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芸を見せる

数日前に入手した複雑系折紙の本で非常に魅力的な作品が出ていたので、昨日から今日にかけてそれにトライしていたのだが、中間地点あたりまで来たところでどうしても折図と合わなくなってしまい、どこを間違えたのだろうといじくり回していたら紙が破れてしまった。何時間もかけたのに水泡に帰するとがっくり来てしまう。まあこういう経験も必要なのだろう。

昨日の話の続き。マジックにはタネというものが必ずある。それは演技を成立させるうえで重要なものであるのは確かだが、同時にそれはそのマジックのほんの一部に過ぎない。客とマジシャンの会話、その場の雰囲気、客とマジシャン自身の容姿や性格、お互いの関係、そのときの心理状況など、諸々の要素が絡み合うことで初めてマジックは成立している。セロと同じマジックをマギー司郎がやったら、例え技術的に完璧であっても破綻してしまうだろうし、その逆もまたしかりであろう。にもかかわらず、マジックというとタネなどの純粋に技術的なことにばかり注意が行くのは、それが言ってみれば即物的で簡単に「分かった」気になれるからではないだろうか。そしてこのことはマジックに限らず、「芸を見せる」行為にはつきものであるように思う。

例えば、ホロヴィッツやシフラの凄まじい演奏を聴くと、まずその超絶技巧に心を奪われてしまう。ものすごいスピードの両手オクターブ、加速するパッセージ、土煙の上がるような重低音……自分もああやって弾いてみたいと必死で練習した人が世界に何万人といたに違いないが、その結果演奏技術はホロヴィッツやシフラ並みになったとしても、彼らと同じような魅力を持った演奏ができるようになった人はまずいないだろう。もちろんあの超絶技巧は言葉に尽くせぬほど魅力的で、それがあの演奏に人を惹きつける重要な一要素になっているのは間違いないのだが、それだけではないのだ。静かな部分の弾き方や使用しているピアノの状態、録音場所と録音機器、果ては本人の人となりやエピソードなど、数え切れないほどいろいろな要素が組み合わさって初めてあの演奏があるのである。まず耳に飛び込んでくる超絶技巧の凄まじさは誰でも理解できるが、その背後にはそういった容易に言葉にはできないものが何となく存在しているのだ。そしてそれらは、超絶技巧と同じくらい必要不可欠なものなのである。

あるいは落語でもそうだ。以前落語を知らない人に落語を紹介する番組で、「扇子を箸に見立てて、ハアハア言いながらうどんをすする仕草」で落語家の「うまさ」を説明していたことがあった。実演を見たゲストが「すごーい、本当に食べているみたーい」というわけである。もちろんうどんをすすっているように見えることは大事なのだが、それが落語においてほんの一部分にしか過ぎないものであることは明らかであろう。番組でそういう紹介をしたのは単にそれがうまさを示す一つの指標として分かりやすいからで、実際にはそれ以外の容易に説明できない様々な要素が加わって一つの噺ができているのだ。

詰将棋創作だって、広い意味では「芸を見せる」ことに違いない。「中合○回」とか「同一駒連続使用○回」とか、何らかの条件達成を目標に創作することは分かりやすい(決してやさしいと言っているわけではない)。そしてそれはそれだけで十分すごい作品ではあるのだが、それ「だけ」では万人をうならせるものにはなり得ないだろう。名作として認識されるためには、駒配置の自然さであるとか捨駒の感触であるとか、簡単に言葉にできない有機的な要素もそろっていなければならない。それこそが何より難しいところであるように思う。

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コメント

大変興味深く読ませていただきました。いつも多岐にわたり掘り下げていらっしゃいますね。

そうですね。‘芸’は色んな要素が絡み合って人を惹きつけるものですね。しかし一番多く占める要素は、その人の‘人間性’だと思うのです。極端な話、超絶はなくても芸として成立するが、その人間自身に魅力が欠ければ芸は成立しないと確信しています。

またまた極端な話かもしれませんが、ピアノ演奏で例えれば、道具や環境が悪かろうとホロヴィッツが演奏すればやはりその空間は大迫力のホロヴィッツ世界になってしまうと思うのです。「演奏する」行為は「話をする」のと同じだからだと考えています。彼らはピアノを媒体にして音を自分の言葉として人に伝える技術が卓越してるし、それぞれのゆるぎない「歌い方」がある。

超絶技巧は一見凄みがあるけれど、超絶技巧はその演奏者の「個性にすぎない」のではないか、と思います。超絶技巧が出来ることは凄い個性だと思いますが、私はホロヴィッツやシフラを聴いて、「まずその超絶技巧に心を奪われてしまう」という入り方をしたことがないのです。彼らの演奏を聴いて「良い音だなあ」とか「ほほ~、こんな人なんだ~強烈!」と思います。最初の第1音を聴くとその人となりがかなり見えてきます。観賞の仕方も人それぞれですねえ。

ナッツーさんの影響で、マジックの見方が変わりそうです!

ところで「芸」と「芸術」について言葉の使い方の違いをかんがえて見ました。「芸」という言葉の中に芸術が含まれるんですかね、それとも別物ですか?

どうも、いつも読んでいただいてありがとうございます。
知った風なことを書いていますが、まあ思いつきででまかせもいいところですので、
どうかあまり真に受けないように(笑)。

芸とは人間性であるとのご指摘、まさにその通りだと思います。
芸と芸術という言葉はそれぞれ文脈によって意味するところが違ってくると思うので、
両者の関係を一言で表すのは簡単ではなさそうな気がします。ただ、その行為を通して
行為者の人間性を表現しているという意味では、共通するものがあると言えそうですね。

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