2010年10月アーカイブ

同僚の訃報

| コメント(0) | トラックバック(0)

お昼を食べてコーヒーを淹れ、午後は床屋に行ってから読書でもしようかと考えていたとき、勤務先の同僚の先生が昨日亡くなったことを知らせるメールが届いた。その同僚と同じ研究室の先生が知らせてくれたのである。一読した瞬間から、コーヒーの味は消えてしまった。

亡くなった先生は数学がご専門ではなかったが、今学期は私や他の先生とともに数学の演習科目を担当されていた。つい2週間ほどにその方が休養されるという知らせを受けたとき、実のところいやな胸騒ぎはしていた。春先にも一度体調を崩されていたからである。しかしこれほど早くこんな日を迎えることになるとは思いもよらなかった。私が今の勤務先に赴任した当時も同じ科目を担当することになり、まだ右も左も分からない私をいろいろと助けてくださったのだが、それ以来、食堂で昼食の時間が合うとよく隣や向かいに座って食べるようになった。日記を見ると、今月も8日にお昼を一緒に食べている。もしかしたら、それがお会いした最後だったかもしれない。夕方から通夜がとりおこなわれるとのことだったので、床屋に行ってから急いで準備を整えて向かった。通夜は1時間ほどで終わった。

ついこの間まで顔を合わせて話をしていた人が亡くなるという事実は、その意味を理解して受け入れるのには時間がかかる。私も通夜から帰ってきて、だんだんとこの現実を実感してきている。それに加えて思うのは、こういうことが同僚の先生ではなくて自分に起きたとしても何もおかしくなかったし、これから起きてもおかしくはないということだ。

葬儀は明日行われる。ただあまり重い話を続けるのも気が進まないので、そのことはここには書くまい。

エンドゲームスタディの権威であるHarold van der Heijdenが、これまでに発表されたありとあらゆるエンドゲームスタディを収集したデータベースを公開している。古くは9世紀から最近では今年の作品まで、総計76132作。これは50ユーロの価値は十分にあると早速注文し、今日無事入手することができた。これまでも当ブログで作品をときどき紹介しているL. Kubbelを始め、A. A. Troitzky, Platov Brothers, G. Kasparyan, A. Mundler, E. Pogosyantsなどいろいろな作家の作品集を手に入れてきたが、それらをすべて含むあらゆるエンドゲームスタディが、これからは全部調べられることになる。データベースはあくまで電子データなので、本の形で残る作品集を持っている意義が失われることはないが、過去の作品をすべて検索できるというのはやはり大きい。

個人的にうれしかったのは、これでGrigorievの作品を一つ一つ鑑賞することができることだ。エンドゲームを解説する幾多の本において、彼のポーンエンドゲームはよく取り上げられている。キングとポーンがパラッと置かれているだけの簡潔な配置なのに、そこから想像もつかないような奥深い手順が展開されるのだ。「チェスは持駒のルールがなくてどんどん駒が減っていくから、チェスの終盤は将棋に比べて簡単だ」というよくある誤解を解くのに、Grigorievのポーンエンドゲームほどうってつけのものはない。以前から彼の作品集があればいいのにと思っていたのだが、このデータベースがあればとりあえず作品を見ることはできる。当分は楽しめそうだ。

帰宅

| コメント(0) | トラックバック(0)

シンポジウムの最終日。午前中二つの講演ですべてのプログラムは終了した。駅までてくてくと歩き、11時半過ぎの電車に乗って帰路に就く。電車を5本乗り継ぎ、4時半頃に自宅に到着。出張中にメールをチェックしていて、少し急いで打ち合わせをしておいた方がよいと思われる案件があったので、すぐ車を出して勤務先に向かう。だがあいにく、会おうと思っていた先生はすでにもう帰られた後だった。まあ週明けに改めて相談するしかないだろう。

今年も何とか無事に帰ってこられたが、今回は急に気温が下がったうえに雨続きで少々疲れた。明日はゆっくりしよう。

今日も朝から冷たい雨。風もときどき強くなる。宿泊先からシンポジウム会場まではかなり歩くのだが、傘を低く持って注意深く歩いてみても、到着するころにはどうしても足首から下がすっかり濡れてしまう。今年は本当に天気には恵まれない。今日の講演は午前中と午後に講演が二つずつあり、講演が終わった後にはポスターセッションの発表者から一人ずつ自分のポスターについて紹介があった。ポスターセッションは数年前から始まった新しい試みだが、だいぶこのシンポジウムにもなじんできたように思う。

ところで、今回のシンポジウムの参加者一覧を見てみたら、自分も含めて「サイトウ」姓の人が5人もいた。2位の「イトウ」姓3人を押さえてぶっちぎりの1位である。72名の参加者のうち5名が「サイトウ」というのは結構な割合だろう。漢字はお一人「齊藤」がいるが、あとの4人は「齋藤」で、漢字が違うものを別として数えても自分の名前がトップということになる。どうもこの名前は数学界、それも代数分野に特に多いように思う。

シンポジウム二日目。今日は毎年のように講演は午前中だけだった。お昼はT大のI君と駅近くのそば屋で食べる。午後はどこかに出かけることもできたが、結局旅館に戻って時間をつぶしていた。

夕飯が終わってから、将棋好きの数学者数名と竜王戦第2局の結果を見る。第1局に引き続き渡辺竜王の勝ちで、これは羽生名人の永世七冠達成は今期も難しくなったか。その後、パソコンにインストールしてある将棋ソフトにK大出身の3人が代わる代わる挑戦することになった。3人ともかなりの強豪なので中盤まではいい感じなのだが、そこで軽はずみに指したりうっかりしたりして形勢を損ねてしまう。いったん悪くなってしまうと、もうコンピュータは許してくれない。一人、また一人と敗退し、一通り負けてしまった。このままでは引き下がれないと、O大のKさんが再度トライすることになる。今度はかなり慎重に指したのでだんだんと優勢になったが、そこから勝ちきるまではかなり大変だった。ついに「あなたの勝ちです」と表示されたときは、自然に拍手がわき起こった。優勢を勝ちにつなげることの難しさは、チェスを指していても実感する。早く勝負を決めて楽になりたい、と思う心が、指し手に乱れを生じさせるのだろう。折紙の完成が近づくと、つい折りが雑になってしまうのと少し似ている。

冷たい雨

| コメント(0) | トラックバック(0)

いやはや、今日の寒さにはびっくりしてしまった。昨日と比べて5度は低い。おまけに冷たい雨が朝からざあざあと強く降る。傘を差して慎重に歩いたつもりだったが、右肩の一部がはみ出していたようで、シンポジウムの会場に着いたときはすっかり濡れてしまっていた。午前中の講演二つを聞いた後、どうにも寒いのでいったん旅館に戻ってセーターを着込んでくる。念のためと思ってバッグに入れておいてよかった。この分だと明日も着ることになりそうだ。

午後の講演は三つ。三つ目の講演は、当初の講演者だったB氏が前日にけがをしたとかでS先生に変更になった。実はB氏も、その前に決まっていたH氏がけがをしたというので代理として決まっていたのである。そんな経緯があったので、壇上に上がったS先生の第一声は "I'm a pinch hitter of a pinch hitter." だった。

1時半過ぎの新幹線で広島を出発。姫路で乗り換え、6時少し前に無事目的地にたどり着いた。今日は移動日で、講演は明日の朝から始まる。毎年恒例のこのシンポジウムには1999年から毎年来ていて、ついに今年で12回目。詰将棋全国大会は10回参加すると特別に表彰してもらえるが、残念ながらそういう制度はもちろんない。まあ去年は世話人だったからいろいろ大変だったが、今年は参加するだけだから気楽なものだ。

このシンポジウムでは、世話人が決めた旅館に相部屋で泊まることになっている。指定された旅館に行くと、旅館側が宿泊者の一覧表を入口に張り出しており、そこで自分の名前を確認して中に入る。行ってみたら確かに私の名前は出ていたが、手書きで書かれたそれをよく眺めると、「斎」の字が何だかおかしい。内部の「示」に似た形の部分が「米」になっているのである。「斎」を「斉」と間違えられることは日常茶飯事だが、こんなのは初めて見た。そういえば今日、駅員に領収証を書いてもらったときも、「名前は『サイトウ』で」と言ったら、「漢字をお願いします」とメモ用紙を渡され、走り書いて返したら、初めて見る言語のアルファベットを書き写すかのようにじっと見比べながら書いていた。思っている以上に、人は「斎」を書き慣れていないようだ。

午前中はNHKの将棋番組を見る。広瀬王位と渡辺竜王というタイトルホルダー同士の対戦だったが、穴熊の切り崩しで金銀を延々と交換する手順が続き、かなりの長手数になった。穴熊はどうしてもこういう戦いになるから、見ているだけでちょっと消耗してしまう。結果は渡辺竜王の勝ち。

午後は読書などをし、夕方から車で出て街中のピアノスタジオへ。そろそろグランドピアノのタッチに慣れておかないといけない。来月は出張やら何やらで土日に出かけなければいけない日が多く、ここへ来る機会はあまりとれないかもしれないから、今のうちから本番のつもりで練習した方がよさそうだ。今日はとりあえず30分だけにしておいたが、予想以上に電子ピアノとのタッチの違いに困惑した。ピアニッシモで軽く弾こうとした装飾音が全く聞こえなかったり、フォルテでオクターブを連打したら左手の小指がまた硬直して戻らなくなってしまったり。クロスリズムのところもどうもうまく弾けない箇所がある。本番までに何とかしないといけない。

明日からは毎年恒例のシンポジウムに出張の予定。ネット環境の悪いところなので、ブログの更新も頻繁にはできないかもしれない。可能であれば書こうと思う。

折紙は次に何を折るかまだ決めていない。エンシェントドラゴンヴァイオリニストと大作が続いたので、次は比較的簡単な小品にしておこうというつもりだった。しかしいざ具体的に決めようと折図をパラパラ眺めていると、チャレンジングな作品にも惹かれてしまう。

決心がつかず、また新しい折紙本でも買おうかとネットを見て回っていたとき、ちょっとびっくりするニュースに出くわした。フランスの折紙作家、Eric Joisel氏が今月10日に肺がんでこの世を去ったという。まだ53歳の若さだったそうだ。つい数日前の記事で、折紙サイトをあちこち回らなければ気づくことはなかっただろう。虫が知らせたのかもしれない。

数年前からスーパーコンプレックスと呼ばれる折紙作品を折り続けてきて、よほどの作品でない限り驚くことはなくなった私でも、ジョワゼル作品には未だに目を見張ってしまう。他の折紙作家の作品は、それがどんなに複雑であろうとも、紙を折るという行為の延長線上にあることは分かる。しかしジョワゼル氏の作品は、もはや折紙という芸術の枠を突き抜けてしまっていたように思う。例えば、ある番組で紹介されたジャズオーケストラという作品。紙を折るだけで作られていることには違いないのだが、できあがりはもはや折紙というより彫刻作品である。実際、彼は折紙に出合う前は彫刻家でもあった。その経歴がこうした作品の造形にも大きな影響を与えているのだろう。

追悼の意味を込めてジョワゼル作品を折ろうかとも考えたが、あいにく手元にはあまり彼の作品の折図がない。手に入らないか少し探してみよう。



考えさせる手が3手目のN捨てくらいで見せ場に乏しいうえ、最終手も一意に限定できていないなど、作品としてはやや脇が甘いように思う。なおこの作品が発表された後、Platov兄弟も似たような作品を創っている。参考のためにそちらも手順のみ紹介しておく。



全部なし!

| コメント(4) | トラックバック(0)

先週に引き続き、I先生に来ていただいて共同研究のセミナー。ときおり与太話に脱線しつつも、全体としては有意義に時間を使うことができた。来週は出張するので、次回はおそらく再来週だろう。

お昼を食べているときにI先生から聞いた話。数学者が講義をするとき、たいていは事前に用意しておいたメモにときどき目をやりつつ話を進めるが、人によっては準備したことを頭に入れてしまい、何も見ないで講義する。もちろん準備不足だとときどき話の順番を間違えたりして立ち往生することもあるが、大まかな流れは分かっているから、その場で適当に修正しながら話していけば、全体としてそれほど大きな問題は起こらない。しかしI先生が知っているある大学のある先生は、1年生向けの線形代数学であろうが大学院生向けの専門的講義であろうが、一切何の準備もせずに講義に臨むという。単に講義ノートを用意しないなどということではない。事前に何を話すかということを全く考えないまま講義に向かうのである。教壇に立って、そこで初めて何を話すか考えるのだという。自らのこれまでの勉強や研究の成果が、あらかじめ吟味されることなくそのまま発信されることになるわけだ。ある意味では、研究者の力量が最もフェアな形で試されるやり方である。

もちろん内容について本人が深く理解しているからこそこのようなことも可能なのだが、問題はいくら理解していてもそれを理路整然と話せるとは限らないことだ。例えば、数学の場合、あるレベル以上になると大量の文字や記号が登場するので、どの記号をどう使うかを議論の先までよく見通して決めておかないと、必ずあとで困ったことになる。単純化していうなら、ある定数をcとおくといって議論に登場させた後、この定理の証明に用いる1つ目の変数をa、2つ目の変数をbとして、次にcを使おうとしたときにしまったと気づくという具合だ。頭の中で考えているときは自由に名前を付け替えられるから不自由はないが、誰かに説明するときはそうはいかない。

あるときその先生が講義をしていたとき、やはり途中でそういうことが起きてだんだん話がうまくいかなくなってきた。この記号はもう使ったからここではこれにしよう、でもそうするとこちらとカブるから、さっきの定義のあれはこうだったことにしましょう、ああでもあれを定義するためにはまずこれが何かを説明する必要があるんだった、しかしそれを説明するとなるとこの理論について一言触れておかなければいけなくて、そうするとさっきのあの話は少し違った形で紹介するべきだった......。修正に修正を重ねるうち、全体の流れが破綻してきてもうどうしようもなくなってきた。とうとう議論の網の中で動けなくなってしまったその先生、
「ああもうダメだ、今までの、全部なし!」
といって、もう一回最初から講義を始めたという。そこまでずっと積み上げてきたものを、一瞬にしてぶっ壊してしまったわけだ。何とも豪快だが、それまで一生懸命ノートをとっていた学生はかなりがっくり来たに違いない。

多忙を実感

| コメント(0) | トラックバック(0)

眠い目をこすりつつ、いつもよりだいぶ早めに家を出た。午前中の数学演習が始まる前に、休養に入った先生と同じ研究室の先生に会い、今後のことを協議するためである。当面どう動くかは決まったが、急いで対応しなければいけないことがまだいろいろあり、当分は気が抜けそうにない。しかも来週は自分も出張でピンチヒッターを立てなければならず、その調整にも追われた。何とかそれをまとめ、自室に戻って演習の準備を始めようとした瞬間、ノックとともに学生が入ってくる。何かと思ったら履修に関する相談だった。話を聞いてアドバイスし、「失礼しました」と言って学生がドアを閉めたその瞬間、今度は電話が鳴る。出ると「先生、先日ご依頼があった書類の件ですが......」。事務方からの問い合わせだった。その対応が終われば、もう数学演習に急いで出かけなければいけない時間。一つのタスクが終わると、見ていたかのように入れ違いで次のタスクが入る。予想はしていたが、やはり忙しい。多忙を実感するだけでなく、そうやって切れ目なく、しかしうまい具合になぜか少しずつずれながら入ってくる仕事をやっつけていると、次々と的確にタスクを処理しているような気がしてきて、何だか自分が急に有能になったような錯覚に陥るのだった。

しかし早起きしたうえに午前中のうちにあれこれやってすっかり疲れてしまい、午後は一転してだらだらしたモードになる。訪問者も電話もなく、4年生の学生と卒業研究の打ち合わせを少しした他は静かになった。この時間帯にレポートのチェック作業をやるつもりだったのだが、どうも集中力が続かなくてなかなか進まない。それどころか、気がついたら居眠りしている始末。午前中の勢いはどこへやら、自分が別に有能でなかったことを実感するのだった。

多忙の予感

| コメント(0) | トラックバック(0)

週明け早々、また新たな事態が発生。同僚の先生が体調を崩されたということで、その先生が担当していた演習を緊急避難的に引き受けることになった。明日はチューターとして履修登録の確認表を学生に配付する仕事があるし、金曜日の講義の準備もまだできていないし......と何だか今週はやたらに忙しくなりそうな予感がする。来週は毎年行っているシンポジウムに出かけるつもりでいるのだが、そのしわ寄せが出張の前後に来そうでちょっと大変そうだ。来月に入ってからも出張やら何やら、あれこれ予定が目白押し。しばらくは気の抜けない日が続きそうだ。何とか頑張ろう。

今日もピアノの練習にだいぶ時間を割いた。演奏会が来月下旬に迫り、曲目応募の締切まであと1週間だ。結局、ショパンのノクターン以外はあまり練習ができていないので、今回はこれ1曲ということになりそうである。ショパンなんてあまり向いていないと思うのだが、生誕200年の記念の年くらいは許されるだろう。

学生時代、サークルの演奏会で弾いたショパンは、ノクターンの他には舟歌Op.60と幻想曲Op.49、それに英雄ポロネーズOp.53。ラフマニノフやスクリャービンと比べるとやはり少ない。バラードやスケルツォは常に人気があり、年4、5回行われていた演奏会ではいつも誰かが弾いている状況だった。当時、舟歌がしばらく出ておらず、これなら曲目がかち合うこともないだろう、と3年生の夏に行われた演奏会にエントリーしたら、あろうことか自分を含めて4人も舟歌を選んでおり、プログラムを見て仰天したことは今もよく覚えている。ショパンくらいメジャーな作曲家は、これがあるから困るのだ。今回のノクターンはカブらないでほしいものである。

この曲は練習していると途中で両手オクターブが連続する箇所が出てくる。中盤でかなり盛り上がるところだが、電子ピアノだとやはりどうしても迫力不足は否めない。ダダダダと叩いても、ただその分の音が足されていくだけなのである。鍵盤自体も軽いが、音自体も軽く聞こえてしまうのだ。こういうところが電子ピアノの限界なのだろう。そろそろ街中のピアノスタジオで練習を始めた方がよさそうだ。

牡蠣の季節

| コメント(0) | トラックバック(0)

日が高くなるまで惰眠を貪ってしまった。やっぱり土曜日の午前中は寝ているに限る。午後はピアノの練習など。

夕方から街中に出かける。買い物をしてから夕飯をすませようと久しぶりにとんかつ屋に行ったら、もう牡蠣フライの定食が始まっていた。メニューにこれが加わると、もうすっかり秋だなというのを実感する。早速注文して食べたが、いつもシーズンの最初に食べる牡蠣フライはことのほかおいしい。まだちょっと小ぶりだったが、これから寒さが増すにつれてもう少し肥えるだろう。

竜王戦第一局

| コメント(0) | トラックバック(0)

今年も将棋竜王戦が始まった。一昨年の劇的な3連勝4連敗から2年、再び羽生名人が挑戦者として名乗りを上げ、渡辺竜王との番勝負になった。やはりこのカードが、観戦している方としても一番楽しみである。昨日と今日にわたって第一局が行われ、結果は渡辺竜王の勝ちだったが、ちょっと羽生名人があまりにポッキリ折れてしまった感じで、見ているものとしてはやや不完全燃焼だった。まだ持ち時間を20分以上残していたのに、意図がよく分からない香車を打ってすぐ歩と刺し違えたところで投げてしまったのである。先日の王座戦第三局でも終盤の簡単な詰みを逃していたし、連戦の疲れがたまっているのだろうか。ちょっと気になるところである。

第二局以降も熱戦を期待したい。

今日は普段共同研究をしているメンバーで集まり、久しぶりのセミナー。このところみんな忙しく、長い間できないでいた。何も進展がなく終わってしまう日も多いが、今日は議論しているうちに明らかになったこともいくつかあって、なかなか有益だったと思う。来週も何とか集まれるだろう。

帰り際、I先生が「ちょっとこれ聴いてみてよ、ひどいんだよ」とCDを貸してくれた。シューマンの弦楽四重奏曲のCDなのだが、演奏中ずっと耐え難いノイズが入っているのだという。演奏自体は非常によかったそうで、何とかまともなものを手に入れようとI先生はいったん購入した店で取り替えてもらい、さらに後日ネットでも注文してみたが、手に入ったものはすべてノイズ入りだったとのこと。どうも最初からノイズが入った状態で販売しているとしか思えないとのことだった。帰宅後に早速聴いてみたが、確かにガサガサという音が演奏中にずっと聞こえている。無音状態ではノイズも聞こえないが、曲がフォルテにさしかかるとそれに比例してガサガサ音もひどくなり、とても聴けたものではない。それどころか、曲によっては何秒かプッツリ音が切れてしまう箇所まであった。別に古い録音というわけでもないのに、何でこんな状態の録音がそのままプレスされて世に出てしまったのだろう。演奏がいいだけに、もったいない話である。


バーナム効果

| コメント(2) | トラックバック(0)

最近見た動画から。イギリスのマジシャンでメンタリストの肩書きも持つDerren Brownの番組は以前も紹介したことがあるが、またちょっと面白いものを見つけた。集まった被験者に対し、彼は「紙に自分の手の型を取る」、「生年月日を書く」、「自分の個人的な持ち物を選ぶ」という3つの要求をし、それをそれぞれ封筒に入れるよう頼む。集めた封筒を持って彼はどこかに行くが、やがて各人の性格診断を書いた紙を持って戻ってくる。被験者がそれを読むと、見事にそれぞれの性格が言い当てられている、という筋書きだ。なぜ手の型や生年月日だけで彼はそんなことが分かったのか?最後まで動画を見ればからくりが明かされるが、まあ見なくてもあらかた察しはつくだろう。

誰にでも当てはまるような曖昧な文章なのに、自分のことを正確に言い当てていると思ってしまう。こういう心理は「バーナム効果」と呼ばれるそうだが、血液型占いなどはこれがあるから成立しているようなものである。ある程度の常識を持った人間なら、占いの類がほとんど無意味な言葉の羅列であることを理解したうえで、当たっているような「気がする」のを楽しむことができる。ところが「手の型を取る」だの「個人的な持ち物を入れる」だの、怪しげな作業をさせられたあとでは、そうした心の余裕をいつの間にか失ってしまうのだ。これも一つのミスディレクションといえるだろう。

Coma Berenices

| コメント(0) | トラックバック(0)

先日紹介したMarc-André Hamelinによる「短調による12の練習曲」のCDについて。購入したのは輸入盤なのだが、輸入した国内の会社によって曲名の和訳が書かれた紙も同封されていた。ほとんどは「トリプル・エチュード」とか「前奏曲とフーガ」とか、アルファベットをそのままカタカナに置き換えた程度の名前だが、2曲目だけ「昏睡したベレニケ」というちょっと変わった曲名が書かれている。2曲目の原題は "Coma Berenices" だ。試しに手元の辞書を繰ってみると、「"coma" 名詞・昏睡(状態)」とある。つまり、これを見て「昏睡したベレニケ」とやってしまったのに違いない。この "coma" はラテン語の「髪」で、訳すならもちろん「ベレニケの髪」だ。古代エジプトの女王ベレニケ2世の美しい髪を思わせる、優美で流れるようなモチーフにあふれた曲である。どう考えても昏睡状態にあるようには聞こえない。

別にラテン語に堪能なわけでは全くないが、この曲名については原題を見てすぐに髪の毛のことと分かった。星座の一つ、「かみのけ座」がまさに "Coma Berenices" というからである。昔取った杵柄で、天文好きだった子供のころに星座図鑑を手にとっては眺めていたときの記憶が残っていたのだ。思わぬところでつながるものである。

OrigamiFemaleViolinist2.jpgOrigamiFemaleViolinist1.jpg先月から取り組んでいた女流ヴァイオリニストの折紙がようやく完成した。紙の大きさは35cm×35cmで、できあがりは高さ20cmくらいになった。「エンシェントドラゴン」を折ったときに使った連量56kgのファーストヴィンテージという紙を用いている。モデルの作者は北條高史氏。リアルで迫力ある人物像の折紙を折らせたら、右に出るもののいない大作家である。すでにMarc Kirschenbaum 作の男性ヴァイオリニストは折ったことがあるが、今回は雰囲気も造形も全く違う女流ヴァイオリニストだ。北條氏の作品は女性らしい華麗で優雅な様子を実にうまく表出しているが、一方Kirschenbaum作はヴァイオリンの部分だけ裏側の色が出てくるように設計されており、どちらも作者ならではの味が出ていると思う。

OrigamiCoupleViolinists.jpg本作で一番苦労したのは仕上げだった。徹底した蛇腹折りで全体像を形作っていくのだが、最後のステップまで折ってもまだあちこちから触手が生えたエイリアンみたいなのしかできない。一番終わりに「完成図と次ページの写真を参考にして各部の細かい調整を行う」とだけさらっと書いてあるのだが、この調整が本作のすべてといってもいいだろう。特にこういう人物の場合は、少しでも身体の向きや手の曲げ方がおかしかったりするとものすごく不自然に見えてしまうのである。少しずつ紙に折癖をつけながら実現したい形に近づけていったが、最初のうちはどうやってもまとまりそうにないので途方に暮れてしまった。実際、今でもあまりうまくいったとはいえないかもしれないが、ここまで持ってくるまでも大変だったのだ。北條氏の作品を折ったのはこれが初めてだが、自分にはかなり手強い作家だ。なお普段は紙を折るだけで一切手を加えていないが、本作は形を決めるためにあちこちをのりで接着してある。そもそも、折図でスカートの造形にのりを使うことが指示されているので、これはやむを得ないだろう。以前に折ったKirschenbaum作のヴァイオリニストダンシングカップルとも並べてみたが、みんな大きさがバラバラなので何だか妙なことになってしまった。こんなことなら、背の高さをそろえるように最初から紙の大きさを選択すればよかった。

本作が収録された「神谷流創作折り紙に挑戦!」はこの夏出版されたばかり。折図だけでなく、折り方に関するいろいろな知識や方法もかなり詳しく解説されており、この世界にこれから入ってみようという方にはお勧めである。

(折紙モデル:「バイオリン奏者」、北條高史、「神谷流創作折り紙に挑戦!-創作アイデアの玉手箱」(神谷哲史著、山口真監修、ソシム) 所収)

街中でばったり

| コメント(0) | トラックバック(0)

3連休の初日だが、特にどこに出かけるわけでもなくのんびり。午後はピアノや折紙など。先週の見込み通り、折紙はだいたい折り上げることはできたのだが、仕上げの微調整が予想以上の難物だった。この連休中にやっつけてしまおう。

夕方、街中へ買い物に出かけた。店内を一通り物色してから階を降りようとエスカレーターに向かったとき、ばったりと見知った顔に出くわす。「あ、こりゃどうも」「いやいや、こんなところで」。同僚のU先生だった。先学期にはともに線形代数学の講義を担当しており、勤務先でも打ち合わせなどでしばしば顔を合わせているが、こんなところで会うとは思わなかった。ご家族で出てきていて、これから合気道教室に通っているお子さんを迎えに行くところとのこと。途中までしばらくお話ししてお別れした。あとになって思い出したが、先週も街中を歩いていたら、やはり同僚の先生と思われる方をお見かけしたのだった。気づいていないだけで、実はしょっちゅう知り合いとすれ違っているのかもしれない。

昨夜、詰将棋作家の巨椋鴻之介氏が亡くなられたとのニュースが流れた。昭和の詰将棋黄金時代を支えた巨匠の一人である。数年前に上梓された詰将棋作品集「禁じられた遊び」は、自作のきわめて詳細かつ緻密な分析と手順に込めた思いが作者の半生とともに深く語られており、これまで出版された詰将棋の本としては最も「読みで」がある作品集だった。も楽しんだが、今になって分かってみれば、あの作品集は病気のことが分かった巨椋氏がすべてを打ち込んだ詰将棋人生の集大成だったのだ。そう思って改めて眺めてみると、ご本人の思いがまた強く伝わってくる。個人的には、ご本業が仏文学者でありながら若いころは数学に情熱を傾けていたという経歴にも、お会いしたこともないのに勝手に親近感を感じていた。

追悼の意味も込めて、「禁じられた遊び」を本棚から引っ張り出してきた。最近は詰将棋もパソコンの画面で並べることが多かったが、今日ばかりは将棋盤と駒も久しぶりに持ち出す。作品集の中から数局、変化手順も含めてじっくり並べてみた。分厚い変化と紛れに隠された伏線の味わいは格別で、しかもその味を作者が自ら語り尽くしてくれる。やはりこの作品集は素晴らしい。あとでもう少し並べてみよう。

ご冥福をお祈りしたい。

アムランの新譜

| コメント(0) | トラックバック(0)

少し前に出た、Marc-André Hamelinによる「短調による12の練習曲」のCDを最近はよく聴いている。アムランがだいぶ前から少しずつ作曲していた練習曲がついに12曲すべて完成し、こうして世に出たのだ。すべての短調によるエチュードを12曲そろえるというアイディアはCharles-Valentin Alkanの有名な同名曲にインスパイアされたものだが、12曲目の "Prelude and Fugue" や9曲目の "after Rossini" が作曲されてから20年以上の歳月が経過しており、いったいいつ完成するのだろうと彼のファンはずいぶんやきもきさせられてきた。今夏発売の一報に「ついに来たか」と思ったピアノマニアは少なくないだろう。ピアノの無名曲や珍録音を探し回っていた学生時代も今は昔、近頃その手の情報にすっかり疎くなった私にとっても、このCDの発売は待ちに待っていたことだった。ジャケットの写真では頭もはげ上がって完全に中年顔になってしまったアムランだが、演奏の切れはまるで衰えていない。素晴らしい演奏を毎日楽しんでいる。

ただCDより驚いたのは、本曲の楽譜も合わせて出版されたことだ。それも出版社がEdition Petersだというから二度びっくりである。Petersの表紙はBachとかBeethovenとか、そういう大御所の名前が書いてあるものばかり見てきたから、写真付きで "HAMELIN" と大書されているのは何だか違和感を感じてしまう。ともあれ、こちらも買っておくべきだろう。もちろん弾けるはずはない。ただ、見て楽しむのである。

数学演習

| コメント(0) | トラックバック(0)

数学演習も今日から始まった。もう何度もやっている担当だが、1回目というのはどうも調子が出ない。全体の大まかな流れは身体が覚えていても、細々とした点はやっていて初めて思い出してくる。

今日もちょっとした失敗をしてしまった。学生がルーズリーフやレポート用紙にやってきた答案を回収して採点するのだが、自室に持って帰ってチェックしていくと、何枚かおかしなことになっているのに気づいた。複数枚のレポート用紙に書かれた答案の1枚目と2枚目が離ればなれになっているのである。2枚にわたるときはステープラーか何かで留めて提出せよと注意しておかなければいけなかったのに、うっかり忘れていた。そういう当たり前と思われることも、近頃は言わなかったらやってくれないのである。ティーチング・アシスタントの学生に頼んで番号順にソートしてもらった際、何枚かが離れてしまったのだろう。どれとどれが対応しているのか、筆跡やレポート用紙の種類で判断しなければいけなくなってしまった。幸いそういうものは少ししかなかったので組み合わせに迷うことはなかったが、来週は注意するのを忘れないようにしないといけない。



1940年に創作された作品。底本では2...h2のラインと2...Kf1のラインが並置されているが、棋譜再生の都合上、ここでは後者をメインライン扱いしている。前者の変化はずっと後に登場する259番でも見られるが、そこでは白黒が逆転しており、白がステイルメイトを避ける手順を求める形になっている。

早起きの日曜日

| コメント(0) | トラックバック(0)

すっかり涼しくなってもう寝苦しいというわけでもないのに、なぜか早朝に目が覚めてしまった。平日にたまった疲れを癒すために土曜日にぐうたら寝ていると、翌日は妙に早く目が覚めることが多い。十代のころは、土曜だろうが日曜だろうが、休みの日は親があきれて起こしに来るまでいつまでも寝ているなんてことはざらだった。こういうところでも歳を感じてしまう。しばらくベッドでごろごろしていたが、頭がさえてくるばかりなのでのそのそ起き出し、朝日の入る居間で折紙を折り始める。ちょうど次のステップが蛇腹をすべて折り直すという面倒な作業で、それをやっているだけで日が高くなり、気がつけば10時からの将棋番組が始まってしまっていた。

午後も読書したり、折紙を折ったり、国政調査票を書いたり。夕方にまたちょっと街中まで出かけて買い物。昨日は携帯電話の機種変更だけで時間が遅くなり、ケースなどを買いそびれたのでその補充。携帯電話は普段お尻のポケットに入れているのだが、i某はどうも華奢なので丈夫なケースである程度保護しておかないとどうなるか分かったものではない。散々迷ったあげくちょっと凝ったデザインのものを買ってしまったけれど、使い勝手が悪ければまた買い直すかもしれない。

今週も特に予定のない土曜日。9月は土曜の朝をホテルで迎えたことが多かったが、やはり週末は家でゆっくりしているに限る。お昼にパスタをゆで、食後にコーヒーを一杯。午後は折紙を折っていた。前回の作品がえらく大変だったので今回は簡単なのにしようかと思っていたが、結局また結構面倒なのを始めてしまった。蛇腹折りが中心で、今まで折った作品とは少し毛色が違うが、単調に思えた作業も慣れてくると結構面白い。再来週か、うまくいけば来週あたりまでに折れそうだ。

夕方になってから車を出して市街地へ。先週訪れた携帯電話ショップから、予約しておいた端末が入荷したとの連絡があったためである。先日と同じ曜日の同じ時間に行ったが、この間の男性店員はおらず、別の女性店員に対応してもらう。課金体系など面倒なことはもうだいたい聞いていたので、今日は比較的スムーズに手続きが終わり、モノリスみたいな形をした端末を無事手に入れた。見ていると、何だかいかにもA社の戦略にまんまと引っかかったという気がしてしまってあまり愉快でないのだが、まあ今さら何を言っても始まらない。とりあえず、しばらくはあれこれいじってみて操作に慣れよう。

最初から居眠り

| コメント(0) | トラックバック(0)

今日から後期開始。昨日まではキャンパス内では小さな喫茶しか開いていなかったが、今日からは食堂が営業を再開している。混雑する前に食べてしまおうと歩いて行ったら、食堂の入口で別の学科の先生に呼び止められ、一つ仕事を頼まれてしまった。来年度のことなのでまだだいぶ先の話だが、そのころはまた忙しくなりそうだ。

午後は1年生向けに今期最初の講義。選択科目だが、初回ということでそこそこ入っている。ところが、志ん生よろしく「えー、どうも、エヘン、この講義はぁ......」と話し始め、2分か3分経ったところで前を見渡したら、3人くらい机に突っ伏しているのである。まだ本題に入る前、授業の進め方や成績のつけ方といったマクラをやっている段階だ。まあ寝るのは本人の勝手だが、開始30分で眠気に耐えきれず沈没したというならともかく、来て最初の3分で熟睡するのだったら、最初から空き教室かどこかでゆっくり寝てくれればいいのにと思う。4月はもちろんこんなことはなかった。半年経つとどうしてああなってしまうのだろう。出ていけと言ってやりたい誘惑に一瞬駆られたが、ぐっと思いとどまった。

そういえば、高座の最中に居眠りしている客を追い出したのは談志だったか。それで「落語を聴く権利を侵害された」と逆に訴えられたのだった。熟睡する学生を追い出して訴えられるなんて、考えただけでうんざりである。

2014年6月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

このアーカイブについて

このページには、2010年10月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2010年9月です。

次のアーカイブは2010年11月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.07