« 2009年02月 | メイン | 2009年04月 »

2009年03月30日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.85


長くなったのでレイアウトを少し変更した。10手目の変化に出てくるステイルメイトの形は、90度回転した構図で90番に登場する。本作のオリジナルは、1936年1月にShakhmaty v SSSRに掲載された下のスタディだった。しかしこの作品は、6...Bc8で白がツークツワンクに陥ってしまうため黒の勝ちとなってしまう不完全作であることがすぐ明らかになったのである。そこでKubbelは白黒を入れ替え、この陥穽が逆に決め手となるように創り直したうえで導入部分も付け加えた。この改作はうまくいき、彼はオリジナルが出てから数ヶ月後に本作を発表したのだった。



2009年03月29日

帰広&自分の対局の分析

午後の新幹線で広島に戻ってきた。次にあちらへ行くのは友人の結婚式がある来月中旬で、その次は多分ゴールデンウィークになりそう。

車内ではノートPCで自分が以前指したチェスの棋譜を並べたりしていた。負けた対局はもちろん反省するところばかりだが、勝った棋譜も振り返ってみるとどうもいただけないものが多い。特に情けなく感じるのが、明らかな詰みを見逃していることが結構多いことだ。例えば中盤あたりでこちらが大きく駒得し、もうどうやっても勝ちという状態になると、ほとんどまともに読まずに指している。ああいう場では勝敗がひっくり返らないことが何より大事で、最短手順で勝とうとする必要は全くない。冒険して墓穴を掘るくらいなら、時間がかかっても万に一つも間違いがない手を指すのが鉄則だ。とはいえ、並べ詰めみたいなやさしい3手詰に気づかず延々と指し続けているのは、さすがにどうだろうか。まぐれとはいえかつて詰将棋創作で賞をいただいたことのある人間として、簡単な詰みはちゃんと詰ませたいものだ。

対局内容とは別にこれまでの自分の戦績も調べてみた。33局の公式戦で12勝17敗4引き分けだが、内訳を調べてみると白番が11局で6勝2敗3引き分けで、黒番が22局で6勝15敗1引き分け。白黒別の戦績を初めてカウントしてみたが、白番では思ったほど負けていない。負けた2局は公式戦デビュー局だった一昨年の中国地区選手権1局目と、その年のゴールデンオープン1局目だから、その後の2年間は公式戦では白を持って負けていないことになるではないか。なぜか黒番ばかりやらされる巡り合わせの悪さが解消されれば、もしかしたら少しは戦績が上向くかもしれない。そう思いたい。

帰宅後、今日行われた詰将棋解答選手権チャンピオン戦の結果をチェック。やはり優勝は宮田五段だった。

2009年03月28日

学会、その後打ち合わせ

日本数学会3日目。今日は午後の代数学賞の授賞式に出席し、続いて行われた受賞者の講演を聴いた。今年の受賞者はO先生とY先生。O先生のきっちりしたスーツ姿はちょっと珍しい。手書きの原稿を書画カメラに写して発表されていたが、O先生の文字はフォントとして読みやすく、ある種の安心感を覚える。他の分野では手書き原稿の発表なんてとうの昔に絶滅しているだろうし、数学でも近年はノートPCをつないでプロジェクタ講演をする人が増えてきている(自分もその一人)。しかし黒板発表も含めこういう手書きの文字を見せるスタイルは、今後も続いていくに違いない。手で直接書くということは、数学が数学たり得ることと深く関係しているのだ。そこを「数学界は遅れている」と単純に決めつける人は、おそらく数学を理解していない人だろう。

講演後、Ka先生、Ko先生、Sさんとキャンパス内の喫茶店に行き、今夏に行う予定のセミナーについて打ち合わせ。毎年群馬県の山奥にこもって特定のトピックについて勉強するセミナーをしていて、このメンバーで世話人をしている。今年も大まかな方針が決まった。個人的には今年はこれに加えて、秋に行われるシンポジウムの世話人もしなければいけないことになっている。忙しくなりそうだ。

その秋のシンポジウムの共同世話人であるT君と5時半頃会場を後にする。明日は広島に戻る予定。

2009年03月27日

学会、その後タワレコ

学会2日目の今日は春季賞の授賞式とそれに続く総合講演があった。今年の春季賞受賞者は、自分が学生のときの同期だったO氏。昔と変わらずアロハシャツのようなのを着たラフなスタイルで、受賞記念講演を行っていた。

学会の後、久しぶりに渋谷のタワレコを訪れる。広島にもタワレコはあるが、やはりこちらは規模が違う。最近はCDを買うときもネットで注文することが多くなってしまったが、本来であればCDであれ本であれ、やっぱりこうやって店頭でゆっくり見て回るのが一番望ましい。そうすることで思わぬ掘り出し物を見つける可能性があるからだ。今日はHusum音楽祭の2007年の録音、York Bowenのピアノ協奏曲集、それにStephen Houghのピアノリサイタルを購入。学生時代、CDを買いあさっていたころだったら発売と同時に買っていただろうCDばかりだ。広島に戻ってからゆっくり聴こう。

2009年03月26日

学会、その後チェス

今日から日本数学会で、会場となっているT大に向かう。午前中の一般講演が終わった後、O,F,Tの各氏とともに4人で淡島通りのそば屋まで歩いて昼食。学生時代にはT君とよくここに食べに来ていたものだ。いつも私がとろろそば、彼がちからそばを注文するというのが当時の決まったパターンで、今日もそれは踏襲された。駒場の周辺であのころ営業していた店のほとんどはすでにつぶれてしまっており、生き残りは今日行ったそば屋など数軒のみ。来るたびに街並みが少しずつ変わっているのを見るのは少しさびしい気もする。

午後は1時から企画特別講演。会場はすでに満員で、1時間の講演を立ちっぱなしで聴くことになってしまった。終了後、書籍売場などに立ち寄ってからチェス仲間のHさんと落ち合う。渋谷まで歩いていき、途中のタリーズに入って対局開始。自分は白番。今回はチェスクロックを持ってこなかったので時間無制限ということで指したのだが、何しろタイムプレッシャーに弱い自分としては結果的にこの状況は有利に働いたのかもしれない。大きなミスをせずに何とか勝つことができた。対局後の感想戦ではかなり突っ込んだところまで変化を検討し、ペトロフ・ディフェンスのあるラインについて2人で詳しく調べる。この間大阪で指したときもそうだったが、終了後に周りや時間を気にせずにじっくり感想戦をすると非常に勉強になる。対局のたびにこれができるなら、レーティングが+100くらい強くなれそうだ。

時間をたっぷりかけたために1局だけで日が暮れてしまったので、道玄坂の中華料理屋に2人で入って夕飯。チェスを始めお互いの近況のことなど、あれこれ語り合った。10時頃帰宅。

2009年03月25日

東京に移動

お昼過ぎに消防設備点検の人が来て、例の器具をあちこちの天井にある装置に押し当てて「ピロピロ」と音が出るのを確認すると去っていった。それを待って自宅を出発。明日からT大で行われる日本数学会に行くためである。すでに桜もちらほら咲き始めているが、どうもここ数日は寒いらしいので、もう着ないだろうと思っていたコートをまたクローゼットから出してきた。暑くなってずっと荷物になるだけかもしれないが、そのときは仕方ない。少なくとも今回の出張が終われば、今度こそ今シーズンの着納めとなるだろう。

新幹線の中ではチェスか詰将棋でも考えるつもりでいたのだが、何だかどうも眠くなってしまい、ずっとウトウトしていたような気がする。とっぷりと日が暮れてから東京に着き、新幹線を降りるとえらく空気がひんやりしていて、どうやらコートを着てきたのは正解だったらしいと思った。品川から乗った総武快速線はそれはそれは凄まじい混雑ぶりで、押しつぶされそうになる感覚を久しぶりに味わった。広島での日々が長くなるにつれ、満員電車に対する耐性は確実に落ちてきていることを、たまにこちらに帰ってきたときに実感する。大学生のころに代々木~渋谷間のあのすし詰め状態に毎日耐えていたことが、今となっては不思議でならない。

今回は移動中、ずっとマスクを装着していた。別に風邪をひいているわけでも、花粉症というわけでもない。昨年は実家に帰省するたびに高熱で寝込むということが何度もあったため、どこかでウィルスをもらってくる確率を少しでも下げようという意図である。とりあえず、今これを書いている時点では特に問題はなさそう。今年はもうあれは勘弁してもらいたい。

2009年03月23日

謝恩会

夕方から市内のホテルで卒業生の謝恩会があり、5時過ぎのバスで街中に向かった。去年に続いての参加である。今年度は初めて4年生の卒業研究も受け持ったが、あまり感謝されるほどのことはしていないのでちょっと気が引ける面もないではない。

学生と学科長の挨拶の後に乾杯となり、しばらくは歓談。宴もたけなわとなったところで、やたら元気のいい学生が「では今から講座対抗のクイズをやりまーすっ!!イェーイ!!」「各講座5人ずつメンバーを出してください!」と言いだす。去年がビンゴで今年はクイズか。まあおとなしく見ていようと思っていたのだが、「先生も出てください」と学生に強く請われて結局前に出て行くことになってしまった。各講座ごとに5人が縦に並び、先頭の人がクイズの答えをフリップに書いて合っていたら抜けていくという、最近のクイズ番組でもおなじみのやり方である。うちの講座は、先頭の学生さんが「日本の今の総理大臣のフルネームを漢字で書いてください!」という問題に
阿そう太朗
と書いたのが響き、ちょっと出遅れてしまった(私も最近はこれくらいのことには驚かなくなった)。やがて3人目の私に順番が回ってくる。常識的なことをド忘れして恥をかかないか内心ひやひやしていたのだが、「問題!『牛』という文字を使って、団体や集団を意のままに操るという意味の言葉を書きなさい!」ということだったので何とか抜けることができた(不正解だったのは「牛頭る」と書いた隣の講座の学生だけだったと思う)。最終的にうちは7講座中の5位という成績だった。

謝恩会は2時間ほどで終了。講座のメンバー数人とちょっと離れた喫茶店に行ってさらにもう少し話し、10時頃にお別れして家路に就いた。

2009年03月22日

サーバ移行作業失敗

今日はずっとサーバ移行の作業をしていた。ファイルをコピーするだけなら簡単なのだが、問題はブログのシステムを全部ちゃんと移せるか。結論からいうとうまくいかなかった。MySQLのデータを吸い上げて新サーバにはき出し、諸々のパスの設定も全部したつもりなのに、サイトの再構築作業がうまくいかない。「エラー:ファイルが作成できませんでした」などという文字が表示されて止まってしまう。「な・ん・で作成できないんだっつーの!理由を書けや、理由を!」と独りで罵りながらいじってみるが、どうにも動かない。ネットで調べてみるも、そんなことで悩んでいる人は誰もいない。そこまできてようやく、ファイルコピーの際にパーミッションを保持していなかったファイルがあることに気づいた。うーん、初歩的なミス。ここで時間を食ってしまったのは痛かった。

いったん作業を中断し、買い物や夕飯をすませてからもう一度やってみる。再構築までどうにかうまくいって、今度こそ移行成功かと思いきや、スタイルファイルが読み込まれていないのか、激しく体裁の乱れた表示になってしまった。現在使っているMovable Typeのヴァージョンは3.21で、一方最新版は4.25。管理方法がずいぶん変わってしまい、スタイルファイルをどう修正すればいいのか分からない。いい加減にいやになってきたので、今日は残念ながら撤退することにした。ただ今週は東京に出張だし、来週の土日も詰将棋解答選手権があるから時間はとれない。サーバ移行作業がもう一度できるのはさらにその先になりそうだ。いったん軌道に乗ってしまえば楽なのだが、やはり簡単ではなかった。先延ばしにすればするほどどんどんこのブログの反応が重くなっていくので、何とか近いうちにケリをつけたいと思う。

2009年03月21日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.84


いかにも逆算で創ったと思える作品。ずっと後に出てくる146番、210番とフィニッシュの形は同じであり、Kubbelがいろいろな逆算を試みていたことがうかがえる。

2009年03月20日

似島の安芸小富士に登る

Ninoshima2.jpgNinoshima1.jpg今日は瀬戸内海に浮かぶ島、似島(にのしま)にある安芸小富士に登ってきた。似島は広島の街のすぐ南側にある小さな島で、原爆投下時は膨大な数に上った負傷者の救護所や遺体の安置所として使われた歴史を持つ。島の北側にある安芸小富士はその名の通り小さい山で278.1メートルしかないが、眺望がよいことで知られている。一緒に登る同僚のI先生と8時半に宇品港を出る船に乗ろうと待ち合わせていたのだが、港までにかかる時間を読み違えてしまい、駐車場に車を止めたのが8時25分。必死の形相で走り続け、ギリギリ出発に間に合った。船内でしばらくゼイゼイ息を切らしていたのは言うまでもない。登る前から疲れているのだから情けない話だ。

船は10分くらいで似島に着いた。民家の間にある、人がやっとすれ違える程度の道を進んでいくと、安芸小富士の登山道に出る。舗装された部分は最初だけですぐに山道となるが、それほど急ではないうえに常に瀬戸内海の景色が見えているので、登るのはさして苦に感じなかった。天気もよく、登っていると軽く汗をかく程度の暖かさだ。ときどき休みつつもどんどん進み、1時間ほどで山頂に到着した。

Ninoshima3.jpgNinoshima4.jpg
山頂からの眺めは期待していた通りなかなかのものだった。広島の街が一望の下に見渡せ、西の方には宮島も見える。海はあちこちに牡蠣筏が点在していて、その間を縫うようにしてたくさんの船が白い航路を青い海に描いていた。に倉橋島の火山に登ったときはちょっと寒かったが、今日はうらうらとした春の陽気で風も心地よい。持ってきたものを軽く食べながら、30分ほどゆっくり景色を楽しんだ。

帰りは来た道を途中でそれ、島の東側にある似島臨海少年自然の家まで下りてくる。新年度になると学生委員としてここに新入生を連れてこなければいけないことになりそうなので、下見もかねて一通り施設を見て回った。そこから海沿いに似島学園そばの桟橋まで歩き、1時20分のフェリーで宇品港に戻る。下山した頃から風がかなり強くなったために少し身体が冷えてしまっていたのだが、I先生が近くに温泉施設があるというので連れて行ってもらい、そこでゆっくり温まることができた。宇品の街中に温泉があるとは知らなかったが、こういうときには何ともありがたい。歩き回った足を癒してから帰宅の途に就いた。

今日の歩数計は1万5千歩くらい。まあこれくらいなら十分運動をしたことにしていいだろう。

2009年03月19日

診断結果

昨日帰宅したら、先日受けた人間ドックの結果が届いていた。ほとんどの数値は正常だが、γ-GTPの値が結構高い。GPT値も高め。つまり肝臓である。実はこれらの値が高いと言われたことはこれが初めてではなく、勤務先で5年前に受けた健康診断でも注意を要すると言われたことがあったのだが、今回はそのときよりさらに高くなっていた。うーん、これは一度再検査に行った方がよさそう。もっとも、何を言われるかは今から想像がつく。アルコールはつきあいの場だけで普段は全く飲んでいないので、栄養過多と運動不足で脂肪肝になっているということなのだろう。2ヶ月前に山登りをしたとき、息が切れるのがいやに早かったこととも符合する。ジョギングも登山も頻度が少なすぎるので、これからしばらくは夜にウォーキングでもしようかと思う。それでときどき食べている夜食をやめれば少しはよくなるだろう。

それから、診断表を見ていてもう一つ発見があった。私は血液型による占いだとか性格診断だとかいうことには全く関心がない。それで、実は今まで自分の血液型が何かということを知らなかったし、知る機会があっても覚えておこうとしなかった。ことあるごとに「何型?」と聞かれ、「さあ……」と答えて「知らないの!?」と驚かれる、そのやりとりを今までずいぶん繰り返してきたのだ。しかし今回の診断表でやっと分かったことには、私はB型なのだそうである。先ほどのやりとりはたいてい、「何型だと思う?」「斎藤君はきっと×型だと思うよ」と続いたものだが、私の覚えている限り、×に入るのはいつもAかABで、B型と言われたことはただの一度もなかったと思う。おそらく私の性格は、血液型別性格診断におけるB型人間のそれとはかなりかけ離れたものなのだろう。ことほどさように、占いの類はいい加減なものである。しかしB型であると判明した今からは、「そういえばこういうところはまさにB型だね」などと言われたりするに違いない。

2009年03月18日

帰広

研究集会最終日。1時間半の講演が3つあって、さすがにちょっと疲れた。5時頃に全日程が終了し、すぐに新大阪に移動して新幹線で広島に帰る。

それにしても今日は3月とは思えない暖かさだった。出張に行く前の土曜日がずいぶん冷えたのでコートを着ていったのだが、おかげでずっと手に持って移動することになってしまった。膝のあたりまで来るような黒いチェスターコートで、持っていると結構かさばるのである。明日もひどく暖かいようだし、どうやらもうこれを着るシーズンは終わったようだ。

2009年03月17日

研究集会二日目

研究集会二日目。最初の講演が始まるのが遅いので、一昨日チェスを指したスタバでしばらく時間をつぶしていた。もう会場がどこか迷うことはもちろんないが、何となく場違いな気になってしまうのは相変わらず。ビル中で企業の就職説明会やら就職の悩み相談セミナーやらが開かれており、いたるところリクルートスーツで決めた若い人が闊歩しているのである。その中を歩く、ずいぶんとラフな格好をした一団。どう見たって浮いている。

今日の日程がすべて終了した後、研究集会参加者の一部で懇親会。小さなフランス料理の店だったが、飲み放題のうえに食べ物が結構いろいろ出たのに思ったよりリーズナブルで、みんなの反応も上々だった。10時頃ホテルに戻る。明日の講演を聴いて広島に帰る予定。

2009年03月16日

研究集会一日目

今日より研究集会の一日目。会場は梅田にある高層ビルの一室なのだが、こういうところで数学の研究集会をやるのはかなり珍しい。行けばすぐに分かるだろうと高をくくっていたら、一帯は高層ビルが林立している地域で、どれがどれだか分からずに少し迷ってしまった。いなかもんもいいところである。ただまごついていたのは自分だけではなかったようで、会場で会った人たちも「迷って地図を何度も確認した」「こんなすごいビルで本当に数学の研究集会をやっているのかと不安になった」「場違いなところに来てしまった気がした」とみんな戸惑っていたようだ。数学の研究集会というのは大学のあまりきれいでない講義室の一室を使ったりすることが多く、こういう都会のど真ん中の現代的な空間で行われることに数学者は慣れていないのである。しかしこれからはこういう場所で開催されることも増えていくのかもしれない。

今日の講演が終了したのが5時頃で、まだ夕飯には早いからとKさん、Mさん、Tさんと喫茶店に入ってしばし雑談。Kさんは4月から勤め先が変わるということだったが、相変わらず話が面白くてずいぶん笑わされてしまった。実家に泊まるというKさんと別れてから残った3人で串焼きの店に入って夕飯。高知の研究集会でしばしば顔を合わせるとはいえ、こんなメンバーで食べに行くのもちょっと珍しい。8時半頃に解散して各自のホテルに戻った。

2009年03月15日

大阪のスタバでチェス

お昼少し前の新幹線に乗って大阪にやってきた。明日からKG大で始まる研究集会に参加するためだが、せっかく大阪まで行くのだからついでにチェスでも指そうと一日早く出てきたのである。ただ以前訪れたチェス喫茶は今月はほぼ臨時休業しているという情報を事前に得ていたので、何局か教えてもらったことのあるTさんと待ち合わせして非公式に指そうということになっていた。

待ち合わせは2時。最初に入ったスタバは満員だったので、地下鉄で一駅移動し、少し空いている別のスタバを見つけて何とか座席を確保する。白と黒をそれぞれ1局ずつ指したが、残念ながらこちらの2連敗。特に2局目は、いよいよここから中盤のねじり合いというところでこちらの間抜けなブランダーのために一発で終わってしまった。この対局のために定跡の準備をしてくださっていたようなのに、それが生きる場面すら提供することができず、申し訳ない限り。勝敗ではなくチェスというゲームを楽しもうとしているのだから、こういう負け方は相手にも失礼だ。ただ、2局とも終わった後にたっぷり感想戦をすることができ、非常に勉強になった。公式戦では隣でも対局が行われているので、どこか別の部屋に移動しない限りまともに感想戦などできないが、今日のように周りに気兼ねせずじっくり振り返ることができるのなら、かなり得るものはあるだろうと思う。

夕方にスタバを出て、近くの店で夕飯をご一緒しながらさらにチェスや将棋についての四方山話。9時頃にお別れするまで、対局も含めてたっぷり楽しむことができた。

2009年03月14日

さえずる鳥を折る

OrigamiSongbird2.jpgOrigamiSongbird1.jpgRobert J. Langの折紙作品の中からまた一つ折ってみた。紙は30cm×30cmで、アルミの両面にカラペを裏打ちしてある。簡単そうに見えるかもしれないが、実はかなり難しい作品である。工程も一筋縄ではいかないが、何よりできあがりを鳥らしく見せるのが容易ではない。微妙に折り筋や角度がずれただけで、何だか急に得体の知れない生物みたいに見えてくるのだ。あちこちいじりまくったあげくこういうことになったが、うまくいったとは言えないかもしれない。紙の選択もどうだったか。メロン色のカラペを使ったらバックのアルミが透けて淡い色がさらに淡くなり、相当地味な発色になってしまった。これではせっかくのインサイド・アウトのデザインがあまり映えない。また、かなり難しいことを予想して30cmという大きめのサイズにしたところ、完成品もそれなりの図体になってしまい、かわいらしいという感じではなくなってしまった。かなり細かい作業を要求される嘴や足の爪などは紙が大きいことで折りやすくなったが、全体としてはやはりもう一段小さい紙で折るべきだったかと思う。

モデルはSongbird Iと名付けられており、もう一つSongbird IIという作品もある。こちらはIの丸みを帯びた造形から一転して直線的なデザインのようだ。また機会があれば挑戦してみよう。

(折紙モデル:"Songbird I", Robert J. Lang "Origami Design Secrets"(A K Peters Ltd.) 所収)

2009年03月12日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.83


3手目から分岐するエコーが主題であり、底本では3...Bf7(e6)、3...Bb3、3...Ba2の3つの変化が等価なラインとして並置されている。ここでは棋譜再生の都合上、1つをメインライン扱いしている。

2009年03月11日

身体の変化

30代も半ばにさしかかると、以前はなかったような身体の変化が少しずつ起きてくるのは避けられない。去年、やたらに体調を崩しがちだったのもある意味では年をとったせいといえるが、最近はもっと分かりやすい形で変化を実感することが増えたように思う。

先月の終わりくらいだったか、勢いよく車に乗り込もうとして左足を上げたら、股関節からももの内側にかけたあたりがズキッと痛んだ。あれっと思ってその場で何度か足を上げ下げしてみるが、右足を上げても何ともなく、左足も真っ直ぐ上げる分には問題はない。右前方向にひねるように持ち上げたときにだけ痛むのだった。日常生活でそんな動きをするのは車に乗り込むときくらいだから普段は全然気にならないのだが、以来車に乗り込むときは若干動きのスピードを落としている。ここ数日はほとんど痛みは感じなかったのでよくなってきているようではあるが、ぶつけたわけでもないのにこんなところが痛くなるなんて、20代のころは考えもしなかった。

同じような身体の変化としてこのところ認識しているのが肩こりだ。子供のころ、父に頼まれて肩を叩いたり揉んだりしていたが、なぜそうすると気持ちがいいのかはまるで分からなかったし、そもそも自分の肩がそういう状態になるということを想像しようという気さえ全く起こらなかった。違う世界の話だったのである。それが、何だか最近は肩の辺りが固まっているような感覚をときどき覚えるようになった。腕をぐるぐる回しながら、なるほどこれが肩こりなのかと妙な得心をしたりしている。

2009年03月10日

好手と悪手

先日の対局棋譜をときどき調べて検討してみているが、毎度ながらまあどうしてこうもひどい手ばかり指すものかとあきれてしまう。3手先、5手先が見えていないというのではなく、次の手が見えていない。集中力が切れ出すと、相手の駒がただで落ちているのに気づいていなかったりする。ときには相手も取られそうであることに気づかず、実に微妙なバランスを保ちつつゲームが進行していたりするのだから滑稽ですらある。グランドマスターでもブランダーをゼロにすることは不可能である以上、ある程度は悪手を指してしまうのもやむを得ないが、それにしてももう少し確率を下げたいところだ。

Analysis.jpgコンピュータの解析結果を眺めていると、結局のところ「よい手」とは何なのだろうという気になる。一手ごとに盤面評価を表す数字が表示され、プラスに行ったりマイナスに行ったりとブラウン運動のようにさまよいながらやがてどちらかの方向に収斂していく。指した瞬間に評価が大きく下がる手は悪手であると言えるだろう(自分の指し手はそういう手ばっかりだ)。だが逆に数字が安定していれば、それは好手なのだろうか。テレビで将棋番組を見ていると、解説者が「さっきの先手の手が好手でしたね。これは逆転したかもしれません」と言ったりする。でももしその手で形勢が先手に傾いたとしたら、それはつまりその前の後手の手が悪手だったということに過ぎないのではないか?「よい手」とは結局、「悪手ではない手」という意味でしかないのではないか。FritzやRybkaからいただくご託宣の数字を見つめていると、そんな気になってくる。

しかしそこでまた考え直すのだ。好手とは、その手を指された相手が悪手を指してしまう確率が高くなる手なのかもしれない。チェスソフトの数字ががくんと落ちるような手が相手の選択肢のほとんどを占めていて、しかもどれとどれがそういう手なのかがすぐにははっきり分からない、そういう状況を相手に渡す手を我々は経験的に好手と呼んでいるのではないか。そのような手は、コンピュータから見れば必ずしも評価がよいとは限らず、ご託宣の数字が芳しくないこともあり得るだろう(実際、定跡解説本に記された「!」つきの手を入力するとFritzが不機嫌になるというのはよくある話だ)。つまり悪手は機械にも分かるが、好手とは単なるそれの対義語ではなく、人間の経験と感覚に基づいた全く違った概念なのだろうと思う。

まあそんな愚にもつかぬことを考えるより、目の前に並んでいる悪手の山をどうするか考えよう。

2009年03月09日

ドメイン名移行

勤務している大学の学部が少し前に改組された関係で、所属する研究室のドメイン名が変更されることになった。今までサブドメインでmath.itsとなっていたところがmath.infoに変わる。研究室で動かしているサーバは自分が管理しているので、事前にネームサーバやメールサーバの設定ファイルをいじって修正しておいた。情報処理センターとの約束で今日ドメインの移行作業をすることになっていたためである。これで準備は万端、と思っていたらセンターの人から内線電話。「そちらの研究室のネームサーバがまだ設定されていないようなんですが……」「あれ、そうですか?やったつもりだったんですけど……あっ」とそこでサーバを立ち上げ直していなかったことに気づいた。リスタートしたらちゃんと設定も反映され、無事新しい名前で稼働し始めたようだ。しばらくはどちらのドメインでも大丈夫だが、半年ほどの移行期間を経てmath.itsの方は停止されることになっている。

というわけで、数学関係でここを見てくださっている方、もしメーラなどに私の勤務先のアドレスが登録されていましたら、ドメインをmath.its.hiroshima-cu.ac.jpからmath.info.hiroshima-cu.ac.jpに変更していただくようお願いいたします。

2009年03月08日

川縁の散策

夕方からバスで街中に出かけた。行き先は西区民文化センター。詰将棋解答選手権の会場がいきいきプラザ(広島市西地域交流センター)変更になったため、これまで押さえていた会議室をキャンセルしに行ったのである。払い込んでいたお金はその場で返してくれるのかと思っていたが、あとから口座に振り込まれますと言われた。これで会場の件も完全に解決したので、あとは本番を待つばかりだ。最初に引き受けたときはうまくできるか正直不安もあったけれど、広島将棋センターのご協力もいただくことができてどうにかなりそうな気がしてきた。試験監督の類は職業柄慣れているとはいえ、当日に粗相がないよう手順はよく確認しておこう。

AtomicDome.jpg文化センターを出ると、何とはなしに街の中心部の方にぶらぶら歩いてみた。寺町のあたりで左に折れ、太田川に沿ってゆっくり歩を進める。今日は天気もよく、川沿いを散歩するのは気分がよい。考えてみると、広島に来てからこうやって太田川の川縁をゆっくり歩いたことなんてほとんどなかったが、散歩道が整備されていてなかなかよいところだ。エンドゲームスタディを頭の中で動かしながら少しずつ南下すると、やがて原爆ドームが見えてきた。平和記念公園を抜けて本通商店街まで行き、ピアノスタジオで少しピアノを弾く。夕飯をすませた後、バスで帰路に就いた。

2009年03月07日

アルゼンチンのピアノ曲

最近 "Piano music of Argentina" というCDをよく聴いている。元々はヒナステラの「3つのアルゼンチン舞曲」Op.2が聴きたくて買ったCDだが、他の曲も実はなかなかよい。他、といってもヒナステラ以外はピアソラとグアスタビーノだけなのだけれど、アルゼンチンのリズムを楽しむならまずはこの3人で十分だろう。ピアソラはバンドネオンの曲が何と言っても有名だが、ピアノ曲もいくつか美しい作品を遺している。聴いているうちにだんだん楽譜を手に入れたくなってきて、どれを注文しようか楽譜販売サイトを見て回って考えているところである。チェスも折紙もそうだが、こうやってどんどん散財していくわけだ。

南米の作曲家というのはクラシック音楽の本流からはややずれたところにいるためか知名度があまり高くないが、聴いてみると実に魅力的な曲が多い。上の3人以外にも、例えばヴィラ=ロボスやニャターリなどは一度弾いてみたいと思う曲がいくつもある。そういえばニャターリの曲は以前アムランが演奏していたのに触発されて少し譜読みしたことがあったのだった。またちょっとやってみてもいいかもしれない。

2009年03月06日

「モーフィー時計の午前零時」読了

先週買ってきた「モーフィー時計の午前零時」を今日までに読み終えた。チェスの出てくる作品ばかり集めたアンソロジーだが、ミステリあり、SFあり、エッセイありときて最後にはレトロのプロブレムまで収録されており、面白くてたちまち読んでしまった。さすがに若島さんがまとめただけのことはある。「シャム猫」は最後に明かされる真相の意外性が気持ちよかったし、「みんなで抗議を!」や「ゴセッジ=ヴァーデビディアン往復書簡」では思わず声をあげて笑ってしまった。「TDF チェス世界チャンピオン戦」もかなり毒のある書き方がおかしかったが、同時にジュリアン・バーンズがこんなエッセイを書いてしまうほどチェス好きであると初めて知った。「ユニコーン・ヴァリエーション」では1900年に指されたHalprin対Pillsbury戦の棋譜が下地になっている(p.197にある黒の10手目がちょっとおかしいが、おそらく単なる誤植だろう)が、手持ちのデータベースで調べたところ、パーペチュアル・チェックに至る最後まで完全に同じ棋譜の対局が、ちょうど100年後の2000年に16歳以下の少年向け大会で指されているというちょっと不思議な事実が分かったりした。そしてアンソロジーの最後に置かれているレトロの問題は、プロブレムを多少なりともやったことのある人間にとってはさすがに簡単ではあったものの、あれもこれも読んできて心地よい満腹感を感じている脳に対して、これ以上ないデザートの役を果たしてくれていた。

全体を通して思うことは、このアンソロジーを読む前に、対局やプロブレム鑑賞を通してチェスと関わるようになっていてよかったということだ。もちろん序文で小川洋子さんが書かれているように、チェスのルールを知らなくてもここにまとめられたチェス小説は面白く読める。ただ、実際に対局やプロブレムを経験していることでさらに深く味わうことができる作品が少なくないと思うのだ。「去年の冬、マイアミで」で描写されている街のチェス大会の様子や格下の相手を打ち負かすときの安易な優越感、そして死に物狂いで頑張ったのに強豪に軽く負かされてしまうときに感じる絶望的な無力感などは、実際に公式戦に参加したことがある人なら大いに共感するものがあるのではないだろうか。また「マスター・ヤコブソン」で傑作プロブレムを完成させたと思った主人公が市電に揺られているときにふと不詰手順に気づいて愕然とするくだりなどは、詰将棋作家にも同じような経験をした人が結構いるのではないかと思う。

「モーフィー時計の午前零時」、チェスやチェスプロブレムに多少なりとも関わりのある人には特にお勧めである。

2009年03月05日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.82


2009年03月04日

詰将棋解答選手権の会場変更

1ヶ月後にせまった詰将棋解答選手権だが、広島会場をこれまで予定していたところから変更することになった。広島将棋センターのTさんやKさんと協議し、せっかくやるのだからもう少し広い会場にしようということになったのである。Tさんたちが動いてくれて、新しい会場の予約を今日正式にとることができた。新しい会場は
いきいきプラザ(広島市西地域交流センター)3階第3研修室
(市内電車「福島町」電停より徒歩2分、JR西広島駅より徒歩15分)
である。主催者側にも会場変更の連絡をしたので、公式ページも近いうちに情報が更新されるだろうと思う。

広島近辺にお住まいの方で我こそはと思う方は是非参加していただきたい。プロ棋士の色紙や棋書など、賞品も用意してある。将棋大会には何度も出たことがあっても、詰将棋のための催しというのは初めてという人がまずほとんどではないだろうか。得難い経験をするチャンスである。何か質問があれば遠慮なく私の方まで。

2009年03月03日

人間ドック

人間ドックに出かけるため、いつもより早めに起きる。窓の外を見ると猛然と雪が降っている。暗いうちから降っていたのだろう、すでに景色は真っ白だ。何も食べずに行かなくてはいけないので、着替えるとすぐ家を出た。視界も道路の状況も悪く、あまり運転には適さない状況だがやむを得ない。

普通の健康診断なら毎年受けているが、人間ドックというものに行くのは今日が初めてだった。受付をすませてそのへんのソファに座って待機していると、係りの人が名簿を持って現れ、
「○○○○さん、××××、△△△△さん、斎藤夏雄さん、更衣室にご案内いたしますのでこちらにおいでください」
と招集される。どうも男女別に4人集まったところでひとまとめに呼ぶシステムらしい。私は着替えながら、先日亡くなった泡坂妻夫氏の短編ミステリのことを思い出していた。歯の治療のために歯科病院に来た見ず知らずの3人が、受付や診察室などに呼ばれるたびに3人ひとまとめでアナウンスされるのだが、
「亜さん、井伊さん、上おかきくけこ?あら、失礼しました、上岡菊彦さん、受付までおいでください」
といつも3人目で言い間違えられる……というシーンである。ホームズ役の亜がやがて一緒に院内を回っている上岡の挙動から犯罪の事実に気づくのだが、今日一緒に呼ばれた残りの人たちは別に妙な動きはしていなかったようだった。敢えて言えば、更衣室で他の人たちを観察していた私が一番挙動不審だったに違いない。

こういうものに一度でも行ったことのある方ならよくご存じだろうが、検査項目は十数項目あり、あちこちに置かれている椅子に座っていると誰かが「斎藤さん、採血しますからどうぞ」「斎藤さん、聴力検査です」「斎藤夏雄さん、X線撮影です」と呼びに来る。終わるとまたどこかの椅子に腰掛けて次に声がかかるのを待つ。その繰り返しだ。2時間半くらいで全部終わって解放されたが、検査結果を見て医師と話したければ午後まで待たなければいけないと言われたので、郵送で送ってもらうことにしてさっさと引き揚げることにした。まあ何かまずい項目があったらそのときに考えることにしよう。

視力検査でのこと。「それじゃまず最初は裸眼でやりますね」と言われたので眼鏡を外して計測器を覗き込んだ。
「1番は輪っかのどちらが切れていますか?」「左」「じゃ2番」「上」「3番」「左」「4番」「下」「5番」「右」「6番」「上」「7番」「上」「8番」「左」「9番」「えー、右」「10番」「うーん、下」「11番」「ええ……左?」「12番」「うう……下かな、分かりません」
もう片方の目も同じようにやり、次は矯正視力だなと思っていると
「何か裸眼で見えているみたいですから眼鏡はいいです」
と言われて検査が終わってしまった。おしまいの方は少し当てずっぽうも入っていたのだが、もしかしたらことごとく当たってしまっていたのだろうか。自分の場合、近視よりも乱視がきつく、画像はぼやけるというよりダブって見えているので、輪っかのどこが切れているということならある程度分かってしまうのである。いずれにしろ、何で眼鏡をかけているんだと思われたことだろう。

2009年03月02日

1001

チェス三昧の日から一転、今日はいつもの日常が戻ってきた。午後の会議がやや面倒な話でちょっと疲れる。しかもそのあと作業をしていたら遅れてしまい、今日の夜の便で届くように手配してあった届け物を少しの差で受け取れなかった。どうもツイていない。

昨日のエントリがこのブログのちょうど1000番目の記事だった。これを機にブログをリニューアルしようと思っていたが、土日もいろいろすることがあって時間がないので、実行できるのはもう少し先になりそう。ブログデータの移行もすでに試みたのだが、データベースとして使っているMySQLのデータをうまく移せていないようだ。空いた時間にまたトライしてみよう。

明日は人間ドックに行くことになっているのだが、9時を過ぎたら何も食べてはいけないということなので、夕飯は若干多めにつくった。普段は夜遅くまで起きていてよく夜食を食べたりしているのだが、今日は空腹を感じないうちに寝た方がよさそうだ。

2009年03月01日

中国選手権

チェスの中国選手権に出るため、家を朝に出て三原に赴いた。一昨年去年に続き今年で3回目になる。これまでは新幹線だったが、今日は初めて車で現地まで行ってみた。所要時間は70分くらい。山陽自動車道の通行料金が割引されていて、駐車場代と合わせても新幹線より安く上がった。

今日集まったのは主催者のNさんを入れて7名。Nさんは対局せず、残りの6人で4ラウンド対戦することになった。さてその結果は……。
  相手のレーティング
1.  1910          黒番 38手 負け
2.  1647          白番 25手 勝ち
3.  1662          黒番 34手 負け
4.  1408          黒番 26手 勝ち
ということで、2勝2敗という内容だった。今年こそは全敗もあるかもと思っていたが、2.0ポイントは6人の中では3位とのことで、上位は負かされた2人なのだから上出来すぎる内容だ。初めて参加した一昨年がやはり負け・勝ち・負け・勝ちの2勝2敗、3ラウンド制だった去年が勝ち・負け・ドローの1勝1敗1引き分けだったので、3年連続でぴったり五分の成績で帰ってきたことになる。それにしても、昨年11月のチェス喫茶のときといい今回といい、黒番を引くことがやたらに多い。中国選手権に限って見ても、一昨年去年も白は1局だけだった。今日の4局で公式戦は33局となったが、数えてみると白を指したのはたったの11局。つまり3局に2局は黒なのである。トスや諸々の巡り合わせの結果なので致し方ないが、たまには白を指すことが多い大会も経験したいものである。

第1ラウンドでいきなりとんでもない強豪と組み合わされ、負けを覚悟して臨んだ。途中まではがっぷり四つという感じで何とか持っていたのだが、中盤の難所で見落としがあってポーンダウンになり、どうにか挽回しようとしているうちにもう1つポーンダウン、もがいているうちにさらにポーンダウンしてさすがにそこで投了した。ポロポロとポーンを取られていくいつもの負けパターンだが、強い人はさすがにこういうところの指し回しがうまいと思う。2局目はあまり指し慣れていない戦型になったが、うまく敵陣に侵入したこちらのポーンが取られずに威張れる展開になり、これが生きて何とか勝つことができた。3局目は中盤までまあまあ互角くらいで行っていたと思うのだが、中盤から終盤に移行するところで悪手を2手連続で指してしまい、たちまち敗勢に陥った。この中盤の終わりから終盤の入口というあたりは一番自分が苦手とするステージのようで、今回に限らずポカが多いように思う。特に形勢に大きく差がついておらず、微妙なバランスが保たれているときが危険だ。局後の感想戦では「何であんな手指したんですか?全然意味ないでしょ」「これは一番悪い手じゃないですか」と言われてがっくりしてしまった。気を取り直して臨んだ4局目は、7手目で定跡を外した変化に出られて戸惑ったものの、何とか対処して反撃を試みる。最後は相手の時間がないのにも助けられてどうにか勝ち。

全体を通して見ると、勝つときはメイト、負けるときはマルチポーンダウンエンディングで収拾不能というパターンが多く、これは昔から変わっていない。手数がかかるゲームになるとタイムプレッシャーの影響もあって急速に弱くなる。エンドゲームスタディを鑑賞するのは好きだが、そのエンドゲームに入る前の段階をもう少しトレーニングした方がよいように思う。もっともそれが実戦で生かされるまでにはかなり時間がかかりそうだ。