メイン

2006年11月24日

Hamelin's DVD

最近発売されたマルク・アンドレ・アムラン (Marc=André Hamelin) のDVD "It's all about the music" が届いた。ドキュメンタリー映像やリサイタルの様子、特典映像などが入っている。まだドキュメンタリーの部分だけしか見ていないが、期待に違わぬ内容。ファンが何を見たいのかを制作者側がよく分かっている。アムラン本人や関係者のインタビューに混じってアムランの演奏が挿入されるのだが、Rzewskiの "The People United Will Never Be Defeated!" に始まって、Medtnerの "Fairy Tale" Op.20-1、Chopin=Godowskyの第13番(私がC=Gの中で最も好きな曲)、アムラン自身の作曲による "After Pergolesi"、Kapustinの間奏曲、そしてAlkanの「交響曲」の第4楽章というように、かゆいところに手が届く構成になっているのだ。ケベックで行われたリサイタルの映像もあるので、これも見るのが楽しみである。

DVDと一緒に、スティーブン・ハフ (Stephen Hough) の弾くスペイン曲集のCDも到着。こちらも当分は楽しめそうだ。

2006年11月18日

藁人形

大人とは思えないほど寝てしまった。12時起床。このところいつもにまして就寝時間が遅くなっていたので、たまっていた寝不足の借りをようやく返した気分である。しかしどうも、寝ている間に荷物が届いていたらしい。熟睡していて全然気がつかなかった。夜になって郵便受けをチェックしたので、今日の配達は終わってしまっていた。まあいい、明日届けてもらおう。

午後はピアノを弾いたりしてだらだらと過ごす。先月あたりからラフマニノフ=ワイルドの "In the silent night" を練習しているのだが、休日に思い出したようにちょろちょろ弾くだけだから、いつになっても全然譜読みが進まない。おまけに、すぐ他の曲に浮気したくなってしまう。今日はグラナドスの "El pelele" っていい曲だったよなあと急に思い出し、楽譜を出してきて最初のページだけちょっとメロディーをなぞったりしていた。「エル・ペレレ」は「藁人形」の意。日本語で藁人形というと、どうも呪い殺すための道具という連想をしてしまいがちだが、これはゴヤによる同名の絵画を見た印象を元に書かれた曲で、女性たちが毛布の中央に置かれた等身大の人形を空中へ跳ね上げて遊ぶ様子を描写したものである。曲調はリズミカルでいたって明るく楽しい。私はどちらかというと、自分の性格を反映してか、暗くて陰湿で粘っこい曲が好みなのだが、ときどきこういうひたすら楽しい曲にも憧れを感じてしまう。アルベニスの「イベリア」もそうだが、スペインの作曲家の曲はいつも太陽がギラギラと輝いているようだ。こういう雰囲気は、ラフマニノフやスクリャービンには全く存在しないものである。

夕方、冷たい雨の中を市街地に車で出かけた。車中でグラズノフのピアノ曲集をかけていたら、「演奏会用大ワルツ」Op.41が流れて、ああそういえばこの曲もいいんだよなあと思い出してしまった。何だかまたつまみ食いの譜読みをして時間を浪費しそうな気がする。

2006年11月15日

ショパン=ゴドフスキー

今はアムランの弾くショパン=ゴドフスキーのCDを久しぶりに出してきて聴いている。学生のころは、弾けるはずのないゴドフスキーの難曲を平気で演奏会に出して毎回恥をかいたものだった。「酒・女・歌」だって「こうもり」だってやってしまったのだから、厚顔無恥もいいところである。あのころからは年をとって、弾けない曲は人前で弾かない分別はさすがについたつもりだが、そうはいってもゴドフスキーの曲には相変わらず引きつけられてしまう。これはまあ、ピアノマニアの宿命だろう。

ただでさえ難しいショパンの練習曲をさらに難しく編曲したこの作品は、真面目にピアノを愛する人から見れば、「技術偏重、内容空疎」の象徴的存在として忌み嫌われることが多い。正直なところ、そう言われても仕方のない面はあると思う。ショパンの練習曲はピアノを弾くものにとっての聖典だ。ピアノの心得が多少ともある人間なら、その素晴らしさが分からない人はまずいない。そんな曲をさらにいじくるなんて、それこそシェークスピアをちょこちょこっと書き直して共著扱いで発表するようなもの。全くもってけしからんというわけである。

そうは思いつつも、やっぱりこっそりこれらの曲を聴いてみたいという思いは、抑えることができないのである。あくまで「こっそり」だ。例えば誰かと話していて、その人がピアノ好きだと分かっても、ショパン=ゴドフスキーを認めているかどうかを確認しないうちは、正面切って愛聴しているとは言いにくい。眉をひそめられるかもしれないからである。だからこの間のように相手が同じ嗜好であると分かっているときは、何とも言えない安心感があるのだった。

ちなみに私が特に好きなのは、原曲Op.10-6を編曲した第13番。左手一本で弾かれるさざ波のような音たちが、例えようもなく美しい。

2006年11月08日

牡蠣を食いつつピアノ談義

ピアノサークルの3年先輩だったNさんが、学会に出るために来広するというので7時に待ち合わせ。もう一人、Mさんという方も一緒に来ていらして、初めてお目にかかった。お二人を牡蠣料理の店にご案内する。かき塩辛、かき時雨煮、かき酢、殻付かき、かき土手鍋、かき雑炊、フルーツ(柿)。大変満足していただけたようで、お連れしたかいがあったというものだ。

かつてのピアノサークルのメンバーは全国に散らばっているが、関西圏に住んでいる人たちは「加古川ピアノの会」という集まりでよく演奏会を開いている。Mさんは関西の音大を出られたが、ちょっとしたきっかけで加古川ピアノの会に出入りするようになり、今ではすっかり中心メンバーの一人となってしまったとのこと。せっかく正統的な道を歩んでいたのに、あんなピアノオタクの巣窟に足を踏み入れてしまって……という気もしないではない。とはいえ、私もまあ巣窟側の人間だから、こうやって仲間が増えるのはうれしいことである。

Nさんともずいぶん久しぶりで、昔話に花が咲いた。話を聞いていると、かつての仲間は相変わらずみんな元気にピアノを弾いているなあと感心してしまう。自分は、詰将棋だのチェスだの他の趣味がどんどん増えてきてしまったこともあり、何だか取り残されてしまった気がする。Nさんたちからは、来年に演奏会をやるから是非出てくれと言われてしまった。確かにそういうモチベーションを作った方が練習に身が入るかもしれないが、果たして今から人前に出せるほどの曲をものにできるかどうか。

2006年10月15日

静かな夜に

昨日は夕方から市街地まで出かけたのだが、ちょうどカープ戦が広島市民球場で行われていたのと、広島フードフェスティバルなる催しが行われていたこともあって、街中はかなり混雑していた。今日は今日で、うちから徒歩数分の位置にあるサッカー場でサンフレッチェ広島の試合をやっていたようだ。出かけるとまた渋滞に巻き込まれそうなので、近くのスーパーに行った以外はずっと家で逼塞していた。

海外出張の間ピアノが弾けなかったせいで、最近新しい曲でも譜読みしようという気になっている。とはいっても、ゼロから新しい曲をやるにはもう時間も気力もなさそうなので、とりあえず学生時代に一度は弾いたはずの曲から選ぶことにした。当時一番手を出していたのはラフマニノフとスクリャービンで、この2人は今でも私にとっては大事な存在である。昨日、今日と再挑戦してみているのが、Rachmaninov=Wildの "In the silent night"。ラフマニノフがまだ若いころの歌曲をワイルドがピアノソロに編曲したものだが、ムーディーでいかにも彼らしいメロディーにあふれながら適度な演奏効果もあり、弾いていて「ラフマニノフ」を実感できる曲だ。もう一度人前で弾けるところまで持っていきたいものだが、しばらくは忙しくなりそうなので、ちょっと時間がかかるだろう。

2006年10月07日

久しぶりのピアノ

こちらへ戻って初めての土日。やはり休みの日はいい。今月末と来月頭にまた講演しなければいけないので、あまり悠長に構えている場合でもないのだが、この3連休はちょっとダラダラさせてもらおう。

お昼を食べてから、久しぶりに電子ピアノにさわってみる。結局あちらでは全くさわる機会がなかったから1ヶ月以上ご無沙汰だったが、やはりこれだけ間隔が空いてしまうともうまるでダメだ。「とりあえずいつでも弾ける曲」のはずだったフランス組曲のアルマンドからしておかしくなっている。少しリハビリする必要がありそうだ。その後は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲の楽譜を出してきて、冒頭部分の分厚い和音を弾きながら例の旋律をハミングしたり。人がいたら恥ずかしくてとてもできないが、一人ならこれはなかなかいいストレス発散になる。

大学院時代の同期で、現在は東京で金融系の会社に勤めているS君が、明日泊まりに来ることになった。遅い夏休みを取ったので、中国地方をぶらっと回るとのこと。実は彼は一昨年にも同じ時期に遊びに来たのだが、そのときは台風の来襲とぴったり重なってしまい、ほとんど何もできなかったのだ。今回はずっと好天に恵まれそうである。宮島にでもお連れしよう。

2006年08月19日

夏眠不覚午

起きてみたら、何と正午どころか午後1時もとうに過ぎていた。いくら土曜日は惰眠を貪ることができるとはいっても、日が昇りきったときにまだ寝ているというのは、人間としてどうなのか。足の遅い台風も、さすがにしびれを切らして行ってしまったあとだった。昨日かなり夜更かししていたのが直接的な原因だが、今週はいろいろあったのでやはり疲れがたまっていたのかもしれない。

ちょっとした仕事を片付けて、夕方から街中に出かけ、ピアノスタジオでピアノを弾いてきた。すでにスタンプカードがいっぱいになっており、30分間をただで弾くことができた。これは満足。しかし最近は家で練習する時間が全くとれず、スタジオで譜読みに時間を割かざるを得なかったのは、ちょっともったいなかったように思う。

2006年08月16日

ミケランジェリ

今日は一日中会議だった。明日は一日中セミナーで、明後日はまた一日中会議の予定。

ミケランジェリが1981年にLuganoで行ったライブのDVDを帰省中にいただいたので、帰宅後に前半を見てみた。ベートーヴェンのソナタ第11番Op.22と第12番Op.26。ベートーヴェンのソナタは中学のころにグルダの全集を何度も何度も聴いて、一時期は32曲のどこであろうと脳裏で再生できるほどになっていたが、いつしか滅多に聴かなくなっていた。11番と12番などいったいいつ以来だろうか。しかし一度聴くとまた旋律がよみがえってきた。

彫りの深いミケランジェリの顔を見ていたら、ロシア人の大物代数幾何学者でそっくりの人がいるのを思い出した。去年の夏、シアトルの研究集会でその人の講演を聴いていたとき、一緒に参加していた人に「ミケランジェリに似てない?」と耳打ちされ、なるほど確かにと膝を打ったものである。もっともミケランジェリは、周りが今ひとつよく分からない冗談を自分で言って自分で笑うということは、あまりしそうにない。

2006年08月05日

メランコリー

土曜日なのでまたぶらっとピアノを弾きに出かけた。と言っても今日は30分だけで、しかも空いていたのはアップライトの部屋だけだったので、充実感はさほどではなかった。現在は、昔弾いたはずの曲をもう一度思い出そうというキャンペーンを脳内で開催している。先週始めたショパンの舟歌に続き、ここ数日はプーランクの「メランコリー」の楽譜も出してきて弾いてみている。ほんの3年半前に演奏会に出したはずなのだが、ここまできれいに忘れているとは。一度やった曲をゼロまで忘れてしまうのはあまりにもったいない話だ。

それにしても、「メランコリー」はやはりいい曲だ。舟歌もそうだが、どこか物憂げな曲調が今の私には波長が合うようだ。カプースチンの三度ばかり練習していた反動かもしれない。

終了後、明日持っていくもみじ饅頭を購入。これで準備万端。

2006年07月29日

Uの芸術

土曜日ということで、家の電子ピアノで少し指を慣らしてから、また街中へ出てグランドピアノをさわってきた。いつものようにフランス組曲のアルマンドでウォーミングアップしてから、カプースチン。それから今日は、ショパンの舟歌も久しぶりにやってみた。人前で初めて弾いたのは、大学のピアノサークルの新人演奏会だから、かれこれ13年前ということになる。だいぶ忘れてしまっていたが、何度か繰り返していたら、少しずつ指が記憶を取り戻してきた。やはりいい曲だ。

そういえば、ピアノサークルの同期だったU君が、デュオの演奏会を開くことになったようだ。普段はお役所に勤める純朴ではにかみ屋の好青年なのだが、髪を派手に赤く染めたりしていてちょっとびっくりである。同期なのに年の差を妙に感じてしまった。ともあれ、関東にお住まいの方は、行って損はないと思うので是非。

彼はサークルやその周辺においては、もはや生きた伝説となっていた。彼の演奏は、もはや「すごい」とか「素晴らしい」というありきたりの言葉では、到底表現できないようなものだった。サークルの演奏会において、U君はある時期から決まってプログラムの一番最後に配置され、聴く人は彼がどんな名演を聴かせてくれるか、そしてアンコールで何をやってくれるか、みんながわくわくしていたものである。そして彼は、常にその期待を裏切ることはなかったのだった。

彼の演奏を分かりやすく言えば、アクロバティックで人を驚愕させる超絶技巧ということになるのだろう。しかしこういうヴィルトゥオーゾの世界は、ともすれば技巧偏重・内容空疎というイメージを持たれ、最初から一段低く見られがちだ。実際、うちのピアノサークルは代々超絶的な難曲を偏愛する人間が多く、目にもとまらぬ名人芸を演奏会の度に披露していたが、その中には「見せびらかしたいだけ」と言われても仕方のないような演奏も少なくなかったのは確かである(さらには私のように、技術がないのに難曲を弾こうとする困った人も一定数いた)。しかしU君の演奏は、それよりはるか上のステージにあったと思う。彼の演奏を聴いた人は、みんなホロヴィッツやシフラを生で聴いたような気分になった。彼が私の同期であったというのは、何とも幸せなことだったと思う。

当時私はサークルの演奏会の模様をビデオ撮影で記録していたが、彼の演奏がサークルの中でだけしか知られないのはあまりにもったいないと思い、U君の演奏だけを取り出して「Uの芸術」というビデオを制作したことがある。伝え聞いた人があちこちからダビングしてほしいとメールを送ってきて、一時期はその発送作業が私の日課だった。テープが劣化しないうちにDVD化しようと思っているのだが、忙しくてまだ実現していない。しかし、これはいつかしなければいけない作業だと思っている。

2006年07月22日

原稿書きとピアノ

起きたらもうお昼になっていた。ちょっと疲れがたまっていたのかもしれない。パスタとアイスコーヒーで落ち着いたあと、ピアノスタジオに電話してみる。
「今日の夕方から夜なんですが、空いていますか?」
「少々お待ちください……すみません、今日はレッスンでちょっといっぱいになっていまして……」
仕方ない。今日はレポート記事を進めろということらしい。

ときどき他のことをして気分転換しながら原稿を書いていったのだが、存外筆が進まないものだ。どう書いても、あれがあった、次にこれがあったと事実を列挙する風になり、何だか遠足の感想を書いている小学生の気分になる。まあもとよりうまい文章が書けるわけでもなし、割り切ってしまうべきなのだろう。

夕方になり、買い物をしようと車を出して市街地まで出かけた。今日は花火大会が宇品であるせいか、道がやたらに混んでいる。本通を歩いているとき、ふと思い立って昼間に電話したピアノスタジオに立ち寄ってみた。今日は無理ということだったから、明日の午後が空いているかどうか聞いてみようと思ったのだ。頭の中での想定問答は、「今、ピアノ部屋空いていますか?」「すみません、もう今日は満杯で……」「そうですか、では明日は?」という流れでできあがっていた。まず「つかみ」として、知らないふりをして現在の空き状況を尋ねるというプランである。
「今、ピアノ部屋空いていますか?」
「少々お待ちください……はい、グランドピアノの部屋でしたら空いていますけど」
昼間の電話は何だったのか。結局当初の予定通り弾けたからよかったものの、これでは電話による事前の確認はあまり信用できないかもしれない。

2006年07月07日

イベリア

また最近聴いているCDの話でも。今かかっているのは、「イベリア」である。アルベニスの最高傑作にして、20世紀に作曲されたピアノ曲の中でも最上級の完成度を誇る名作と思っている。第1集から第4集まで、それぞれが3曲セットの計12曲からなるが、どれも甲乙つけがたい。最近出たアムランの演奏も悪くないが、この曲に関しては、やはりアリシア・デ・ラローチャの演奏が一番好きだ。1973年の旧録と1986年の新録、どちらも何十回聴いたことか。何度聴いても本当にいい曲である。

Jerez.jpg「イベリア」は曲の内容もさることながら、演奏技術の難しさという点でも一つの頂点を極めた作品である。難曲たるゆえんは、演奏を見ている人に「2匹の蜘蛛が格闘しているようだ」と言わしめるアルベニスの書法にある。両手が弾く音域が激しく重なり、とんでもなく弾きにくいのだ。いかに手が衝突しないかに常に注意を払っていなければならず、例えば左手の指が入ってくるスペースを確保するために、まさに絶妙のタイミングで右手の指を退避させたりしなければならない。右は第4巻第2曲「ヘレス」の一節だが、ここは上段も下段もト音記号であり、レガートで動く右手の和音の真ん中に、左手がスタッカートで加わることが要求されている。

こんな拷問に近い弾き方をさせておいて、聞こえてくるのは甘美で情熱あふれるスペイン音楽なのだから、不思議なものだ。掉尾を飾る第4巻第3曲「エリターニャ」には今まで何度も挑戦しているのだが、そのたびに挫折してしまっている。いつかは通して弾いてみたい曲である。

2006年07月03日

冷しゃぶと花のワルツ

昨日の夕飯に冷しゃぶをつくって食べたのに、今日のお昼に学食で、何も考えずにAセットの冷しゃぶを注文してしまった。レジで支払いを済ませ、座席に着こうというところまで来て気づいた。さらに、昨日つくったものは2日分だったので、今日の夜も冷しゃぶである。冷しゃぶ、冷しゃぶ、冷しゃぶ。じめじめした季節、さっぱりしたものが食べられるなら、別に同じメニューが3回続いてもどうということはない。

食後に、空になった皿を洗いながらふと気づいた。家にいるときは、誰もいないのをいいことによくメロディーを口ずさんでいる。最近かけているCDの曲だったり、テレビでしつこく流れていたCMのBGMだったりと、口をついて何が出てくるかはその日次第だ。しかし、皿洗いをしているときには、なぜか決まってチャイコフスキーの「花のワルツ」を口ずさんでいるのである。別に最近よく聴いているわけでもないのに、どういうわけか頭に浮かんできてしまうのだ。

深層心理を自己分析してみるに、小学校時代、掃除の時間に決まって「くるみ割り人形」がかかっていたことが影響しているような気がする。小序曲の軽やかな旋律が聞こえてくると、めんどくさいなあと思いながら机を前に移動させていたし、花のワルツが流れ出すと、「清掃は終わりです」という放送委員の抑揚のないアナウンスがそこにかぶさり、ああこれで帰れるとうれしくなりながら机を元の位置に戻したものだった。だから私にとっては、花のワルツは「片付け作業はもうすぐ終わり」というステージに自分がいることを示す、テーマ曲となっているのかもしれない。

2006年07月01日

ショパンと「巨人の星」

今日はまたピアノを弾きに出かけた。今年は次から次へとしなければいけないことが降ってきて、意識して時間を作らないと、ピアノに全く接しなくなってしまいかねない。上達はもう無理でも、忘れない程度には練習していきたい。

2006年06月24日

次に譜読みする曲

2週間ぶりに浜松ピアノに行ってピアノを弾いてきた。今日もまたカープの試合と重なったために駐車場が大渋滞だったが、余裕を持って出ていたため、予約した時間には遅れることなく到着。

ニャターリやシューマンなど何冊か楽譜を持っていったのだが、結局カプースチンばかり弾いて終わってしまった。やはり他の曲はまだ譜読みを始めたばかりという段階で、時間貸しスタジオでその続きをするのは少々もったいないと感じてしまうのだ。次に本格的に何をやるかというのがはっきり決まっていないということもある。シューマンというつもりはあったのだが、食指を動かされるのは大曲ばかりで、とても終わりまで行けそうもないのだった。

一時期頑張ってかなりのところまでいった、アルベニスの「イベリア」の「エリターニャ」に再挑戦してみるか。はたまた、オタク路線でゴドフスキーの編曲ものを始める手もある。しかし、これらはあまりに難しくて、人前でうまく弾ける可能性がほぼゼロに近いのが問題だ。もっともそれを言ったら、どの曲だろうと一度として自分がうまく弾けたためしはないのだから、何をやっても同じという気もする。いったん始めたら当分はその曲にかかりきりになるだけに、ここが思案のしどころだ。

2006年06月17日

シューマン没後150年

最近になって気づいたのだが、今年はモーツァルトの生誕250年であるだけでなく、シューマンの没後150年の年でもあるのだった。そんなにマイナーな作曲家ではないと思うのだが、モーツァルトがマスコミにもやたらにとりあげられるのに比して、シューマンは誰もほとんど話題にしていない。だからというわけでもないけれども、このところシューマンをよく聴いている。

ピアノを弾く人でショパンが嫌いという御仁には滅多にお目にかからないが、シューマンは結構好き嫌いがはっきり出るように思われる。学生時代に所属していたピアノサークルでも、シューマン嫌いは必ず何人かはいたものだ。気に入らないのは、おそらくその「アマチュアくささ」が原因だろう。ロマン派などと呼ばれていても、ショパンやリストは曲の構成や細部の書法、指使いに至るまですべてが計算され尽くしている。まさに職人芸、プロの仕事なのである。ところがシューマンは、素人がプロになった気で書いているような印象を受けてしまう。フロレスタンとオイゼビウスだのダヴィッド同盟だの、自分の勝手な空想の産物を曲名につけたりして憚らないし、曲の冒頭に「できるだけ速く」と指示しておきながら、あとになって「さらに速く」、「もっと速く」などと論理的に矛盾しているようなことを書いたりする(ピアノソナタ第2番第1楽章)。本人があまりピアノを弾けなかったからか、音の置き方も演奏者のことを考えておらず、やたらと弾きにくい(「夢のもつれ」という曲は、その弾きにくさから別名「指のもつれ」と呼ばれている)。ショパンやリストが、聴く人を感動させるためにこれ以上ないというほど冷静沈着に作曲しているのに対して、シューマンは自分で自分の曲に感動し、酔ってしまっているのである。

しかし、そんなアマチュアくささが逆に大きな魅力となっていることも確かだ。いったん彼の独りよがりな夢想に自分も乗ることができれば、むせかえるようなロマン派の世界を体感できる。没後150年の年でもあるし、短い曲でもちょっと譜読みしてみようか、と考え始めている。

2006年06月10日

スタインウェイ

何となく土曜日はピアノを弾く日となりつつある。本当は週1回で練習になるはずもないのだが、平日はどうしても帰りが遅くなってしまうのでやむを得ない。

今日はヤマハではなくて浜松ピアノというところに行くことにした。1時間3,150円でスタインウェイを弾かせてもらえる。いつぞやのように意思疎通がうまくいかないということもなく、夕方の1時間分を予約。しかし、十分余裕を見て出たつもりだったのに、駐車場で大渋滞に巻き込まれてしまった。一本道の地下通路で止まってしまうと、やっぱりやめたと抜け出すこともできない。あとで分かったのだが、今日はすぐ横の市民球場でカープ戦があるのだった。野球をやる日はちゃんとチェックしておかないといけない。

予約した時間に5分ほど遅刻して浜松ピアノに駆けつける。おじさんに受付で裏の非常階段を上がっていくように言われ、行ってみるとその先に、小さな舞台上に置かれたスタインウェイがあった。これはガンガン鳴らせるなと蓋を開けて楽譜を広げたところで、後ろから様子を見に来たおじさんに「あっ、ちょっと待って」と制止される。私は共鳴板を開けてから、奥に格納されていた譜面立てを立ち上げてしまったのだが、これは順序が逆で、まず譜面立てを十分手前に引き出してから共鳴板を上げないといけないのである。もちろんピアノを弾く人間なら常識以前のことであって、私もピアノサークル所属のころにその手順を覚えていたのだが、久しぶりですっかり忘れてしまっていたのだ(先日のヤマハのときは最初からセットアップされていて、自分でやる必要がなかった)。こんなことも知らんとほんとにピアノ弾きよるんじゃろか、と思われただろうか。

それはともかく、1時間下手くそなりに音を鳴らすことができた。カプースチンもどうにかこうにか譜読みを終わらせ、そろそろ並行して他の曲にも手を着けたい気がしてきたが、さて、何にしようか。

2006年06月08日

TeXで楽譜を書く

毎週木曜日は、1年生にUNIXの基礎を一通りやってもらう一般情報処理という演習がある。今日からは「TeXを使ってみよう」というテーマで、基本的な作業手順から、文字の大きさの変え方、簡単な表の書き方などを少しやってもらった。

数学を生業とする人ならもちろん、理系研究者ならほとんどの人がお世話になっているのがこのTeXという文書作成ツールである。「テックス」ではなく、「テフ」または「テック」と発音することになっている。一般に市販のワープロソフトは、数式を表現する能力については全くと言っていいほどダメである。ごくごく基本的な記号なら出せるようだが、それもフォントの配置などのデザインに非常に問題がある。しかしTeXは、どんなに複雑な数式や図式でも実に美しく出力してくれる。それどころか、パッケージと呼ばれる無数の追加キットを使えば、世界のどんな言語で書かれたどんな文書であろうと、ありとあらゆるものを書くことができるのだ。そしてそれらはすべてフリー、つまりただなのである。

私はコンピュータ周りにさほど強くはないが、このTeXについてははまってしまい、市販のワープロで到底出力できないような文書をいかに作成するかに力を注いでいた時期がある。中でも面白かったのがTeXで楽譜を書くという作業で、清書されていない作曲者の自筆譜とか、ピアニストの即興演奏を友人が耳で聞き取った手書き楽譜などを浄書して回っていた。例えばこれ(PDFファイル、214KB)は、当時作成した楽譜の1ページ。テキストファイルをいじるだけで、ここまでのものが書けるのである。市販の楽譜作成ソフトはいくつか出ているが、これが書けるレベルのものは数万円はすることを考えれば、TeXの素晴らしさは自ずと明らかだろう。

2006年06月04日

弾けない和音

蒸し暑かったせいか早朝に目が覚めてしまった。今日はもうずっとだらだらしていようと決め、ピアノを弾いたりプロパラの問題を解いたり、電子ピアノの置きあとにできたカーペットのへこみにアイロンのスチームをあてたりしていた(お湯でしめらせてからスチームをあてると、へこみが取れるのである)。

ここのところずっとカプースチンのエチュードを練習していたのだが、ようやく譜読みが終わりまでたどり着いた。数分の曲をさらうのに何ヶ月もかかっているのだからあきれてしまう。もちろんこれで終わりではなく、これから指が覚えるまでにはさらに時間がかかるだろう。

Kapustin.jpgそれにしても、ロシアものの曲というのはどうしてこうも音域の広い和音を要求するのだろうか。もちろんそれがロシア音楽らしい重厚さを生み出すのに役立っているのは確かだが、13度届いたというラフマニノフは言うに及ばず、手が小さかったというスクリャービンですら、2と5の指で増7度(Aと♯Gなど)を弾かせるようなことを平気で指示してくる。そしてカプースチンもその例外ではない。例えば、左の写真は曲の終わりから2ページ目で、曲調が盛り上がってきて気持ちよく弾けるところだが、私にはこの左手の和音が弾けない(変ニ長調なのでEとDの音も♭つきである)。しかしこの曲はかっちりとしたメカニックなリズム感が大事であるから、アルペジオでタランと弾くようなことは、あまりすべきでないと思われる。一番上の♭Dかその下の♭♭Bのどちらかの音を省けば同時に押さえられるが、それもどうも癪だ。世のカプースチン弾きはどうしているのだろうか?

2006年05月28日

純音楽茶房ムシカ

musica.jpg昨日はバケラッタ氏と別れたあと、ふと思い立って広島駅近くの「純音楽茶房ムシカ」に行ってみた。いわゆる名曲喫茶というやつである。前から存在は聞いていたのだが、はっきりした場所が分かっていなかったのだ。車で付近の狭い道をぐるぐると巡ったあげく、ある角にひっそり建っているのをようやく発見した。

無口だが音楽には一家言ありそうなマスターに指し示されて入った部屋には、小さな舞台に大きなスピーカーが置かれ、2,3人の男性がぼうっとモーツァルトに聴き入っていた。あまり大きな音を立ててはいけない雰囲気だ。大きさはだいぶ違うが、渋谷の名曲喫茶・ライオンに一度行ってみたときのことを思い出した。部屋がこぢんまりとしている分、どうも余計に緊張してしまう。

カフェオレをすすりながら聴き入っていると、マスターが近寄ってきて
「何かリクエストはあります?」
と言われる。新参者なので、次の曲の選択権を与えられたようだ。しかし他にもお客がいるし、ゴドフスキーをなどと言ってはいけない。ここは間違いのないバッハで行こう。
「えっ……えーと、それじゃバッハの無伴奏チェロはありますか」
「……誰がいいですか」
「えーと、誰があるんでしょう」
「……ロストロポーヴィチ、カザルス、ヨー・ヨー・マ……」
「えーと……いや、それはまあお任せします」
私はそこで、マスターが「そうですか、じゃあ○○にしますね」とすぐ言ってくれるだろうから、それに調子を合わせようと思っていた。ところが案に相違して、マスターは黙っている。しまった、と私は思った。「演奏者が誰でもいいなんて、そんな思い入れのないやつにこの店で聴く資格はない!」ということに違いない。これはまずい。とにかく誰か指定しないと。
「(狼狽した口調で)あっいや、じ、じゃ、カザカザルスを」
「(こちらのせりふにかぶせるように)ではフルニエはどうですか」
「あっフルニエいいですね、フルニエで」
というわけで、フルニエの演奏で無伴奏チェロの第1番を聴かせていただいた。結局マスターが黙っていたのは、誰にするか考えていただけだったようだ。しかし、独特の緊張感を感じるところなのは間違いない。またそのうちに行ってみよう。

2006年05月20日

ヤマハでばったり

夕方から市街地に出かけて、またヤマハに行ってみた。この間のことがあるから、今度はレンタル時間を聞かれたら指を一本突き出して「1時間」と言う、というのが事前の計画だったのだが、結果的にはその必要はなかった。「7時に閉店ですので、30分しかご利用になれませんが、よろしいですか?」家を出るのが遅すぎたせいで、もうそんな時間になってしまっていたのだった。

そういうわけで半時間がさがさと騒音を立てて、やれやれと部屋から出てきたところでびっくり。同じ学科のM先生とばったり出会ってしまった。ご家族といらしていたようだったが、こんなところで大学の人と会うとは思っていなかったのでぎょっとしてしまう。挨拶だけして、「いやあ、まずいところを見られて……」などと言いながらそそくさと失礼してしまった。考えてみれば、ピアノを弾いていたこと自体はそれほどまずいことでもないのだが、隠れてこっそりやっていたことがばれてしまったような気分だったのだ。

もっとも、今日弾いていた部屋はまともに防音されていなかったから、店内にかなり音が漏れていたはず。となると、あのへったくそなカプースチンもたっぷり聴かれていたことになる。やっぱりまずいところを見られたようだ。

2006年05月17日

スクリャービン

今かけているCDはアムランの弾くスクリャービンのソナタ全集だ。ピアノオタクの間ではアムランもスクリャービンもメジャー中のメジャーという存在になってしまっているが、世間一般から見れば、人口に膾炙しているとはまだまだ言えないだろう。

好きな曲をあげてくださいと言われるとたくさんありすぎて返答に迷うが、好きな作曲家はと聞かれれば、スクリャービンは5本の指に入ることは間違いない。学生時代に所属するサークルの演奏会には何度となく出たが、結局一番たくさん弾いた(ことになっている)のはスクリャービンとラフマニノフだったように思う。

スクリャービンの曲は、かっこよさと危険な香りを併せ持っている。麻薬のような陶酔感があり、それがまた、何が自分が背徳的な世界に足を踏み入れてしまったような感覚にさせてくれるのだ。彼の作風は大きく分けて初期・中期・後期と3つに分けられるが、自分が一番惹かれるのは初期の終わりから中期にかけて、彼が特異なスタイルを確立させ、独特の「あぶない」世界を作り出していったころである。幻想曲Op.28、ソナタ第4番Op.30、詩曲Op.32-1、練習曲Op.42-5、ソナタ第5番Op.53。最初は心地悪かったはずの増7度の響きが、今は何度聴いても背中がゾクゾクするほどに気持ちよい。一度麻薬を覚えるとなかなかやめられないものらしいが、ちょうどこんな感じに近いのかもしれない、と思ったりする。

2006年05月13日

グランドピアノ

いつも電子ピアノばかりなので、たまにはまともなピアノも弾いてみようと思い立ち、市街地にあるヤマハのピアノ部屋レンタルを1時間利用してみた。カプースチンの三度のエチュードを繰り返し、少し疲れたらニャターリのVaidosaで一服。完全に防音の部屋ではなかったので、店内にもとんでもない騒音がもれていたかもしれない。

ピアノもうまくなってくると、このメーカーのこのタイプでないとイメージ通りの音にならない、などということになりがちだが、私のような下手くそは、微妙なタッチの差がどうこう言えるレベルではない。基本的には、88鍵ちゃんと鳴ってくれるならそれで十分である。しかし、さすがに電子ピアノとグランドピアノになるとずいぶん違うなあと思わずにはいられない。何よりまず、音量が違う。普段は音を絞ってこっそり弾いているから、それにいつの間にか慣れてしまっていたようだ。これが本当のピアノの音量だったのだなあと再認識した。

ところで、私の声は通りが悪いようで、相手に聞き取ってもらえないことが多々ある。くぐもったしゃべり方をしているつもりはないのだが、話し出すと一度は「え?」と聞き返されてしまうことが少なくない。しかし、今日ヤマハに電話をかけたときはひどかった。
「あの、5時半からピアノ部屋を1時間お願いしたいんですけど」
「はい、かしこまりました。時間はどれくらいご利用になりますか?」
「いやあの、1時間で」
「2時間?」
「いち時間」
「……2時間で」
「イッ・チッ・じかん!!」
先方はやや騒がしいところにいたようではあったが、それにしてもそんなに「いち」が「に」に聞こえるものだろうか。あれだけゆっくり言っているのに、ここまで伝わらないとは思わなかった。あんなときは、犬になったつもりで「ワン!ワン!」と吠えるのが正解なのかもしれない。

2006年05月09日

ピアノのリサイタル

ありがたいことにまたピアノのリサイタルのチケットをいただいたので、非常勤講師の仕事を終わらせてから会場に駆けつけた。大学から会場の鯉城会館までは1時間近くかかるので、開演時間に間に合うかは心配だったが、幸いセーフ。

弾いたのは知り合いのそのまた知り合いのピアノの先生。曲目は前半がハイドンの小曲とシューマンの幻想曲で、後半はプーランクのノヴェレッテに、ドビュッシーの練習曲3曲、最後に「喜びの島」。シューマンはさすがに第2楽章のアクロバティックな難所はかなり苦労されていたが、それでもこの曲が聴けるというのは何とも気持ちがいいものだ。どうやらフランスものの方が得意な方のようで、後半のプログラムの方が落ち着いて弾いているように感じられた。ともあれ、先月に引き続き生のピアノが聴けて満足。

2006年05月07日

ピアノの練習

お昼までに雨はやんだのでジョギングをしてきたが、蒸し暑くてしんどかった。ジョギングの季節もそろそろ終わりか。

出かける前に少しカプースチンを弾いていたが、以前弾けたと思っていたところもやり直さなければいけなくなっていて、そこを練習しているとそれだけで時間が過ぎてしまった。土日にちょこちょこ弾いているだけでは、いつまで経っても同じレベルでストップしたままだ。少しでも形になってきたかなと思えるようになった時点で、市街地のピアノスタジオにでも出かけて、非電子のピアノで弾いてみたいと思っているのだが、なかなかそこまで達することができない。

ピアノに限らず、将棋だろうが語学だろうが何だろうが、継続してやっていなければたちまち能力が衰えてしまうのは自明の理である。おそらくこういうものを継続させるためには、「継続してしまう」状態になることが大事なのだろう。ダイエットの努力を何一つしなくても全く太らない人がいるのは、体質などを別にすれば、おそらく本人が無意識のうちに太らない生活をしてしまっているからだ。しかし現状では、毎日のようにピアノに向かうことはやはり難しい。

2006年04月28日

アムランのライブ映像

もう8年以上前のことになるが、当時まだ日本ではほとんど知られていなかったピアニスト、Marc-André Hamelin(マルク・アンドレ・アムラン)を有志で招聘しようというプロジェクトに参加させてもらったことがある。アムラン側との交渉や演奏会場の押さえ、チケットの販促など、様々な仕事はプロジェクトのメンバーだけでほぼすべて行われたが、そのかいあって1997年12月11、14日にカザルスホールで行われたリサイタルは大成功だった。もっとも私はほんの下っ端で、まともな仕事はほとんど何もしなかったのだけれども、それでもあれは得難い経験だったと思う。

2006年04月16日

最も難しいピアノ曲

ほったらかしでたまっていた諸々の家事をまとめて片付けた。夕方にまた公園でジョギング。先週満開だった桜はようやく散り始めたところで、まだほとんど残っていた。今年の桜は長持ちする。

2006年04月14日

メシアン

今度の日曜日が復活祭ということで、今はメシアンの「幼子イエスに注ぐ20のまなざし(Vingt Regards sur l'Enfant-Jésus)」のCDをかけている。ピアノはPierre-Laurent Aimard。Steven Osborneの演奏でも持っていてそちらも好きだが、どちらかといえばエマールの演奏を聴くことの方が多いように思う。

メシアンを知ったのは大学に入ってからだった。まだ1年生だった私は、所属するピアノサークルの4年生が弾く卒業演奏会を全部聴こうと心に決めていた。そう、それは「心に決める」という表現がぴったりくるくらいの、長い長い演奏会なのである。2日間にわたり、卒業の記念にとみんな気合いの入った大曲を披露するのだが、その中に「20のまなざし」の全曲演奏も入っていたのだった。当時は曲の巨大さと複雑さにとまどいつつもとにかく無我夢中で聴いたという感じだったが、こんな曲を生で聴けたのは得難い経験だったな、と今エマールの演奏を聴きながら改めて思う。ライブでピアノを聴くのはやはりいいものである。

2006年04月07日

モーツァルトのピアノ協奏曲

こうしてパソコンに向かっているときも車の中でも、いつも何か音楽をかけている。CDは始終出し入れするのも面倒だから、数日から1週間くらいに一度のペースで交換していることが多い。今聴いているのは、家ではグラナドスのスペイン舞曲集、車内ではモーツァルトのピアノ協奏曲だ。

2006年03月28日

エクローグ

昨日買ってきたFinziの「エクローグ」という曲がなかなかよい。静謐なピアノの響きがしっとりとしていて何とも美しいし、ときどき盛り上がる弦楽も決して落ち着きを失わない。それに、20世紀の曲でありながらわずかにバッハのテイストも感じられる。元々はピアノ協奏曲の緩徐楽章として書かれた曲らしいが、こんなふうにあまり知られていないのに実はなかなかよい曲を見つけてしまうと、ちょっと得をした気分になれる。

今日はほんの少しピアノもさわってみたが、あまりにうまく弾けないのに驚いた。普段電子ピアノで弾けた気になっていると、久しぶりにアナログなピアノに向かったときに違いにびっくりしてしまう。広島でも、たまにはピアノスタジオか何かを見つけて練習すべきなのかもしれない。

2006年03月27日

タワレコ

久しぶりに渋谷のタワレコに行ってみた。近頃はネットで何でも買い物ができるが、買いたいものが具体的に決まっていないとき、CD店や本屋をうろうろしながら掘り出し物を物色するということが残念ながら広島ではできない。もちろん店は存在するのだが、思わぬものが見つかるような規模ではないのである。こういうときには、東京に住む人をちょっとうらやましく思ってしまう。

今日はSukのピアノ作品集と、Finziの代表曲を集めた曲集の2枚を買ってみた。スークは最近楽譜を買ったので、そこに収録されている曲を聴いてみようというつもり。フィンジーは実はあまりよく知らなかったのだが、今年が没後50年ということで、何枚かがまとめて置かれたコーナーが作られていたのだ。これからゆっくり聴いてみよう。

2006年03月20日

朝のバッハ

このところ、朝はテレビを消して無伴奏ヴァイオリンソナタか無伴奏チェロ組曲のどちらかをかけていることが多くなった。どんなに好きな曲でも毎日聴いていると少し飽きてくるものだが、バッハはこうも聴き続けてやはり心地よいのである。

2006年03月15日

演奏会

知り合いからちょっとした演奏会のチケットを回していただいたので行ってみた。広島に来て丸2年だが、こちらで演奏会の類に行くのは初めてだ。ラフマニノフのパガニーニ狂詩曲とショパンのピアノ協奏曲が生で聴けて満足。ピアノを弾いたのは、この地域でピアノの先生をしている広島出身の人たちである。多少のミスタッチこそあれ、この難曲を弾きこなせるのは素晴らしいし、生で聴けるというのは何物にも代え難い。

ネガティブなコメントをするとすれば、すぐ前の客は舟をこぎ出し、すぐ後ろの客はうるさい咳を延々とやめなかったこと。居眠りは勝手にしてくれればいいが、咳はせめて1桁回数でおさめるよう調整してほしいものだ。それもラフマニノフの第18変奏が始まろうというときにゲホゲホやるのだから、たまったものではない。

もっとも、昔聴きに行ったある演奏会で、シューベルトのあえかなピアニッシモの余韻がゆっくりと立ち上ろうとするまさにその刹那、
「プッププップー」
とルパン三世のテーマがものすごく安っぽい電子音で響き渡ったということがあった。あれに比べればましか。

2006年03月12日

プロブレムときどきピアノ

チェスプロブレムを解きながら、ときどきピアノに向かう。そろそろプロパラの解答の提出期限が迫ってきたので、今まで解けた分をまとめて書き始めた。時間がないわりには、これだけやったのだからまあ十分だろう。

難しい三度のパッセージを何度も練習していると、何回かに一度すっとうまく弾けるときがある。これが実に気持ちのいいものなのだが、それで弾けたような錯覚に陥ってしまい、気がつくとまともに弾けていないのに演奏スピードが上がっている。いつも出る悪い癖だ。これで演奏会で何度崩壊を繰り返したことか。

2006年03月04日

カプースチンとスーク

土日は貴重なピアノの時間だ。電子ピアノではあるけれど、ヘッドホンを使っていても鍵盤をガサガサたたく音が結構うるさいから、あまり夜遅くに弾くのはためらわれるのである。

最近はずっと、カプースチンのエチュードOp.40-7を譜読みしている。後半の3度が連続する部分になると、1小節進むのも大変だ。今日はそれに加えて、スークの「愛の歌」Op.7-1の冒頭も少し弾いてみた。中盤はかなり難しそうだが、最初の1ページは手軽に陶酔感を味わえる。先月何度かさわっていたニャターリの小曲は、今日はお休み。

夕方、買い物に出かけた。無料駐車サービスの時間が余っていたので、喫茶店に入ってプロブレムを考える。セルフメイトが1問、有力な候補手が見つかったのだが、変化を確認しているうちに時間切れになってしまった。どうも今月は解図ペースが遅くていけない。

 1  |  2  |  3  |  4  | All pages