択理由の一つである。未来のことは、なるべく掣肘されない方がよい。

2007年09月01日

夕方の買い物

勤め先で昨日し忘れたことがあるのに気づき、夕方に立ち寄った。用をすませたあと、その足で市街地まで出る。特に何か目的があるわけでもなく、ぶらぶらしてからどこかで夕飯を食べて帰ろうというつもりだった。

そごう新館8階のロフトで何を買うでもなく見て歩いていると、「新館9階にて、銀座山野楽器がこのたびオープンいたしました……」とのアナウンスが耳に入ってくる。おやおや、それは偵察に行かねばなるまい。早速1つ上に上がってみると、ひどくこぢんまりとはしていたが、確かに店舗ができていた。CDの品揃えはさすがに貧弱であまり利用できそうにないが、あまりレアでない楽譜を買う必要ができたときには使えそうだ。せっかくなのでミニョーネのワルツ集の楽譜を買っておいた。

楽譜棚には、Boosey&Hawkes社のラフマニノフやDurand社のラヴェルなどが並べられていた。いずれも日本語版で、値段も安いとはいえないものの、まあ常識的な価格である。自分が学生のころはまだこれらの作曲者の死後から60年が経過しておらず、版権を持っていた海外の出版社が独占出版していた。さらにそれが日本に入ってくる段階でどういう理由だかやたらに高くなり、とんでもない値段で売られていたものだ。特にDurandのラヴェルなどはひどかった。2台ピアノ版の「ボレロ」か「ラ・ヴァルス」は、確か1万円を超えていたのではなかったか。それが今や両方収録されたものが2,500円くらいで並んでいるのである。時の流れを感じてしまう。

楽譜を買ったあと、ぶらぶらと紀伊國屋書店に移動。数学書の棚に行ってみたら、「佐藤幹夫の数学」という本が置いてあった。奥付を見ると「2007年8月30日第1版第1刷発行」とある。まさに出たばかりだ。中身も非常に面白そうなので買うことにする。ご本人による佐藤超函数の解説などもあり、時間のあるときにじっくり読めればかなりためになりそうだ。

今日の買い物に満足しつつそごうを出ると、往来で何やら人だかりがしている。近づいてみると、割られたくす玉からぶら下がった垂れ幕に「前田智徳選手2000本安打おめでとう」の文字。なるほど、道理で今日はいたるところで背番号1のユニフォームを着た人を見かけるわけだ、と納得したのであった。

月曜からK大で始まるワークショップに参加するため、明日は実家に移動する予定。