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2010年03月19日

29071km

午後にI先生が部屋を訪ねてきたので、明日行く予定にしている山登りについて少し相談する。天気予報では明日は午前中は晴れ、午後は曇り、夕方からは雨とのこと。遅くなればなるほど悪くなるようなので、なるべく早く行動を起こして登ってしまおうということになった。

その後、I先生の研究室に移動し、隣の部屋に置いてある電子ピアノを見せてもらった。I先生の研究室の学生さんで研究にピアノを必要とする研究テーマを選んだ方がおられるそうで、その関係で最近納入したものだという。せっかくなので少し時間をもらって練習させてもらった。次回の演奏会で出そうと思っている曲の譜読みがまだ全然終わっていないのだが、もしときどきここにお邪魔して進められればずいぶん助かる。だが新学期が始まれば、そんな時間はとてもとれそうにない。

6時半頃に大学を出る。この間の雨で車体がずいぶん汚れてしまっていたので、ガソリンスタンドで洗車してから帰った。そういえば、今の車がうちに来たのが5年前の3月20日。5年目の車検はすでに先月すませているが、納車日から数えればちょうど今日で丸5年経ったことになるわけだ。帰宅した時点での総走行距離は29071km。1年につき5800kmちょっと走っていることになる。車社会広島にあってこの数字はかなり少ない方と思われるが、何しろ家と勤務先の距離が近いので、普段の生活ではほとんど増えないのだ。まあ来月からはまたH大へ毎週行くことになるから、少しペースは上がるだろう。

2010年03月07日

ホロヴィッツを知らない音大生

先月に引き続き2台ピアノの練習をする。前回はIさんに来てもらったので、今回はこちらから神戸にお邪魔した。三宮の松尾楽器でラフマニノフの組曲を中心に弾いてみる。相変わらずの練習不足で、あまり先まで進めなかった。やっぱりこの曲は片手間にできるようなものではないので、何かやるにしてももう少しやさしいものにした方がいいかもしれない。

練習前にショールームで流されていたホロヴィッツの演奏映像をぼんやり眺めていたら、松尾楽器のおじさんが話しかけてきた。
「最近の若い人はねえ、ホロヴィッツを知らない人もいるんですよ」
「えっ、本当ですか?」
「そうなんですよ、音大生とかでもホロヴィッツ知らなかったりするんです。自分の弾いている曲にしか興味がないんですかねえ」
「へえ……もう歴史上の人物になっちゃっているんですかねえ」
「そうなんですかねえ。あそこの写真、あるでしょ?」
とそのおじさんが指さした先の壁には、演奏直後に喝采を浴びるホロヴィッツの写真が掲げてあった。
「あれ見て、『北朝鮮から帰ってきたジェンキンスさんですか』って言われて……似てますかねえ」
どう考えても似ていない。ジェンキンスさんがスタインウェイに手をかけてお辞儀しているわけがない。ホロヴィッツが死んでもう20年以上経ってしまったわけで、すでに遠い過去のピアニストという認識の人もだいぶ増えてきているのだろう。こんなところでも時間の経過を実感してしまったのだった。

2010年02月14日

2台ピアノの練習

去年の演奏会で知り合ったIさんが来広。話の流れで2台ピアノでもやってみようということになり、一度合わせてみることになっていた。せっかくだからかっこいいのをとラフマニノフの組曲2番を選んだところまでは威勢がよかったが、やっぱりちょっと無理だったかもしれない。ただでさえ難しいのに、このところの忙しさもあってほとんどまともに練習しておらず、ゆっくり弾いても1曲目の途中で止まってしまう。せっかく来てもらったのにIさんにはちょっと申し訳ないことをした。1曲目はひたすら和音を連打するのだが、指が広がるとまた左手の小指が突っ張ってしまって一瞬元に戻せなくなる。組曲をやるにしても、他の楽章を先にやった方がよいかもしれないということになった。いずれにしろ、これは人前でやることは当分なさそうだ。

ピアノスタジオを出た後、平和記念公園を少し散歩する。広島駅でお好み焼きを食べてからIさんとお別れした。

2010年01月25日

アール・ワイルド死去

ピアノマニアが参加しているメーリングリストに流れた今朝のメールを見てあっと思った。一昨日、Earl Wildが94歳で亡くなったとのこと。ホロヴィッツを始め、20世紀は巨匠と呼ばれるようなスーパー・ヴィルトゥオーゾが活躍するピアニストの黄金時代だったが、その最後の生き残りともいえる人だった。80歳を過ぎてなお難曲を軽々と弾きこなし、90歳のときに出たCDもまだまだいけるという感じだったのだが、ついに力尽きてしまった。これで名実ともに黄金時代は完全に終結したといってもいいかもしれない。

ワイルドの編曲したラフマニノフの歌曲群は私のお気に入りで、学生時代には "In the Silent Night" Op.4-3と "Floods of Spring" Op.14-11を演奏会で弾いたことがある。前者は3年前の加古川ピアノ同好会の演奏会でもまた弾かせてもらった。まるでラフマニノフ本人が編曲したかのような情感たっぷりの書法が素晴らしい。もっと広く世の中に知られてなければいけない名曲だと思う。

実は最近もワイルド編の "Vocalise" Op.34-14を譜読みしていた。次の演奏会でこれを出すかどうか、候補の一つというくらいだったのだが、ワイルドの死を聞いた今となっては、是非ともこの曲を仕上げなければという気分になっている。難しい曲だが、何とか5月までに間に合わせよう。

2010年01月23日

原稿のチェック作業、ジョギング、サーバエラー

今日は原稿をチェックする仕事を2つこなしていた。1つは楽譜の校正作業。今回頼まれている分は明日が締切だ。コーヒーを片手に、音符、強弱記号、スラー、指使い番号、ペダル記号などを一つずつチェックする。何しろ複雑な譜面だから、かなり集中していないと見落としてしまう。もう1つはプロパラの原稿のゲラチェックで、こちらも駒の配置や出題時の指定など、一つ一つ丁寧に確認する。誤植を出すと正解のない問題を解答者に解かせることになりかねないから、間違えるわけにはいかないのだ。

作業が一区切りついたところで、先週に引き続きジョギングに出かける。今年に入ってまだ2回目だが、それでも1年近いブランクを挟んで再開した前回に比べるとわずかながら持久力が上がっていたようで、5キロのタイムが2分近く早くなった。もっとも、先週のペースが遅すぎただけともいえる。今日は太陽は出ていたものの風が冷たく、自宅に戻るとすぐ風呂に入って冷えた身体を温めた。

夕方は買い物に出かける。夜に戻ってきて、そろそろブログの更新をしようと思ったら、管理画面が出る代わりに「500 Internal Server Error」の文字が表示された。サーバが何らかのエラーを起こしてストップしていたらしい。どうも今日の午前3時過ぎからずっと止まっていたようで、全く気づかなかった。これまでのトラブルはすべてルータやモデムが原因で、このサーバ自体が不具合を起こすことは全くなかったのだが、稼働させ始めてからもう4年、そろそろ老境を迎えつつあるのかもしれない。

2010年01月21日

アルゲリッチ&フレイレ

このところ忙しくて毎日に変化がないので、最近聴いているCDの話でも。今プレーヤーに入れっぱなしにしているのはアルゲリッチとフレイレの2台ピアノ曲集。先日、知り合いにこれを紹介したのがきっかけで久しぶりに聴いてみている。2台ピアノというスタイルは世間的にはどちらかといえばマイナーではないかと思われるが、隠れた名曲がたくさんある魅力的なジャンルである。2台ピアノの曲集のCDは何枚か持っているが、どれか1枚をあげろと言われれば、やっぱりこのアルゲリッチ&フレイレになるだろう。収録されているのはラフマニノフの組曲第2番Op.17とラヴェルの「ラ・ヴァルス」、それにルトスワフスキの「パガニーニの主題による変奏曲」。全部合わせても演奏時間は37分くらいしかなく、私の持っているクラシックCDの中では最も収録時間が短いものの一つだと思うが、中身はそれを補ってあまりある濃密さである。二人の気迫あふれる熱い演奏が素晴らしい。収録されている3曲については、いずれもこのCDの演奏がベストではないかと個人的には思っている。

アルゲリッチはある時期からソロ活動をほとんど行わなくなり、2台ピアノや室内楽を主に演奏するようになった。2台ピアノもいろいろなピアニストと組んで弾いているが、フレイレとはとりわけ相性がよいように思われる。去年の夏にもザルツブルク音楽祭でペアを組んで演奏したそうで、そのときのCDが最近出たことをこの記事を書きながらネットを巡っていて知った。これは是非買っておこう。

2010年01月03日

チェスと新年会

お昼少し前に家を出ると、Y君の家に向かう。今日は去年の1月3日と全く同じスケジュール。まずY君の家で彼とチェスを指し、夕方から新宿での新年会に出席するという流れである。ところが、チェスは昨年と同じというわけにはいかなかった。白黒1局ずつ指してどちらも負け。1局目はほとんどいいところなく、2局目も一度攻勢になりながらブランダーを連発して逆転負け。聞けば彼は毎日ネットで対戦して腕を磨いているうえ、1局ごとに重要ポイントをノートにまとめているという。チェスにかけている時間と情熱が全く違う。対局前は10分くらい定跡を並べ直す程度でお茶を濁し、対局が終わればがっくりするだけでほとんどほったらかし、そんなことをしている人間がかなうはずがない。反省しきりの対局であった。

夕方、Y夫妻と新宿の待ち合わせ場所へ。我々を含めて6人が集まり、高層ビル最上階の店で小さな新年会。途中でもう一人来て7人になった。9時半頃に店を出て、喫茶店でさらにもう1時間ほど話してから散会した。

2009年12月09日

ペダルの復調

日曜日にヤマハに行って電子ピアノのペダルの不調を修理してほしいとお願いしておいたら、翌日に修理担当者から電話がかかってきた。
「ペダルを踏んでいても音が消えてしまうことがあるということでしたが……」
「ええ、そうなんです」
「まず、鍵盤の裏側からペダルを制御するコードが出ていると思うんですが、それが抜けかけているということはありませんか?」
鍵盤の下をのぞき込み、PEDALと書かれた穴にささっているコードを確認する。さわってみたが、ガッチリ差し込まれているようだ。
「ちゃんとささっているみたいです」
「そうですか。ではペダルの下にあるアジャスタがゆるんで位置がおかしくなっているということは……」
「あ、それは確認しました。大丈夫でした」
「そうですか、そうなるとやはり故障が考えられますので、部品の交換という形になりますかねえ」
その部品の値段は決して安くはなかったが、今のままの状態で弾き続けるわけにはいかないのは明らかだった。その部品を取り寄せる必要があるとのことだったので、それが届いてから改めて修理の日取りを相談しようということになった。

ところが、そのとき以来、どうもペダルの調子がだいぶよくなったのである。百パーセントというわけではないが、前に頻発していた音消えがほとんどなくなってしまった。要するに原因はコードの微妙な接触の問題で、あの電話の最中にコードをさわったことで状況が改善したのではないだろうか。これくらいなら、練習するにはさして支障はない。せっかく取り寄せてもらったので修理の方には悪いが、次に電話がかかってきたときに、やっぱりキャンセルしたいと言おうかと思い始めている。

2009年12月06日

買い物など

夕方、市街地まで車で出かけるとヤマハに赴いた。以前に書いた電子ピアノのペダルの不調がいよいよひどくなってきて、弾いているとしょっちゅう音がふっと消えてしまうのである。さすがにこれでは練習に支障をきたすので、修理してもらうことにしたのである。今日は修理担当者が不在とのことで、後日あらためて日程を相談することになった。土日を使うしかないだろうが、今年中には直してしまいたいところだ。

それから買い物。本屋では将棋世界の最新号を購入。紳士服売場を通ろうとしたら、この間はとうとう見つからなかった39-78のワイシャツが何着か置いてある。これはいいと2着ほど買ったら、5,000円のお買い上げにつき500円を還元するセールを今日までやっていると言われ、商品券を1枚もらってしまった。ラッキー。その後、東急ハンズまで歩く。文具売場で来年の手帳と折紙用に雲竜紙を1枚買った後、取り寄せてもらっているカラペについて一応聞いてみたが、まだ時間がかかりそうとのことだった。

今日はもう一つ、広島将棋センターにも用事があった。今年の4月に行われた詰将棋解答選手権では広島の地域責任者をつとめたが、来年もやってもらえないかと主催者側から打診を受けており、広島将棋センターに協力をお願いしに来たのである。幸い席主のTさんには快諾していただき、会場などを今後相談していくことになった。じゃとりあえずそういうことで、と帰ろうとしたとき、Tさんが「そうじゃ、今日北九州からここに何人か来とったんですが、その中に詰将棋作家の方がおられましたよ。Hさんいう方」とおっしゃる。Hさんといえば自在に合駒を操る一流作家。2年半前に詰備会の席上で一度お会いし、その場で拙作に有益なアドバイスをしていただいたことがある。せっかく来広されていたのにすれ違いになってしまった。「1作置いていかれましたよ」とTさんが作品を見せてくれたので、コピーをもらって失礼し、近くの店で定食を待つ間に考える。店員の「お待たせしました」の声とともに詰んだ。軽作だが、うまくまとめるものだ。

いろいろ用事をすませ、9時過ぎに帰宅。

2009年11月30日

ワイセンベルクのペトルーシュカ

一昨日の演奏会では、各演奏者が演奏前にそれぞれ必ず何か一言述べるという趣向があったのだが、「ペトルーシュカからの3楽章」を弾いたTさんが「何を弾こうかいろいろ考えていたんですが、ネットでうっかりワイセンベルクがペトルーシュカを弾いている映像を見てしまったもので……」とおっしゃっていた。Tさんの言っていたのはおそらくこれだろう(パート2パート3もある)。脂ののりきったころのワイセンベルクが、凄まじい気迫でこの希代の難曲をねじ伏せている様子が楽しめる。かつて学生時代に所属していたピアノサークルの演奏会で、やはりこの曲に挑戦した先輩がいたのだが、弾き終わった後の打ち上げで「あれはもう機械になったつもりじゃなきゃ弾けないんじゃないですか?」と聞いたら、「いや、『なったつもり』じゃまだダメ。本当に機械にならないとあれは弾けない」という返事をもらったことを思い出した。しかしこの映像を見て弾こうと思い立ち、実際に演奏会に出すところまで持って行ってしまうTさんもすごいと思う。

まあもちろん自分はこういう曲を弾くことはできない。今回は珍しくラヴェルなんて弾いてみたが、次回はまた弾き慣れたロシア系(スクリャービンかラフマニノフ)に戻ろうかというのが今の考え。もっとも、そのときそのときで弾きたい曲が始終変わるので、年が変わるころにはまた全然違う曲を練習し始めているかもしれない。

2009年11月28日

六甲でラヴェルを弾く

今日は演奏会。9時44分に広島を出る新幹線で神戸に移動する。車内ではKubbelのエンドゲームスタディを調べていたが、すぐ眠くなってきてしまい、岡山から先はずっとウトウトしていた。このところ早起きしなければいけない日が続いており、睡眠不足の状態がなかなか解消されない。学生時代は実家から大学まで行くのに1時間半近くかかり、その行程の大部分はひたすら電車の中で居眠りしていた。今にして思うと、あれは足りない睡眠を補完する貴重な時間だったような気がする。電車の揺れというのは、とかく眠気を誘発するのである。

11時40分頃に会場到着。すぐリハーサルで少しだけ試し弾きをさせてもらう。お昼は出演者でたまたま居合わせたIさんと近所の寿司屋で。会場に戻ってまもなく演奏会が始まった。自分の出番は第2部の3番目だ。今回は幹事の指示で、演奏前に何か一言コメントせよということになっていたので、ラヴェルを人前で弾くのは初めてであること、今月上旬に偉い先生の還暦を祝う祝賀会の場で今回の曲を弾いたという話をする。演奏の方は相変わらずミスだらけだったが、それでも全体的には祝賀会のときよりはだいぶうまくいったと思う。ミスはどう頑張ったところで出るものだが、大事なことは止まってしまったり弾き直したりして音楽の流れを断たないことだ。今回はその最低限の条件はだいたいクリアできたので、事前の練習量を考えれば、まああれくらいでよしとしなければいけないだろう。自分の演奏が終わった後は気楽に他の方の演奏を楽しんだ。毎回思うことだが、みんなそれぞれ仕事を持って忙しいはずなのに、よくまあここまで仕上げてくるものだ。熱演を聴いているうち、自分は次は何を弾こう、とまたあれこれ思いを巡らせるのだった。

終了後、駅前の居酒屋に移動して打ち上げ。7時頃から3時間近く、ときどき座席を移動していろいろな方とお話しした。次回の演奏会はすでに幹事が決まっており、来年の5月にもうホールを予約済みとのこと。しばらく忙しい日々が続きそうだが、何とか出演できるよう今から選曲を考えていこう。また、さらにその次の回の演奏会について、幹事をやりませんかと打診されてしまった。出演してばかりでいつまでも仕事をしないわけにもいかないから、多分やることになるだろう。来年の今頃がそれほど忙しくないことを切に願う。

12時頃ホテルにたどり着いた。これで半年に一度のピアノ祭りは終わり。明日はモードをチェスにシフトする。

2009年11月27日

直前の悪あがき

今日も朝から会議で早めに出かけた。毎日いろいろな雑用が降ってくるのでなかなか落ち着く暇がない。あれが終われば一息つけるかな、と思っているとその上から新たな懸案事項が降り積もってくる。きっと本当に忙しい人に比べれば自分はまだ全然大したことはなくて、どこかで集中しててきぱきやれば片がつく程度に違いないのだ。しかしどうも要領が悪くていちいち仕事が遅いものだから、積み上がっている仕事の量がずっと変わらない。年末までおそらくこんな調子だろう。

夕方、仕事に一区切りついたところで車で市街地まで出かけ、ピアノスタジオで本番前最後の練習をしてくる。今さら何をしたところで大した意味はないことはよく分かっているが、1曲目の「HAYDNの名によるメヌエット」はかなり最近になって弾くことを決めたため、実はほとんど電子ピアノでしか練習していなかったのだ。付け焼き刃ではあるけれど、やはり少しはグランドピアノの感触を確認しておきたかった。1時間かけて何度か通して弾き、何とかごまかせるかなというめどがついたところで悪あがきは終了。すぐとって返して大学に戻り、まだやり残していたレポートのチェック作業をすませてから帰宅した。

明日は神戸で演奏会、明後日は大阪でチェスを指してくるつもり。どちらも惨めなことになりそうだが、せいぜい楽しんでこよう。

2009年11月25日

足りない時間

午前中は数学演習。午後は回収したレポートの採点といくつかの雑用。7時過ぎに折紙の本が届くことになっていたので、それに間に合わせる形で帰宅した。

夕飯の後にまた電子ピアノで少しだけ練習する。数日後には演奏会があるというのに、何だか全然緊張感がない。今さらじたばたしても、とすっかり諦観してしまっているのである。実際、今週はいつも以上に忙しくて全く時間に余裕がない。明日も早朝に出かけなければいけないし、日中は4年生の卒業研究の様子を見て、夕方からは長引きそうな会議が待っている。明後日も朝一番から会議があり、レポートなどの採点をやって午後は講義。ただ、その後に一瞬だけ時間がとれるかもしれないから、無理をしてピアノスタジオに駆け込んで最後の悪あがきをしようか。だが締切のある仕事も抱えているし、来月の発表の準備だってまだ全然していないのに、そんなことをやっていていいのか……と心は千々に乱れるばかり。やっぱり何をやるにしても、必要なのは時間、足りないのも時間である。

2009年11月19日

アップライトピアノでの演奏

夕飯の後にヘッドホンで少しだけピアノを練習した。実は先週人前で演奏してからどうもあまり気分が乗らなくなってしまい、ピアノに向かう時間がやや減ってしまっている。やっぱり同じ曲を何度も弾くというのはモチベーションを保つのが難しい。とはいえ、来週もう一度弾かなければいけない以上、ずっとサボってもいられない。「古風なメヌエット」1曲だけではさびしいので、前菜として「HAYDNの名によるメヌエット」も弾くことにした。緊張を和らげるために、プログラムはこうやっていつもスローな曲から始めることにしている(この間はそういうこともできなかった)。メヌエット2曲といういたっておとなしい組み合わせになってしまったが、たまにはこういうのもいいだろう。

言い訳になるが、今にして思うと先週の演奏が今ひとつだったのは、ピアノがアップライトだったことが結構大きかったような気がしている。当日会場に行くまではグランドピアノだろうと勝手に思い込んでいたので、事前に想像していたのとはだいぶ違う形で弾くことになった。そういうイメージとの乖離は、精神的にはあまりいい影響を与えないものだ。それにアップライトというのは演奏者と聴く人との距離があまりに近い。物理的な距離ということではなく、聴衆が自分のすぐ近くに存在しているという意識がどうしても生まれてしまい、ただでさえ足りない集中力がいっそう削がれることになってしまう。これまで演奏会以外では何度か友人の披露宴でピアノを弾く機会があったが、一番うまくいかなかったのは電子ピアノを用意されたときだった。自分の演奏などピアノを選べるレベルでないことはよく分かっているが、技術やタッチ云々ということよりメンタル面を考えると、正直言ってグランドピアノの方がいいなと思わざるを得ない。とはいっても、演奏を依頼されて「グランドピアノがなければ弾けない」などとはもちろん言うわけにはいかないのが難しいところではある。

まあ、所詮は言い訳である。

2009年11月10日

研究集会二日目~ピアノを弾く

研究集会二日目。今朝は寝不足に加えて何だか腹の調子が悪くて出かけるのが少し遅くなったが、電車は昨日のように乱れることもなく、結果的には昨日より早く会場に到着できた。

にも書いたように、今日はM先生の還暦を祝う祝賀会の席でピアノを弾かなければならないことになっていた。午前中の講演が終わり、お昼をすませると、キャンパス内にある祝賀会会場の下見に行く。ピアノの様子をできれば確認したかったのだが、会場は大学の合唱団サークルの同窓会らしきことが行われていた。中を覗くと、部屋の中央で20名くらいのかなりお年を召された方たちが会食しており、部屋の奥にアップライトピアノが1台置いてあるのが見えた。グランドピアノで弾くのだろうとばかり思っていたが、どうもそれらしいものは見あたらないから、どうやらあのアップライトを使うらしい。試し弾きができなかったので、やむなくそのまま研究集会会場に戻った。

午後の講演が終わると他の人より少し早めに祝賀会会場に移動。ここでようやくピアノを少しだけさわらせてもらうことができた。"LAZARE"というよく知らないブランドで、鍵盤のタッチは軽くて深い。正直言ってあまり弾きやすい感じはしなかったが、まあ所詮は余興、そもそも調律がどうの、タッチがどうのと文句をつけるレベルではない。ドを弾いてドの音が出てくれれば、それでよしとしなければならないだろう。

6時半から祝賀会開始。S先生の挨拶、Y先生の乾杯の後に歓談タイムがあり、7時15分くらいからM先生の生い立ちを紹介するスライドショー。予定ではこの後、M先生とゆかりのある先生方が5人出てきてスピーチし、7時45分からピアノという段取りだったのだが、スライドショーも5つのスピーチも予定時間を超え、さらに飛び入りでI先生も6人目のスピーチをしたため、予定時間を大幅に超過してしまった。8時半くらいにようやく名前を呼ばれて、ちょっと落ち着かない気分でピアノに向かった。

結果的には、演奏はあまりうまくいかなかった。ある程度ミスをするのは仕方ないとは思うが、もうちょっと何とかしたかったと思う。いつもの演奏会より緊張していたのは確かだった。舞台に一人で立つ演奏会と違い、周りを取り囲まれているというのは、精神的にはあまりよくない。特に鍵盤のすぐ脇に座られていると、視線をどうしても過剰に意識してしまう。加えて、時間が押していて自分の間で演奏するのは憚られる気がしたということもある。普段の演奏会ではまずスローテンポの曲をプログラムに入れて指を慣らすのだが、もちろんそういうこともできなかった。とまあいろいろ言い訳はあるが、結局実力通りの演奏しかできなかったといっていいかもしれない。

自分の次にJ大のT先生も演奏を披露した。当初はショパンのスケルツォを弾かれるということだったが、時間がないということで、スクリャービンの左手の前奏曲に変更されていた。まあ会場の雰囲気からいっても静かな曲を弾いた方がいいと判断されたのだろう。最後にM先生へ記念品と花束の贈呈があり、M先生の締めのスピーチがあって祝賀会は終わった。真っ直ぐ帰るのもつまらない気がして、Q大のT君、H大のK君と3人で渋谷のスタバに1時間ほど滞留してから帰路に就く。

正直言って演奏の出来はいまいちだったが、とにかくこれで先月のシンポジウム世話人に続き、今年後半の大きな懸案事項がまた一つ終わった。今月末の演奏会のいい予行演習ができたと思うことにしよう。明日は研究集会に出た後、その足で広島に戻る予定。

2009年11月07日

裏匹見峡へ、その後ピアノの練習

今日は紅葉見物に遠出をしてきた。行き先は島根県は匹見町にある裏匹見峡。匹見町は2ヶ月前にも訪れており、そのときは表匹見峡を探索したのだが、峡谷の景観は裏匹見峡の方がより雄大ということだったので、いつかまた行ってみようと思っていた。ちょうど同僚で登山仲間のI先生から、そろそろまたどこか行きませんかと言われていたし、これからの土日は予定だらけでもう紅葉が終わってしまいそうだったから、今日決行することにしたのである。

前回はT君を助手席に乗せていったが、今回はI先生の車にこちらが乗せてもらって出発。中国山地に囲まれた匹見町に行くには、中国自動車道の戸河内ICから国道191号を経由して行くルートと、吉和ICから国道488号を通っていくルートがある。前回は前者のルートで行ったのだが、今回は一度吉和ルートを通ってみようということになった。しかし、この選択はあまりよくなかったようだ。国道488号という道路は、「酷道488号」と書かれたりするほどのひどい道なのである。道幅は普通車1台がどうにか通れるほどしかなく、ほとんどの区間ではガードレールもなくて片側が断崖絶壁になっている。おまけに道の両側は落ち葉で埋まっていて、どこまで入っていいのか分からない。こういう状態だから向こうから車が1台やってきただけで、どう行き違うのかが大問題になる。これが激しくカーブとアップダウンを繰り返しながら延々と25kmも続くのである。朝が早くてほとんど対向車に出くわさずにすんだのは幸運だったが、この道はもう通らなくていいだろう。少々遠回りでも、匹見にはやはり国道191号ルートで行った方がよさそうだ。

UraHikimi3.jpgUraHikimi2.jpgUraHikimi1.jpg何とか9時過ぎには目的地の匹見峡レストパークに到着。ここから峡谷沿いに4キロほどの遊歩道が整備されており、ときどきかかっている橋を渡りながら川のそばを歩いていくことができる。せせらぎを聴きながらてくてく歩くのは心地よい。ただ遊歩道は先ほどの「酷道」に負けず劣らずなかなかワイルドで、ところどころ崖や路肩が崩落していて非常に危険だった。危ない箇所を何とかクリアしていき、「天狗の涼み岩」という標識が立っているところまで来たところで、「この先、橋梁腐食のため通行不能」という立て看板に出くわす。そこから見る峡谷の景色はなかなかのものだった。腐りかかっているという橋が遠くに見えたが、さすがにあそこを渡っていて崩落されてはたまらないということで、ここで引き返した。

UraHikimi6.jpgUraHikimi5.jpgUraHikimi4.jpg帰りは来た道をそのまま戻らず、急坂を登って国道に上がり、車道沿いに歩いていくことにする。ここから見える鈴ヶ岳の紅葉の様子はなかなか見事だった。多分今日を逃せば、もうこのあたりの紅葉は終わりだっただろう。日が高くなるについれて少しずつ人出が増えてきたようで、カメラを手にした人たちがあちこちにいた。お昼過ぎに駐車場まで戻ったが、車を止めたときにはまだ数台だった駐車場がいつの間にか満車になっていた。ここまでで歩数にして1万2,000歩ほど。いい運動になった。

たっぷり散策と紅葉を楽しんだ裏匹見峡を後にすると、その近くにある「ウッドペッカー木工組合」へ。木製品のパズルを製作しているところで、2ヶ月前にも来たのだが、またいくつかほしくなってあれこれ買ってしまった。店主のおじさんに聞いたら、最近は新しいパズルをあまり発売していないとのこと。「まあ作っても売れませんからね……」とさびしそうに言っていた。ここの商品はパズルとしても非常に面白いし、木工製品としてもレベルの高いものだと思うのだが、何とも残念な話である。

店を出ると帰り道(もちろん国道191号経由)の途中にある道の駅で少し遅い昼食をすませ、3時過ぎには自宅に帰ってきた。I先生とはここでお別れする。

Steinway.jpg今日はもう一つ用事が残っていた。街中のピアノスタジオを5時から1時間予約してあったのである。紅葉狩りとピアノ練習を同じ日にやるのもちょっと無理があるかと思ったが、明日はもう広島を発つ予定なので、もう今日しかなかったのだ。3日後には人前で弾くということで、安く借りられるいつもの楽器店ではなく、スタインウェイが弾けるピアノスタジオへ。1時間3,150円と少し高いが、やはり弾き心地はこちらの方が断然上だ。この間の小指の問題も、このピアノではほとんど生じないようである。あまり峡谷歩きの疲れも感じず、気持ちよく練習することができた。

その後、衣類や文房具などをあれこれ買い物し、夕飯をすませてから帰宅。今日はいろいろ盛りだくさんの一日だった。明日は実家に移動し、明後日から研究集会に出席する予定。

2009年11月01日

困った小指

午前中は教育テレビで将棋対局を観戦。個人的にも知り合いのK七段を応援していたが、残念ながら一歩届かなかった。お昼をすませ、食後のコーヒーをゆっくり楽しんだ後、車を出して誰もいない勤務先へ向かう。出張中、他の先生に頼んであった演習のレポートがメールボックスに入っていた。これだけでもすませておかないと週明けが大変なことになってしまう。夕方までかかってどうにか終わらせることができた。

6時頃、大学を出てその足で市街地へ。少し買い物をした後、ピアノスタジオで少し練習。楽譜は家を出たときに持ってきていた。

前から気づいていたことではあるけれど、どうも自分は左手の小指に弱点を抱えているようだ。オクターブ以上の広い音型を左手で弾くときに、小指はまっすぐ伸びきってしまい、指の横っ腹で弾いているような状態になる。手を大きく広げる以上そうならざるを得ないのだが、問題はフォルテで弾いたりして小指に強い力がかかると、伸びきった関節を一瞬曲げられなくなるのである。何かこう、引っかかったような状態になってしまうのだ。忙しい箇所でこれになると、直後の部分がうまく弾けなくなってしまう。普段電子ピアノで弾いているときはほとんど意識したことがなかったのだが、おそらくそれは鍵盤のタッチが弱くて指への圧力がさして強くないからだろう。しかしよく行くスタジオのピアノは鍵盤が若干重く、フォルテでオクターブを連打すると小指が瞬間的に硬直状態になってしまう。右手はいくら弾いてもこんなことにはならない。どうも困ったものだが、こういうことは訓練して直るものなのだろうか。それとも、指にそもそも機構的な問題があるのだろうか。いずれにせよ、今月10日の演奏までにはもう時間はあまりない。

2009年10月20日

ピアノを弾く棋士

音楽とチェスは表面上はまるで違ったジャンルでありながら、どこかでつながっているところがある、という話は以前にも書いた。どこがどう、と明確には言えないのだけれど、脳の中で近い部分を働かせているような感覚があるのである。一流の作曲家、演奏家でありながらチェスも強かったプロコフィエフやオイストラフ、そしてタイマノフなど、チェスにもピアノ(またはヴァイオリン)にも卓越した才能を発揮した人物はたくさんいる。では、ピアノと将棋をともにたしなむ人はどれくらいいるのだろう。もちろん、両方好きだがどちらもヘボ、ということなら、今これを書いている人間が該当者ということになる。そうではなくて、どちらのジャンルももっと高いレベルで嗜む人、ということだ。

帰宅してから囲碁・将棋チャンネルを見ていたら、現在活躍中の棋士をゲストに迎えていろいろ話を聞く番組で、現在順位戦4連勝中という金井四段が登場した。実際に話しているところを見るのはおそらく初めてだが、将棋棋士にはあまり見えない優男で、声も何だか声優のよう。おまけにまだ23歳だというのに全く緊張している様子がなく、何を聞かれても淀みなくすらすらと答える。若い棋士はどちらかというとしゃべりはまだ慣れていない人が多いように思っていたが、最近はそうでもないのかもしれない。

ただそれ以上に興味を惹かれたのは、彼がピアノを弾くということだった。12月に棋士が何人か参加するイベントで演奏を披露するのだという。音楽に造詣の深いプロ棋士というと、歌なら内藤九段が何しろ有名だが、楽器では佐藤九段のヴァイオリンがまず思い浮かぶ。しかし男性プロ棋士でピアノを弾くという人は初めて知った。人前で弾くくらいだから、結構な腕前なのだろう。ピアノと将棋を高いレベルで両方こなす実例を見つけられたようだ。

2009年10月18日

ペダルの故障?

ピアノの方は相変わらずラヴェルを練習しているのだが、ほぼ暗譜はしたものの、まだ今ひとつ感じがつかめないでいる。何となく、自分がまだ分かっていないのではないかという気がするのだ。特に、ペダルの使い方が変なのではないかという感覚がある。今までスクリャービンとかラフマニノフばかりやってきたが、非常にざっくりした言い方をしてしまうならば、ロシアものというのはペダルを踏みたいときに踏んでいれば、一応はそれらしく聞こえてくれる。だからペダルをどこで踏んでどこで踏み直すかというのは、ある程度無意識に、足が動くままにまかせていたのである。しかしフランスものは和声の設計が繊細で、特に「古風なメヌエット」のような古典的なスタイルを意識したような曲では、いい加減にペダルを踏んでいると全体の雰囲気が壊れてきてしまうようなのだ。もうしばらくは試行錯誤が続きそうである。

ただここへきて、そのペダルに関して別の問題が浮上してきた。電子ピアノのペダルがたまに正常に作動していないような気がするのである。今日も弾いていてときどきあれっと思ったのだが、ペダルを踏んでいるのに音が突然急に減衰して切れてしまうのである。最初は気のせいだと思っていた。どうもそうではないらしいと分かってきてからも、無意識のうちにペダルを踏み直してしまったのだろうとか、電子ピアノの同時発音数の上限を超えたからかなとか、いろいろ理由を考えていた。しかし、どうもそのどれでもないようである。それほど頻繁に起きるというわけでもなく、ときどき思い出したように発生するからなお始末が悪い。何か回路の接触のような問題なのかとも思うが、原因は不明だ。電子ピアノでこういう不具合があるという話はあまり聞いたことがないのだが、よくあることなのだろうか?ペダルに気を遣おうとしているときだけに困ったものだが、まあ発生頻度としては低いので、もう少し様子を見てみようと思う。

2009年10月05日

ラローチャの死去

先月25日にスペインのピアニスト、アリシア・デ・ラローチャが亡くなったということを、今日になって初めて知った。享年86。ニュースにはなっていたと思うのだが、出張やら新学期の準備などでバタバタしていた時期だったので、見落としてしまっていたようだ。10日も経ってからなぜ気づいたかというと、これがまさに虫の知らせというべきもので、何となくラローチャの演奏動画を検索したのである。行き当たった動画(といっても実際は静止画だが)で演奏を聴いていたら、"Descansa en Paz" とか "Rest in peace" とかみんなが書き込んでいる。それでこの人がもうこの世にいないことを知ったのだった。

アルベニスの「イベリア」はピアノ音楽史上に燦然と輝く傑作中の傑作だが、その「イベリア」の素晴らしさをラローチャの演奏によって知ったという人は多いだろう。私もその一人である。ラローチャの弾く「イベリア」の全曲演奏のCDは、それこそ何度聴いたか分からない。いくら聴いても飽きない、素晴らしい演奏である。この曲集についてはアムラン盤も持っているが、ことアムランびいきの自分であっても、こればかりはラローチャに軍配を上げざるを得ない。「イベリア」以外にもグラナドス、ファリャ、モンポウなどスペインの作曲家たちの曲は、やっぱりラローチャで聴くのがベストの選択ではないかと思っている。

ラローチャの演奏は、実は一度だけ生で聴いたことがある。あれはもういつのことだったかも定かでないが、ラローチャが来日したときにピアノサークル同期のTちゃんことH君が「あのラローチャが来るんだから聴きに行こう」と誘ってくれたのである。彼は私が返事をする前にもう8,000円のチケットを買ってきてしまっていた。当時まだラローチャの素晴らしさをよく知らなかった私は、考える暇もなく8,000円のチケットを買うことになって正直ちょっと複雑な心境だったが、今にして思えばあのとき聴いておいて本当によかったと思う。こういうことは、一度機会を逸したら、二度とチャンスは訪れないのだ。

「イベリア」の掉尾を飾る「エリターニャ」をいつか弾いてみたい、という話を3年前に書いたが、結局あれから特に進んでいない。しかしラローチャ追悼の意味も込めてまた少し練習してみたくなった。もっとも、当面は依頼された曲をやらなければいけないから、それが終わって一息ついたらちょっと考えてみよう。

2009年10月04日

演奏の依頼

夕方に市街地へ出かけたついでにピアノスタジオに寄り、少しグランドピアノを弾いてきた。電子ピアノで音を絞っているとどうも爪のカツカツいう音が耳障りで仕方ないが、グランドピアノではさほどでもないようだ。とはいえ、まだどうもうまく弾けないところがあちこちにある。練習、練習。

練習しているのには実は事情がある。来月にT大のM先生の還暦を祝う会が行われることになっているのだが、その席上でピアノを弾いてもらえないかと主催者から打診されてしまったのである。なまじピアノが趣味ですなどと言って回っていると、さらっと言えばさらっと弾いてくれると思われてしまってこんな話が入ってくるから始末が悪い。一応お引き受けしたものの、今から新しい曲をやるひまはとてもなさそうだから、現在メインに練習している「古風なメヌエット」を出すしかないだろう。まあ幸い、そういうシーンで弾いてもそれほど場違いではないのではないか。普段よく弾いているスクリャービンの怪しげな曲よりはだいぶましだ。

祝賀会ではもう一人、J大のT先生も演奏されると聞いた。T先生がピアノを弾かれるとは知らなかったのでちょっと驚いたのだが、主催者の方から、T先生はショパンのスケルツォを弾く予定だそうですと聞かされて二度びっくり。そんな華々しい曲を弾かれるとは思わなかった。何だかこちらのたどたどしいラヴェルとは好対照になりそうで、今から心配だ。

2009年09月12日

眼鏡の話

眼鏡をかけるようになってから4年くらいになる。それまではずっと裸眼でいたが、日常生活で不便を感じるようなことはあまりなかった。一番困ったのは、人の講演を聴くときに細かな文字が見えにくかったことで、どうしても小さくなる数学記号の添え字などにはいつも苦労していたものだ。自分の場合、近視よりも乱視のきらいがあるようで、細かい文字はぼやけるというよりにじんでしまうのである。講演を聴くたびに目を細めなければいけないくらいなら、一つくらい講演聴講用の眼鏡を持っていてもいいだろう、と思ったのだった。当初はかけたいときだけかけるという方針だったが、だんだんかけたり外したりするのが面倒になってきた。結局外に出るときはいつも眼鏡をかけるようになり、今に至っている。

そもそもの動機がそういうことだったから、家では眼鏡は常に外しっぱなしだ。出かけるときは財布やら車の鍵やらをポケットに入れ、最後に眼鏡をかけて家を出る。帰宅すると、財布や鍵を取り出すと、すぐに眼鏡も外して置く。寝ているとき以外は常に眼鏡をかけているような人なら、眼鏡がもうすっかり身体の一部のようになっているだろうと思われるが、自分のように裸眼の時間帯も半分くらい残っていると、まだまだ眼鏡と身体が一体化しきっていない。よくやってしまうのは、顔のどこかがかゆくて指を伸ばし、レンズをさわってしまう失敗である。多分そういうことは、常時眼鏡を装着している人はほとんどないに違いない。

なぜ眼鏡のことを書こうと思ったかというと、このところ外しっぱなしでよかったはずの眼鏡を家の中でときどきかけなければいけなくなったからである。ピアノを練習していて、弾きながら楽譜を目で追っていたら、指使いの数字がなかなか判別できないのだ。もちろんじっと目をこらしてそこに視線を集中させれば読めるのだが、音符を追いながら瞬間的に視野の端で読み取ろうとすると、これがどうも簡単でない。何だか数字が見えにくいなあとずっと思っていて、眼鏡をかければいいことにやっと気づいたのだった。

2009年09月09日

楽譜の間違い

「古風なメヌエット」の練習を相変わらず細々と続けているのだが、ここしばらくはすでに譜読みした部分をやり直している。いったん覚えた指使いを変更しようとしているのである。実は当初使っていたのは「ラヴェル名曲集」みたいな廉価版の楽譜で、これには指使いの指示が全くなく、自己流で適当にやっていた。しかし譜読みが進むにつれ、やはりもう少しちゃんとした楽譜を見た方がいいのではないかと考え直し、春秋社の楽譜を先日買ってきたのだ。こちらには指使いに関していろいろと指示や提案がなされている。書いてあることに全部したがう必要はないと思うが、なるほどこういう解決策があったかと感心する指の使い方がいくつかあり、そこはやり直すことにしたのである。こんなことなら、最初からこれを使っていればよかった。

MenuetAntique2.jpgMenuetAntique2.jpgただ、指使いなどよりもっと重大な問題を見つけてしまった。音がまるっきり違っている箇所があったのである。当初の安物楽譜でそこを弾いたときから何か変だなとは思っていたのだが、後から買ってきた楽譜と比べてみたら、左手の音たちがまとまってそっくりずれていた。これだけ大きく間違っているというのもちょっと珍しい。しかもこの部分は曲の中で2回登場し、その両方でおかしくなっているのだった。よく見ると、その前の連符についているナチュラル記号も実は全く必要のないものである(D音は最初からナチュラルだ)。さすがにちょっとこれは仕事が杜撰と言わざるを得ない。

私は元々、楽譜の選択についてはかなりいい加減な方だ。少々怪しげな楽譜であっても、まあ細かいミスはあるにせよ、音はだいたいちゃんと書かれているだろうから、自分くらいのレベルの人間にはそれで十分、というつもりでいた。しかし去年あたりから楽譜の校正の仕事をときどき手伝うようになり、出版社が違うとずいぶん違うのだなということを実感するようになった。今回のこの誤植を見つけたことで、ますます楽譜の選択には気を遣わなければいけないと思うようになった次第。

2009年09月06日

舘野泉を聴く

出張明けの休日だったが、お昼過ぎから出かけた。広島国際会議場のホールで行われた舘野泉の演奏会を聴くためである。この演奏会、あまり一般には広く告知されていなかったのだが、演奏会を企画した団体の方がマンションの掲示板にビラを貼っており、それでうまくチケットを入手することができたのである。

今日の広島は暑かった。国際会議場のフェニックスホールというところは、このブログを始めたばかりのころに来て以来だと思う。来ている客の9割は女性だった。舘野泉氏を生で見たのは多分これが初めてだ。プログラムはみな左手のための曲で、ブラームス編のシャコンヌやスクリャービンのOp.9などの定番曲の他、吉松隆編の「アヴェ・マリア」や、弟子の女性との3手連弾という変わった曲目もあった。舘野氏に献呈されたという「記憶樹」という曲だけが現代音楽のテイスト。他は聴きやすい曲が中心で耳に優しかった。総じて満足すべき内容だったが、配られたプログラムに誤植が目立ったのはややマイナスの印象。特に、2曲演奏された「アヴェ・マリア」の作曲者(シューベルトとカッチーニ)が逆転していたのはちょっとまずいと思う。もっともこういう演奏会では、演奏が聴けるなら名前や編曲者などそれほど重要ではないのかもしれない。

2009年08月29日

ピアノと爪

すぐに飽きるだろうと思っていたラヴェルの譜読みが思った以上に面白く、このところずっと続けている。「古風なメヌエット」をやっているのだが、少しずつ着実に前進してきており、この調子でもうしばらく続ければ曲としてまとめられるような気もしてきた。11月の演奏会にはプロコフィエフを出そうかと思っていたけど、これで行くという選択肢もあるかもしれない。もっとも、今までスクリャービンとラフマニノフが選曲の中心だっただけに、ラヴェルとなればプロコフィエフ以上の路線転換だ。まあまだ弾けたわけではないのだから、皮算用をするのはやめておこう。

ところで、ピアノを弾くときには爪を切っておくというのはピアノを弾く人にとっては当たり前のことだ。伸ばしたままにしておくとカツカツと耳障りな音が聞こえてしまうからである。しかし自分の場合、爪の生え方がちょっと人と違うのか、皮膚のあたりまでちゃんと切ろうとすると深爪になって指を傷めてしまう。今までそういうことが何度もあったので、爪を切るときは深爪にならないギリギリのところまで気をつけて切ることにしている。しかし、そうなるとどうしてもわずかに爪が指から出ている状態になり、弾き方によってはやはりあのカツンという音が鳴ってしまうのである。特に速いパッセージを比較的小さい音で弾くときは、ピアノの音が爪の音をかき消してくれないのでちょっと厄介だ。

もちろん指を立てて弾かなければそんな音は出ないはずなのだが、フレーズによってはどうしても爪が当たってしまう箇所がある。指のやりくりが忙しく、寝かせる余裕がないのだ。「古風なメヌエット」を練習していたら、やはりそういうところが出てきてしまった。その音を弾くときは、どうしても中指をほぼ垂直に立ててしまう。そうしないとそのフレーズがどうにもうまく弾けないのである。かくして、その部分を弾くときにはいつも「カツン!」という派手な音が混じる。特に電子ピアノで音を絞って練習していると、その爪の音だけがやけに小気味よく響いて始末に悪い。グランドピアノで弾くときには、もう少し目立たなくなっていてほしいものである。

2009年08月19日

「クープランの墓」の楽譜

毎日蒸し暑い日が続いている。寝苦しくてなかなか寝つけないからか、今朝はすっかり寝坊してしまって大慌てで出かけることになってしまった。朝食の時間がなかったので猿のようにバナナを食べるだけで家を出たが、結構腹持ちがよくて助かった。

昨日の話の続き。ラヴェルというとまず思い出すのは、昔は楽譜が高かったということだ。以前にも書いたことがあるが、Durand社が独占的に楽譜を扱っていたころは、1万円を超えるような楽譜もあったように記憶している。フランスで買えばずっと安いということは分かっていたが、まだ今のようにネットを通じて海外から個人輸入するようなことはできない時代だった。ほんの15年くらい前の話である。

1995年の春、家族旅行でパリを訪れたとき、私は友人から「クープランの墓」の楽譜を買ってきてくれと頼まれていた。もちろん日本でもヤマハやアカデミアで買うことはできたが、とにかく高かったのである。楽譜屋がどこにあるのかよく知らなかったが、たまたまサン・ミシェル広場からセーヌ川沿いに少し歩いたところに "MUSIQUE" と書かれた店を見つけた。どうも楽譜の古本屋のようなところで、壁一面に雑然と楽譜が並べられている。ラヴェルはどこだろうと眺めていたら、何か探しているのか、と後ろから声をかけられた。なぜかそのときの光景はよく覚えている。
"ヴ、ヴザヴェルトンボードゥクープラン?"
"de Ravel?"
"ウィ."
店主はすぐ後ろの棚からDurand社と一目で分かるクリーム色の楽譜を1冊取り出し、バサッとカウンターに置いたのだった。表紙か次のページの右上に「79F」と書いてあった。まだ通貨がフランだったころで、そのときの為替レートは1フラン20円くらい。円が異常に高かった時期で、つまり1,600円くらいで買うことができたのだった。日本では倍以上はしていたから、かなりお得な買い物だった。

今手元には国内の出版社が出した「クープランの墓」の楽譜がある。値段は1,100円。時代はすっかり変わった。Googleのストリートビューで見たら、あの楽譜屋は今もサン・ミシェル広場のそばでちゃんと営業しているようである。

2009年08月18日

ラヴェルを弾いてみる

このところ、急にラヴェルを弾いてみたいという気になっている。きっかけは先月買ったCDだ。家にいるときに何となくBGMとしてかけているうちに、何だかすっかりハマってしまったのである。

元々ラヴェルはかなり好きな作曲家だ。ドビュッシーとラヴェルは「印象派」という名前でひとくくりにされることが多いが、曲の性格やスタイルは両極端といっていいほど異なっている。ドビュッシーももちろん好きだが、どちらか選べと言われたらやっぱりラヴェルだろう。抒情性にあふれながら決して気品を失わないあの旋律は、彼ならではのものである。

考えてみると、これまでずっとラヴェルを聴いていても弾いてみようとしたことはほとんどなかった。スクリャービンやラフマニノフについては、聴くことと弾くこと(正確には、弾こうとすること)が常にリンクしていたのとは対照的だ。昔から、どうも自分にフランスものはうまく弾けそうにないという感覚があったように思う。学生のころに入れ込んでいたホロヴィッツが、あまりラヴェルを弾いていなかったことも影響しているかもしれない。しかし誰の曲であろうと結局うまく弾けないのだから、特に避ける理由もないはずだ。

というわけで、ここ数日は練習していたプロコフィエフをしばらくお休みしてラヴェルの曲を譜読みしているのだが、やはりロシアものとは書法が違うのでどうにもとまどっている。もちろん「スカルボ」とか「道化師の朝の歌」とか難しい曲は無理なので、比較的穏やかで自分が気に入っているものをやってみているのだが、それでも簡単ではない。今見ているのは「古風なメヌエット」とか、「クープランの墓」の中の「フォルラーヌ」や「メヌエット」など。もっとも、やってみたといっても最初の1ページをたどたどしく弾いたというだけだ。多分しばらくすると譜読みが進まないのに嫌気がさして遠ざかってしまうに違いないが、実はこうやって新しい曲を弾き始めるころが、ピアノは一番楽しいように思う。

2009年07月30日

CATcerto

今日はずっと期末試験の採点をしていた。先週実施したものだが、他の先生方との約束で明日までに終わらせないといけないのである。ひたすら行列式の計算をチェックし続けるというのは何とも疲れる作業だ。

もう2年以上前に、ピアノを弾く猫の映像があると紹介したことがある。もちろんこれだけでも十分インパクトがあったが、さらにこれにオーケストラの伴奏をつけてピアノ協奏曲にしてしまった人がいる。リトアニアのMindaugas Piečaitisという作曲家で、件の猫の映像をつなぎ合わせて4分くらいの立派な曲に仕立ててしまっているのだ。こうなってみるとなかなかの名曲に思えてくるから不思議である。猫好きの人には楽しめる映像ではないだろうか。

2009年07月18日

Michelangelo Carbonara

夕方に市街地に出たとき、ぶらっとタワレコに立ち寄った。広島店はクラシックの品揃えは悪いので掘り出し物はあまり期待できない。まあ何もないだろうなと思いつつ視線を横に滑らせていくうち、あるCDで目がとまった。ラヴェルのピアノ曲全集である。次の瞬間、私はそれを手に取るとレジに持って行ってしまった。衝動買いしたのにはわけがあって、第一にまずそれがすごく安かったから。1枚3,000円くらいものもあるというのに、2枚組でたったの890円だったのである。さすがBrilliantClassicsレーベル、毎度ながら良心的な価格だ。演奏者が多くの場合無名であるというだけで曲自体はちゃんと楽しめるのだから、とにかく曲を聴きたいというときには頼りになるレーベルである。衝動買いした第二の理由は演奏者の名前。Michelangelo Carbonaraという人が弾いている。ピアニストとしては初めて聞く名前だが、何しろミケランジェロ・カルボナーラである。ラヴェル、ミケランジェロ、カルボナーラと3つも好きなものを並べられては、もう買うしかないではないか。

帰宅後、早速そのCDをかけながらこれを書いている。超難曲とされるスカルボに10分01秒、トッカータに4分13秒かけているからかなり「安全運転」の部類に入るだろうが、聴いていて別に悪いとは思わない。なかなかクリーミー(?)でいい演奏である。

2009年06月30日

シュルホフの楽譜

火曜日なので午後からH大に回って講義をしてきたが、今日も昨日に続いて一日中激しい雨だった。天気予報では明日も終日大雨らしい。講義終了後は普段ならT君と夕飯に行くところだが、来週からの出張の準備がまだほとんどできていないうえ、T君も先週に続き会議が入ってしまったとのことだったので、今週も失礼させてもらうことにした。

Schulhoff.jpgもうもうと水しぶきの上がる高速道路をひた走り、まだ明るいうちに自宅に帰り着いた。マンションの建物に入ると、入口で青い大きな封筒を持った配達員がどこかの部屋にインタホンで呼び出しをかけているところだった。次の瞬間、その青い封筒が見慣れた楽譜出版社のものであることと、呼び出されている部屋の番号が自分のものであることにほぼ同時に気づいた。あと1分帰るのが遅かったら、郵便受けに入った不在通知を眺めて空しい気分に陥っていたことだろう。届いたのは、先月から今月上旬にかけて校正作業を手伝ったシュルホフの楽譜である。巻末に協力者として名前が出ている楽譜は、ゴドフスキーに次いで2冊目だ。収録されているのは「5つのジャズ・エチュード」、「ジャズ舞踊組曲」、そして「5つのピトレスク」。シュルホフは19世紀末に生まれ、1920年代には作曲家として大成功を収めたにもかかわらず、ナチスによる迫害を受けて1942年に収容所で亡くなった悲劇の人だ。歴史がもう少し違った形で進行していれば、彼は多分20世紀の偉大な作曲家としてかなり名を知られる存在になっていたに違いない。

シュルホフの曲を今まで譜読みしたことはないが、せっかくこうして楽譜も届いたことだし、時間ができればいずれやってみたいと思う。

2009年06月20日

交響的練習曲が弾けない夢

休みなのをいいことにまた惰眠を貪ってしまった。暑苦しさを紛らわせようと寝返りを打ちながら夢を見ていたのだが、その内容はかつて学生時代に何度も見たものだった。ピアノの演奏会に出ることになっているのにまるで練習しておらず、当日になってどうしようと困り果てるという筋書きだ。よほどそういう事態を心配しているらしい。ただ多くの場合、そんな夢を見るのはたいてい実際の演奏会が近づいてきているときだった。今は先日京都で弾いてきたばかりで、次の演奏会までにはまだだいぶ余裕がある。思うに、来月上旬に予定している海外出張を筆頭に秋の研究集会の世話人や勤務先での雑用など、うまくいくかかなり気にしている案件を現在いくつか抱えており、それが演奏会前の不安という形で具現化したのではないか。不思議なのは夢の中で自分が何を弾けずに困っていたかがはっきりしていたことで、曲目はシューマンの交響的練習曲だった。その最後の変奏の冒頭を弾いて、その先を覚えていないと嘆いていたから間違いない。交響的練習曲なんてここしばらく聴いても弾いてもいないのに、なぜ夢の中で突然出てきたのか。もしかしたらシューマンは、自分の意識下で厄介な曲として認識されているのかもしれない。

午後は主にピアノの練習や折紙で過ごす。折紙は恐ろしく手間のかかる工程があり、何時間もかけてそのワンステップしか進められなかった。まだ先は長い。

2009年06月17日

ウクレレのコンサートに行く

6時過ぎに自室を出ると講堂へ向かった。今日はここで、ハワイに住む日系2世のオータサンことハーブ・オータ氏によるウクレレのコンサートが行われることになっていたのである。元々オータサンは広島からハワイに移住した日本人の子孫で、ウクレレ界では押しも押されもせぬ大御所。今回の催しは、ハワイで広島原爆平和展示会を行う費用に充てるために行われるチャリティーコンサートということだった。ただでさえウクレレのコンサートに行く機会などあまりないのに、自分の勤務先でやってくれるというのだから、これは行かないわけにはいかない。ウクレレに少し詳しい知り合いからも、オータサンは誰もが知っている巨匠だから是非聴くべきと勧められていたので、今日はちょっと楽しみにしていた。

6時半開演で、まず学長の挨拶などがあった後オータサンが登場。3分くらいに縮めた「ラプソディー・イン・ブルー」から入り、以後は椅子に座ってマイクで曲目紹介や雑談を挟みながらいろんな曲を奏でるというスタイルだった。曲目は「別れの曲」やドビュッシーの「月の光」といったクラシックからボサノバ、「スティング」などの映画のテーマ曲、さらにはビートルズなど実に様々。合間のお話は英語風味が若干加わった日本語で、ウクレレの歴史や自らの体験談などを軽妙に語り、聴衆の笑いを誘っていた。最後の30分は客席からのリクエストを受け付けたが、知らない曲の名前が出ると「まだ生まれてなかったから……」と言ってとぼけてみせるのが何だか志ん生みたいでおかしかった。ウクレレの演奏をまともにじっくり聴いたのは初めてだが、演奏テクニックにもいろいろあるのだと分かって面白かった。特にオータサンが多用していたのが、右手で弦をはじきながら指の関節をウクレレに当ててコツコツと小気味よい音を立てる技術。あれでリズムにますます調子がついてくる。ピアノでも、弾きながら鍵盤の向こう側をたたいてみたら面白いんじゃないだろうかとふと思った。

8時過ぎに終演。部屋に戻ってレポートのチェックをすませたあと帰宅した。

2009年06月13日

それぞれの課題

久しぶりに何の予定もない土曜日。本当は山登りに行くはずが延期になったためだが、昨日はだいぶ疲れていたからちょうどよかったかもしれない。お昼にパスタをゆで、食後にコーヒーで一服する。休みの日の昼下がりに飲むコーヒーはどうしてこうもおいしいのだろう。

午後は折紙とピアノに半分ずつあてた。折紙の方はこの間作成しておいた紙で折り始める。しかし序盤から頻出する沈め折りに大苦戦。Open SinkにSpread Sink、それにとりわけ難しいUnsink(沈め折りと反対に沈んでいる部分を裏返して引き出す)まで登場し、たちまち紙を激しく傷めてしまった。ようやく難所を切り抜けたところで中断したが、まだ中間地点にも達していない。さすがにLang作品は難しい。破綻する可能性も大いにあるが、何とか行けるところまで行こう。それにしても、紙に負担をかけずに沈め折りをどうやってこなせばいいのか、未だによく分からない。

ピアノの方も課題がある。現在、プロコフィエフの曲を譜読みしてみているのだが、曲の中で延々とアルペジオを弾き続けながらメロディーをかぶせるところがある。旋律を構成する音はアルペジオの中に埋め込まれているので、その音をテヌートでくっきりと響かせたいのだが、これがどうにも難しい。AshkenazyにしてもChiuにしても、CDを聴いてみるとアルペジオの音の群れはもやもやと流体のように混ざり合って音の海を形作っており、メロディーは水の上を走るアメンボのように浮き出て聞こえてくる。まるで違う楽器で奏でているかのようだ。しかしそれをいくら真似しようとしても、どうしてもアメンボは水中に落ちて見えなくなってしまうのである。もうしばらく練習が必要なようだ。

2009年06月06日

次回の演奏会の曲目

先月末に演奏会が終わり、さて次は何を弾こうかと考えている。演奏会後の打ち上げではそろそろラフマニノフはどうですかと水を向けられてその気になり、「音の絵」からどれかやろうかなという気分になっていたのだが、帰宅してからパラパラと楽譜を眺めていて、どうもそれは簡単ではないということに気づいた。練習にほとんど時間が取れないことを考えると、一から譜読みをするのはちょっと難しい。となると学生のころに練習していた曲ということになるが、かつて挑戦したことがあるのはOp.33-2, 39-5, 39-9の3曲のみ。弾くならOp.39の2曲のどちらかかと思うが、始めの数小節を読んでみてまるで指が覚えていないと分かった。これを仕上げるまでには膨大な時間がいる。何しろラフマニノフは音符が多いのだ。弾きたい曲には違いないが、このところの忙しさを考えると、これを選択するのは得策ではないかもしれない。

そこで代案として思いついたのがプロコフィエフ。実はプロコフィエフは学生時代に一度も人前で披露したことがないのだが、「シンデレラ」の中の曲を去年の一時期にだいぶ練習していたので、その記憶がまだ指から消え去らないうちにやり直せば、次の演奏会までに何とか間に合うだろうという魂胆である。ただこれも思いつきなので、しばらくしたらまた考えを変えるかもしれない。

今日は夕方に街中まで買い物に出かけた。本屋で将棋世界の最新号を買った後、「シンデレラ」のCDかDVDでも買おうかと思い立ってタワレコまで歩いていくことにする。だが、今日はやめておくべきだった。うっかりしていたが、昨日から明日までの3日間、広島は「とうかさん」というお祭りをやっているのである。本通商店街は大変な混雑ぶりで、ときどき立ち止まらなければいけないほどだった。歩いている若い女性の2割くらいは浴衣姿である。ようやくタワレコにたどり着いたが、めぼしいものは見つからなかった。結局何も買わずに店を出る。まあ「シンデレラ」はネットで買うことにしよう。

2009年05月30日

京都でスクリャービンを弾く

午前中の新幹線で京都に移動する。京都は去年は結局行く機会がなく、かなり久しぶりだ。205番のバスを市役所前で降り、1ブロック西側の寺町通りをしばらく北進すると目指す旭堂楽器店があった。すでにリハーサルが始まっており、自分も少しだけ弾かせてもらう。なかなか弾きやすそうな感じ。少なくとも、ミスをピアノのせいにできないことは間違いない。試し弾きをすませて会場の外に出たとき、入口に設置されている椅子で開場を待つ詰将棋仲間のTさんとD君を発見。詰将棋の関係者に来ていただいたのは多分これが初めてだ。わざわざ足を運んでいただきながら、拙い演奏をお聴かせすることになってしまうのが心苦しい。とはいえ、やはりこうやって知っている人が来てくれるというのはうれしいものである。

自分の出番は第1部の最後で、1時半過ぎくらいだった。内容はもちろんお粗末なできだったが、まるで練習していなかったことを考えれば、よくあの程度のミスで切り抜けられたとホッとするくらいでもあった。もとよりうまくいくはずはないと覚悟していた手前、音楽の流れを切らさないことに集中していたことがよかったかもしれない。平たくいえば、いかにごまかすか、ということだ。曲としても、スクリャービンのふわふわした落ち着きのない旋律は、曖昧とした演奏をするには向いていたのだろう。

その後の演奏をすべて客席で聴き、4時半過ぎに無事すべてのプログラムが終了した。それから他の出演者とともに四条の近くまで歩き、押さえてあった店で打ち上げ。演奏会後の打ち上げはいつもディープなピアノ話に花が咲く。昨日、中間試験の監督やら会議やらに奔走していたことを考えると、まるで別の世界に来たような錯覚を覚えてしまう。そして今日の演奏はよかったですねとか次も期待していますなどと言われると、お世辞と分かっていてもいい気分になってしまい、次回は出演できるかどうか分からないなと昨日まで考えていたのも忘れて、次の曲目を何にするかあれこれ思いをめぐらせるのだった。

日付の変わるころホテルに戻る。半年に一度のピアノの日はこれにて終了。

2009年05月25日

演奏会プログラム

今月末に行われる演奏会のプログラムが決まったので掲載しておく。まあインフルエンザ騒ぎの最中にわざわざ京都まで出てきてくれる人はあまりいらっしゃらないとは思うが、当日お暇な方は是非。

2009年05月23日

ピアノの練習

夕方からピアノを弾きに出かけた。演奏会はこの月末。なのにほとんど練習できていない。もうほとんど棄権した方がいいくらいのレベルだが、前回は出演していないから今回も休むというのも気が引ける。かくしてまたもや泥縄モードである。

5時から浜松ピアノ社のピアノスタジオを予約してあった。演奏会直前の時期は、いつも一度はここで練習することにしている。何しろフルコンのスタインウェイが弾けるのだ。普段はいつも電子ピアノばかりなので、たまにはこういうところに来て矯正しないとタッチの感覚がどんどん狂ってきてしまう。それに現在練習しているスクリャービンの曲は、電子ピアノで弾くといつもある箇所で困ったことが起きる。その部分で右手を素早く移動させようとするとき、指がしばしば音色のボタンに触れてしまうのだ。突然ヴィブラフォンの音に変わってびっくりしたことがこれまで何度あったことか。本物のピアノなら少なくともヴィブラフォンに化けたりはしない。

1時間ほど頑張って練習してみたが、やはりかなりまずい状態だ。忙しくて全然練習できなかったから無理もないが、人様にお聴かせするようなところまでまるで行っていない。この分だとまた恥をかきに行くだけになりそうである。まあよい、ピアノで恥をかくことだけは慣れている。最近はチェスで恥をかくことも増えてきたが、早くこのピアノの境地に達したいものだ。

夕飯をすませたあと、喫茶店で頼まれている楽譜校訂の仕事を少し進める。8時半頃帰宅。

2009年05月18日

考える人

先週末、立ち寄った本屋で「考える人」という季刊誌が目にとまった。「ピアノの時間」という特集が組まれていたからである。立ち読みしてみるとピエール=ローラン・エマールのロングインタビューが出ている。これは「買い」だ。

だいぶ前にも書いたが、エマールといえば自分にとってはやはり「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」の名演の印象が強い。実際、彼はメシアンを始めとした現代音楽の正統的演奏者として世界的名声を得ていると思うが、近年はバッハやベートーヴェンの演奏でも有名なのだそうだ。この雑誌でも冒頭で「2003年に発表されたベートーヴェンのピアノ協奏曲全集でエマールの存在を初めて知ったという人は多いはず」という紹介をしていて、自分のような、エマールといえばメシアンと思っていた人間にとってはちょっと意外だった。そしてインタビューを読んでいておやっと思ったのは、彼が自分の生い立ちを語る中で数学についてふれていたことである:

「他にも興味を惹かれるものがありました。私にはどうやら数学の才能があったらしいのです。数学の先生は、私がピアノのコンクールに出て音楽家になろうとしていることを嘆いていました(笑)。」

ここにもまた、数学と音楽(ピアノ)をともに好きな人がいたわけである。この2つ、さらに加えるならチェス(あるいは将棋・囲碁)の親和性はやはり相当強いものがあるといっていいだろう。しかしエマールに数学の才能があったというのは、いわれてみればさもありなんという気になる。メシアンのあの楽譜を正確に読み解くためには、ある程度の数学的素養が要求されるであろうことは想像に難くない。

ところで、この季刊誌には吉田秀和の対談も収録されていた。1913年生まれとあるからもう95歳にはなっているはずだが、昔と少しも変わらぬ様子で元気に音楽を論じている。さらに高橋悠治のインタビューも収録されていて、それによるとピアニストだった彼の母もやはり95歳で、今も毎日1時間はピアノに向かっているのだそうだ。彼が子供のとき、お母様はどんな曲を弾いていらしたかというインタビュアーの質問に対する高橋の答えが、

「バッハ=ブゾーニの「シャコンヌ」、ショパンの「幻想曲」、セザール・フランクの「前奏曲、コラールとフーガ」。いまもセザール・フランクが一番好きらしい。」

思わず膝を打ちたくなるような素晴らしい選曲だ。こんないい曲を子供のときに聴かされて育つと、なるほどこういう大ピアニストになるわけかと納得してしまった。

2009年04月27日

前奏曲、フーガと変奏

ここ数日、ほんの10分かそこらなのだが、帰宅すると電子ピアノの蓋を開けてピアノを練習するということを続けている。やっと来月の演奏会に向けて準備を始めたのかというと、そうではない。本番が近づくと別の曲を弾きたくなるといういつものくせが、また頭をもたげただけである。今回は先日、たまたまフランクのCDをかけたために、衝動的に楽譜棚からバウアー編の「前奏曲、フーガと変奏」の楽譜を出してきてしまったのが発端だった。それからずっと譜面台に開いて置いてあるのである。

こういう淡々と静かに歌う曲は、平日の夜に少しだけ弾くのには向いているようだ。何しろがんがん和音を鳴らすようなところは少ないからさほど音量を絞らなくてもいいし、肩肘を張らなくてもそれらしく聞こえてくれる。何よりそれほど難しくないので、疲れて帰ってきた頭にも身体にも優しいのである。もっとも、最初の方をただ繰り返しているだけで一向に先へは進まない。おそらく、しばらくしたらまた別の曲が弾きたくなってきて、こちらは中途半端な譜読みのまま楽譜棚に戻ってしまうだろう。まあ、それでいいのだ。これくらいいい加減な方が、気楽にピアノを楽しめる。

2009年04月05日

祭りの後の一日

昨日ちょっと責任のある任務があって気が抜けない時間が続いたため、今日はその息抜きでゆっくりすることにする。天気もよかったし、本当はこういうときに散歩かジョギングでもした方がいいのかもしれないが、風邪が治ったばかりなのでしばらくは自重した方がいいだろう。午後はピアノの練習とパソコンでのDVD作成作業。今月中旬に学生時代のピアノサークル同期だったU君の披露宴があるので、彼の当時の演奏映像をまとめたDVDを作ろうとしているのである。まあ当日までには間に合うだろう。

夕方から街中に出かける。広島将棋センターに立ち寄り、昨日持って行き忘れた商品用の色紙や棋書を預けてくる。当初の予定では1位の方に色紙を、2位以下の方に棋書をさしあげる予定だったが、席主のTさんとその場で相談して一部入れ替えようということになった。棋書といってもほとんどは詰パラのバックナンバーなので、購読者に送っても仕方がないからである。これで賞品の件もほぼ片付いた。最後に答案用紙と参加者アンケートの束を実行委員会宛に送ったので、これで多分地域会場責任者としての仕事も一段落だ。まあとにかく無難に終わってよかった。

明日からは本業の方がちょっと忙しい。モードを切り替えないといけない。

2009年03月27日

学会、その後タワレコ

学会2日目の今日は春季賞の授賞式とそれに続く総合講演があった。今年の春季賞受賞者は、自分が学生のときの同期だったO氏。昔と変わらずアロハシャツのようなのを着たラフなスタイルで、受賞記念講演を行っていた。

学会の後、久しぶりに渋谷のタワレコを訪れる。広島にもタワレコはあるが、やはりこちらは規模が違う。最近はCDを買うときもネットで注文することが多くなってしまったが、本来であればCDであれ本であれ、やっぱりこうやって店頭でゆっくり見て回るのが一番望ましい。そうすることで思わぬ掘り出し物を見つける可能性があるからだ。今日はHusum音楽祭の2007年の録音、York Bowenのピアノ協奏曲集、それにStephen Houghのピアノリサイタルを購入。学生時代、CDを買いあさっていたころだったら発売と同時に買っていただろうCDばかりだ。広島に戻ってからゆっくり聴こう。

2009年03月07日

アルゼンチンのピアノ曲

最近 "Piano music of Argentina" というCDをよく聴いている。元々はヒナステラの「3つのアルゼンチン舞曲」Op.2が聴きたくて買ったCDだが、他の曲も実はなかなかよい。他、といってもヒナステラ以外はピアソラとグアスタビーノだけなのだけれど、アルゼンチンのリズムを楽しむならまずはこの3人で十分だろう。ピアソラはバンドネオンの曲が何と言っても有名だが、ピアノ曲もいくつか美しい作品を遺している。聴いているうちにだんだん楽譜を手に入れたくなってきて、どれを注文しようか楽譜販売サイトを見て回って考えているところである。チェスも折紙もそうだが、こうやってどんどん散財していくわけだ。

南米の作曲家というのはクラシック音楽の本流からはややずれたところにいるためか知名度があまり高くないが、聴いてみると実に魅力的な曲が多い。上の3人以外にも、例えばヴィラ=ロボスやニャターリなどは一度弾いてみたいと思う曲がいくつもある。そういえばニャターリの曲は以前アムランが演奏していたのに触発されて少し譜読みしたことがあったのだった。またちょっとやってみてもいいかもしれない。

2009年02月10日

フランス組曲

今月に入ってからはアンドレイ・ガヴリーロフの弾くフランス組曲のCDをずっとかけている。バッハの曲はもちろんどれも好きだが、フランス組曲はその中でもかなり上位に来る存在だ。特に4,5,6番の長調3曲は何度聴いても飽きない魅力を持っていると思う。自分でも弾いてみようと鍵盤に向かうことはある。ただ人前でバッハを弾くと技術のなさがもろに出てしまうので、あくまで一人でこっそり楽しむだけだ。本当はバッハをいつどこでも弾ける状態であることが理想なのだけれど、現実には少し練習をサボるとすぐ忘れてしまう。先日も、前によく弾いていたフランス組曲5番のアルマンドをちょっとやってみようとしたら指が全く動かなかった。また少しずつリハビリしなければいけないようだ。

ガヴリーロフというとプロコフィエフの「悪魔的暗示」とかバラキレフの「イスラメイ」のような超絶技巧曲の演奏がまず思い浮かぶが、実はこのフランス組曲もなかなかの名演であると思う。そういえば最近はあまり名前を聞かないような気がするが、活動はしているのだろうか。

2009年02月04日

二つの残念なニュース

ニュースサイトを見ていて、残念なニュースを2つ見つけた。1つ目は、お茶の水のカザルスホールが来年3月をもって閉館するとの知らせ。まだ東京にいたころにカザルスホールには何度か足を運んだが、とりわけ印象深いのは何と言っても1997年12月11日と同14日行われたMarc-André Hamelinのリサイタルだ。にも書いたが、当時まだ一部のピアノマニアだけが知る謎のピアニストだったアムランを、その演奏に心酔していたメンバーが結集して招聘した。音楽事務所などを介さず、すべて自分たちで取り仕切ったのである。赤字でもいいから生で聴きたいと決行したプロジェクトだったが、半分以上売れれば御の字と思っていたチケットは2日間のリサイタルの両日とも完売。カザルスホールは満員になったのだった。私自身は仕事らしい仕事はしなかったが、それでもみんなと一緒に成田空港へアムランを迎えに行ったり、リサイタル当日にビデオ撮影を担当したりと得難い経験をすることができた。あのときの舞台となったホールがなくなってしまうのは何とも残念である。

残念なニュースの2つ目は、訃報だった。泡坂妻夫氏が亡くなったとのこと。この方はミステリ作家であると同時にマジシャンでもあり、作品のあちこちにマジシャンらしいトリックや遊びが隠されていた。高校生のころだったか、処女作の「11枚のとらんぷ」ですっかりハマってしまい、一時期はよく読んでいたものだ。「11枚のとらんぷ」は長編作品の中に短編集が挿入されるという作中作の構成で、しかもその短編集においてマジックのトリックが解き明かされるという面白いものだった。それ以外にも、登場人物や各章のタイトルがすべて回文という「喜劇悲奇劇」、本自体に仕掛けがしてある「しあわせの書」、以前エープリルフールのネタに使わせてもらった「魔術館の一夜」など、この人でなければ書けないような変わった本がたくさんあった。もう新作が読めないのは残念でならない。

2009年01月25日

サーバ構築作業とピアノの練習

うちの自宅サーバも火を入れてからもうすぐ3年になる。これまでネットワークが切れてしまうトラブルは何度かあったが、それはいずれもルータやケーブルの問題で、サーバ自体はずっと快調だ。ただ元々は古いノートPCの使い回しであり、いつまでも元気なわけはないので、新しいサーバを導入する計画を少しずつ進めている。すでに注文してあった安売りのマシンが少し前に届いていたのだが、このところずっと公私にわたって忙しく、なかなか手をかける時間がなかったのだ。今日の午後を使い、ようやくパーティション切りとLinuxのインストールまで作業をする。Linuxは今や一大勢力となったUbuntuを初めて入れてみた。まだ整備しなければいけないことがたくさんあるが、今日はここまで。平日は時間がとれそうにないので、実際にサーバを移行するのはまだだいぶ先になりそうだ。

夕方は街中に出て久しぶりにグランドピアノを弾いてきた。30分だけだが、やはり電子ピアノと違う鍵盤の深みと微妙に強い抵抗力が指に心地よい。スクリャービンは詩曲Op.32-1の他に最近はワルツOp.38をやってみている。一般にはほとんど知られていないが、イゴール・ジューコフの演奏を聴いて以来ずっと私のお気に入りの曲である。まだ大学2年生のときにピアノサークルの演奏会で一度弾いたことがあるが、もう15年近く前のことだから譜面はほとんど忘れてしまっていた。あのときは演奏がちょっと雑になってしまったような気がするので、今回はもう少し丁寧に弾くことを心がけよう。

帰宅後、今日がお年玉年賀はがきの当選番号発表の日だったことを思い出す。当たったのは4等が2枚。1枚は自分で買って余ったはがきで、もう1枚はチェス協会から来たものだった。最後に3等に当たったのはいつだっただろうか?少なくとも、ワルツを弾いたときより前であることは間違いない。

2009年01月10日

電子ピアノの鍵盤音

寝起きが悪く、何だか頭が痛かったので、午後も家でピアノを弾いたりエンドゲームスタディを調べたりしてゆっくりしていた。ピアノは昨年後半はあまり練習できなかったので、今年はちゃんと時間をつくって弾いていきたいと思っている。今までいろいろな曲をやってみたが、結局自分が人前で弾いて一番ほめてもらえるのはやっぱりスクリャービンかラフマニノフのようである(もちろん、お世辞の部分を大幅に割り引いて受け取らなければいけないことは認識しているつもり)。一人で弾く分にはバッハもシューマンもゴドフスキーも楽しみたいが、演奏会に出す曲についてはやはり先の二人を軸に選んだ方がよさそうだ。今のところ、スクリャービンの詩曲Op.32-1は何とかなりそう。もう1曲くらいはやりたいが、どうするか楽譜を見ながら考えよう。

夜になってからも音量を絞って少しだけ弾いていたのだが、音を小さくすると相対的に鍵盤のカタカタいう音がよく聞こえるようになる。こういうのは経験してみないと分からないのだが、電子ピアノの鍵盤自体が出す鈍い音は思ったよりずっと大きい。ピアノサークル同期のU君はかつて、下宿先で夜中にヘッドホンをかけて電子ピアノを弾いていたら、隣の住人から激しい剣幕で苦情を言われたことがあったそうだ。その話を聞いたせいで、夜にちょっと練習するときもヘッドホンはあまり使わないことにしている。耳にピアノの音だけを聞かせてしまうと、自分が鍵盤のカタカタ音も発している事実を忘れてしまいそうになるからだ。幸い、今までに騒音で他の住人の方から文句を言われたことはまだない。

2009年01月03日

チェスのち新年会

今日は学生時代のピアノサークル同期の新年会の日。ここ数年、1月3日に行うことが恒例化しており、今年も新宿で6時からということになっていた。かつては毎日のように顔を合わせていたメンバーだが、さすがに最近では会うことも少ない。この年始めは、お互いがまだそれほどには変わっていないことを確認し合う貴重な機会である。

新年会に先立ち、同期メンバーの一人であるY君のお宅にお邪魔することになっていたので、お昼少し前に家を出た。実は彼は最近チェスを始めており、それなら一度指しましょうということになっていたのである。こちらとしては体調不良で昨年末にOTB(=Over the Board、つまりネットを介さない実際の盤駒での対局)の機会を失ったばかりだったから、なおのこと楽しみにしていた。彼のことだから相当手強いはずと思っていたが、案の定、1局目はぼやっとしているうちにやられてしまった。どうも事前のメールのやりとりで何気なくこちらの定番オープニングを聞き出し、密かに対策を練っていたらしい。そうか、そんなことだったら偽情報を送っておくんだったな……。2局目は前と打って変わって早々にQ交換してやや静かな展開。ポーンエンドゲームになったが、今度は幸いこちらのポーンの形がよく、うまく昇格を決めて勝つことができた。1局目はお互いミスが多く反省点だらけだったのに対し、2局目はどちらもほとんど大きなポカがなく、なかなかじっくりした勝負を楽しむことができた。勝つにしろ負けるにしろ、いつもこうでありたいものだ。

夕方に彼の家を出て待ち合わせ場所の新宿へ。今回の参加者は10人。高層ビルの最上階にある店で楽しいひとときを過ごした。いくつか持っていった折紙を見せたり、マジックをやる流れになって昔からやっている定番のネタを一つ披露したりと、こういうときには日頃の趣味がちょっと役に立つ。まあ結局のところ、こういう場で数分持つ話題を提供するために普段遊んでいるようなものだ。

喫茶店に場所を変えてさらにもうしばらく雑談した後、11時頃散会した。明日は広島に戻る予定。

2008年12月27日

楽譜到来&年末清掃

JavaSuite.jpg午前中はだらだらしていようとベッドに潜り込んでいたら、チャイムに呼び起こされてしまった。何かと思ったら、今月上旬まで校訂作業の手伝いをしていたジャワ組曲の楽譜が届いたのだった。できてみるとなかなか立派なものである。しかも校訂作業を指揮したNさんによる解説が素晴らしい。テクニック偏重や内容空疎といった、ゴドフスキーに対するこれまでの誤った論評がいかに的外れであるかがよく分かる。日本語で書かれたゴドフスキーに関する文献として、基本的なものの一つになるかもしれない。巻末の「協力」の欄には私の名前もあって、まずは満足である。ジャワ組曲は今まで弾いてみたことはなかったが、せっかくこんな楽譜もできたことだし、いずれどれか譜読みしてみよう。

午後は主に掃除の時間に充てた。といってもあまり大したことはしていない。机の上に積み重なったチラシや、通販で届いた商品を取り出した後にそのまま床に置かれている梱包用の紙袋など、いつの間にかあたりにいろんなものが散らかっている。それらをまとめて捨て、そのあとに申し訳程度に掃除機をかけた程度だ。洗面台やシンクなど、水回りもだいぶ汚れていたので一通り拭き取ってきれいにした。まあすぐ同じような状態になってしまうに違いないが、何もしないで新年を迎えるよりはいいだろう。

明日は実家に戻る予定。

2008年12月25日

大阪いいでっせ

今日も午後はぶっ通しで会議。この年末年始にやらなければいけない仕事が3つも4つもある。今日は会議で疲れて帰ってきてしまったが、仕事納めの明日にできることは片付けておきたい。しかしこうも忙しくなるとは、今年の初めには想像していなかった。来年が思いやられる。

昨日レクイエムのことを書いていて急に思い出した。モーツァルトのレクイエムを聴いていると、ちょっと面白く聞こえるところがある。5曲目のサンクトゥスは2分程度の短い曲だが、始まって1分ちょっと、トゥッティの合唱が終わってフガートが始まるところから、
   大阪 いいでっせ   大阪人でっせ
   大阪 いいでっせ   大阪人でっせ
と言っているように聞こえるのである。バスからテノール、テノールからアルト、アルトからソプラノと大阪を称える歌声が響き、最後は四部が声を合わせて「いいでっせー!」と大合唱して曲が終わる。どこでこの話を聞いたかもう忘れてしまったが、多分だいぶ前にテレビか何かで見たのだろう。いったんそう思って聴くと、もうそう歌っているようにしか思えなくなってくるから不思議だ。

実際には "Hosanna in excelsis" と歌っており、これはサンクトゥスならいつも出てくるフレーズである。だから別にモーツァルトに限らず聞こえてもよさそうなものだが、例えば昨日のフォーレのレクイエムを聴いていてもあまりそんな風には聞こえない。モーツァルトが一番なのである。やはりあの曲調の元気のよさが文句とマッチしているのであろう。

2008年12月24日

Requiem

去年のクリスマスの夜は、メシアンの「みどりごイエスに注ぐ20のまなざし」を聴いて過ごした。今年も何か宗教曲をかけようかなとCD棚を眺め、しばし迷ってからフォーレの「レクイエム」をかけることにする。数あるレクイエムの中でも、おそらくモーツァルトと並んで最も有名な曲だろう。キリスト誕生の夜に鎮魂曲というのは方向性が違うような気もするが、他の作曲家のレクイエムと比べると、フォーレのそれはひたすら穏やかで、ゆっくり静かな夜を過ごすにうってつけだ。

フォーレのレクイエムの曲はどれも実に美しいが、特にお気に入りを1曲あげるなら4曲目の "Pie Jesu" だろうか。3分あまりの小曲だが、この曲の清らかな美しさは筆舌に尽くしがたい。歌うのはソプラノのソロだけで、オルガンや弱音器付きの弦による伴奏も終始控えめである。それだけに、つつましやかな歌声が胸を打つのだ。今手元にあるCDはアンドレ・クリュイタンスによる1962年の録音で、"Pie Jesu" を歌っているのはソプラノ歌手のVictoria de los Ángelesである。アンヘレスの歌声ももちろん素晴らしいのだが、実家にはもう1枚、ミシェル・コルボが指揮をしている1972年録音のCDがあり、ここで "Pie Jesu" を歌っていたボーイ・ソプラノが本当によかった。高校生の頃だったか、一時期すっかり気に入ってしまって繰り返し聴いていたのを覚えている。あとで聞いた話だが、あれを歌っていたAlain Clementは録音の直後から声変わりが始まり、今でも歌手をしているものの声はバリトンなのだそうである。多分今はもう40代だろう。

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