« 2010年02月 | メイン

2010年03月31日

ブログ移行

どうも作業に手間取って時間がかかってしまったが、新年度になるこのタイミングでサーバを新しいマシンに移行させようと思う。それとともにこのブログも更新はこのエントリをもってストップし、4月からは別に立ち上げたブログを使いたい。新ブログは

http://monsieur.ddo.jp/newblog/

である。当初は今のブログを使い続けるつもりでいたのだが、サーバ引っ越しの際に今までの環境を構築し直すのが思いの外面倒だったうえ、すでにエントリ数が1300を超えて毎日の更新やコメントの書き込みにかなり時間がかかるようになっていたので、ここらで一度リセットしてしまおうと思った次第。ただ内容はこれまでと何も変わらない。相変わらず、私の日常生活 (Ma vie quotidienne) をだらだらと書き連ねるだけである。

なお、こちらの旧ブログはサーバ移行後のメンテナンスでうまくいっていない部分があるので、コメントの書き込みなどがうまくできなくなっていると思われる。当分の間は新ブログの方の環境整備に重きを置きたいので、ご了承を。

2010年03月29日

失せ物出る

久しぶりに勤務先へ。到着してすぐ、ちょっとよいことがあった。先日東京に出張する際、探し物をしていたせいで出発が遅れてしまったが、そのとき探していたものが出てきたのである。出張から戻った日にあらためて家の中を探し回ったときにも見つからず、これは困ったことになったと思っていたのだが、何のことはない、勤務先になぜか持ってきていたのだ。道理でどこにもないわけである。仕事とは全く関係ないものなのに、どうも部屋の掃除をしているとき他の書類とクリアファイルにまとめて鞄に突っ込み、それを勤務先で取り出してしまっていたらしい。出張中ずっと気になっていたので、この件が解決したのにはホッとした。

それにしても今日は寒い一日だった。天気はよいのに、風の冷たさは3月末とはちょっと思えない。三分咲きから五分咲きというところの桜も心なしか勢いを削がれているように見えた。

なお、これから数日のうちに自宅サーバを移行させる予定。このブログも合わせて新調するつもりでいるが、各種設定の細かい点が詰め切れていないので、作業中は表示がおかしくなったりコメント投稿ができなくなったりすることもあると思われる。落ち着くまでしばらく待たれたい。

2010年03月28日

参加者獲得の現場

夕方から車で市街に出る。本を買ってから広島将棋センターへ。いよいよ今年の詰将棋解答選手権が今週の土曜日に迫ってきたので、席主のTさんと簡単に打ち合わせをする。当初は参加申し込みが少なく、このままではずいぶんさびしいことになると心配していたのだが、将棋センターの方で積極的に宣伝していただいたことから、いつの間にか去年並みの人数まで参加者が増えてきた。これならさまになりそうだ。さらに打ち合わせ中にもTさんは参加者増やしの手を緩めず、対局を終えてソファに座っていた中学生の子に声をかけた。
「(チラシを渡しながら)今度の土曜日に詰将棋解答選手権いうのあるけぇ、どう」
「詰将棋?お父さんが出てええ言いよったら出る」
「そうか。お父さんまだおるじゃろ。うん。(電話をかける)……ああどうも、将棋センターのTです。えーとですね、今度の3日にですね、詰将棋解答選手権いうのをやるんですが、ええ、初級戦と一般戦で詰将棋を試験みたいに解く、ええ。ほいで聞いたら、お父さんがええ言うたら出る言うてますけど、ええ。600円です。……ああ、いいですかね。はいはい、はい、じゃそういうことで、はいどうも。(受話器置く)お父さんええって。初級戦と一般戦両方出るんでいいな」
「うん」
「(こちらに向かって)じゃ、彼も参加ってことで」
というわけで、目の前で新たに一人参加者が増えてしまった。やっぱり将棋センターの協力は実に大きい。この分だと、今年は去年の参加者を上回ることもできそうだ。

2010年03月27日

帰宅

連日ぐずついた天気が続いていたが、ようやく陽光の差す一日になった。何も予定がないのをいいことに惰眠を貪り、日が高くなってから起き出す。お昼をすませた後、BSでA級順位戦最終局の模様をまとめたドキュメンタリーをやっていたのでずっと見ていた。見終わって一服したところで出発。やはり年度末の土曜日、新幹線は混んでいた。

帰宅すると、チェス協会から来年度からの会員証が届いていた。出張前に年会費を振り込んでおいたのである。しかしカードに印字されているのは「斉藤」の文字。またかとうんざりする。数ヶ月前、詰将棋解答選手権の会場予約に関して利用申請をしたときも、いったんは「斉藤」で登録されてしまったのだった(これは後日訂正してもらった)。相変わらず、世の人の多くは「斎」と「斉」の区別がつかないようである。自分には「川」と「河」くらい違った字に見えているので、どうしてこう人が取り違えるのか不思議に思えてしまう。対応してくれるのかどうか分からないが、とりあえず再発行をお願いするメールは送っておいた。

2010年03月26日

数学会年会三日目

今日も数学会年会へ。曇り空だったが、3日目にしてやっと傘を差さずに出かけることができた。昨日に続き今日も武蔵小杉経由で日吉に向かう。今日は午後の講演だけ聴くつもりだったので、着いたときにはもうお昼近くなっていた。矢上キャンパスまでてくてくと歩き、ようやく会場に到着したところで同期だったT大のK君とA大のN君と出会った。昼飯を食べに行くところだというので同行させてもらうことにしたが、この周辺は食堂以外に店らしい店がないとのことで、また日吉駅周辺へUターン。もちろん食べた後はまた会場に行ったから、今日は駅とキャンパスの間を2往復もしてしまった。

午後は代数学賞の授賞式と受賞講演に出る。2つの講演が終わると今日はすぐ帰路に就いた。外に出るとまた少し小雨がぱらついている。どうもこのところ天気が悪くていけない。歩くこと自体は苦でないが、雨が降っているとやはりこのキャンパスから駅までの道のりは少々長く感じる。歩きながら、ふとハリイ・ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」を思い出した。作中においてキーとなるのが、「9マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ」という台詞である。9マイルどころか、1マイルでも十分遠いよ、と思わずにはいられなかった。

広島には明日戻る予定。

2010年03月25日

数学会年会二日目

数学会年会の二日目。今日も冷たい雨だ。今回東京に出てくるまで知らなかったが、2週間ほど前に横須賀線の武蔵小杉駅が開業したらしい。せっかくなので、今日はそこで東横線に乗り換えて日吉に行くというルートを試してみた。正直なところ、乗り換えにあれだけの距離を歩かせて同じ駅名というのはちょっと無理があるような気がする。とはいえ、実家から乗り換えも1回ですむし、これまでより楽に日吉に行けるようになったことは確かだ。明日もこのルートで行ってみよう。

学会の方は、昨日買いそびれたアブストラクトも無事入手し、午後からは春季賞授賞式と総合講演に出席する。終了後、Fさんとご一家と落ち合って五反田のレストランで夕飯。いろいろお話しできて楽しかったが、途中で泣き出してしまったお子さんは、お父さんとお母さんを取られたような気がして面白くなかったのかもしれない。10時少し前にお別れして帰路に就いた。

2010年03月24日

数学会年会一日目

朝方に家を出て数学会年会の開かれているK大に行くつもりだったが、捜し物をしていたため予定より出発がだいぶ遅れる。広島駅に着くとちょうど数分後に新幹線が入ってくるところだったので、駅弁は車内で買うことにして急いで乗り込んだ。ところが中は大変な混雑。座ることはできたものの、通路には人が立ち並んでいて、これではワゴン車がやってきそうもない。腹が減ってきたので、意を決して1号車から人をかき分け歩いていった。すぐワゴン車に出くわすだろうとの思惑は外れ、グリーン車の9号車まで歩く羽目になる。ちょうど俳優の草刈正雄とおぼしき人物がコーヒーを買っているところだった。他人の空似かもしれないが、グリーン車だから本人だったのかもしれない。弁当を買うとまた長い道のりを歩いて戻った。

新横浜で新幹線を降り、電車を乗り継いで日吉にようやく到着。会場が矢上キャンパスで駅から少し遠く、冷たい雨の中、重い荷物を持って坂を上り下りするのはちょっと応えた。すでに一般講演もあらかた終わってしまっていたので、今日はアブストラクトだけでも購入しておこうと販売所に行ったら、扉に「本日終了」の貼り紙。銀行じゃあるまいし、こんなにさっさと店じまいしなくてもよさそうなものだ。捜し物といい新幹線のことといい、どうも今日はいろいろツイていない。何だか疲れるために行ったような形になってしまった。

夜はQ大のT君と落ち合い、横浜で夕飯。9時少し前に別れた。

2010年03月23日

謝恩会

まだ早いうちにいったん勤務先を引き揚げ、車を家に置いてからバスで街中に出る。今日は平和大通りに面したホテルで、所属する講座を卒業する4年生による謝恩会が開かれるのである。あいにくの雨の中、バスセンターから急ぎ足で会場に向かった。

謝恩会には一昨年去年と出ているが、今年は一昨年と同じ会場だった。最初に教員一同が並んで拍手を受け、学科長らが挨拶と乾杯の音頭をした後、しばらくは立食パーティーの時間。腹が落ち着いたところで余興の時間になる。毎年、その学年で元気のいい学生が司会をしてビンゴやクイズをし、上位入賞者に賞品が出るという企画をやるのだが、今年は講座対抗戦で2択クイズを何問も出題し、全問正解者の人数が多い順に賞金を出す、とのこと。ところが、出す問題が「うちの大学の食堂の名前は何でしょう?A. ピアロット B. カカロット」などという自明なものばかりで、何問やってもみんな正解してしまって差がつかない。企画した学生は面白いと思ってやったのだろうが、ちょっと空回りしている感は否めなかった。謝恩会に限らず、例えば結婚式の2次会などに出たときにも思うのだが、無理やり場を盛り上げようとして何か企画するくらいなら、最初から最後まで各自ご歓談ください、としてくれた方がよっぽど楽しめると思う。場を盛り上げる、というのは話術の要求される難しい仕事で、「イエーイ」と言っていればいいわけではないのだ。もっとも、そんなことを思ってしまうのも年をとった証拠だろうか。

終了後、うちの講座に所属していた学生と喫茶店に行ってもう少し話す。10時過ぎに散会。

2010年03月22日

連休終了

昨夜はかなり遅い時間までY君とチェス談義をしていたため、今朝は少々起きるのがつらかった。トースト、ベーコンエッグ、イチゴとヨーグルトの朝食をすませ、また少しチェスの話をする。オープニングにしてもエンディングにしても、並べ出すとすぐ時間が経ってしまう。気がつくと彼の新幹線の時間が近づいてきたので、車で広島駅まで送った。今日は岡山に泊まり、明日東京に戻るとのことだった。

この三連休は山登りにチェスと好き勝手に遊んでしまったが、最終日の今日はおとなしくしていることにし、広島駅から戻ると午後はずっと家にこもっていた。やっていたのは主に楽譜の校正作業とサーバの準備作業。楽譜校正はいよいよ最終段階に入った。自分の担当する楽譜は今回分が最後のはずである。一通り目は通したので大丈夫だろう。

明日は大学では卒業式がある。K大で行われる春の学会に行くため、明後日は東京に移動するつもり。

2010年03月21日

チェス三昧

今日はまた朝から快晴。昨晩荒れ模様だったのが嘘のようだ。ただし風は強め。午前中は部屋の掃除をしつつ、NHK杯将棋トーナメントの決勝戦を見る。準決勝まであれだけ早指しだった糸谷五段が、羽生名人相手には妙に慎重になって持ち時間を使っていた。結果は羽生名人の勝ち。

午後はまず床屋に出かけ、さっぱりしたところで車を出して出発。まずは横川の近くにあるファミレスで、先月に引き続きHさんとチェスを指す。今回は持ち時間も30分+30秒とトーナメント並みの長さに設定し、かなり本格的に指してみることにした。早い段階で駒得したので、これは手なりで指していけば何とかなるだろうと安心していたら、突然一発逆転のメイトのラインがあることに気づいてぎょっとなる。何とか切り抜けて勝てたが、もしもっと短い持ち時間で指していたら、間違いなく引っかかって負けていただろう。これだからチェスはこわい。どうも自分にはビショップの展開が遅れたまま居玉で戦いを始めてしまう傾向があり、しばしばキャスリングできないまま危険な形に追い込まれてしまう。チェスにおいても、やはり「居玉は避けよ」である。終了後は、たっぷり感想戦を楽しんだ。

Hさんと5時半頃お別れした後、広島駅に移動。ここでピアノの会同期のY君と落ち合う。彼は出張で岡山に来ており、せっかくだからと広島まで足を延ばしてくれたのだ。駅構内のお好み焼き屋で夕飯をすませた後、車で自宅にご招待する。彼はチェスの強豪でもあり、すでに年明けに指して見事に負かされている。家に着いてから早速チェス盤を出してきて、お互いが最近指した対局を並べ合って検討。その後ベルリンディフェンスの一変化について、対局と検討を兼ねたような形で指してみる。かなり突っ込んだところまで研究することができ、非常に有意義であった。今晩は彼に泊まってもらい、明日広島駅で送り届けるつもり。さて、今夜はもう少し語ろう。

2010年03月20日

七国見山に登る

早朝から車で出かける。昨日の打ち合わせ通りI先生と合流すると瀬戸内海に浮かぶ島、上蒲刈島にある七国見山に向かった。これまで登った山と比べると少し遠く、国道31号線で呉まで出て、さらにそこから国道185号を通って広市街も抜けて行かなくてはいけない。だいぶ早起きしたつもりだったが、それでも登山口のあるウォーキングセンターにたどり着いたときには9時を回っていた。幸い天気は雲一つない快晴である。

登りだして最初の数十分はかなりきつい登りが続き、たちまち息が切れてしまったが、ところどころで振り向けば、眼下に広がる美しい瀬戸内海を見渡すことができた。特に、中間点あたりにある西楽寺を過ぎたあたりにある展望ポイントは、「ルート随一の展望」とガイドにあった通り素晴らしい眺望で、しばしその場でたたずんで景色を楽しんだ。波打ち際の海は見事なエメラルドブルーで、そこから遠くや視線をやると少しずつ青はくすみを増し、はるか彼方では境界線も見あたらないまま空と同化してしまっている。本当なら四国の石鎚山まではっきり見渡せるらしいのだが、そこはやはり春霞の季節である。聞こえるのは遠くでさえずる鳥の声だけだ。ふいに先月帰省したときのことを思い出した。満員電車で荷物と引き離されそうになり、額の汗をぬぐうこともできずにただつり革をにらんで耐え続けていた時間である。眼前に広がるこの景色との対比はどうであろう。こうして青い空気を心ゆくまで吸い込んでいると、あれは何か別の世界で起きていたことのような気がしてくる。

NanakunimiPanorama1.jpg

NanakunimiPanorama2.jpg

七国見山は標高457メートルで、10時半頃に山頂に到着した。残念ながら山頂は樹木が生い茂っており、それほど眺望はよくない。どうもこの山の名称は、七つの国が見えるという意味ではなく、七つの国から見えるということらしい。一休みしてから西側のルートを降り、南側の斜面を伝うように延びた道をてくてく歩いてウォーキングセンターまで戻ってきた。

そこから車で近くの県民の浜と呼ばれるところまで移動し、少し遅い昼食をすませる。ここには温泉の施設もあるので、ゆっくり入って汗を流した。さっぱりしたところで帰路に就く。天気予報の通り、帰り道の途中でだんだんと雲が増し、5時半頃自宅にたどり着いたときにはポツポツと降り出したのだった。

夜になって雨が雷雨となり、そのせいでまたルータが壊れてネットワークが不通となる。先ほどようやく復旧。

2010年03月19日

29071km

午後にI先生が部屋を訪ねてきたので、明日行く予定にしている山登りについて少し相談する。天気予報では明日は午前中は晴れ、午後は曇り、夕方からは雨とのこと。遅くなればなるほど悪くなるようなので、なるべく早く行動を起こして登ってしまおうということになった。

その後、I先生の研究室に移動し、隣の部屋に置いてある電子ピアノを見せてもらった。I先生の研究室の学生さんで研究にピアノを必要とする研究テーマを選んだ方がおられるそうで、その関係で最近納入したものだという。せっかくなので少し時間をもらって練習させてもらった。次回の演奏会で出そうと思っている曲の譜読みがまだ全然終わっていないのだが、もしときどきここにお邪魔して進められればずいぶん助かる。だが新学期が始まれば、そんな時間はとてもとれそうにない。

6時半頃に大学を出る。この間の雨で車体がずいぶん汚れてしまっていたので、ガソリンスタンドで洗車してから帰った。そういえば、今の車がうちに来たのが5年前の3月20日。5年目の車検はすでに先月すませているが、納車日から数えればちょうど今日で丸5年経ったことになるわけだ。帰宅した時点での総走行距離は29071km。1年につき5800kmちょっと走っていることになる。車社会広島にあってこの数字はかなり少ない方と思われるが、何しろ家と勤務先の距離が近いので、普段の生活ではほとんど増えないのだ。まあ来月からはまたH大へ毎週行くことになるから、少しペースは上がるだろう。

2010年03月17日

キャスリングとアンパッサン

FabelSteudel.pngこの間の問題について。問われているのは1手詰がいくつあるかであるが、要するにこの配置からキャスリングとアンパッサンについて考えればよいことになる。もし白がここでキャスリングできるなら、1.0-0-0#も解になるし、もし黒が直前で...e7-e5と指したなら、1.dxe6#とする手も解になるからだ。

まずキャスリングについて。これは白のPの様子から分かる。白のPは8個とも生き残っており、この配置になるためには黒の駒を14個取ることが必要になる。つまり生き残っているKとP以外の14個は、すべて白のPに取られたわけだ。そうなると、問題になるのは最初a7にいた黒のPだ。白の駒は1つも取られていないので、a列のPは列を変えることなく真っ直ぐ進んだはずだが、Pの配置から白による駒取りはa列では起きていないはずだから、それが白のPに取られるためには、一度他の駒に昇格しなければならない。だからa7のPはa1で何かに成ったことになる。これはすなわち、現在a1にいる白のRが動いたことがあることを意味する。したがって、白はキャスリングできない。

もう一つはアンパッサンである。これはつまり、黒がたった今指した手が何だったかを明らかにすればよい。まずd3やc5には白の駒が複数利いていることから、最終手はKを動かす手ではなかったことはすぐに分かる。だから黒はPを動かしたのだが、白は何も駒を取られていないのだから、Pはe7から来たか、e6から来たかのどちらかだ。ここで大事なことは、黒がPを動かす前に黒のKにはチェックがかかっていたということである。チェックをかけているのはh8のBだが、問題はどうやってBがKにチェックをかけるに至ったかということだ。こういうときによくあるパターンは「g7にいたPがh8の駒を取ってBに昇格した」というものだが、今はPが8個盤上にあるからそれはあり得ない。残された可能性は開き王手である。盤面をよく見れば、開き王手が行われたとすれば、それはf6にいた白のRがc6に移動したという可能性しかない。これが指されたとすれば、当然黒のPはe6ではなくe7にいたことになる。ゆえに、問題図の局面はアンパッサンが可能で、1.dxe6#も答えとなる。

以上より、1手詰は1.Rd1#と1.dxe6#の2つ、というのが答えであった。

2010年03月16日

詰将棋解答選手権追加募集

4月3日に行われる詰将棋解答選手権の初級戦・一般戦部門について、参加者の募集が一昨日までにいったん締め切られた。本部から広島大会の分についてその報告が届いたのだが、何と初級戦、一般戦ともに3名ずつとのこと。これとは別に広島将棋センターに申し込みをされた方もいるが、こちらも初級戦、一般戦がともに3名のみ。つまり現時点で6名ずつしか参加者がいないのだ。もう少し集まると思っていたのでこれはちょっと残念な結果だった。去年は初級戦に16名、一般戦にも14名いたのである。今年は全国で実施会場がだいぶ増えたようだが、広島県内では会場はここだけなのだから、これだけ減る理由にはならないだろう。

ともあれ、本部追加募集を告知していただくようお願いしておいた。押さえた部屋にはまだまだ余裕があるので、広島近辺にお住まいの方で、詰将棋に多少なりとも興味のある方は、是非ご一報いただければと思う。

2010年03月15日

姫路城に行く

HimejiCastle.jpg本来ならもちろん今日は仕事に行く日だが、年度末の雑務も一息ついたので一日だけ休暇を取り、関西に旅行に来ている親の姫路城巡りに少しつきあうことにした。姫路は乗換駅として降りたことは何度もあるのだが、おそらく城をちゃんと見学したことは今までなかったように思う。近々改修工事に入るらしいから、この機会に見ておこうと思った次第。あいにく今日は天気が不安定で、ときどきぱらつく雨に加えて風が強いのにはちょっと閉口したが、さすがに姫路城は聞きしに勝る威容だった。城内も広く、一通り見て回るのにずいぶん時間を要した。

城の中もよかったのだが、興味を引かれたのは敷地内にあった「お菊井」という井戸である。番町皿屋敷といえば定番の怪談話として有名だが、これとは別に播州皿屋敷と呼ばれる話もあり、ここにある井戸がその舞台になったとのこと(あとから分かったが、こうした皿屋敷伝説は実は全国各地に存在しているらしい)。この「お菊井」の横に事の次第を説明した看板が出ていたのだが、これがなかなか難しいのである。

 永正年間(1500年頃)、城主小寺則職の執権青山鉄山が主家横領を企てているのを、忠臣衣笠元信の妾(いいなずけ)で、青山家に住み込んでいたお菊が探知し、元信に知らせて城主の難を救いました。
 しかし、鉄山は浦上村宗等の加勢によって則職を追放し、一時主家を横領しました。
 村宗等を招いた饗宴の際、お菊を恋慕していた町坪弾四郎は、家宝の十枚揃いの皿の一枚を隠し、お菊を責め殺し井戸に投げ込みました。
 その後、毎夜この井戸から皿を数えるお菊の声が聞こえたということです。やがて、元信らが、鉄山一味を滅ぼし、お菊は「於菊大明神」として、十二所神社の境内に祀られました。

さっと斜め読みしたときは、結局何がどうなったのかよく分からなかった。ゆっくり読み返してようやく状況が把握できたが、要するに分かりにくい原因は、前半で次々に固有名詞が登場するのに、お菊を殺した張本人である町坪弾四郎とかいう人物がそのどれでもないことだろう。突然脈絡なく登場するような気がするので、前半の話とのつながりが見えないのだ。恋慕していたのになぜ皿を隠して責め殺すのかも何だかよく分からない。やはり播州皿屋敷のストーリーを語るためには、看板はもう少し大きい方がいいようである。

4時頃に姫路から岡山に移動。そこに泊まる親とは岡山駅で別れて帰路に就いた。

2010年03月14日

中国選手権

チェスの中国選手権があり、朝早く家を出て車で開催地の三原に向かう。自宅からは約90km、高速道路も使って70分か80分くらいの道のりだ。もうこれに参加するのは4回目で、だいぶ慣れてきた。しかし今回はいつもと少し違うこともあった。まず驚いたのは、参加者として現れたのがTDのNさん以外にはTさんだけだったことである。去年は7人来た。一昨年も5人いた。今年は少ないことは予期していたのだが、まさか3人だけとは……。集まった人数が奇数の場合はNさんは運営に専念することになるので、要するに今日はTさんとのマッチということになってしまったのである。他の地区予選ではさすがにこんなことはないのではないだろうか。Tさん自身、中国地区外から来られているわけだし、このへんの現在のチェス人口の少なさを感じさせる状況ではあった。

一方で、将来のチェス人口の増加を予感させる出来事もあった。隣町に住む小学生6人が対局の様子を見学させてほしいとやってきたのである。引率しているのはだいぶご年配の方お二人で、ボランティアとしてその地域の公共施設で週末に集まってチェスをやってみるという活動を最近始められたとのこと。子供たちは5年生と4年生が3人ずつで、将棋を指しているうちにチェスもやってみたいと思うようになったらしい。見ているだけなのもつまらないだろうということで、今日は私とTさんが指している横でNさんが三面指しを行うということになったが、対局も観戦もみんなマナーが非常によく、見ていて大変好感が持てた。今はまだルールを覚えたばかりというくらいのようだが、子供はとにかく強くなるのが早い。いずれやられるのは時間の問題だろう。こちらの1局目を観戦したところで、みんなで整列して「ありがとうございました!」と一礼すると帰っていった。

さて対局の方だが、結局Tさんと3局指すことになった。私の現在のレーティングは1578である。
  相手のレーティング
1.  1632          白番 35手 勝ち
2.  1632          黒番 32手 負け
3.  1632          黒番 46手 勝ち
というわけで、2勝1敗で終わった。内容的にはどれも反省するところだらけだったが、順位をつけるなら1局目がまだ一番まともだっただろうか。それでも中盤の折衝でワンポーンダウンにしてしまったのだが、駒が少なくなってからの立ち回りでうまく指せて優位に立つことができた。2局目は中盤の大事なところで1手パスのような悪手を指してしまい、それからいいようにやられてあっけなく土俵を割ってしまって終わり。Tさんとは割合定跡の深い変化に入り込むことが多く、ここまでの2局も未知の局面になったのはかなり先の方だった。3局目はまた同じ変化に入るのもどうかと思い、途中からサイドラインに思い切って舵を切ってみる。前に調べたことがあったラインだったのでその記憶に頼ろうとしたのだが、案の定大事な手を間違えてしまい、どんどん形勢が悪くなった。こちらが不利な状態でずるずると終盤まで来たが、ここでTさんの方がうっかりブランダーを指してしまい、急転直下逆転して勝ってしまった。実はTさんに黒番で勝てたのはこれが初めてなのだが、何しろ数手前まで投了しようと考えていたくらいなので、まあこれは勝てたうちには入らないような気がする。ともあれ、三番勝負という異例の形になった中国選手権はかくして終わった。

終了後、Nさん、Tさんと3人で近くの店で少し食べながらしばし歓談。Tさんの新幹線の時間に合わせて散会した。

2010年03月13日

今年も一夜漬け

明日はチェスの公式戦がある。日中は所用があったので、夜になってから一夜漬け。もう毎年のことだ。試験勉強と同じで、こんなことでは覚えては忘れ、覚えては忘れの繰り返しで何にも進歩がない。そういえば以前、進級がかかる大事な単位が落ちていたので何とかならないかと学生がやってきたとき、何で試験勉強しておかなかったのと尋ねたら、「いや、前日の夜にちゃんとやろうと思ったんすけど、過去問とか学校に忘れて帰っちって、んでやべって思ったんで、当日の朝早く来て、一生懸命やったんすけどぉ」とかいうから、いやその「前日の夜にちゃんとやろうと思ったんす」っていう冒頭がそもそもおかしいだろ、とつっこみを入れたことがあった。しかし、これでは自分だって全然人のことは言えないではないか。やっぱり先を見越して前々から準備する。これが何に臨むにも大事なことだ。

明日は対局開始が10時半とのことで、会場まで時間がかかることを考えると、当日の朝にやるという学生のやり方を真似するのは難しい。まあ負けるのは仕方ないとして、一手ばったりの情けない手をなるべく指さないということを目標にしたいと思う。

2010年03月12日

お別れ会

何だか天気の悪い日がずっと続いていたが、昨日今日と青空が広がり、ようやく落ち着いてきたようだ。気温も雪の降った3日前に比べれば暖かくなってきた。今度こそ季節が変わるだろうか。

今日は夕方に勤務先を出ると一度家に帰って車を置き、バスで市街地に出た。行き先は銀山町にある飲み屋で、4月から別の大学に転出される先生のお別れ会に出るためである。自分も含めて11名が集まり、7時から2時間ほど飲みながら語る。途中、お金を出し合って買った記念品が転出される先生に贈呈された。終わりの方は酒も手伝ってか、出られるその先生が今後この大学が目指すべきところや、研究者としてどういう気構えを持つべきかということについて熱い調子で語り、さながら独演会になっていた。

9時半頃に店の前で散会。10時過ぎに帰宅。

2010年03月10日

How many solutions?

Sells.pngこの間紹介したレトロの問題について。黒のKが詰まされた場所を考えるので、白の駒が利いているマス目が正解の候補ということになる。しかし、ほとんどの場所は正解にはなり得ないことがすぐに分かる。2段目にいる白のPが利いているところにKがいるはずはないし、開き王手した形になっていない限り、2つの白の駒が利いている場所にKがいるはずもない。となると考えられるのは1段目に黒のKがいて、h8のRがメイトにしているという線だ。ところが、これも不可能なのである。BやNが開き王手した形になっていない以上、h8のRはどこかから移動してきてチェックをかけたことになるのだが、h7が塞がれているために縦方向に動けないのだ。唯一の可能性は、g7にいた白のPがh8にいた黒の駒を取ってRに成ったというものだが、盤面をよく数えてみると白のPは8個もあり、1つもなくなっていない。だからこれもあり得ないのである。

Sells-Solution.png一見、これで答えがないように思えるが、実はここまでの説明で一つ正しくない主張が含まれていたのに気づかれただろうか。「開き王手した形になっていない限り、2つの白の駒が利いている場所にKがいるはずもない」というのが誤りで、本当は一つだけそういうこと(すなわち、開き王手されたわけでもないのに、黒のKが白の2つの駒から取りをかけられるということ)が起きる可能性があるのである。それはアンパッサンだ。黒のKがd4にいて、これに白のQがf6からチェックをかける。黒はe7にいたPを2歩前進させて合駒する。これを白がd5のPでアンパッサンによって取る。この瞬間、d7からのRの利きも通って、ダブルチェックがかかることになるのである。これが、問題図を成立させるただ一つの可能性であった。駒が取られた位置と、取った駒がその後に存在する位置が違うというアンパッサン特有の性質を巧みに利用したトリックで、レトロの問題ではしばしば登場する。

FabelSteudel.pngではせっかくなので、"The Book of Extraordinary Chess Problems" からもう1問。K. FabelとT. Steudelによる1969年の作品である。この局面、黒のKはあと1手で詰む。問題は、「正解は何通りあるか?」である。例えば、1.Rd1#とRを回すのは正解の1つだ。さて、他にも1手で黒のKを仕留める手はあるだろうか?その手が指せるかどうかを、過去を推理することによって調べることになる。先ほどの問題もヒントになるだろう。

2010年03月09日

スーパーで見た光景

朝起きて窓の外を見ると、一面の銀世界。道理でベッドから出るときにえらく寒かったわけだ。そろそろコートを着るのも終わりかと思った先月下旬の暖かさが嘘のようである。降雪量も今シーズン一番かと思うような降り方で、車で勤務先まで出かけたものの、駐車場がすでに雪で覆われており、いったん轍から外れるとタイヤがすぐ空回りしてしまうのにはまいった。帰宅が遅くなって道が凍結したら危険だと思い、今日は明るいうちに撤退することにする。幸い雪は午後に入ってやんでいたため、路面は朝よりだいぶ落ち着いてきていた。

帰ってから家の前のスーパーに立ち寄って買い物をする。レジに並ぼうとしていたところ、絶叫が聞こえてきた。5歳くらいの子が力の限り泣き叫んでいるのである。それだけならよくある光景なのだが、目を引いたのはそれをなだめようとする母親らしき女性も完全に落ち着きを失っていることだった。もはや半狂乱と形容した方がいいほどの感情の高ぶりを見せながら、「何よ、もう!何なのよ!しょうがないでしょ!ああ、もう!」というような台詞を口走りつつ、泣き叫ぶ子供を引きずり回したり頬を叩いたりしている。あれで子供が静かになるわけがないことは私でも分かる。店内を少しずつ移動しながらその泣きわめき合いをずっとやっていたのだが、小さな子供を叱るシーンとしてはとにかく母親の感情的な様子が尋常でないので、他の客の注目の的になっていた。日頃たまりにたまった子育てのストレスが、ついにスーパーで噴き出した……ということなのだろうか。まあ何をやるにせよ、感情的になっても問題は解決しないものだ。常にクールでありたい、とはいつも思っていることなのだが、現実にはなかなか難しい。

2010年03月08日

超早指しの棋士

昨日のNHK将棋トーナメントの対局を録画しておいたので今日ざっと見る。渡辺竜王対糸谷五段の対局だったが、相変わらず糸谷五段の指し手の早いこと。相手の指すのが待ちきれないという様子で、渡辺竜王が指して手が駒を離れた瞬間にもう手が伸びている。たまに1分の考慮時間を使うときでも、「糸谷五段、2回目の考慮時間に入りました。残り8分です」と記録係が言い終わった瞬間にもう指すのだから笑ってしまった。これで強いのだから始末に悪い。いくら指しても自分の手番が続くような感じで渡辺竜王もすっかりリズムが狂ったのだろうか、あっという間に大差がついてしまい、恐ろしく早く終局してしまった。自分もチェスの対局で、あまりに相手が早く指してくると持ち時間に差がついていくのが気になり、ただでさえ足りない集中力がますますなくなってしまうことがある。比べるのはおこがましいが、ここまで相手の時間の使い方が変わっていると、強い人でも多少は影響を受けてしまうものなのかもしれない。

こういう超早指しの棋士というと、これまででは櫛田六段とか田村六段あたりが思い浮かぶ。田村六段と糸谷五段はすでに順位戦で対局したことがあるようだが、いったいどんな感じだったのだろうか。一度NHK杯戦でぶつかってほしいものである。小学生名人戦顔負けの早さで進行しそうだ。

ところで、あとで調べて分かったのだが、対局があまりに早く終了してしまったために、丸田九段が昭和の名局を解説する穴埋め番組をやっていたらしい。番組情報を取得して自動的に毎週録画しておいてくれるのはいいのだが、こういうときはその便利さが裏目に出る。いつもと同じように12時まで録画しておいてくれればいいのに、デジタルになるとそういう気は利かしてくれないのである。

2010年03月07日

ホロヴィッツを知らない音大生

先月に引き続き2台ピアノの練習をする。前回はIさんに来てもらったので、今回はこちらから神戸にお邪魔した。三宮の松尾楽器でラフマニノフの組曲を中心に弾いてみる。相変わらずの練習不足で、あまり先まで進めなかった。やっぱりこの曲は片手間にできるようなものではないので、何かやるにしてももう少しやさしいものにした方がいいかもしれない。

練習前にショールームで流されていたホロヴィッツの演奏映像をぼんやり眺めていたら、松尾楽器のおじさんが話しかけてきた。
「最近の若い人はねえ、ホロヴィッツを知らない人もいるんですよ」
「えっ、本当ですか?」
「そうなんですよ、音大生とかでもホロヴィッツ知らなかったりするんです。自分の弾いている曲にしか興味がないんですかねえ」
「へえ……もう歴史上の人物になっちゃっているんですかねえ」
「そうなんですかねえ。あそこの写真、あるでしょ?」
とそのおじさんが指さした先の壁には、演奏直後に喝采を浴びるホロヴィッツの写真が掲げてあった。
「あれ見て、『北朝鮮から帰ってきたジェンキンスさんですか』って言われて……似てますかねえ」
どう考えても似ていない。ジェンキンスさんがスタインウェイに手をかけてお辞儀しているわけがない。ホロヴィッツが死んでもう20年以上経ってしまったわけで、すでに遠い過去のピアニストという認識の人もだいぶ増えてきているのだろう。こんなところでも時間の経過を実感してしまったのだった。

2010年03月06日

新サーバ準備作業

昨夜、サーバが「カリッ、カリッ」というような不健康な異音をまた発していたのでいやな予感がしていたのだが、案の定、午前3時頃からまたおかしくなっていたようで、起きてからチェックしてみたらこのブログが見られなくなっていた。先週もやはり土曜日の午前3時に発作を起こしており、どうもこの時間帯が鬼門のようだ。長期で家を空けているときにこうなってはかなわないので、今日の午後は新しいマシンにサーバを立てる作業を開始する。だいぶ前にも一度やったことなのだが、そのときは途中で新年度が始まって忙しくなってしまい、作業半ばにして放置してしまうことになったのだった。すでにLinuxのOSもだいぶヴァージョンが上がってきているので、もう一度始めからやり直すことにする。ディストリビューションは最初CentOSを入れてみたが、ネットワークの設定からどうもうまくいかず、嫌気がさしてUbuntuに変更。こちらはだいたいうまくいった。各サービスの設定など基本的な作業はいくつかすませたが、ブログの設置などはまだこれから。何とか早いうちにめどをつけたい。

夕方から市街地に出かける。広島将棋センターに立ち寄り、Tさんと詰将棋解答選手権に関して少しばかり打ち合わせ。

2010年03月05日

The Book of Extraordinary Chess Problems

Sells.png数日前にKさんから届いた "The Book of Extraordinary Chess Problems - 120 Unusual Puzzles" (Stephen Addison) という本をパラパラ見ている。1989年出版の本だが、"Extraordinary" や "Unusual" の言葉が示すように、この本に載っているチェス・プロブレムは、オーソドックスルールでないものしか載っていない。ヘルプメイトやセルフメイトのようにプロブレムの一分野として完全にメジャーになったものを始めとして、最終手を問う問題などレトロ系のプロブレムもかなり収録されている。だいぶ前にこのブログで紹介したCerianiのレトロ問題も出ていた。スマリヤンの「シャーロック・ホームズのチェスミステリー」からの引用も多い。フェアリー駒を用いるものは全く扱っておらず、あくまでルールをいじったものをあちこちから引っ張ってきたということのようだ。どのルールも入口の問題を紹介しているというくらいだが、こういう特殊なジャンルも覗いてみれば広い世界なのだと知るにはいいかもしれない。特にレトロ系の問題、さらには「Pを2個置いて不可能局面を創れ」といった作図問題もとりあげているのは貴重だと思う。

せっかくなので1問紹介。上に掲げた図はC.C.L.Sellsによる1968年の作品である。黒のKはたった今メイトにされたところである。さて、どこでメイトにされたのだろうか?もちろん実際に問われているのは、白の最終手は何だったかということだ。レトロ慣れしている人にとっては至極簡単だろう。

2010年03月04日

部屋の掃除

先月中旬までの忙しい時期と比べると、最近はやや落ち着いている。今日も時間があったので、少し勤務先の自室の掃除をしていた。机の上はいたるところに様々の書類が積み重なり、冬の中国山地のジオラマみたいなことになっている。この調子だとさらに降り積もりそうなので、ここらで少し整理しておいた方がよい。来月になればそんな時間はなくなるに決まっている。出入りの業者が置いていったチラシとかずいぶん前の演習問題のプリントとか、明らかに捨ててよいものを分別するだけでもかなり山は低くなり、覆い隠されていた机の表面もだいぶ見えるようになってきた。まだ作業は道半ばだが、今月中には平野にできるだろう。

いっぱいになったゴミ箱を持ってゴミ捨て場へ。ゴミ捨て場は渡り廊下を渡った隣の建物にある。バサバサと紙の塊をはじき落とし、すっかり軽くなったゴミ箱を振り回しながら渡り廊下を戻る。歩きながら右に目をやると、サッカー場とその背後にある低い山が、垂れ込めてきた雲に一部隠されつつあるところだった。それを見ながらどういうわけか、中学生や高校生のころのシーンを断片的に思い出して妙な気分になった。確かにあのころ、自分はあのコミュニティの一員として毎日を過ごしていたはずなのに、そのとき周りにいたたくさんの人は夢のようにどこかへ消えてしまい、いつの間にか自分だけ一人残ってこんな渡り廊下の真ん中でゴミ箱を振り回しながら歩いているのである。当時と今この瞬間が自分を通じて連続的につながっているということが、何だか不思議に思えてきてしまうのだった。はて、何で自分は空のゴミ箱を手にこんなところを歩いているんだろう?渡り廊下を渡っている間、ぼんやりそんなことを考えるのが何となく楽しかった。

部屋に戻ってから、数学者の小平邦彦氏が書いていたことを思い出した。あれは「怠け数学者の記」だっただろうか、奥さんとスーパーに買い物に行って、たまたま売場で一人になったとき、はて俺はこんなところでいったい何をしているのだろうとふと妙な気分になった……というようなことが書いてあったような気がする(今は本が手元にないので若干違っているかもしれない)。大数学者と比べるのはおこがましいのだが、もしかしたら少しそのときの気分と似ているのかもしれない。

2010年03月03日

会場決定

帰宅後、広島将棋センターのTさんより、詰将棋解答選手権の会場として南区地域福祉センターを押さえることができたとの連絡を受ける。早速本部にも報告しておいたので、まもなく告知が出るだろう。全国の地域会場で広島だけが決まっておらず何だか申し訳ないような気がしていたのだが、これで当日の準備に安心して専念できる。場所は名前の通り南区で、電車で来るなら広島駅から路面電車で南区役所前まで乗ればよい。駐車場も比較的大きいようなので、車で来ることも可能だろう。広島近辺にお住まいで、多少なりとも詰将棋に興味のある方は、是非お越しいただきたい。

タイミングよく、当日入賞者に差し上げる賞品もU七段から届いた。色紙にT九段のDVD、それにWさんによるミニブックなど、個人的にもほしいものばかり。そういえば、去年はこの賞品を当日会場に持って行くのをうっかり忘れてしまうという失態を犯してしまったのだった。今年は気をつけよう。

2010年03月02日

将棋界の一番長い日

BSで11時過ぎから始まった将棋A級順位戦最終局の中継放送を見ている。現時点ではまだ5局とも終わっていないが、少し形勢に差のついた対局もあるようだ。個人的には今年は谷川九段に挑戦してほしい気がしていたが、今の状況を見る限りはちょっと難しそうだ……と書いていたら、たった今谷川九段が投了してしまった。残念。

順位戦は将棋界の中心となる対局で、A級順位戦最終局の日は「将棋界の一番長い日」などと呼ばれるが、今年の順位戦はA級からC級2組まで、どういうわけか最終局を待たずして昇級者も降級者もかなり決まってしまい、いまいち盛り上がるに欠ける展開になってしまったような気がする。A級も佐藤九段の降級が早々に決定してしまったのが意外だったが、これで名人挑戦者も事前に決まってしまっていたら、ますます「一番長い」のフレーズが空しく聞こえるところだった。

さて、もう少し観戦を楽しもう。

2010年03月01日

完全なる証明

少し前に出た「完全なる証明」(マーシャ・ガッセン著・青木薫訳)を読んだ。ポアンカレ予想を証明したペレルマンはフィールズ賞も100万ドルもすべて辞退して外との接触を断ち、そのことでなおいっそう世間の耳目を集めるようになった。彼とポアンカレ予想について数学者以外の人間のために書かれた本が数多く出版されたが、本書もその一つである。ペレルマン本人には一切接触できないので、著者は彼の周辺にいた多くの人たちに根気よくインタビューを行い、それをジグソーパズルのように組み上げることで本書を書き上げている。取材量の豊富さや、著者自身がソ連の数学専門学校で学んでいたという経歴の持ち主であることは、本書を他のペレルマン本と一線を画すものにしているといっていい。

一般的な感覚からいえば、その分野における最高の賞や100万ドルをもらえるという栄誉を拒否するというのは、かなり奇異で理解しがたいということになるだろう。彼に対する数年前のマスコミの関心の高さは、数学に対する世間の普段の無関心さを考えれば、異常とすらいえるものだった。しかしペレルマンのこれまでの軌跡を生い立ちから追ったこの本を読めば、彼のそうした行動もそれほど不自然なことではないという気になってくる。実際のところ、ペレルマンほど極端ではないにせよ、地位だろうがお金だろうが、およそ数学以外のほとんどすべてのことは煩わしいだけの雑事であるという感覚を内に持っている数学者は、それほど珍しくないのではないか。フィールズ賞と100万ドルを断る数学者はそうはいないだろうけれども、まあ中にはそういう人がいてもおかしくはないなと当初から思っていた。本書を読んだ今では、彼の隠遁がさらに自然なこととして感じられる。

本書の特筆すべき点は、ペレルマンが青年期を過ごしたソ連の教育システムの内実を克明に描写しているところだ。例え優秀な成績であっても、ユダヤ人であればよほどの事情がない限りエリート教育を受けられる枠から外されてしまう。それどころかユダヤ人でなくても、ユダヤ人っぽい名前であればそれだけで優先枠から排除されたりするのだ。研究者も、当局がちょっとでも気に入らないと思ったら、全くよく分からない理由で突然激しい攻撃を受けて左遷させられてしまう。冷戦時代の共産圏がどういう世界だったか話には聞いていても、やはり実際にそれを経験している人間が直接語ると、迫力が違う。イデオロギーの影響を最も受けにくいと思われる数学ですらこうなのだから、他の分野など推して知るべしだ。恐い世界である。