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2009年12月31日

一年を振り返って

今年も大晦日である。今日は一日家で過ごしていた。風邪の方はもうほとんど治ったようだ。若干痰がからむかなという程度で、昨日までの鼻水はもう消えた。これくらいの風邪はしょっちゅうひいているので気にもならない。去年のように熱を出して動けなくなる事態にならないでよかった。

2009年もあっという間に終わってしまったが、振り返ってみるといろいろなことがあった。本業では7月にシドニーに出張したし、10月には大きなシンポジウムの世話人を任されたりもした。勤務先での仕事も今年から新たに講義を受け持ったり、学生委員としての雑用をこなしたりでえらく忙しかった。趣味の関係では、ピアノは5月11月に演奏会に出たし、チェスは3月に中国選手権、5月にゴールデンオープン、それから9月11月にチェス喫茶で公式戦を指した。詰将棋関係ではやはり4月の詰将棋解答選手権で広島大会の地域責任者をつとめたことが大きい。もちろん7月には詰将棋全国大会にも行ったし、春先に行われた詰将棋課題コンクールに応募するということもした。さらにこれらの活動の合間を縫って、複雑系折紙に挑戦したり、運動不足解消に山歩きへ出かけたりもした。

こうして並べてみると、何だか遊んでばっかりという感じである。いろいろ楽しんでいていいじゃないですかと言ってくれる人もいるが、あれこれ中途半端に首を突っ込んでみているだけのような気もする。何かをやってみるが大してうまくいかずにいやになり、そこから逃避する形でまた別のことに手を出す、ただその繰り返しだ。さりとて、どれかに的を絞ってそれに集中するようなことは、飽きっぽい自分にはできそうにない。きっと来年も、こんな調子でいくのだろう。

2009年12月30日

年賀状書きと小忘年会

お昼近くまで寝てしまった。鼻水はまだ治まらない。一度こういう状態になると、2日くらいは我慢していなければいけない。午後は鼻をティッシュで押さえつつ、年賀状の作成をすませる。いつもデザインを適当に考えてプリンタで印刷し、それに一筆添えることにしているのだが、こう毎年続けていると何を書くか少々悩ましい。はっきり言って年賀状以外は没交渉になってしまっている方もいるわけで、その場で思いついたことは実は去年と同じなのではないかという不安もよぎるのである。まあもっとも、去年書いたことなど相手の方も覚えてはいないだろう。

それにしても、こうやって自分の字で何か文章を書くという行為が最近はずいぶんと少なくなってしまった。日常の仕事でも趣味の作業でも、何か書くとなるとたいてい手はペンを持つのではなくてキーボードの上に置かれているのである。例外は数学をしているときだけだ。もしかしたら通常の日本語を直に書いているのは、年末年始が一番多いかもしれない。

暗くなってから家を出て数学科同期の忘年会へ。といっても集まったのは自分を含めて3人だけ。本当は27日に忘年会があったのだが、そのときは四国にいて欠席せざるを得なかったのである。K君とS君はわざわざ私のためにもう一回出てきてくれたのだった。10時半頃まで飲み屋であれこれ話す。風邪気味なのでアルコールは控えめにしておいた。ちょうど携帯チェス盤を持っていたので、K・S連合軍と1局指す。といってもほとんど同時に感想戦をしながらやる気楽なものである。技をかけられそうでひやひやしたが、幸いそれより前にこちらから技をかけることができた。

11時半過ぎに散会。

2009年12月29日

広島から東京へ

昨日松山にいたときからちょっと違和感があったが、今朝起きてみると何だかのどがおかしい。さすがに旅の疲れが出たか、風邪をどこかでもらってきたようだ。幸い、扁桃腺以外には特に異常はなさそう。ここ2年、年の瀬に大きく体調を崩すことが続いているが、これくらいですんでくれれば御の字だ。

2時半過ぎの新幹線で広島を発ち、実家に帰ってきた。夜になり、風邪はのどから鼻水に移行しつつある。明日は小さな忘年会があるが、あまり無理はせずにおこう。

2009年12月28日

松山から広島へ

SetoInlandSea.jpgMatsuyamaCastle.jpg朝方、ホテルを出たときはひどく風が冷たかった。高知での朝とはえらい違いだ。午前中は道後公園の中にある子規記念博物館へ。本当は月曜日は休館日のはずなのだが、今月はずっと開館しているらしい。ここに限らず、松山にある子規や秋山兄弟の関係の施設はすべて今月はほとんど休みなしのようだ。NHKのドラマが放送されていることと関係があるのは明らかだろう。本当はそれらの施設をいろいろ回るつもりでいたのだが、子規記念博物館だけでかなり時間を使ってしまったので、結局その後は高台にある松山城を回るだけになってしまった。いつも詰四会の会合で来松したときには下から見上げているだけで、ロープウェーで上がってきたのは初めてだ。石垣がかなり高くて、思っていたよりは立派な城だった。

帰りは松山観光港までバスで出て、そこから宇品港行きの船に乗る。半年に一度利用しているからここは慣れたもの。折しも日が暮れるところで、雲間から赤くなった光が落ちてきている。よく目をこらして見ると、遠くの島々がほんの少し浮き上がっているようだった。浮島現象は海面上の空気の気温が低いと起きるそうなので、こういう寒い時期でないと見られないのだろう。

広島に着いてから夕飯をすませ、8時頃自宅にたどり着いた。高知・松山の旅はこれにて終了。

2009年12月27日

高知から松山へ

Katsurahama2.jpgKatsurahama1.jpgホテルをチェックアウトすると、午前中は桂浜に向かった。はりまや橋のコインロッカーに荷物を預け、ちょうどやってきた観光客向けの周遊バスに乗る。今日も高知は雲一つない快晴である。桂浜には去年も訪れているが、そのときは龍馬の誕生日(でありかつ命日)の時期にだけ行われる趣向として銅像の横に櫓が設置されており、龍馬像と同じ高さに登ることができた。今回はそれはなく、下から見上げる形で1年ぶりに尊顔を拝し奉る。それから砂浜へ降りた。左側に突きだしているのは龍王岬、高台に見えているのは国民宿舎である。波打ち際を歩いて龍王岬を目指した。上へ登って陸地側を眺めると、岬の左右に伸びる海岸線を遠くまで見渡すことができた。

Katsurahama_Panorama.jpg

DogoOnsen.jpgお昼頃にまたはりまや橋まで戻り、帯屋町の店でお昼。量が多くて最後はちょっと苦しかった。コインロッカーの荷物を出すと2時過ぎの高速バスに乗り、松山に向かう。天気予報では今日は午後から雨になるという話だったが、最後まで空にほとんど雲はかからなかった。道後温泉に着いたのは5時過ぎ。ここは数年前、詰四会の帰りに乗せてもらった車で脇を通過したことはあったが、ちゃんと訪れるのは友だちと旅行した12年前以来ではないかと思う。観光ホテルが付近一帯に林立し、歩道はきれいに整備されていて、一大温泉地として大きくお金が動いているであろうことが想像できた。

明日は松山市内を歩いた後、船で広島に戻る予定。

2009年12月26日

高知城へ

昨夜はFさんご夫妻とあれこれ積もる話をしていたら、時間を忘れてすっかり話し込んでしまい、結局寝たのは4時半過ぎになってしまった。気の置けない人と話していると、時間が経つのも早い。金曜日を休みにし、残っていた仕事も棚上げにして広島を脱出してきたかいがあったというものだ。

KochiCastle.jpg何しろ夜が遅くなったので、今日は日が高くなるまでF邸でだらだら滞留させてもらう。お昼までいただいてしまい、1時を過ぎてから街中まで車で送ってもらった。Fさんご一家と別れると、ちょうど入れ違いに親が到着して合流する。今日の高知は雲一つない快晴で、気温も暖かくて日中は上着がいらないほどだった。多分南国だからということより、今日が特別に暖かかったのだろう。ホテルに荷物を置くと、ぶらぶらと歩いて高知城へ。前にここを訪れたのは、2003年に高知の研究集会に初めて参加したときだったか。その前は12年前に同期の友だちと二人で四国旅行をしたときになる。帯屋町商店街とかひろめ市場とか、すぐ近くは毎年のように来ているのだが、城まで登ってくることは少ない。残念ながら天守閣の内部はちょうど今日から年末の休みに入ってしまっていて、外から眺めるだけで引き返した。

帯屋町商店街を東に抜け、はりまや橋から路面電車でホテルに戻る。日が落ちるとともに急激に気温が下がって寒くなった。明日は桂浜に行き、その後松山に移動する予定。

2009年12月25日

高知に移動

夕方の高速バスで高知に移動する。余裕を持って家を出たつもりだったが、バスセンターまでの道がやたらに混雑しており、またしても重い荷物を持って必死で走る羽目になってしまった。時間に余裕をもって行動しているつもりなのに、いつもこういうことになってしまうのはなぜだろう。ともあれ、何とか間に合ってよかった。

OrigamiTruck2.jpgOrigamiTruck1.jpg9時過ぎに雨の高知駅に到着。Fさんが迎えに来てくれていた。車に乗せてもらい、15分くらいでF邸に着く。先月もお邪魔させてもらったが、今回は泊めていただくので粗相のないようにしないといけない。一応もみじ饅頭はお持ちしたのだが、それだけでも芸がないと思い、2歳4ヶ月になるY君に折紙のトラックを持って行った。これは小学生のころに私が好んでよく折っていたもの。当時は折紙を4枚も使うなんてすごい大作だというつもりでいたのだが、今折り直してみるとあまりにあっけなく折れてしまうので拍子抜けしてしまった。しかし、あのとき誰にも見せずにこっそり折り続けていたトラックがこんなところで役に立つとは、先のことは分からないものだ。

2009年12月24日

明日から休暇

会議の多い一日だった。普段はみんな講義やら演習やらで忙しいから、学生が冬休みに入ったこの時期にまとめていろいろやることになるのである。とはいえ、今日に固まってくれたのはこちらとしても都合がよかった。明日はうまい具合に特別な予定が入らず、特にいる必要がなくなったのである。それでさっさと休暇をとってしまった。本当はレポートの採点とか講義や期末試験の準備とか、やっておかなければいけないことはたくさん残っているのだが、全部年明けに先送り。1月も相当忙しくなることが今から予想されてげんなりする。でも、今はちょっと忘れてゆっくりしたい。

折りしも週末から親が四国旅行をするらしいので、それに同行することになった。高知と松山を回る予定。合流は土曜日だが、せっかく高知に行くので、明日から出かけていつも研究集会でお世話になっているFさんにお会いすることになった。今から楽しみだ。

2009年12月23日

少しだけ掃除

今日はずっと部屋の掃除ばかりしていた。本来なら大掃除はもっと年が押し詰まったときにやるものだろうが、クリスマス後にちょっとした旅行で家を空けることになったため、ゆっくり部屋の片づけをしている時間がもうとれそうにないのだ。とはいえ、今日も大して頑張ったわけではない。水回りがまたいつの間にか相当汚れていたので、風呂場やシンクなどをまとめてきれいにし、あとは床に散らかっているあれこれをまとめたり捨てたりして、最後に申し訳程度に掃除機をかけただけ。これでも何もしないよりはずっとましだろう。

夕方から市街地に出て買い物。昨日まではえらく寒かったが、今日は若干寒さが緩んだようだ。先週末に出張したときの東京がちょうどこれくらいだっただろうか。街中はさすがにクリスマス色が強くなっていて、サンタの帽子をかぶって接客している店員がたくさんいた。ふと見ると、鏡餅など正月用のアイテムを売るコーナーもできている。そういえばと思い出して、年賀状をまとめて入れるはがき入れを一つ買っておいた。早く書かないといけないが、いつその暇があるか。とかく年末は慌ただしい。

2009年12月22日

ささやかな忘年会

夕方の会議が終わった後、講座所属の教員と学生が集まってささやかな忘年会。といっても講座の一部屋で静かに食べたり飲んだりするだけである。市街地の居酒屋にくりだす講座もあるようだが、うちは毎年この形。店に行って打ち上げるのは、卒研発表まで全部終わってからである。実際、年が明ければ最後の追い込みが始まるから、学生も今はまだ浮かれているわけにもいかないだろう。

終わった後に少し雑用をすませてから、10時頃帰宅。

2009年12月21日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.114


2009年12月20日

広島は今日も雪だった

午前中は研究集会の最終日。今日も東京は雲一つない快晴で、真っ白な富士山が完全な形でよく見えた。お昼前に研究集会が終了した後、いったん実家に立ち寄る。夕方に改めて出発し、7時少し前の新幹線に乗った。途中、ドアが故障したとかでしばらく止まっていたので、広島到着は少し遅れる。家にたどり着いたのは日付が変わる少し前。しんしんと雪が降っていた。

2009年12月19日

講演終了

9時過ぎにホテルを出る。講演は10時からで、会場は吉祥寺から3駅だから十分余裕があると思っていたが、通過待ちのために途中の駅で足止めを食ったりして、考えていたよりはやや遅れた。今日の東京は雲一つない快晴で、車中からは雪をかぶった白い富士山がよく見えた。

1時間の講演は何とか乗り切った。お世辞にもいい講演だったとはいえないが、準備不足から妙なことを口走って場が紛糾したらどうしようなどと心配していたから、そうならなかっただけでもよしとしなければならない。部屋がこぢんまりしていたのもよかったかもしれない。高知の研究集会もそうだが、こんな感じでそれほど広くない部屋においてそれほど多くない参加者でふんわりとやる方が、正直言って私は好きである。今回はプログラムもずいぶん余裕を持って作られていて、講演と講演の間にはかなり時間があった。お昼を食べて戻ってきてからもなかなか始まらないので、何となくあちこちで雑談が行われている。何せ部屋が小さいので声が耳に入ってくるのだが、左からは「メタボ健診で86cmって言われて、あれ85cm以上で引っかかるからさ……」、右からは「中性脂肪がだいぶ高かったんだけど……」と、聞こえてくるのは同じようなことばかり。ある年齢から上は、やはりこの話題は常に重要なテーマである。

講演が終わってから、10名ほどで飲みに行く。たまたま吉祥寺に移動して店を探すことになったので、こちらとしては都合がよかった。2時間ほど話してから散会。研究集会は明日の午前中まで。

2009年12月18日

講演準備

午後の講義を10分くらい早く切り上げ、大慌てで広島駅に向かった。何とか予定していた新幹線に乗り込むと、すぐパソコンを立ち上げて明日の講演の準備。どうしても時間がとれず、結局こんなところでやることになってしまった。しかしぐらぐら揺れる車内で画面を見つめて作業していたら、だんだんふらふらしてきてつらくなってきてしまう。あまり無理をして体調を崩しては元も子もないので、名古屋から先は少し居眠りしていた。

吉祥寺のホテルに入ったのは9時半頃。かなり疲労がたまっていたが、休むわけにはいかない。先ほどまで作業をしていて、どうにか最低限の形にまでは持ってきた。もちろんまだ直すべきところはたくさんあるが、これ以上やっていても仕方がない。これで勘弁してもらおう。ああ疲れた。もう寝る!

2009年12月17日

初雪

朝起きてカーテンを引くと、見慣れた景色の前を無数の白いチラチラが落ちていっていた。雪の季節がいよいよ始まった。天気予報が正しければ明日も降りそうだ。

日中は明後日の発表の準備をするつもりだったが、午後に4年生の卒業研究の様子を見に学生部屋へ行ったところ彼らの進捗状況の遅れが心配になり、結局思っていたより長い時間滞留してしまった。自室に戻ってきてから自分の分に取りかかるも、全く終わらないまま夜になってしまう。明日は午後の講義を終わらせたらすぐ広島駅に行って東京に移動するのだが、こうなったら車中の4時間に期待をかけるしかない。あまりこういう綱渡りのようなことはしたくないのだけれども、何しろ時間がないからどうしようもない。とにかく何とか乗り切ろう。

2009年12月16日

忍び寄るインフルエンザ

午前中は数学演習の時間。来週の水曜日はもう休みだから、これが今年最後ということになる。ここ数回は学生がポツポツと欠席し、復帰してくるとインフルエンザの診断書を持ってやってくるということが増えてきた。自分はこれまでのところそれらしい症状は全く出ていないが、こうやって若い人と接触する機会がある以上、いずれやられるのは時間の問題かもしれない。これだけ広がると、むしろ今までかかっていないのが不思議なくらいだ。実はここ2年ほど、年末年始から5月くらいまでは始終熱を出したりして体調がずっと悪い時期が続き、6月からの年の後半はほとんど何も起きないというサイクルを繰り返している。ということはそろそろ不調フェーズに入るのではないか、と今から少し心配なのである。

普段の水曜日なら午後は回収したレポートの採点にあてるのだが、年末年始が挟まるのをいいことにその作業は棚上げ。その代わりに今週末の発表の準備を泥縄でしていた。いろいろな締切に追われていると昨日書いたが、実は目下一番の懸案事項はこれである。まだ全く終わっていないので、明日もなるべく時間をとって頑張ろう。

2009年12月15日

締切は大晦日

もう12月も半分過ぎてしまった。来週になればクリスマス、そして年の瀬がやってくる。早いものである。

年末というのはどうしても忙しくなると相場が決まっているが、今年ももちろん例外ではない。とにかくいろんな締切が束になって襲いかかってくるのである。仕事の方でも一つ催促されている締切があって、これはどうしても早めに終わらせなければいけない。それからプロパラの次号の原稿締切が大晦日までとWさんから通知があった。まだ何もしていないが、いい加減に書けるところから書いていかなければいけない。そして頼まれている楽譜校正の仕事も、近々次の楽譜が送付されるとの連絡を昨日受けたところだ。

そんなものかと思っていたら、詰将棋の関係でも「四百人一局集」という企画があったのだった。詰将棋作家が1ページずつ、自分の代表作とともに簡単に自己紹介したものをまとめようというのである。正直に言うと、最初に原稿募集の告知が出たときにはほとんど気にしていなかった。希望者だけが書くということだったし、ある程度の数の作品を発表し続けているちゃんとした詰将棋作家が対象だろうから、思いついたように数作出して、しかも最近お休みしている自分のようなのは関係ない話だと思ったのである。ただこのところ他の作家の方の日記やブログを拝見していると、みんな原稿を用意されているらしい。うーん、やっぱりこれは書いた方がよいのだろうか。しかしもし書くならまた締切を1つ抱え込むことになる。この分では大晦日まで一息つけそうにない。

2009年12月14日

リーマン予想の番組

遅ればせながら、リーマン予想に関する番組を見た。先月放送されていたものの再放送を、昨日の夜半過ぎにやっていたのである。昨日届いてセットしたばかりのテレビにハードディスクを接続したので、ちゃんと予約録画をしておいてくれるかのテストを兼ねていたのだが、問題なく録られていた。

数学の難問を専門家以外に説明するという番組は、2年前のポアンカレ予想に関するものに続いて2回目だと思うが、こういう番組が続けて企画されるということは、それなりに社会の関心はあるのだろう。実際、今回の番組の反響も結構大きかったらしい。たださすがにリーマン予想を説明するというのは厳しいタスクだったようで、ちょっと無理をしている感じは否めなかった。いくら耳に優しい言葉を増やしたりそれらしいCGを駆使したりしても、「非自明な零点」とは何のことか、ある程度数学に慣れていないと何のイメージも浮かばなかったのではないか。またこの予想と実社会との関係を強調しようとするあまり、「リーマン予想が解かれると素数の性質がすべて分かってしまうので、インターネット上で使われている素数を利用した暗号(RSA暗号のことだろう)も使えなくなってしまう」というような説明がされていたが、リーマン予想が解かれてもRSA暗号の強度には影響はないような気がする。もっとも自分が見たのは45分の短縮版なので、1時間半のフルヴァージョンではもう少し違う解説がなされていたのかもしれない。

数学に限らず、ある程度専門性がある内容を一般の人向けに紹介する番組というのは、その分野に詳しい人には見るに堪えない内容であることが少なくない。だいたい見終わって思うのは、「あれを紹介しないなんて考えられない」、「そんな説明では誤解されてしまう」、「何で無関係のこんな人が出てくるのか」というような感想である。実際それらはみなその通りであって、不特定多数を相手に何かを説明しようとすると、どうしてもその内容は歪められてしまう。本当は、数学と縁遠い人を相手にリーマン予想が述べている問題の内容を正確に説明して理解してもらうことなど、明らかに不可能なことだ。だからどこかにごまかしを、というより説明のほとんどすべてをごまかさなければならない。このごまかした説明をするというのが、また数学を生業とする人間が一番苦手とするところなのである。ごまかしが厳密な意味で一切存在しない、ということ自体がまさに数学が数学たる所以であるからであり、ごまかしてしまったらもう説明しているものは数学ではなくなってしまう(と多分多くの数学者は感じる)のだ。しかしだからといって説明を拒むと、あいつらは無意味な机上の空論を勝手にやっているわけの分からない連中だ、ということになってしまう。ジレンマである。

だから、たとえ解説が少々的外れで内容が実際から歪んでしまっていても、こういう番組で曲がりなりにも数学について紹介をしようとしてくれていることは、大変ありがたいと思わなければいけないと感じたのだった。

2009年12月13日

突然の停電&新しいテレビ

午後1時頃のことだった。食後のコーヒーを一口飲んだところで思わぬことが起きた。「カチン」か「プツン」とでも形容すべき音がして、突然すべての電気が切れたのである。台所の蛍光灯もすぐ横のヒーターもルータや自宅サーバの電源もみんな落ちている。これにはさすがにびっくりした。ブレーカーが落ちたのかと思って様子を見に行ったが、スイッチはONの側に倒れている。だいたい、切れた瞬間は普段と比べても電力使用量は少ない方だった。

ともあれ、これは管理人に報告しないといけないとあわてて着替える。玄関を出ると2つ隣の部屋の方もちょうど出てくるところだった。
「あ、そちらも切れました?」「ええ」
見るとエレベーターの停止階も全部消えている。どうやらマンション全体が停電になっているようだった。管理棟に行ってみるとすでに何人かが集まってきていて管理人と話している。自分の棟に限らず、このへんに林立しているマンションがいくつも丸ごと停電だという。とにかく復旧を待つしかないのでいったん部屋に戻ったが、やはり電気が来ていないというのはどうにも困ってしまった。ピアノを弾こうと思っても電子ピアノの電源は入らない。皿洗いでもしようと思ったら、実は水を出すのにも電気が必要なようで、レバーを下げても何も出てこない。仕方ないので折紙を折って電気が戻るのを待っていたが、1時間経っても部屋は薄暗いままだ。これにはまいった。

結局切れてから70分か80分くらいしたところでやっと復旧したのだが、雷雨の日ならいざ知らず、こんな穏やかな冬の日に1時間以上も停電するとは思いもよらなかった。原因はマンションの給電設備にトラブルがあったためということだったが、電力の安定供給くらいはちゃんとやってほしいものである。自宅サーバも突然の電源切断でどうなることかと思ったが、幸い何事もなかったかのように稼働してくれた。雷サージの瞬電に加えてこんなことまで起きるとなると、やっぱりUPSを入れた方がいいようだ。

その後、夕方に荷物が一つ届く。昨日は注文品を受け取ったり取りに行ったりしたが、実は今日もその続きがあった。テレビを頼んでおいたのである。今までの小さなテレビに比べると結構な迫力だ。正直言って昔に比べるとテレビを見ている時間はだいぶ減ったけれども、たまに映画でも見るときはやはりこれくらいはあった方がいいだろう。

2009年12月12日

注文品の受け取り

4年前に買ってずっと使ってきたノートPCがだいぶくたびれてきたので、そろそろ新しいのに乗り換えようと思って注文をかけたのが先月の下旬。しばらく待たされたがそれが先週に届いた。あれをインストールして、これを設定して……と自分の環境をゼロから構築していくのは、かなり時間がかかるし面倒くさい。しばらくはそれまでのパソコンを使いつつ、少しずつ作業を進めていた。今日は少し時間ができたので、これまでのデータファイルの類も全部こちらに持ってくる。これで移行作業はほぼ終わり。今日から本格的にこちらを使うことになる。このエントリの更新も新マシンからである。

移行作業の最中に郵便が届いた。フランスのサイトに注文を出してあった折紙の本である。船便で送られてきたようで、こちらはもう一月近く待たされた。本と一緒に紙も注文してあったのだが、日本で売られている市販の折紙用紙とはまた違った質感で、複雑系の作品にも耐えられそうである。いずれ近いうちに使ってみよう。

夕方からは街中へ出かけ、東急ハンズでこれも注文してあったカラペを受け取る。この間来て聞いたときには、入荷までには1週間以上はかかるような口ぶりだったのに、わずかその2日後に入荷しましたと連絡してきたのである。多分ああいうのは、約束より遅れることを恐れてかなり余裕のある期日を答えることになっているのだろう。ともあれ、これでかなり素材はそろった。あと必要なのは、時間だけだ。もっとも、それこそが一番足りないものでもある。

2009年12月11日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.113


手順の過程で自らNを袋小路に追いやり、ご丁寧に出口を塞いですべての駒を石化させてしまう。創り物らしい魅力にあふれた作品である。

2009年12月10日

冷たい雨

朝はどんよりとした曇天。昨日はカーテンを開けるとさっと陽光が飛び込んできたのだが、今朝は部屋がほとんど明るくならず、しばらく電気をつけていなければいけないほどだった。雨になるのは間違いなかった。

日中は4年生の卒業研究の様子を見る。一時期はどうなるかと思ったが、やや光明が見えてきた感じ。ただ、まだまだ予断を許さない状況だ。その後は自室でレポートの採点など。

大学を出るころにはやはり冷たい雨が降っていた。本当はこういう日はさっさと家に帰りたいのだが、トイレットペーパーとゴミ袋の備蓄が底を突いており、早く補充する必要があったので買い物に立ち寄る。買うべきものを買って折りたたみ傘を開こうとすると、いつの間にか骨が1本折れているのに気づいた。いつこうなったのだろう。さっき車に乗り込むとき、水滴を落とそうとバシャバシャ振ったのがいけなかったか。ともあれ、左手に鞄と買い物袋、右手にトイレットペーパーと折れた傘を持って急いで歩く。傘の骨が1本折れているだけで、何だか刀折れ矢尽きた落ち武者のような気分になるから不思議である。明日も雨らしいから、折りたたみでない大きな傘を持っていこう。

2009年12月09日

ペダルの復調

日曜日にヤマハに行って電子ピアノのペダルの不調を修理してほしいとお願いしておいたら、翌日に修理担当者から電話がかかってきた。
「ペダルを踏んでいても音が消えてしまうことがあるということでしたが……」
「ええ、そうなんです」
「まず、鍵盤の裏側からペダルを制御するコードが出ていると思うんですが、それが抜けかけているということはありませんか?」
鍵盤の下をのぞき込み、PEDALと書かれた穴にささっているコードを確認する。さわってみたが、ガッチリ差し込まれているようだ。
「ちゃんとささっているみたいです」
「そうですか。ではペダルの下にあるアジャスタがゆるんで位置がおかしくなっているということは……」
「あ、それは確認しました。大丈夫でした」
「そうですか、そうなるとやはり故障が考えられますので、部品の交換という形になりますかねえ」
その部品の値段は決して安くはなかったが、今のままの状態で弾き続けるわけにはいかないのは明らかだった。その部品を取り寄せる必要があるとのことだったので、それが届いてから改めて修理の日取りを相談しようということになった。

ところが、そのとき以来、どうもペダルの調子がだいぶよくなったのである。百パーセントというわけではないが、前に頻発していた音消えがほとんどなくなってしまった。要するに原因はコードの微妙な接触の問題で、あの電話の最中にコードをさわったことで状況が改善したのではないだろうか。これくらいなら、練習するにはさして支障はない。せっかく取り寄せてもらったので修理の方には悪いが、次に電話がかかってきたときに、やっぱりキャンセルしたいと言おうかと思い始めている。

2009年12月08日

スヴィドリガイロフのコート

めっきり寒くなった。家のマンションの脇にある桜の木も、最後まで頑張っていた葉がついに力尽きたようだ。朝は0度近く落ちる日も増えてきて、昨日からはたまらずコートを着込んで出勤している。手先がすぐ冷えるので手袋も必需品だ。これから3ヶ月くらいはこの格好で出かけることになるだろう。

今着ているコートは膝丈くらいまである黒のロングコートで、外套という言葉が一番しっくり来るタイプである。これを買ったのは広島に来てからだが、実家にいるときは紺色の同じようなコートを愛用していた。父からのお下がりだったが、サイズがちょうどよかったため、高校生のころぐらいからずいぶん長い間着ていたように思う。私はどちらかといえば身長が低い方だが、下まで真っ直ぐ伸びたコートを羽織っていると、それだけでちょっとすらっとして背が高くなったような錯覚を味わうことができた。だから冬にそのコートを着るのは、私にとってささやかな楽しみだったのである。

高校生の冬のある日、私はいつものようにそのコートを着ていった。天体観測がそのころの第一の趣味だったので、放課後はいつも地学部の部室に行くのが日課だったが、あるとき、地学部にいた同学年の女の子の一言は今でもよく覚えている。曰く「斎藤君のそのコート、何か『罪と罰』に出てくるあの人イメージしちゃうんだけど。あの最後に死んじゃうあの人……あ、そう、スヴィドリガイロフ」。これは思ってもみなかった発言だった。似合っている、いないとか、かっこいい、悪いとかではなく、スヴィドリガイロフのイメージだ、という寸評をもらったのである。普通に考えれば、あの怪しげな人物を想起させるというのはあまり肯定的なコメントではない。ただ時間が経つにつれ、私はこの「スヴィドリガイロフみたい」という評価がすっかり気に入ってしまった。このコートを着ることで、謎めいた得体の知れない感じが出て、実態より奥の深い人間に見えているということではないか。ルーク・スカイウォーカーよりもダース・ベイダーに魅力を感じるのと似たようなものかもしれない。少なくとも、「ラスコーリニコフをイメージする」と言われるよりはずっといい。

そんなわけで、そのときからそのコートは私にとって「スヴィドリガイロフのコート」になり、ますます着るのが楽しみになったのだった。やがてそれはくたびれてしまって着られなくなってしまったが、今のコートも着込むたびに、ちょっと怪しい人物に変身するような気分になれるのである。

2009年12月06日

買い物など

夕方、市街地まで車で出かけるとヤマハに赴いた。以前に書いた電子ピアノのペダルの不調がいよいよひどくなってきて、弾いているとしょっちゅう音がふっと消えてしまうのである。さすがにこれでは練習に支障をきたすので、修理してもらうことにしたのである。今日は修理担当者が不在とのことで、後日あらためて日程を相談することになった。土日を使うしかないだろうが、今年中には直してしまいたいところだ。

それから買い物。本屋では将棋世界の最新号を購入。紳士服売場を通ろうとしたら、この間はとうとう見つからなかった39-78のワイシャツが何着か置いてある。これはいいと2着ほど買ったら、5,000円のお買い上げにつき500円を還元するセールを今日までやっていると言われ、商品券を1枚もらってしまった。ラッキー。その後、東急ハンズまで歩く。文具売場で来年の手帳と折紙用に雲竜紙を1枚買った後、取り寄せてもらっているカラペについて一応聞いてみたが、まだ時間がかかりそうとのことだった。

今日はもう一つ、広島将棋センターにも用事があった。今年の4月に行われた詰将棋解答選手権では広島の地域責任者をつとめたが、来年もやってもらえないかと主催者側から打診を受けており、広島将棋センターに協力をお願いしに来たのである。幸い席主のTさんには快諾していただき、会場などを今後相談していくことになった。じゃとりあえずそういうことで、と帰ろうとしたとき、Tさんが「そうじゃ、今日北九州からここに何人か来とったんですが、その中に詰将棋作家の方がおられましたよ。Hさんいう方」とおっしゃる。Hさんといえば自在に合駒を操る一流作家。2年半前に詰備会の席上で一度お会いし、その場で拙作に有益なアドバイスをしていただいたことがある。せっかく来広されていたのにすれ違いになってしまった。「1作置いていかれましたよ」とTさんが作品を見せてくれたので、コピーをもらって失礼し、近くの店で定食を待つ間に考える。店員の「お待たせしました」の声とともに詰んだ。軽作だが、うまくまとめるものだ。

いろいろ用事をすませ、9時過ぎに帰宅。

2009年12月05日

久しぶりの休日

久しぶりに何の予定もない土日である。先週は演奏会とチェスで関西に出かけたし、その前は高知出張だった。もちろんそれらは楽しみなイベントであったし、実際充実した時間を過ごすことができたのだけれど、平日と同じかそれより早くに起きなければいけない日が何週間も続くというのは、夜更かしばかりしていて慢性的に睡眠不足の人間にはなかなかしんどいことなのである。やっぱり、ときどきはこうやってゆっくり寝ていられる日が挟まってくれないと身体が持たない。

というわけで寝坊できる幸せをたっぷり享受した後、11時近くになってようやく起き出す。お昼をすませ、午後は床屋に行って散髪。1ヶ月半に1回くらいのペースで髪を切っているので、次に行くのはもう年明けだろう。戻ってくると今度は部屋で折紙用の紙を作る。アルミホイルにスプレーのりでカラペを貼りつけた後、慎重に寸法を計測して紙を切り出す。スプレーのりの吹きつけ方がやや不均一でよく見るとわずかな色ムラができてしまったが、紙の裁断はまあまあ無難にいった。

夕方からは勤務先に出かける。うちの講座のサーバの移行作業をするためだ。新サーバはもう何ヶ月も前に届いていて、管理者として早く作業をしなければいけなかったのに、長い間先延ばしにしていたのである。平日にやって何かトラブルが起きるといけないので、こうやって誰も来ていないときに出てきたわけだ。あれこれいじること2時間あまり、幸い何事も起きず作業は無事終了した。ずっと気にしていた懸案事項が一つ解決してホッと一息。近所で夕飯をすませて8時過ぎに帰宅。

2009年12月04日

インクまみれの手

うちの大学はごく一部の部屋を除き、ほとんどの教室の正面にあるのはホワイトボードである。今の時代、数学科とそれに近い分野の建物を除けば、黒板はだいぶ少なくなってきているのではないだろうか。ホワイトボードでも構わないのだが、困るのはペンがすぐにかすれてきてしまうことだ。学生から「ノートがとりにくい」と文句を言われないよう、字を大きめに書いたりするなど気をつけてはいるのだが、肝心のペンが書けなくなってしまってはどうしようもない。だからどうしても何本も用意していく必要があるのである。

今日は午後に講義があったのだが、持って行ったペンがすぐに元気をなくしてしまった。早速ペンを変えるが、これがまた力ない足取りである。困ったなと思って教卓の下をふと見ると、使い古しのペンが何本が転がしてある。この中にまだ使えそうなのがあるかもと思い、しゃべりながらペンを取り出して蓋を開けた。
「……えー、これね、多項式環っつうやつだけどもね、これがね……うわっ!」
思わず声を上げたのは、もちろん多項式環に驚いたからではない。ペンの蓋を開けた瞬間、中のインクが大量に飛び散ったのである。どうもペン先からインクが漏れだして蓋の中一杯にたまっていたらしいのだ。おかげで手は広範囲にわたって真っ黒である。服にかからなかったのは幸運だったというほかない。結局その後は、かすれ気味のペンをインクまみれの手で持って続けるしかなかった。

講義が終わった後に洗面所でかなり念入りに手を洗ったが、爪の中に入り込んだインクはどうしても取れなかった。帰宅してからさらにしつこく洗ってみたものの、爪の奥の黒ずみは頑として消えない。これは少し時間がかかりそうだ。こういうことがあると、やっぱり黒板とチョークの方がいいなと思ってしまうのだった。

2009年12月03日

Leonid Kubbel's Endgame Study No.112


2009年12月02日

カラペの値上げ

難しい折紙を折ろうとするとき、市販の折紙用紙を使うとたいてい負担に耐えられなくて紙が破けてしまう。厚い紙を使えば破れにくくなるが、そうすると何度も折り重ねることが難しくなる。そこで手強い作品を折るときには、アルミホイルにカラペと呼ばれる薄い紙(包装用に使われる)を貼りつけて使うことにしている。こうするとそれほど厚くならず、それでいてコシが強くなるのだ。手間はかかるが、折りやすさを考えれば必要な作業である。

カラペは以前まとめ買いしたのだが、残りが少なくなってきていた。そこで昨日、前に買った街中の東急ハンズに電話して、ほしい色のカラペの在庫があるか聞いてみた。調べてもらった結果、返ってきたのは意外な答えだった。
「こちらの商品ですね、すでに製造中止になっておりまして……」
「えっ、本当ですか?メーカー側にももう在庫はないのでしょうか?」
「どうでしょう、今日はちょっともう遅いので……お調べして明日ご連絡いたしましょうか?」
「はい、お願いします」

ここまでが昨日の話。今日帰宅してすぐ、また電話がかかってきた。
「お尋ねの商品なんですが、リニューアルされたものが出ているようです」
「ああ、そうでしたか」
「前は30色あったんですが、今度のは10色くらいになりましてですね。あと、前のは636mm×939mmだったのが、545mm×787mmになってますね」
「値段は?」
「値段は前と同じです」
幸い、こちらがほしかった色は引き続き発売されていたので取り寄せをお願いしておいた。しかし色数を減らしたのは明らかにコスト削減だし、大きさを小さくしたのに値段は据え置きということは、要するに値上げである。ラッピング用品の業界にも不況の波は確実に押し寄せているのだなあと、思わぬところで今の社会情勢を実感してしまったのだった。

2009年12月01日

エスプレッソの季節

あっという間に師走である。2009年があと1ヶ月で終わってしまうとはちょっと信じ難い。今年もまた何事もなし得ず、ただ徒に時を過ごしただけで終わっていくのだなあ、と空しい気分にもなるが、せめてこの1ヶ月、時間を有意義に使いたいものだ。

Espresso2009.jpg先月の中旬くらいから、また勤務先の自室でエスプレッソマシーンを稼働させ始めている。だいたい11月中旬から春先くらいまでが、自分にとってのエスプレッソの季節であるようだ。以前はうまくクレマが出ずにいろいろ試行錯誤していたものだったが、結局豆の細かさがよいクレマを出す決定的な要素だと気づき、それからはいつもスタバでエスプレッソ用の豆を少量だけ細かく挽いてもらうようにしている。少量なのは、粉にした豆を長期間置いたままにして酸化させてしまわないようにするため。飲むのは自分しかいないのでペースが遅く、市販の粉を買ってくると使い切るのに時間がかかりすぎてしまうのである。

もっとも、こういうのは凝り出すときりがない。例えばタンパーだ。タンパーというのは、エスプレッソマシーンのフィルターに粉を詰める際に上から押し込むための道具である。粉がどれくらい強く、また均等に押し固められているかで抽出されるエスプレッソの仕上がりは大きく変わってくる。自分はエスプレッソマシーンに付属しているちゃちなタンパーでぐいぐい押しつけているだけだが、カナダにはReg Barberというタンパー専門のメーカーがある。材質や圧縮面の曲率などが異なる様々な種類のタンパーが売られており、高いものでは数万円もするのだ。こういういい製品を使って粉を押し詰めれば、きっとさらにおいしくできるに違いない。

ただこんなものを使うのなら、エスプレッソマシーン自体もそれに見合うような本格的な製品を買わなければ意味がないだろう。さすがにそこまでしようというエネルギーはない。まあ当分は、安物のマシーンとちゃちなタンパーでそれなりにおいしいエスプレッソを楽しむということにしようと思う。