啄木の晩年

午前中は子どもを遊ばせておいて近所のスーパーで買い物。冷凍のうどんと牛肉を買ってきてお昼に肉うどんをつくる。食べて一服したところで、仕事を半休にした妻が帰ってきた。夕方に街中の本屋までみんなで出かける。ファミレスで夕飯を食べて帰宅。

少し前に、自分の親戚の著作である『小説 啄木と牧水:覚えず君が家に到る』を読んだが、やはり心に残るのは、とにかく悲惨な啄木の最晩年である。貧乏で悲劇的な最期だったと知ってはいたが、ひどい貧困生活に加えて病状の悪化や支援者との断絶など、ただひたすら悪いこと、悲しいことばかりが起き続ける様子は、読むだけでいたたまれなくなる。同居していた母親が亡くなった翌月に啄木も26歳で死去、翌年に妻の節子も亡くなり、さらに遺された二人の娘もそれぞれ23歳と18歳で亡くなっている。この5人はみんな肺の病で世を去っているのである。結核が当時いかに恐ろしい病気だったか分かろうというものだ。啄木の長女は亡くなる前に子どもを二人もうけており、その子孫はご健在だそうだが、これほど悲惨なことが続きながら血筋が途絶えていないことに驚いてしまった。

こんな家族の生き様を見ると、一家そろって買い物と夕飯をしている何と自分は恵まれていることかと思わずにはいられない。みんな健康なのはありがたいことである。

次に函館に行くことがあったら、立待岬にあるという石川家の墓に行ってみてもいいかもしれない。

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