冷たい雨の一日

昨日に続いて冷え込みが緩むことを期待していたのだが、ちっとも気温が上がらず寒さが身に応える一日だった。日中はずっと雨が降っていたが、空気の冷たさからすればいつ雪になってもおかしくないように思われた。実際、明日からはまた雪になるらしい。それも今度はかなりの降り方になるとされている。少なくとも、明後日の朝は車を出せない可能性が高い。

午前中は解析学の講義があった。これで今年の講義はすべて終了。ただ、明日も明後日もいろいろ予定が詰まっている。今年は少し早めに仕事納めにしたいのだが、うまくいくだろうか。

平穏な一日

一昨日昨日とややバタバタする日が続いたが、今日はやっと平穏な一日。気温も少し上がり、日陰に残っていた雪もほとんど消えてなくなった。天気予報によれば、今週の後半に再び雪が降るようだ。今年は数年ぶりに雪の降りやすいシーズンになるのかもしれない。

卒業研究の中間報告会が明後日に迫っているので、今日は4年生の作業の進捗状況を見ることに追われた。残りの時間は、授業準備などをして過ごした。

雪の朝

昨日も大変だったが、今日も思わぬ事態に見舞われた。夜半から明け方にかけて雪が予想以上に積もり、朝は一面の銀世界。しかもまだ降り続いている。上の子は喜び勇んで登校していったが、問題は下の子の登園だ。車で送ることができるかどうかが問題だった。

おそるおそる出かけてみたが、マンション前の交差点に出てみると、いつもは快調に走れる片側2車線の道路が渋滞で動いていない様子。おそらく立ち往生している車が先にいるのだろう。これに巻き込まれるとかなり大変そうなので、並行して走る生活道路を行くことにした。ただこちらは通行量が少ない分、雪が多く残っており、しかも上り坂である。しばらくはよかったのだが、対向車をよけようといったんほぼ停止したあとにまた進もうとしたら、アクセルの踏み込みのわりにスピードが出ない。これにはゾッとした。もし完全に空回りするようになったら動けなくなってしまう。

幸い、そこまでの状態にはならなかったが、何かあってからでは遅いので、ある程度目的地に近づいた場所で車は止め、そこからは雪の中を歩いて下の子を保育園に送り届けた。そのうえで今日は危険だと判断し、ゆっくり動いて帰宅すると車を車庫に入れ、そこからは徒歩で勤務先へ向かう。結局、雪のときはこれが一番確実だ。

雪は夕方まで降ったりやんだりだったが、日中は日が差す時間帯もあったことで路面の雪はすっかりとけた。朝のような心配がなくなったので、徒歩で帰宅後にあらためて車を出して子どもたちのお迎えをすませる。何とか今日も切り抜けた。

新幹線から飛行機へ

実家に一泊したあと、広島に帰る。2時頃出発して2時40分ごろに東京駅に着くまでは予定通りだった。しかし、駅のホームが見えてきたころに何気なく開いたスマホで「東海道新幹線運転見合わせ」の文字を見た瞬間から、思わぬ脱出劇が始まった。

今日は日本海側で大雪になると分かっていたので、雪を理由にある程度遅れることは覚悟していた。しかしまさか、雪とは関係のない架線トラブルで何時間も運転できない事態になるとは思わなかった。新幹線の改札口まで行ってみるとすでに人でごった返しており、駅員が拡声器で「運転再開の見込みは立っておりません。再開までには相当時間がかかると思われます」と連呼している。これは困った。明日は授業などいろいろ予定がぎっしり詰まっており、何としても今日中に帰らなければいけない。

ここですぐ決断をしたことが、今回は吉と出た。スマホで羽田-広島便を調べると、6時過ぎの便に残席が9席あると判明。いったん妻と少し電話をし、そのあとでもう一度調べると残席は5席に減っていた。ここは行くしかないと決め、すぐ座席を押さえて支払いもすませてしまった。こんなことが手元の小さな機器でできるようになったのだから、世の中変わったものだ。

そこから立ち往生している無数の人たちの脇をすり抜けてさっさと山手線のホームへ向かい、浜松町まで移動。このあたりで、新幹線の運転再開は16時半ごろの見込みというアナウンスが出たが、たとえその時間に動き出したとしても、あの乗客の数がさばけるにはさらに相当な時間がかかるだろう(実際に動き出したのは5時過ぎだった)。浜松町で切符の払い戻しを受けたあと、モノレールで羽田空港へ。保安検査場も長蛇の列だったが、東京駅の混雑ぶりに比べれば数段ましだ。かくして、登場予定時刻の1時間前には搭乗口にたどり着くことができた。

実際には飛行機も少し遅れたが、8時過ぎには広島空港に到着。そこからバス2台を乗り継ぎ、帰宅したのは10時少し前だった。予定より遅れたとはいえ、これくらいですめば何の問題もない。新幹線はあのあとも大混乱だったようで、あそこですぐ見切りをつけたのは正解だったと思う。それに運も味方してくれた。もう少し早く着いてすでに新幹線に乗っていれば何時間も動かない車内に閉じ込められていたはずだし、もう少し遅ければ飛行機が満席になって選択肢を失っていたはずだ。一人で行動していたおかげで、急遽決めた脱出計画を気兼ねなく遂行できたというのも大きかったといえるだろう。

次回の上京時には、こういう大きな交通トラブルがないことを祈りたい。

実家に移動

実家に移動した。新幹線は、岡山から先は自由席がほぼ埋まるくらいの混雑だった。実家の最寄り駅に着いたのは6時過ぎで、頼まれた買い物を駅でしてからバスに乗った。

1泊2日で明日広島に戻るが、かなり強い寒気がやってくるらしく、雪で交通に影響が出ないかを少し心配している。

周囲の感染

今日も寒さが厳しかったが、雪らしいものが降ることはほとんどなかった。天気予報を見ると、次は18日の日曜日のあたりでかなり気温が下がるらしい。雪も昨日よりもう少し降るのではないだろうか。

相変わらず、周囲では感染したという話がよく入ってくる。下の子が通う保育園は年長のクラスで陽性報告が相次ぎ、数日間臨時閉鎖になっていた。幸い、下の子のクラスは何とか持ってくれているようだが、毎日体温をチェックするたびにひやひやさせられる。こんな毎日がいつまで続くのだろうか。

初雪

天気予報の通り、今日はだいぶ気温が下がった。昨日が比較的暖かだっただけに、寒さがいっそう身に応える。やがてチラチラ雪が降り始めた。今シーズンの初雪である。少し霙っぽくて積もるような雪ではないが、思ったよりも早くやってきた。

今夜は昨夜以上に冷え込みが厳しい。雪雲はそれほどかかっていないようだが、明日にかけてチラチラ舞うくらいの時間帯はあるかもしれない。

今年最後の火曜授業

火曜日は線形代数学の講義。先週まで勘違いをしていたのだが、授業カレンダーをよく見たら火曜日は今日が今年最後の授業日になっていた。ほかの曜日と違って消化が進んでいるため、来週は火曜日だけお休みにして帳尻を合わせるらしい。

授業は予定通りのところまで進めたが、空気が乾燥しているせいか、ひっきりなしにしゃべり続けていたら喉がカラカラになってしまった。次回は年明けになるので、ちょっと早い気がしたものの、授業終了時に「よいお年を」と挨拶。しかし1か月近くも間が空いてしまうと、みんな内容を忘れてしまわないか心配だ。

新体操の大会

日曜日だが、妻と上の子はまだ暗いうちから起き出してきて、慌ただしく身支度をすると出かけていった。新体操の大会に参加するためである。一昨年は中止、昨年も動画を審査するという形だったので、会場で実際に演技するスタイルはおそらく3年ぶりだ。コロナウイルスの流行は全く収まっていないが、世の中はどんどん元のやり方に戻りつつある。

自分と下の子は留守番をしていた。お昼少し前に車で出て、演技を終えて戻ってきた妻と上の子と合流。慰労として上の子の希望通り回転寿司の店でお昼を食べた。

午後は家でのんびり。夕飯も上の子の希望で焼肉になった。

本の読み聞かせ

今日はずっと家で過ごした。今週はとにかく忙しく、先週実施した中間試験の採点に従事する時間がなかなかとれないでいたが、今日やっと大きく進めることができた。まだ少し残っているが、ここまで来ればあとは何とかなるだろう。

小学校3年生になる上の子には、いつも寝る前に読み聞かせをしている。今年は9月9日からトールキンの「ホビットの冒険」を読み始め、2か月後の11月11日に読了した。そして翌日の11月12日からいよいよ「指輪物語」に入り、今は「旅の仲間 上」の第7章に入ったあたりだ。本に読み始めと読み終わりの日付をメモしているので、細かい日付まで分かるのである。

「ホビットの冒険」も「指輪物語」も、自分が子どものときに読み聞かせしてもらっていた本を実家から持ってきたものだ。そして当時の日付も、読み聞かせしてくれた父によって書き込まれている。「指輪物語」の「旅の仲間 上」は1981年9月23日読み始めとある。私は当時、小学校2年生だった。41年離れた二つの読み始めの日付を見ると、なかなか感慨深いものがある。

「指輪物語」のほかにも、「西遊記」、「水滸伝」、「三国志」という中国古典文学の大作も全部読み聞かせしてもらった。ミヒャエル・エンデの「モモ」や「はてしない物語」も読んでもらった。ジュール・ヴェルヌやスティーヴンソンも読んだのではなかったか。あのころの数年間で読み聞かせてもらった分量はかなりのものになる。宮沢賢治の「雁の童子」だけは、短いのになぜかどうしても眠気をもよおしてしまい、うつらうつらしては読んでいる父にあきれられつつも笑われたものだ。

また数十年後、もしかしたらこれらの本に三つ目の読み始めの日付が書かれることがあるかもしれない、と今から愚にもつかぬことを夢想している。