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2008年01月31日

詰パラ2月号

今日が締切の仕事をあれこれ片付け、少し疲れて帰宅するともう詰パラ2月号が届いていた。なかなかお早いお着きである。今回は昨年11月号に出た自作の解答発表が出ている。実は解答者の評価は数日前に担当者からすでに聞いていたのだが、だいたい予想通りだった。一昔前に比べると詰パラ解答者はずいぶん作者に優しく、短評のコメントもオブラートに包んだ言い方をしてくれる方が多いのだが、だからこそ自作に対しては特に厳しい姿勢でいなければならない。まあ今回の作品ははっきり言って凡作だったといってよいだろう。もっとも、以前書いたような経緯で本作は投稿するに至ったのであり、自ら喜び勇んで提出したわけではないことは今一度お断りしておきたい。

さて、今月号で自分の名前が出ているのはもうここだけだろうなと思っていたら、何と名局ライブラリーのページで5年前の看寿賞受賞作が紹介されているではないか。このブログ最上部のバナーにもうっすら見えているやつである。過去の名作を採り上げるこのコーナーに自作が出ることになるとは、何とも面映ゆい限りだ。

友人や将棋ソフトの助けがあったとはいえ、詰将棋創作にちょっと手を出して2年足らずでなぜあんなことになったのか、未だに不思議でならないし、実力もないのに運だけでもらってしまったという思いは今も完全には消えない。ただ、突然現れて看寿賞をさらい、その後すぐ詰将棋界から姿を消してしまうということだけはしたくないという思いはある。才能がないことをさらけ出すことにはなるが、細々とでも創作を続けていければと思う。

2008年01月30日

プロパラ締切

ついこの間新しい年が始まったと思ったのに、気がつけば明日で1月も終わりである。今月末が締切の案件が多いと昨日書いたが、今日になってもう一つあったのを思い出した。プロパラの解答書きである。今号からヘルプメイトコーナーの担当者ということになり、その分は解答する側から出題する側に回ったから、前号までと比べるとは解くべき問題はだいぶ少ない。にも関わらず、この年末年始は多忙だったり体調不良だったりで全く解いていなかった。もうお休みしてしまおうかとも思ったが、せめて簡単なものだけでもと思い直し、ほんの数問について解答を手早く書き上げる。半ばやっつけ仕事になってしまい、作品の作者には申し訳なかったがやむを得ない。明日の朝、ポストに投函してしまおう。

なお以前お知らせした通り、今号のヘルプメイトの第1問には誤植があり、正しくは "H#2*" である。ここを見に来るプロパラの購読者の方のために、一応改めてお知らせしておきたい。1問目から誤植とは全く人騒がせな話で、作者にも解答者にも悪いことをしてしまった。

そういえば今日解答を書いていて、オーソドックスセクションの1問目も誤植があるように思ったのだが、どうだろう?不詰ではなくて余詰だし、作意と混同することはあり得ないような手なので、ヘルプメイトのそれに比べればはるかに罪は軽いのだが……勘違いかもしれないが、気づいた方がいたらお知らせいただきたく。

2008年01月29日

スノーブラシ

昨日の雪は幸い夜のうちにやみ、今朝は路面の雪もシャーベット状になりかけていた。車を大学に置いてきたので、滑らないように気をつけながらまたてくてくと歩いていく。勤務先に到着すると、昨日ホームセンターに立ち寄って買っておいたスノーブラシ(295円でたたき売りになっていた)を使って車に積もった雪をはたき落とした。冷たい思いをせずにバサバサ雪が落ちていくのはなかなか気持ちがよい。

それにしても、相変わらずこのところ忙しい。原因の一つは、1月いっぱいが締切の案件がやたらにたくさんあることだ。学部の4年生も卒論の最終締切が31日ということで今が追い込みだが、こちらはそれに加えて新年度のシラバス入力だとかリースするコンピュータの選定だとか、次々と仕事が落ちてくる。まあこの時期はどこもこんなものか。

何だか今日はさっきから頭が若干痛い。疲れているみたいだから早めに寝よう。

2008年01月28日

雪の一日

朝に家を出るときはただの曇り空だったのだが、お昼頃から猛然と雪が降り出した。普段居室の窓から遠くの山々が見渡せるのに、今日は雲の中に入ってしまったかのように真っ白である。帰るころには道路にも車にもすっかり雪が積もってしまった。タイヤをスタッドレスにするのをサボっているので、こういう路面状況だとちょっと気をつけなければいけない。家まで距離は短いが、かなり勾配のきつい坂が多いのである。もちろんチェーンは積んでいるけど、気温0度で雪に降られながら巻こうという気にはならない。しばし考えた結果、今日は勤務先に車を置いて徒歩で帰ってきてしまった。車でもまあゆっくり行けば大丈夫だろうとは思ったが、どうせ歩いても30分くらいで着くのだ。このところジョギングにも行っていないし、たまにはこうやって歩いた方がいい運動になるだろう。

雪は今は小降りになったようである。明日は天候が回復することを期待しよう。

2008年01月27日

芸を見せる

数日前に入手した複雑系折紙の本で非常に魅力的な作品が出ていたので、昨日から今日にかけてそれにトライしていたのだが、中間地点あたりまで来たところでどうしても折図と合わなくなってしまい、どこを間違えたのだろうといじくり回していたら紙が破れてしまった。何時間もかけたのに水泡に帰するとがっくり来てしまう。まあこういう経験も必要なのだろう。

昨日の話の続き。マジックにはタネというものが必ずある。それは演技を成立させるうえで重要なものであるのは確かだが、同時にそれはそのマジックのほんの一部に過ぎない。客とマジシャンの会話、その場の雰囲気、客とマジシャン自身の容姿や性格、お互いの関係、そのときの心理状況など、諸々の要素が絡み合うことで初めてマジックは成立している。セロと同じマジックをマギー司郎がやったら、例え技術的に完璧であっても破綻してしまうだろうし、その逆もまたしかりであろう。にもかかわらず、マジックというとタネなどの純粋に技術的なことにばかり注意が行くのは、それが言ってみれば即物的で簡単に「分かった」気になれるからではないだろうか。そしてこのことはマジックに限らず、「芸を見せる」行為にはつきものであるように思う。

例えば、ホロヴィッツやシフラの凄まじい演奏を聴くと、まずその超絶技巧に心を奪われてしまう。ものすごいスピードの両手オクターブ、加速するパッセージ、土煙の上がるような重低音……自分もああやって弾いてみたいと必死で練習した人が世界に何万人といたに違いないが、その結果演奏技術はホロヴィッツやシフラ並みになったとしても、彼らと同じような魅力を持った演奏ができるようになった人はまずいないだろう。もちろんあの超絶技巧は言葉に尽くせぬほど魅力的で、それがあの演奏に人を惹きつける重要な一要素になっているのは間違いないのだが、それだけではないのだ。静かな部分の弾き方や使用しているピアノの状態、録音場所と録音機器、果ては本人の人となりやエピソードなど、数え切れないほどいろいろな要素が組み合わさって初めてあの演奏があるのである。まず耳に飛び込んでくる超絶技巧の凄まじさは誰でも理解できるが、その背後にはそういった容易に言葉にはできないものが何となく存在しているのだ。そしてそれらは、超絶技巧と同じくらい必要不可欠なものなのである。

あるいは落語でもそうだ。以前落語を知らない人に落語を紹介する番組で、「扇子を箸に見立てて、ハアハア言いながらうどんをすする仕草」で落語家の「うまさ」を説明していたことがあった。実演を見たゲストが「すごーい、本当に食べているみたーい」というわけである。もちろんうどんをすすっているように見えることは大事なのだが、それが落語においてほんの一部分にしか過ぎないものであることは明らかであろう。番組でそういう紹介をしたのは単にそれがうまさを示す一つの指標として分かりやすいからで、実際にはそれ以外の容易に説明できない様々な要素が加わって一つの噺ができているのだ。

詰将棋創作だって、広い意味では「芸を見せる」ことに違いない。「中合○回」とか「同一駒連続使用○回」とか、何らかの条件達成を目標に創作することは分かりやすい(決してやさしいと言っているわけではない)。そしてそれはそれだけで十分すごい作品ではあるのだが、それ「だけ」では万人をうならせるものにはなり得ないだろう。名作として認識されるためには、駒配置の自然さであるとか捨駒の感触であるとか、簡単に言葉にできない有機的な要素もそろっていなければならない。それこそが何より難しいところであるように思う。

2008年01月26日

The real secrets of magic

最近、David Stonesというフランスの若手マジシャンのDVDをよく見ている。世間一般にはあまり知られていないが、マジック関係のDVDというのは実はかなりたくさん出ていて、ちょっとかじってみようと思う側にとってはずいぶんと便利な世の中になった。ちょっと前までは、いろいろな技法を活字による説明で理解するしかなかったわけだが、これが結構難しいタスクだったのである。「客の注意が向こうに向いた瞬間、右手でカードを取る。このタイミングは早すぎても遅すぎてもいけない」などと書かれても、いったいどういうタイミングなのか理解するのは容易ではない。こういう言葉では説明しにくいことでも、映像なら一目瞭然である。

そもそも、マジック関係への投資というのは半ばギャンブルに近いものがある。「こんな不思議な現象が、面倒な練習なしで誰にでもできます!」などという文句につられて買ってしまい、期待していたら到底使えないようなものだったなどということはしょっちゅうだ。DVDもその例外ではなく、買ってみてがっかりということは少なくない。数学者の講演と同じでマジシャンも説明があまりお上手でない人がおり、これに分かりにくいカメラワークが加わったりするともう本当に理解するのに苦労する。しかしこのDavid Stonesの "The real secrets of magic" は非常に満足すべき出来だった(リンク先はDVDで使われたシーンを利用して作られた短編映像)。単なるマジックの実演・解説だけではなく、むしろマジックをする人間のあるべき振る舞いや失敗例、困った客への対応などが丁寧に説明されており、かゆいところに手が届く構成である。ときおり挟まれるギャグがかなりブラックでやや悪趣味に過ぎるきらいはあるが、カメラワークも秀逸だ。

見ていて改めて思うのは、マジックにおいてタネというものの占める割合というものはほんの一部に過ぎないということだ(本人もノルウェーの番組に出たときに同じようなことを言っていた)。とかく日本では、マジックというとすぐトリックを見破れるかどうかという話になってしまい、タネが分かればマジシャンとの対決に「勝った」と思う人が多いような気がする。だが本来、マジックは勝負をしているわけではないのだ。David Stonesの巧みなカードさばきと話術を見ていると、もうタネなんかどうだっていいじゃないかという気になってくる。裏で何をやっているかなどということにあまり固執せず、心地よくだまされることを楽しむ。おそらくそれがマジックの正しい楽しみ方であり、また客をそうさせることができるのがプロのマジシャンなのであろう。

2008年01月25日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.30


2008年01月24日

小山の中&あぶり出し曲詰

降りしきる雪の中を出勤する。雪は強くなったり弱くなったりを繰り返しながら、暗くなるころまでずっと降り続いていた。一般的に、全国の天気予報で広島が雨と予報されていても、鳥取や松江が雪のマークだったら、広島県の大部分では雪が降ると考えてほぼ間違いない。瀬戸内海沿いの一部の街を除き、県全体は中国山地のボコボコした地形で覆われている。標高はせいぜい数百メートルでどの山も大して高くはないが、冬は世間で思われているよりはずいぶん寒くなるのだ。島崎藤村風に言うなら、広島は(ほとんど)すべて小山の中である。

ところで、詰将棋の一ジャンルとしてあぶり出し曲詰と呼ばれる分野がある。これは詰め上がりの駒の並びが何らかの字や図形の形になっている作品のことだが、カタカナの文字があぶり出される曲詰ばかりを集めた詰将棋五十音図というサイトで、このたび私の作品を載せていただいた。一昨年の夏に手探りで創った「ン」の字である。名作に混じってあんな凡作が載っているのは何とも面映ゆい。

2008年01月22日

対局前の握手

毎年、1月のこの時期はオランダのWijk aan Zeeというところで大きなチェスの大会が行われている。トップクラスのグランドマスターが集結し、3つのグループに分かれて熱戦を繰り広げるのだが、そこでちょっとした事件が起きたらしい。グループBで対戦するShort対Cheparinov戦で、握手を求めたShortをCheparinovが無視したのである(そのときの映像もある)。Shortは抗議し、対局は1手ずつ指したところで止まってしまった。去年決まったばかりの公式ルールには「握手を拒否して相手や主催者を侮辱したプレイヤーは負けとする」とあり、それに従えばCheparinovは1手指しただけで負けになるところだったが、今回は不服審査委員会が裁定を下し、Cheparinovが公式に謝罪の意思を表明すれば対戦のやり直しを認めるということになった。Cheparinovは謝罪文書を作成したので改めて二人の対局が行われ、その結果Shortが72手で勝ったようである。

現在はグループAのTopalov対Kramnik戦が進行中だが、この対局も冒頭で二人の握手はなかったらしい。一昨年のマッチでの「トイレ騒動」でもめまくった因縁の対決である。もうどちらも握手しないことが暗黙の了解になっていたようで、Shortのように抗議することもなく対局が続いているようだ。

対局前の握手というのは、将棋で言えば「お願いします」と言って頭を下げる行為に相当するだろう。現在のプロ同士の対局で、片方が一礼しないというのはちょっと考えにくい。もちろん棋士とて人間だから、いろいろわだかまりのある相手と指すこともきっとあるだろうが、だからといって頭を下げることを拒否するというのは、日本人のメンタリティからいってあまりなさそうな気がする。「対局前の挨拶を拒否した対局者は負けとなる」などというルールは多分できないだろうし、またできてほしくないものである。

2008年01月21日

プリンタの不調

昨日の雪は結局夜にうちにやんでしまい、今朝は雲間から薄日も差す天気になった。道路の雪もすっかり消えていたので車で出勤する。これから年度末くらいまではちょくちょく降る日があるだろう。

勤務先に着くと、すぐ学生さんからプリンタの調子がおかしいとの連絡。行ってみると、印刷ジョブが送られてはいるのだが、なぜか異常にそのスピードが遅くなっている。卒論の締切が間近いこの時期に故障されては大変だ。いろいろいじっているうちに何とか印刷はできたが、症状が完全になくなったわけではないので、明日以降も見てやらなければいけないようである。去年もこの時期に同じことを思ったが、大事なときに限ってコンピュータやプリンタは本当によく調子が悪くなるようにできている。

夕方から2時間くらいの会議。6時半過ぎに帰宅。

2008年01月20日

犬小屋に入った犬を折る

今日は朝から晩まで雪、雪、雪。降りがさほど激しくないので、一日中降っているわりには積もり方はそれほどでもないが、さすがに窓から見える景色はすっかり白くなった。明日まで降り続くという予報らしいから、スタッドレスタイヤに替えていない車で出かけるのは控えた方がいいかもしれない。そういえば、今日は広島市街地から宮島口あたりにかけてお昼過ぎから駅伝大会が行われていたが、中継映像ではずっと雨ばかり降っていた。うちは広島の中心部から北西に5キロほど行ったところなのだが、やはり標高が若干高いだけに、天気はずいぶん違うようである。

DoginaHouse2.jpgDoginaHouse1.jpgこういう日は家でおとなしくしているに限るというわけで、床屋と買い物に出た他は引きこもっていた。時間があるのでまたちょっと折紙を折ってみる。今日挑戦したのはStephen Weiss氏による「犬小屋に入った犬」。犬と犬小屋をそれぞれ折るなら大したことはないが、これを1枚の折紙で表現しようという発想が面白い。最初はそれほど難しくないだろうと15cm四方の紙で折り始めたが、全然形にならずに紙くずを作成してしまったので、反省して24cm×24cmで折り直した。Weiss作品は、例えばRobert J. Langの作品と比べるとリアリティは少し落ちるように思うが、反面デザインが個性的で独創性を感じる。折り方もLang作品とは全く異なっており、「作風」の違いというものを強く意識した。

(折紙モデル:"Dog in a Doghouse", Stephen Weiss "Origami Zoo"(St. Martins Press) 所収)

2008年01月19日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.29


2008年01月18日

フィッシャー死去

すでにニュースで報じられているが、ボビー・フィッシャーが死去したとのこと。日本で拘束された後アイスランドに送還されてからまだ3年も経っていない。体調が悪いとは聞いていたが、こんなに早く亡くなってしまうとは思わなかった。

私がチェスのルールを覚えたのは小学生のときで、最初に読んだ入門書が何だったのか、棋譜が英米式だったこと以外は実はあまり覚えていない。ただ、2冊目か3冊目に買った本が「ボビー・フィッシャーのチェス入門」で、これは当時としては頑張って問題を解いていたように思う。チェスファンならお持ちの方も多いと思うが、この本はユニークな本で、開いて左側のページは問題が逆さまに印刷してある。読者は最初右側のページに出ている問題を解いていき、おしまいまで行ったらくるっと本を上下にひっくり返して後半の問題に進むようになっているのだ。この構成が子供心にも面白く、飽きっぽい私でも放り出さずに続けることができた。あの本はまだ実家のどこかに残っているだろうか。

チェス界はしばらく「巨星墜つ」の話題一色になるだろう。晩年にもう一度出てきて、スパスキーあたりと私的なマッチでもしてくれないかとぼんやり期待していたのだが、残念。

2008年01月17日

斎藤と斉藤

昔に比べると、最近はテレビを見る時間がずいぶん短くなったように思う。それもニュースやスポーツ中継など、「つけたらやっていた」番組を何となく見ていることが多く、例えば連続もののドラマ番組を見ようとして見るなどということはめっきり減ってきてしまった。今月放送開始の新ドラマ番組のラインナップなども全くチェックしていないのだが、一つだけ「斉藤さん」というドラマをやっていることは知っている。もちろんそれは内容に興味があるからではなく、タイトルがタイトルだからだ。

サイトウという名字には齋藤、斎藤、齊藤、斉藤とだいたい4つの可能性がある。「齋」は「斎」の、「齊」は「斉」のそれぞれ旧字体であるが、「斎」と「斉」は違う字である。ホームページでの自己紹介にも書いているし、近しい人はもうよくご存じであろうと思うが、私の名前は「斎藤」もしくは「齋藤」であって(戸籍は後者)、「斉藤」や「齊藤」ではない。昔から「斉藤」とことあるごとに書かれ続け、そのたびに「『示す』みたいなのを書く方のサイです」と申し訳なさそうに訂正を求めていたのだが、きりがないので最近はたいてい黙認してしまっている。もちろんサイトウはみんな斎藤か齋藤だと言っているわけではなく、斉の字を使うサイトウさんもいるので、あくまで自分の名字はこちらである、というだけの主張である。「書斎」を「書斉」、「一斉」を「一斎」とは誰も間違えないのに、サイトウという名前になると途端に区別してくれなくなる人が一気に増えるのは、何とも不思議というほかはない。

私が一番いやなのは、名前の漢字を間違われること自体より、間違った相手がそう認識してくれないことにある。以前、「斎」と「斉」は全く別の字なんですとある人に力説していたら、ずっと聞いていたその人が「いやあ、私、前も『澤田』さんを『沢田』さんって書いちゃったことがあるんですよ」と返してきてがっくり来たことがあった。「別の字」だといくら言っても、「旧字体を『別の字』だとこだわっている」と誤解されて受け取られてしまうのである。「斎藤」と「斉藤」の違いは「澤田」と「沢田」の違いではなく、言うなれば「河田」と「川田」の違いなのだ。川田じゃなくて河田ですと言われたら「あっ、間違えた」と思う人が、斉藤じゃなくて斎藤ですと言われたときは「字体にこだわる人なんだな」と心の中でつぶやく。その反応の違いこそがいやなのである。

とまあこうやってあれこれ書いてみたところで、結局「細かいことにこだわっているんだな」と思われるだけなのだろうなあ、と番組表を見ながら思うのであった。

[2008.1.18追記] 知り合いの方から、似たような趣旨の記事が出ていると教えていただいた。4つの「サイ」の字の成り立ちと関係についてだいたい昨日ここで主張したことと同じようなことが書かれており、私の言ったことが的外れではないということが分かってホッとしたが、それより驚いたのは、この記事も昨日書かれていることだ。いくらドラマが始まったからといって、同日にこれほど似た内容の文章が出ていたとは、何とも不思議である。

2008年01月16日

チェスと駒落ち

いつにもまして寒い日だった。天気も太陽が出ているのにときどき小雨がぱらつく妙な状態。明日も冷えるようだから、そろそろ雪になってもおかしくない。今日はいつもの3人セミナーで、先週に引き続き特異点の計算を進めた。標数2の世界は思わぬことが起きるから計算は慎重にやらなければいけないが、それだけに面白い。

計算の合間にした雑談で、I先生とチェスの駒落ちの話をする。昨日H大でお会いしたときにもその話になったのだが、今I先生は小学生の息子さんとときどきチェスを指しているのだそうだ。ただ息子さんは駒の動かし方を覚えたばかりでまだ勝負にならないため、駒を適当に落とすことでハンディをつけているとのこと。それで、将棋に二枚落ちや飛香落ちがあるように、チェスにも決まった駒の落とし方があるのかと尋ねられた。「白が左のRやNを落として対局している棋譜をいくつか見たことはあるが、将棋における一分野として確固たる地位を得ている駒落ちと比べるとほとんど指されていないと言ってよく、ハンディはほとんどの場合持ち時間に差をつけることで対処しているようだ」というようなことをお答えしたのだが、実際のところはどうなのだろう。もし事実と違っていれば、どなたかご教示いただければ幸いである。

上の説明がだいたい合っているとしたうえで、なぜチェスで駒落ちが指されないかを少し話したのだが、おそらく理由の一つは、チェスの駒たちが狭い盤上において強すぎるからではないかと思う。将棋では金銀のように小さく動く駒の存在が重要であり、それらによる攻防は平手だろうと駒落ちだろうと局所的には大差がない。つまり、駒落ちであっても部分的には平手で指す感覚が得られ、それが平手で指すときにも大いに役立つことになる。しかし飛び道具だらけで持駒ルールのないチェスにおいて駒を落とすと、その影響は瞬間的に盤の隅々にまで広がってしまう。おそらく、もはやそれはほとんど別のゲームになってしまうのである。チェスを指す文化においては、初形における戦力の均衡こそチェスをチェスたらしめている、という意識が根底にあるのかもしれない。

2008年01月15日

談話会

Ho大のS先生が談話会でお話をされるというので、今日はお昼頃にH大に向かった。夏学期は非常勤講師で毎週通っていたが、それが終わってからはとんと機会がなく、H大に行くのは久しぶりだ。S先生は正標数の代数幾何学でも顕著な研究成果をあげておられるが、今日のお話は複素数体上におけるZariski pairに関するものだった。

終了後、一緒に講演を聴いていた共同研究者のI先生の部屋にお邪魔し、研究の今後のことなどをいろいろと相談。夕方帰途に就く。

2008年01月14日

お好み焼きを食べてお別れ

一昨日に引き続き、昨日もS夫妻と夜更けまで話し込んでしまい、当然の帰結として今日も日が高く昇ってから起きることになった。まあ3人とも夜型人間だし、いろいろお話しするのが元々目的みたいなものだから、これでいいのである。パンなどを軽く腹に入れた後、お昼頃に家を出発。街中の駐車場に車を止め、八丁堀にあるお好み焼きの店「みっちゃん総本店」で広島風お好み焼きを食べる。一般にお好み焼きというと関西風のそれを思い浮かべる人が多いのではないかと思うが、広島に来てまもなく4年になる私にとっては、お好み焼きといえばやはりこの広島風だ。実際、こちらの方が断然おいしいような気がしている。ゲストの2人も満足してくれたようだった。

腹一杯になった後、広島駅に移動。3連休も今日で終わりとあって、新幹線の混雑ぶりもいつになくひどかった。見送りのために入場券で構内に入り、2時半の新幹線に乗り込むS夫妻とホームで握手してお別れした。

さて、この連休はなかなか楽しく過ごすことができたが、お祭りもこれで終わり。明日からはまたいつもの生活が始まる。頭を切り換えよう。

2008年01月13日

また宮島へ

昨夜はS夫妻にマジックを披露した後つもる話ですっかり夜更かししてしまった。おかげで今日3人が起き出したのは何と11時。朝食というよりは明らかに昼食というのがふさわしい食事をすませたあと、お昼過ぎに車で宮島に向かった。車なら、高速道路に乗ってちょっと走れば30分前後で到着するはずという読みだったが、これが大誤算。着いてみたらあたり一帯は大渋滞で、駐車場に全く入れないのだ。しばらく待っていたが一向に動かないので、少し離れたところでもいいからと穴場の駐車場を探して裏の小道を動き回る。住宅地に迷い込んだりして散々右往左往したあげく、もうあきらめかけたとき、通りかかった駐車場に1台分の駐車スペースをついに発見したのだった。やっぱり3連休の中日、人出を甘く見ていた。次回からは気をつけよう。

宮島は先月の初め終わりに行ったばかりで、この2ヶ月で早くも3回目だ。今日は駐車場を探しているころこそ小雨が降っていたが、幸い船で島に向かうころにはすっかりあがっていた。厳島神社や千畳閣を一通り見て回ったところで気温が急に下がってきたので撤退することにする。島に滞在していたのは2時間くらいだったが、S夫妻もまあ満足してくれたようだった。

5時半頃に帰ってきたので、今日はS夫人ことA子さんに料理の腕をふるってもらうことになる。オリープとケッパーのパスタ。私もホストとしてバカの一つ覚えでグラタン・ドーフィノワをつくらせてもらい、これにサラダを加えて夕飯となった。パスタはS君がすごく気に入っているというので期待していたが、期待に違わぬおいしさで大満足。今度は是非自分でもやってみようと思う。

さて、今夜もゆっくりお二人とお話しして過ごすことにしよう。

2008年01月12日

S夫妻滞在中

幸い昨夜降っていた雨は晴れた。東京よりはるばる来てくれたS夫妻を1時20分頃に広島駅でお迎えする。平和記念資料館を見学することになっていたので、すぐ車で出発。距離的にはすぐそこなのでたちまち着くと思っていたのだが、3連休の初日だからか、駐車場が大渋滞。入るまでに30分はかかってしまった。原爆ドームの脇を抜けて資料館に入ったのが2時半頃で、5時の閉館時間まで久しぶりにたっぷり見て回った。館内はかなりの混みようで、さすがに外国人が多い。展示内容は生々しく、亡くなった状況とともに遺品が延々と置かれているのを見ていくと、いろいろと考えてしまう。どうとらえるかはともかく、やっぱり一度は見ておかないといけない資料ではないかと思う。

S夫妻は最近牡蠣にあたってひどい目に遭ったということなので、今回は牡蠣料理はやめてデパートの上にある中華料理屋で夕飯をすませる。どうも女子大生の同窓会か何かで予約が入っていたらしく、途中から若い女性がどやどやと大量に入ってきて店内がやたらと騒々しくなってしまった。うるさくて落ち着いて会話ができないので、さっさと店を出て自宅に案内する。S君はセロのマジック番組の録画をDVDで持ってきていて、これを見てネタを教えてほしいという。どうしようか困ったが、いくつか思いつくコメントをしたうえで、こちらから別のマジックをやる流れに持っていく。うまくいくか不安だったが、結構驚いてくれてよかった。今はお二人がタネの推理をああでもない、こうでもないと言っているそばで、これを書いている。こういう瞬間が、マジックをやっていて一番楽しい。

明日は天気がよければ宮島に行く予定。

2008年01月11日

ゲストを迎える準備

今日もコンピュータの世話をしたり、大量の廃棄物品を決められた場所に搬出したり、今日が締切の書類について頭を悩ませたり。充実しているというのとも違うと思うが、何だかいろいろやっていた。

帰宅してから簡単に掃除機をかける。明日からの3連休に、学生時代のピアノサークルの同期であるS君が奥さんと一緒に遊びに来てくれることになっているのだ。気のおけない友達と長い時間を過ごす機会はあまりないので、前々から楽しみにしていた。あいにくなのは天気で、今年に入ってから昨日までは毎日雲一つない快晴だったのに、一転して今日は本降りになってしまった。明日も降り続きそうだが、日曜日には回復してくれることを期待しよう。

2008年01月10日

忙しさとシューベルト

昨年末あたりからどうも忙しさを感じることが多くなってきた。もちろん、あくまでそれ以前と比べての話であって、世間一般の感覚からすれば忙しいうちにも入らないのだろうと思う。実際、束縛されている時間はまだ大したことはなく、言ってみれば精神的な忙しさだ。要するに、懸案事項がいくつも同時に降ってくるのである。一つ一つはどうということはなくても、束になってかかってこられるとどうも落ち着かなくていけない。こういうのは慣れた人だと懸案ごとに頭をさっと切り換えて着実に処理できるようだが、まだまだ修行が足りないようである。

今月は何となくシューベルト月間と決めて、ソナタを中心に聴き続けている。久しぶりに聴くと、余計なものの足されていないメロディーが直に伝わってくるようで、実に心地よい。シューベルトの曲は歌曲でなくても旋律はみんな歌のようであり、運転中や皿洗いの最中にもつい口ずさんでしまう。「癒し」という言葉はある時期からやたらに聞くようになったのであまり使いたくないが、忙しさを感じながら帰ってきたときには、この素朴な美しさにだいぶ癒される気がするのであった。

2008年01月09日

初セミナー

H大からI先生がいらして、いつものメンバー3人で今年の初セミナー。お互いの年末年始の報告など、雑談している時間もずいぶんあったが、ある特異点の変形空間に関する計算もやった。実は同じ計算を昨年のうちに一度したことがあったのだが、そのとき得られた結論がどうもあまりしっくり行くものではなかった。考えている空間の次元が3になったのだが、同系列の他の特異点の計算結果から考えて、ここは2になってくれないとおかしいのだ。矛盾というわけではないが、そうでないと美しくないのである。今日の再計算で前回間違っていたところが分かり、無事次元が2であることが確認された。やはり数学はうまくできている。

お昼を食べながら聞いた話。同僚のHさんはちょっと浮世離れした人であることは以前も書いたが、今回も面白い話を聞かせてもらった。年末年始にアメリカへ行っていて、その帰りの飛行機でのこと。
H「左に座ったアメリカ人がさ、日本でWiiのソフト買いたいけどアメリカで動くか分からないとかいうんだ。それで『"ウィー"って何ですか?』って聞いたら……」
「えっ……」
H「右に座っていた日本人の若い女の人が教えてくれたんだ。その人はDSっていうのをその場で持っていて、こういうのもあるんですって説明してくれたんで、『ゲームウォッチみたいですね』って言ったんだけど……」
「ゲ、ゲームウォッチ……」
H「その人、ゲームウォッチ知らなくてさ。何か会話がかみ合わなくて、そのうち『あの、日本人ですよね?』って聞かれた」
「……」
私はこういう話を始終聞いているからもう慣れているが、その隣に座った方々はさぞかし驚いたことだろう。しかし、ゲームウォッチとは何とも懐かしい。私も確か親にせがんで買ってもらったように思うが、いったいどこに行ってしまったことか。

2008年01月07日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.28


2008年01月06日

ネズミを折る

OrigamiMouse2.jpgOrigamiMouse1.jpg子年ということで、ネズミを折ってみた。といっても、実はこれを折ったのは今日ではない。昨年末にすでに折ってあって、元日の更新でこれを載せるという魂胆だったのである。思わぬ体調不良でちょっと予定が狂ってしまった。このネズミはRobert J. Langによるもの。少し昔の作品だからか、終盤になって1カ所厳しい沈め折りがある他は比較的おとなしい工程だった。最近のLang作品なら、ひげや足の指を全部折り出したりしそうなところだ。

一発芸的余興のつもりだった折紙のエントリーも何だか数が増えてきてしまったので、これを機に折紙のカテゴリーを新たに作成した。また、これまでも折紙の作者の名前は本文中に記述するようにしていたが、よりはっきりさせるべく、エントリーの末尾に改めて出典を明記することにした。こういう情報をちゃんと載せておかないのは、作者名なしに詰将棋を引用するようなものである。それに同じ作品を折ろうとする人にとっても、出典情報は役に立つだろう。

(折紙モデル:"Mouse", Robert J. Lang "Origami Zoo"(St. Martins Press) 所収)

2008年01月05日

詰パラ1月号

だいぶ遅れてしまったが、詰パラ1月号にようやくじっくり目を通した。まず表紙のデザインが少し変わったのが目を引く。先月までと比べるとずいぶんあっさりとしたようにも思えるが、中身が大事なのだから表紙のフォントに凝る必要はないということかもしれない。それから、描かれている人物は谷川九段に見えるのだが、この弥勒菩薩のような右手は何をしているところなのだろうか?

中を見ていくと、詰四会作品展の結果稿が出ていた。久しぶりに自作を載せてもらったが、まあこんな凡作にも温かい評価をしてくださる方々ばかりで恐縮の限りである。詰将棋学校でない分甘いという面もあろうが、この内容でC評価0の平均2.70はこちらが申し訳なくなるほどだ。さらに、解説のくるぼんさんが「ピアノを弾くのが趣味の作者。全国大会で腕前が披露される日も近いでしょう」なんて書いている。「披露」ではなくて「暴露」の方が実情に即しているように思う。まあそんな日は来ないだろうと思うが、仮にそんなことになったらいったい何を弾けばよいのだろうと、詰将棋も解かずに長考してしまうのだった。

なおこのページに「入選8回」とあるがこれは誤植で、本作での入選は9回目である。

2008年01月04日

広島へ

3時過ぎの新幹線で東京を発ち、広島に帰ってきた。今回の帰省は、結果的に食中毒にあたりに行ったような形になってしまったが、まあああいう災禍が広島にいるときに降ってきたらもっと苦労したに違いないから、その意味ではよかったのかもしれない。食べたものや症状からして、すき焼きのときに食べた卵が原因ではないかと勝手に推測しているが、まあすんだ今となっては考えても詮無きことだ。いずれにしろ、あたるのは宝くじかたき火くらいにしておきたい。

予想はしていたが、新幹線は大変な混雑だった。とにかく家族連れが多い。ホームで並んでいるときから、前も後ろも小さな子供を連れている親ばかりで、中に入ってからの喧噪が予想できた。もうこれは我慢するしかない。車内に乗り込むとすぐ窓側の座席を確保する。新幹線の座席は片方が二人掛け、反対側が三人掛けになっているわけだが、一人で乗るときは選べるならいつも二人掛けの窓側に座っている。家族連れはみんなどうせ三人掛けの方に座るので、隣に子供が来ることはないだろう。どういう人が来るかな?この間は確か上品な感じの老紳士だったが……ああいう落ち着いた人だと助かる。いやいや、ことによると、もしかしたらびっくりするような美人が座ったりして……。

失礼ですが、どちらまで?広島です。広島、奇遇ですねえ、私も広島ですよ。まあそうですか、まあ、またきれいな手をしていらっしゃるんですねえ。え、いやそんな、そんなことないですよ、はは。さっき指を動かしていらっしゃいましたけど、ピアノを弾かれるんですか。いやまあ、下手くそなんですけどねえ、下手の横好きで。ショパンは私もよく聴くんですよ。いや奇遇ですねえ、私もショパンが好きで。……失礼ですけど、お独りなんですか?いやあ、分かりますか、そうなんです。そうですか、私もまだ独りで。いやあこれまた、何という奇遇

ドサッという大きな音で妄想から我に返った。迷彩服のジャンパーを着て、今起き出してきたような髪に黒縁眼鏡の若い男が、隣の座席に大きなボストンバッグを落とすように置いたのである。彼はバッグからiPodと雑誌を取り出してからバッグを網棚に上げると、ヘッドホンを頭にはめてドカッと足を広げて座り、「大晦日に"大連立"を組む日本の格闘技界」という記事を読み始めたのだった。これが現実である。

ただこのiPod男がかなりひどくて、足やら荷物やらをこちらの空間に侵入させてくるだけでなく、真ん中の肘掛けを全部占拠してしまうのには閉口した。普通は肘がぶつかったら少し引っ込めるくらいの配慮がありそうなものだが、この男は知ってか知らずか、むしろこちらに肘を突き出すようにして完全な領有権を主張するのである。よっぽど文句を言おうかと思ったが、素直に肘を下げるようなら最初からこんな態度をとりそうもないし、面倒なことに巻き込まれたくないので、少し狭いのは我慢していた(弱い)。どうせ途中で降りるだろうというのもあったのだが、これがまた誤算で、とうとう広島までずっと隣に居座られてしまった。全く、食い物にはあたるのに、隣客ははずれてばっかりである。

8時頃自宅に帰り着く。郵便受けには年賀状と詰パラが届いていた。

2008年01月03日

新年会

もう体調はだいぶよくなったので、今日は久しぶりに家の外に出た。娑婆の空気を吸うのは4日ぶりだ。これでやっと普段通りの生活に戻ったように思う。

今日出かけたのは、学生時代のピアノサークルのOBが集まる新年会に顔を出すため。去年も1月3日の開催で、確か一昨年もそうだった。場所はいつも新宿の高層ビルの上層階にあるお店である。今回の食中毒騒ぎで一時は断念せざるを得ないかとも思っていたが、幸い身体もほぼ復調したし、最近はなかなか集まる機会もないから、できれば参加しておきたかった。今年集まったのは男5、女4の9人。もう普段あまり会わないだけにどうしてもお互いの近況報告が話題の中心になるのだが、みんなそれぞれ忙しそうだった。自分も最近はかなり忙しくなってきたような気になっているが、比べてみるとはっきりいってまだまだ楽な方だなあと実感。

比較的早い時間に散会したので、11時前には帰宅できた。

2008年01月02日

大逆転将棋

今日になってようやく元に戻ってきたように感じられたので、冬眠から覚める熊よろしく寝室を出た。といってもまだ家の中をうろつくだけであるが、テレビのある部屋で雑煮をすすっただけでもかなりの進歩である。完全な復調とは言えないまでも、この分なら明日以降は外出も何とかなるだろう。

4時から「大逆転将棋2008」という番組を見ていた。元日にいわゆるお好み対局が放送されていたようだが、これはそれとはまた別。プロ棋士にきついハンディを課してアマチュアと対局させたり、プロ棋士同士に目隠し10秒将棋をさせたりと、よりバラエティー色を強めた企画を並べる番組である。多分将棋ファンをこれから開拓していくためには、こういう切り口も必要だという判断があるのだろう。

おそらく今回のメインは、対外的には羽生二冠にボクシングの内藤大助選手が挑戦する企画だっただろうと思うが、個人的にはやはり詰-1グランプリなる詰将棋対決を楽しみにしていた。何と言っても、このブログにもときどきコメントを書いてくださるやなさんこと柳田さんが出るのである。ルールは簡単で、柳田さん他加藤一二三九段や中村桃子女流二段など、プロアマ5人が双玉詰将棋100問を解くスピードを競うというものだ。始まる前に何人かの出演者が予想を立てていたのだが、どこかの大会で優勝したという小学生をあげる人はいても、柳田さんについては本命はおろか対抗馬にあげる人もいない。(私以外の)詰将棋作家がいかに恐ろしい人たちか、やはり全然知られていないんだなあと実感する。普通に考えればやなさんが当選確実に決まっているだろうと思って見ていたら、何のことはない、やっぱり柳田氏の優勝であった。ほれ見ろ、こちとらこれでメシ食ってんだ(もちろんこれは事実ではない)と、何の関係もないのに身内からチャンピオンが出たような気分でちょっといい心持ちになってしまった。

それにしても、各参加者が詰将棋を解いている最中に司会者がインタビューをして回っていたのがちょっといただけなかった。しんとしていてはバラエティー番組として持たないということなのだろうが、慎重に読み筋を確認しているときにあれこれ聞かれては、集中力をそがれてやっている方も大変だろう。

ともあれ、お疲れ様でした。>やなさん

2008年01月01日

寝込む年末年始

謹賀新年。今年もよろしく。

とまあ何事もなかったかのように書き出してみたものの、実際は散々な年越しだった。食あたりかインフルエンザかはっきりしないが、30日の夜からひどく体調が悪くなり、一睡もできずにトイレでもがき苦しむ羽目になったのである。大晦日の昨日がピークで、発熱・下痢・嘔吐などの症状に悩まされ続け、ふとんにくるまって年を越すことになった。ブログに1年の反省でも書こうと思っていたのに、パソコンに向かうことさえかなわない状態だったのである。今日は少し熱も引いたのでこうしてここに書いてもいるが、まだ胃腸の機能があまり回復しておらず、もうしばらくは安静にしている必要がありそうだ。この年越しは、紅白歌合戦も初詣も、私にとっては完全に別の世界の話になってしまった。

波乱の幕開けになってしまったが、災厄を早い段階で一つ片付けたと思って、今年がよい年になることを期待したい。