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禁じられた遊び

すでに出版されてから2週間以上経ってしまったが、遅ればせながら巨椋鴻之介氏の詰将棋作品集「禁じられた遊び」を買ってきた。昭和30年代を中心に活躍し、中長編詰将棋の名手として一時代を築いた著者が、作品の手順解説はもちろん、成立過程や当時の時代背景、詰将棋に対する考え方などを語り尽くした一冊である。評判を聞いて期待していたが、果たしてその期待に違わぬ作品集だった。

巨椋鴻之介氏というと、数年前に何となく詰将棋の世界に足を踏み入れた青二才の私にとっては、ずっと謎の詰将棋作家であった。ほとんど唯一とも言える手がかりは、「近代将棋図式精選」に採録されている何作かの作品のみ。しかしそれらがどれも素晴らしいものばかりだったから、詰将棋界における巨匠の一人という認識はもちろんあった。今回の作品集を手にとることで、やっとこの作家の全貌を知ることができたわけである。

この作品集、作品の素晴らしさもさることながら、特筆すべきはその間を埋める著者の味わい深い文章である。これまで詰将棋の大作家の作品集は何冊も出てきたが、作品解説を通して著者自身が歩んできた人生をここまで追体験できる本は、おそらく初めてではないだろうか。著者の詰将棋に対する考え方、他の詰将棋作家とのやりとり、詰パラや近代将棋を舞台にしたエピソードなどが語られ、当時の詰将棋界の雰囲気がくっきりと伝わってくる。自分が詰将棋の作品集を出すことなどあり得ないけれども、もしそんなことがあったらこんなスタイルで書いてみたい、と思わせてくれる本である。

ところで、巨椋鴻之介というお名前がペンネームであり、著者が仏文学者の佐々木明氏であることは以前より分かっていたが、今回初めて知ったのは、佐々木氏が一時期は数学を志していたということであった:

ところで、簡潔さ、単純さに対するこうした好みの、真の原点は何だろうか。それはおそらく数学である。私は大学の後半でフランス文学へと転じたが、それまでの情熱は数学であった。そのことと詰将棋の関係について言うべきことは、詰将棋アタマがむしろ理科系のものだというようなことではない。私はある種の解法や証明の無駄のない簡潔さを、この世でもっとも美しいものと感じた。その美しさの記憶は、数学のすべてを忘れた私のうちに、今も遠い光のように残っている。詰将棋を作るとき深いところで導きの糸になっていたのは、十五歳から二十歳の時期に心に焼きついた、その種の美しさであるに違いない。(「禁じられた遊び」82ページより)

本書を読んでいて、巨椋氏の詰将棋観にいちいち共感するところが多かったのは、もしかしたらこのことも関係しているのかもしれない。

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コメント

「禁じられた遊び」というエントリー表記を見て、いっしゅん映画の「禁じられた遊び」かな?と思ってしまいました。

無駄のない簡潔さ、シンプルさにもっとも美しいものと感じるところはピアノも同じだなあ、私も共感します。

この本によると、山田修司さんという詰将棋の大家に「禁じられた遊び」という詰将棋作品があり、
巨椋さんがそれを気に入って「自分が作品集を出すときはその名前をください」と手紙を書いた……
という経緯があったそうです。ですがもちろん山田氏も巨椋氏も、
あの映画のことを意識しているのは間違いないでしょうね。

通勤電車でちょっとずつ読んでいますが、まだ最後まで来ません。
(盤なしで読むのは限界か?)
なにしろ中身が濃ゆ~いです。

あれだけ中身が詰まっていると、当分楽しめそうですね。

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