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ジョギング&エンドゲームの難しさ

今日は雨もやみ、気温も上がって寒さが和らいだので、スーパーでの買い物をすませてから久しぶりにジョギングをしてきた。スピードを控えめにして8キロ。本当は10キロ頑張りたかったが、さすがにバテた。しかしもっと頻繁に走らなければあまり意味がないような気もする。週2回くらいできれば一番いいのだろうが、もちろん平日にその暇はない。それに、時間があれば他にもしたいことはいろいろあるのだ。

他にもしたいこと、の一つはチェスのオープニングやエンディングを並べて鑑賞することである。Kubbel作品以外にもエンドゲームスタディをときどき並べるのだが、実際の対局の終盤に役立つことを念頭に置いた作品と、純粋にプロブレムとしての面白さを追求した作品とではずいぶん感じが違う。詰将棋をやっているうちにこちらの世界に流れてきた私としては、どちらかというと後者、つまり実戦では到底あり得ない手順が繰り広げられる作品の方に惹かれるのだが、一方で「実戦形」のエンドゲームにも興味はあり、Grigorievの恐ろしく奥の深いポーンエンドゲームを動かしてみては感心したりしている。

しかし、もし対局をしていて過去に鑑賞したことのあるエンドゲームと同じ局面が現れたとき、あれだなと気づいて対応するという芸当ができるだろうかと考えると、これはもう全く自信がない。駒数の非常に少ない局面であってもダメなのではないか。仮にその作品自体を覚えていたとしても、それを左右反転した形、あるいは白と黒が逆転した形が現れたときに、同じ局面だととっさには認識できないのではないかという気がする。考える時間に余裕があれば何とかなるかもしれないが、終盤はたいてい時間に追われているものだ。

Ljubojevic-Browne.pngGrigoriev.png例えばこの2つの局面。左側はGrigorievによる1928年発表のエンドゲーム、そして右側は、1972年にAmsterdamで行われたLjubojevic対Browne戦の39手目に現れた局面である(次は黒の手番)。Kの位置が微妙に違うが、この場合は大した違いではない。Grigorievのこの作品は比較的有名なので黒のBrowneが知らなかったことはないと思うのだが、彼は39...f5??と間違った手を指し、勝てるゲームをドローにしてしまった。グランドマスターですらこうなのである。エンドゲームは難しい。

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コメント

遅ればせながら、コメントさせていただきます。この参考棋譜をダウンロードして、早速並べてみました。同サイトの棋譜へのコメントもプリントアウトし、検討してみました。ECEなど Ending の本も手にして変化を調べると、単純そうに見えるこの配置から結構細かな分岐があることに驚きました。natsuo さんが書かれていた通りでした。

Grigorievの作品の数々は、かなり以前チェックメイト誌(全国版)に門脇芳雄さんが寄稿しています。それには、この世界では『"ポーンの詩人" Grigoriev』 と謳われている等々、とありました。

確かに、エンドゲームって難しくって、そしてまた非常に魅力的ですよね ! 実戦をやっていても、Study を解いていても、いつも思います。

コメントありがとうございます。
Grigorievの作品は簡潔な配置なのに、恐ろしく奥が深いですよね。
一見どちらでもよさそうに見えるKの動きや指し手の順番などが、
実は勝ちかドローかを決める分水嶺になっているのだから感心してしまいます。
まさに「ポーンの詩人」ですね。

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