私とピアノ
 私がピアノを始めたのはかなり遅いと言えると思います。幼い頃から母が弾くのをときどき横で聴いてはいたのですが、そのときは、ピアノは女の子が弾くもの、という先入観が何となくあったこともあり、自分で弾こうという気になったことはあまりなかったように思います。
 小学4年のときに、キース・ジャレットとチック・コリアがモーツァルトの協奏曲を弾くという珍しいコンサートの模様がテレビで放送されました。まずジャレットが23番を、続いてコリアが20番を弾き、最後に二人で10番(2台のピアノのための協奏曲)という構成でしたが、親がその番組をビデオに録画しており、それを何度も繰り返し見たのが、ピアノの音に魅せられた最初でした。
 近所の「リトミック音楽教室」なるところへ通い始めたのは、中学生に上がる数カ月前のことでした。毎週月曜日に30分のレッスンだったと思います。当時私はグルダのベートーヴェン・ソナタ全集を愛聴していて、32曲のどの部分を一瞬聴いても、それがどの曲のどの部分かすぐ分かるほどになっていました。ピアノの先生も、私のベートーヴェン好きを汲んでくれて、中学2年時の発表会では「悲愴」の第2楽章を弾かせてくれました。一緒に出ているのは小さな女の子が多く、やはり何となく恥ずかしい気がしたものです。
 バイエルを終え、ソナチネを3曲くらいさらったところで中学3年の夏となり、高校受験が近いという理由で「中断」することになりました。もちろんそのときは高校入学後再開するつもりだったのですが、つまらないハノンの代わりにショパンを奏でる魅力には抗しきれず、結局以後は誰からも習わぬままに今日に至っています。
 高校時代は、ひたすらショパンやリスト、シューマンなどの主要な作品を片っぱしから聴いて回る日々が続きました。現在に至るまで私にとって重要な作曲家であり続けているラフマニノフと出会ったのもこのころです。技術的に無理な曲に平気で挑戦する向こう見ずな姿勢も、この時期に身につけたと言えるかもしれません。英雄ポロネーズや、リストの「ラ・カンパネラ」など、他人が聴いたら判別もできないような演奏で、一人悦に入っていました。
 大学入学と同時に入会したサークルで、私のピアノとのつき合い方も大きく変わりました。それまで聴いたり弾いたりした曲は膨大のピアノ曲のほんの一部にすぎなかったのです。また、ホロヴィッツやシフラといった往年の大ピアニストの凄まじい演奏を聴かされ、強烈な刺激を受けました。おかげで、よせばいいのに弾けもしない難曲で演奏会にエントリーし、大崩壊して自己嫌悪に陥る……というパターンを繰り返すことになりました。もっとも、この傾向は今でも続いています。
 最近は以前ほどピアノに向かう時間もとれなくなりましたが、下手くそでも下手くそなりに続けていこうと、空いた時間を利用していろいろな曲を少しずつ譜読みしています。ピアノはとにかく少し離れているとたちまち腕がなまってしまうもの。せっかく得た趣味ですから、少しずつでも継続していきたいと思っています。

私の過去の演奏記録

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