今日は喫緊の仕事がいくつもたまっており、それを処理することで忙しかった。元はといえば、先週の金曜日に休暇をとったことが大きい。結局休みを入れても、その分だけ後ろに仕事のしわ寄せが来るだけなのである。
明日も重要な仕事や予定が目白押し。しばらく気が抜けない。
今日は喫緊の仕事がいくつもたまっており、それを処理することで忙しかった。元はといえば、先週の金曜日に休暇をとったことが大きい。結局休みを入れても、その分だけ後ろに仕事のしわ寄せが来るだけなのである。
明日も重要な仕事や予定が目白押し。しばらく気が抜けない。
午前中のうちに床屋へ。午後は子どもたちに留守番してもらい、妻と出かける。車検に出していた車を受け取ったが、今回はタイヤを交換したので少し支払いが高くなってしまった。
9月に買った新しい体重計には、いつも風呂上がりに乗ることにしている。一日の同じ時間に計測することで、継続的な変化を見ようというわけだ。出張があるとその間は記録が途絶えるが、帰ってきて数日ぶりに測ると、必ず体重は少し増えている。やはり外では飲み食いする量が増えるようだ。
ただここ数日は、出張したわけでもないのにやや体重は増加気味。そして今日は、計測開始以来ずっと36歳だった「体内年齢」の項目が、はじめて一つ上がって37歳になってしまった。これが一時的なものなのか、それとも上がってしまったままになるのか、しばらく様子を見たい。
車を車検に出すため、午前中のうちに車のディーラーのところへ赴く。代車に乗って帰ってきた。明日の夕方にもう一度行かなければならない。
夕飯にはメンチカツをつくってみた。例によって、参考にしたのは笠原将弘氏の動画チャンネルのレシピである。肉のタネをつくってから薄力粉、卵液、パン粉を順にくぐらせる衣づけの作業があるので少々手間はかかるが、手順さえ踏めば大きな失敗はしにくい。実際、なかなかおいしく揚げることができ、子どもからも好評だった。
個人的にもメンチカツは子どものころから好きで、とんかつ屋ではある時期までずっとメンチカツ定食だった。今回はレシピ通りにつくったがやや分量が少なかったので、次回は用意する食材を1.5倍くらいにして臨みたい。
今日は珍しく講義も会議もセミナーも何の予定もなかったので、有休を使って休みにしてしまった。何もないといっても締切のある仕事はいくつも抱えており、普段通り出勤してそうしたタスクを片づけることもできたのだが、今の忙しさでは休めるときに休みを取らないと有休を消化できそうにないのである。
せっかく家にいたので、ずっと部屋の片付けや掃除をしていた。読みかけの本やらおもちゃやら脱いだ衣類やらがあちこちに散っていて、それをまとめるだけでも一仕事だ。少しましになったが、元の木阿弥にならないように普段から整理整頓を心がけたいものである。
午前中に講義、午後に学生とのセミナー。これから数ヶ月、特に1月から2月のあたりは大変な忙しさになることが分かっており、今から戦々恐々としている。体調を崩すことなく乗り切れるのか、甚だ心許ない。
明日はダンボールや紙類のゴミ収集日なので、夜のうちに縛ってゴミ捨て場まで持って行った。ちょっと放っておくとすぐたまってしまい、持って行くだけで一苦労だ。真夜中にしんと静まりかえった敷地を歩いていると、夜風の冷たさがいっそう応える。冬の星座がもう頭上に広がっており、寒さのせいかずいぶんときれいに見えた。先日の連休のときにこうなってくれていたら、とあらためて思わずにはいられない。
朝の冷え込みが少しずつ厳しくなっているように感じる。最近は夜が長く、朝起きても外が暗い。帰宅時ももう真っ暗だ。
ベランダのアサガオは、まだしぶとくときどき花が咲いている。ただ、つぼみからほんの少し開きかけた状態で止まってしまっていることも多い。多分もう朝の気温が低すぎるのだろう。さすがに今週か来週あたりで活動がほぼ停止しそうだ。
午前中のうちに街中のホテルへ行って母をひろう。お昼を広島駅ですませようかと思うも、新幹線口の駐車場は車が長蛇の列をなしており、怖じ気づいて引き返してしまった。結局来た道を戻ってホテルのそばの駐車場に入ったが、あのまま並んでいたらいつ昼食にありつけたか分からなかったから、これで正しい判断だったと思う。
お昼を食べてから再び駅に向かい、1時過ぎに駅前で母を下ろす。山陰旅行をするはずがとんでもない展開になってしまったが、何とか着地することができた。その後、妻と子どもを自宅に送り届け、その足で勤務先へ。今日は通常授業日扱いなのである。夕方に講義をすませてから帰路に就いた。
明日からはまたいつも通りの日々が始まる。
今朝は、昨日の大荒れの天気が夢だったのかと思うような快晴だった。
せっかく呉に来たので、久しぶりにとびしま海道に行ってみようということになった。一昨年に下蒲刈島に、その前の年までは上蒲刈島によく行っていたが、とびしま海道のさらにその先は長い間ご無沙汰だった。せっかくなので一番先の岡村島まで足を延ばすことにする。とびしま海道は7つの橋で7つの島に渡られるが、最後の岡村島だけが愛媛県なのである。ここにはナガタニ展望台というところがあり、瀬戸内海の美しい光景が一望の下に見渡せる。ただそこまでの道がひどく急で狭く、何かトラブルが起きないかひやひやした。
その後、上蒲刈島まで戻って少し遅い昼食。食堂のそばの広場でしばらくくつろいだあと広島に帰る。いったん母をホテルに送り届け、チェックインをすませてもらってから再びひろって八丁堀へ。何度か行ったことのあるシチリア料理の店で夕飯をいただく。母を再びホテルに送ってから帰路に就いた。
前々から計画していた鳥取旅行が悪天候で中止を余儀なくされ、一時はどうなることかと思ったが、急遽決めた呉への小旅行が何とか無事に終わって一安心。
思いもよらないことになってしまった。今日は鳥取の旅館でこれを書いているはずだったのだ。ところが、実は呉のホテルにいるのである。先のことは何があるか分からない。
通行止めが起きないでほしいと昨日書いたが、その願いはあっけなく潰えてしまった。大雨のために中国自動車道や広島自動車道が通行止めになってしまったのだ。ほどなくして通行止め区間はどんどん伸び、山陽自動車道も西高屋まで止まってしまったので、どうしようもなくなってしまった。これには参った。
雨は11時半ごろにはあがったのだが、通行止めの措置は一向に解除されない。母と合流し、近所でお昼を食べたが、2時になっても状況が変わらなかった。それどころか、西高屋の手前で土砂崩れが発生したことも分かって万事休す。宿に電話をかけて状況を説明したものの、もはや夕飯の時間に間に合わないことがほぼ確実になったため、泣く泣くキャンセルの手続きをすることになった。あと1時間か2時間でも早く雨雲が去っていてくれたら、予定通り現地に向かうことができただろう。こんな不運なことはそうそうあるものではない。さすがにがっかりした。
せっかく関東から母が来ているので、気を取り直して近場の宿泊先を探す。高速道路が軒並み通れないから、自ずと選択肢は限られる。結局、呉のホテルに空きが見つかった。4時半頃にはもう到着してしまい、街中の和食の店で夕飯。
予想もしない展開だったが、もう切り替えるしかない。明日はこの周辺を観光して帰ろう。
天気が急激に悪くなってきた。今日は一日中降っていただけでなく、激しい降り方の時間帯が何度もあった。
勤務先でもいろいろ頼まれていた仕事があり、忙しかった。夕方、少し早めに退勤すると、雨の中を歯医者へ。先週の続きで、銀歯が外れた歯にかぶせものをした。今度は白くて本物と見分けがつきにくい。これは長持ちしてほしい。
保育園で下の子を、新体操教室で上の子を迎え、いったん帰宅して荷物を置いたり着替えたりしてから街中へ。今日は実家から母が広島に来ており、ホテルで落ち合った。妻も合流し、みんなでホテルの中にある中華料理店に行く。久しぶりに上等な中華をいただいた。9時半過ぎに母と別れて帰路に就いた。
明日から旅行なのだが、果たして天気がどうなるか。通行止めなどが起きないことを祈ろう。