私と詰将棋
これまで雑誌などで発表した私の詰将棋です。新しいものが上に来ています。
↓クリックすると画面右側に盤面が表示されます。
詰将棋パラダイス(2022年7月号)詰備会・詰四会合同作品展2番
詰将棋パラダイス(2016年10月号)詰四会作品展4番
詰将棋パラダイス(2012年10月号)詰四会作品展3番
詰将棋パラダイス(2007年11月号)大学14番
詰将棋パラダイス(2007年10月号)詰四会作品展5番
詰将棋パラダイス(2006年7月号)全国大会企画出題
企画「宗看生誕300年記念あぶり出し」参加作品
詰将棋パラダイス(2005年1月号)短期大学3番
将棋世界(2004年5月号)詰将棋サロン7番
詰将棋パラダイス(2003年11月号)短期大学23番
将棋世界(2003年11月号)詰将棋サロン6番
詰将棋パラダイス(2003年9月号)短期大学12番
詰将棋パラダイス(2003年9月号)高等学校11番
詰将棋パラダイス(2003年8月号)詰将棋デパート4番
将棋世界(2003年7月号)詰将棋サロン8番・優秀作
詰将棋パラダイス(2003年5月号)短期大学23番
将棋世界(2003年3月号)詰将棋サロン8番・優秀作
平成15年詰将棋看寿賞短編賞受賞
将棋世界2003年間最優秀作選定
看寿賞の歴史や意義、また選考過程などについては、
全日本詰将棋連盟のページへどうぞ。
詰将棋パラダイス(2003年2月号)新人コンクール4番
詰将棋パラダイス(2003年1月号)高等学校5番
詰将棋パラダイス平成15年度上半期半期賞受賞
将棋世界(2002年11月号)詰将棋サロン4番
将棋は小学校高学年から中学生のころに好きになり、中2の6月頃、親にせがんで買ってもらった将棋盤で、毎夜父と指していた記憶があります。詰将棋も雑誌や本を買ってきては一生懸命解いていました。東洋文庫の「詰むや詰まざるや」に載っている宗看・看寿の作品を盤に並べ、一人悦に入っていたのもこのころです(もちろんこれは解いていたのではなく、文字通り「並べた」だけ。当時の力では長くても9手詰が精一杯でした)。しかしいつしか熱も冷め、私にとって詰将棋は長い間縁遠い存在となっていました。
2000年のある日、書店でふと「看寿賞作品集」という本を手に取ったのが一つの転機でした。看寿賞が最も優れた詰将棋に贈られる名誉ある賞だということは知っていましたが、実際に作品を鑑賞してみて、詰将棋の奥深さに改めていたく感じ入りました。このとき私が特に心酔したのが新ヶ江幸弘氏の2作品で、初形からは想像もできないような驚異的な趣向と詰め上がりに、思わず笑い出したくなるような感動を味わったことを覚えています。これ以後、かつての詰将棋熱が再燃し、2001年3月からはあの「詰将棋パラダイス」も毎月購読するようになりました。
しかしこれだけでは、自分で詰将棋を創作しようという気にはならなかったと思います。決定的だったのは、2001年の夏に出た、若島正氏の「盤上のファンタジア」でした。若島氏の作品がいかにすごいかという話は以前よりあちこちから漏れ聞いていましたが、その素晴らしさはまさに衝撃的でした。何かアイデアやトリックが仕掛けられた作品は、どうしてもそれを実現しようとするあまり人工的で不自然な配置になります。そしてそれは、盤面を見たとき「何か企んでいるな」と解く人に思わせ、その瞬間に驚きや感動は限られたものになってしまいます。ところが若島氏の作品は、ときにはびっくりするほど駒数が少なく、ちょっと見には簡単そうに見えるのに、解いてみると奥がきわめて深い。すべての駒が作品成立のために完璧に振る舞うのです。その完成度の高さには、ただただひれ伏すしかありませんでした。
これに刺激を受けて、その年の秋頃から自分で作り始めました。やってみて分かったのは、短手数のものでも作るのは恐ろしく大変だということ。思いもよらない余詰が次々と生じ、それをいちいちつぶしていくと、結局できあがるのは駒数がやたら多くて絶連(絶対手の連続)のものばかりなのです。若島氏を始め、華麗な作品を生み出す詰将棋作家たちがいかに偉大か、身をもって思い知りました。
2002年になってから、ようやく少しずつましなものが作れるようになってきました。創作という行為に慣れてきたこともありますが、やはり何人かの気のおけない友人が解いて批評をしてくれたこと、そして将棋ソフトで余詰の検討ができるようになったことが何より大きかったと思います。ダメ元で雑誌に投稿したものもいくつか掲載されるようになりました。今後どれほど作れるか分かりませんが、気楽な気分で続けていければと思っています。
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