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リーマン予想の番組

遅ればせながら、リーマン予想に関する番組を見た。先月放送されていたものの再放送を、昨日の夜半過ぎにやっていたのである。昨日届いてセットしたばかりのテレビにハードディスクを接続したので、ちゃんと予約録画をしておいてくれるかのテストを兼ねていたのだが、問題なく録られていた。

数学の難問を専門家以外に説明するという番組は、2年前のポアンカレ予想に関するものに続いて2回目だと思うが、こういう番組が続けて企画されるということは、それなりに社会の関心はあるのだろう。実際、今回の番組の反響も結構大きかったらしい。たださすがにリーマン予想を説明するというのは厳しいタスクだったようで、ちょっと無理をしている感じは否めなかった。いくら耳に優しい言葉を増やしたりそれらしいCGを駆使したりしても、「非自明な零点」とは何のことか、ある程度数学に慣れていないと何のイメージも浮かばなかったのではないか。またこの予想と実社会との関係を強調しようとするあまり、「リーマン予想が解かれると素数の性質がすべて分かってしまうので、インターネット上で使われている素数を利用した暗号(RSA暗号のことだろう)も使えなくなってしまう」というような説明がされていたが、リーマン予想が解かれてもRSA暗号の強度には影響はないような気がする。もっとも自分が見たのは45分の短縮版なので、1時間半のフルヴァージョンではもう少し違う解説がなされていたのかもしれない。

数学に限らず、ある程度専門性がある内容を一般の人向けに紹介する番組というのは、その分野に詳しい人には見るに堪えない内容であることが少なくない。だいたい見終わって思うのは、「あれを紹介しないなんて考えられない」、「そんな説明では誤解されてしまう」、「何で無関係のこんな人が出てくるのか」というような感想である。実際それらはみなその通りであって、不特定多数を相手に何かを説明しようとすると、どうしてもその内容は歪められてしまう。本当は、数学と縁遠い人を相手にリーマン予想が述べている問題の内容を正確に説明して理解してもらうことなど、明らかに不可能なことだ。だからどこかにごまかしを、というより説明のほとんどすべてをごまかさなければならない。このごまかした説明をするというのが、また数学を生業とする人間が一番苦手とするところなのである。ごまかしが厳密な意味で一切存在しない、ということ自体がまさに数学が数学たる所以であるからであり、ごまかしてしまったらもう説明しているものは数学ではなくなってしまう(と多分多くの数学者は感じる)のだ。しかしだからといって説明を拒むと、あいつらは無意味な机上の空論を勝手にやっているわけの分からない連中だ、ということになってしまう。ジレンマである。

だから、たとえ解説が少々的外れで内容が実際から歪んでしまっていても、こういう番組で曲がりなりにも数学について紹介をしようとしてくれていることは、大変ありがたいと思わなければいけないと感じたのだった。

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コメント

見たかったですが、見逃しました。

「ごまかす」でちょっと思い出したことがあります。
「ごまかす」⇒「柔軟性」に近い話かもしれませんが、
お伺いしたいことがありまして。


 1=0.9999…

これについては、様々な証明方法があり、一応は理解しているつもりです。

で、0.9999…を「日本語」で説明するとなると
『限りなく1に近づく数』 となりますよね?

『限りなく1に近づく』 は 「いつかは1になる』 ではなく
『限りなく1に近づくけど、いつまでたっても1にならない無限小数』 という表現が正しいと思いますが


そうなると、『1にならない』 と言ってるのに
0.9999…=1というように「=」を使用している、
何だかつじつまを合わせているように思えてならないのです。。

他にもお聞きしたいことがありますがコレを解決したいんです。

すみません、、、ご教授ください。

ここ数ヶ月、ずっとこれで悩んでいます。

私も録画しましたが、まだ見ていません。
明後日には何とか見られそうですが。

> やなさん

忙しいとなかなかテレビを見ている時間もありませんよね。

> ひらひらさん

1=0.999...の話は昔から常に興味と関心の対象になりますね。
証明とされるものはいくつもありますが、多くの人はその証明を聞いても、
「それでも1と0.999...が等しいなんておかしい」と言います。これが真に等しいと心から思えるためには、
実数とは何か、極限とは何かということを深いレベルで理解しなければなりません。
それは結構難しいことなのです。実際、こういうことが数学の言葉として完全に確立されたのは
19世紀に入ってからのことで、だから数学者にとってもそんなに簡単なことではなかったんですね。

「限りなく1に近づくけど、いつまでたっても1にならない無限小数」
と表現されましたけど、「限りなく近づく」とはどういう意味でしょうか?
言い換えるなら、どういうときに「限りなく近づく」といっていいのでしょうか?
「いつまでたっても1にならない」とはどういう意味でしょうか?
その意味に少しでも曖昧さが残っていると、どうしてもこの式がおかしく思えてきてしまうんですね。

「いつまでたっても」と言っている瞬間、頭の中では0.999...ではなく、
連続している9がどこかで終了している0.999...9という数を考えてしまっているのです。
その数はもちろん1と等しくはありません。でも今考えているのはその数ではないのです。
「いつまでたっても」の「いつ」はないのですよ。それが「限りなく近づく」ということなのです。

まあこういう話は、こう言えば誰もが納得するという完璧な説明はありません
(もちろん数学的に完全な証明はありますけど、それと人の理解とは別の話なので)。
誰かが「なるほど」と思う説明でも、他の人が納得してくれるとは限りません。
というより、ほとんどの人はどんな説明をしても心から納得はしないんですね。
そこが難しいところです。

ため息が出ました。。。じ~んときました。そういうことなんですね、目からウロコです。

もし、私が高校の時の微分積分を怠らずにしっかり勉強していれば、もうあと少し、入り口だけでも、数学的な完全な証明に触れるチャンスがあったかもしれません。

受験前のあの3年間は人生で一番勉強をしていなかったし、あ~今更ですが、人生で初めて後悔しています。何という事か。

ナッツーさんに直球でお伺いしますが
今から数学の勉強をやり直すっていうのは、遅いですか?ピアノのように大人になってからやりたいと思っても、もう遅いですか?もちろん趣味としてですけれど。

何だか月並みな言い方になってしまいますが、何にせよ始めるのに遅すぎるってことはないでしょう。
もちろん現代数学をまともに修得するのは時間がいくらあっても足りませんが、
ちょっとした頭の体操として楽しむのなら、自分でやりたいと思って勉強する分、
受験時代よりモチベーションがあって面白く感じられるのではないでしょうか。

うわ~、新年を迎えるにあたり、何だかわくわくしてきました。
来年の趣味はまぎれもなく数学になりそうです。

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