天命を知る歳

50回目の6月9日がやってきた。ついに天命を知る年齢にまでなってしまった。あまり実感がわかないが、もうこんな歳なのである。子ども時代は遠い昔のことになってしまった。

保育園から園内整備の仕事を手伝うように言われていたので、少し早めに勤務先を出る。保育園に着いて依頼された作業に取りかかろうとしていたら、見に来た小さな子たちから「お誕生日おめでとう」と言われて驚いてしまった。下の子と同じクラスの子たちで、お父さんが誕生日だと聞いてきたらしい。

作業が終わり、下の子を連れて帰宅。本当はこのあと、少し豪華な夕飯なりケーキなりが出てくるはずだったのだが、突発的な仕事が入って妻の帰りがかなり遅くなってしまい、諸々の予定がすっかり狂ってしまったので、結局いつも通りの夜になった。ケーキは食べるとしても明日以降になりそうだ。節目の年齢の誕生日としてはずいぶんあっさり終わってしまったが、まあこの歳になればこんなものだろう。

40代の終わり

昨日は晴れていたが、今日は朝からどんよりとした曇り空で、やがてポツポツと降り始めた。大雨と形容するほど激しくはないものの、夕方にはもう少し雨量が多くなっていた。いかにも梅雨らしい降り方だ。以前なら今ごろが梅雨入りの時季だったが、今は年々早くなっていっている気がする。

今日は40代最後の日だが、特に何事もなく、勤務先で中間試験の採点をするなどして淡々と過ごした。この10年、あっという間だったように思うが、それでも思い返してみるとずいぶんいろいろなことがあった。子どもも二人生まれたし、一方でつい最近に父を亡くした。詰将棋に関して2年も雑誌に連載をし、さらにそれに加筆して本にするということもあった。また、世界的に新しい感染症が流行して一時は家にこもることになるなど、全く想像もつかないようなことも起きた。本当に何があるか分からない。

50代の10年も、きっと思いもよらぬようなことが次々に起こるのだろう。何はともあれ、自分や家族が健康で過ごせればと思う。

バジルと大葉の様子

今年はバジルと大葉のプランターに防虫ネットをかぶせる試みをしている。6月に入り、どちらもかなり丈を伸ばしてきた。特にバジルは頭が重くなって少し首をかしげたようなポーズをとっているものもある。例年ならそろそろ摘心をするころだろう。摘み取った葉はいつものようにペストジェノベーゼにするつもりでいる。

大葉も葉は増えてきているが、摘心の作業はもうしばらく様子を見てからにしよう。

中間試験

2週続けて週末に泊まりの移動があったが、今日からしばらくはほぼ通常通りのはず。とはいっても、小さなイレギュラーな予定はちょくちょく入る。

今日は線形代数学の中間試験を実施した。幸い、大きなトラブルもなく終了。続けて講義も行った。試験の採点は明日から始めようと思う。

帰宅

萩での1泊2日旅行の二日目。朝ご飯は7時半からにしていたが、やはり子どもがいるとどうしてもあれこれで時間がかかり、ホテルを出たのはもう10時だった。すぐ近くにあるガラス工房の店を訪れて少し買い物をし、次いでこれも近くの明神池という池のほとりにしばらく滞留する。5年前の萩旅行でもこの池に来たが、ここは上空を鳶が数十羽旋回しており、観光客が魚にやっている餌を横取りしてくるのである。今回も背後から飛来した鳶に餌用のパンをつかみ取られてしまった。

その後、阿武町の道の駅に移動してお昼をいただく。さらにそこから海沿いに東へ進み、須佐ホルンフェルスと呼ばれるところに行ってみた。ここはストライプ状の地層が海上に露出しており、すぐそばまで降りていくことができる。足場が悪く、一歩間違えば海に落ちてしまうようなところなのでちょっとハラハラしたが、ほかではなかなか見られないような自然の造形と接することができて、子どもたちも満足したようだった。

そこから帰路に就いたが、せっかく海岸沿いに東進したので、そのまま日本海を見ながら東へ進み、益田から山を越えて帰るルートを試してみた。山越えの道が曲がりくねっていて運転には注意を要したが、萩に戻るよりはこの道の方がよかっただろう。

6時過ぎに無事帰宅。特にトラブルもなく、天気にも恵まれて、悪くない小旅行だった。明日からは通常通りの日々だが、頭を切り換えて何とか頑張ろう。

萩に行く

今日から1泊2日で萩へ旅行に出かける。コロナ禍で外出を控えめにしていたから、泊まりの旅行は久しぶりだ。前々から天気がどうなるか気をもんでいたが、幸いこのあたりは昨日の昼頃に雨雲が抜けてしまい、今日は朝から青空が広がった。

10時頃に家族4人で出発。2時間ほどでまず秋芳洞に着く。ここは何度か来ているが、子どもを連れてきたのははじめてだ。駐車場から洞窟の入口までは土産物屋が軒を連ねるが、シャッターを下ろしたままになっている店がやや多いのが気になった。やはりこういうスタイルで続けていくのはもう難しい時代なのだろう。秋芳洞の内部は以前と何も変わっておらず、そこかしこに奇妙な形の岩があって子どもたちも楽しめたようだ。さらにそのあとは洞窟の真上に広がる秋吉台に移動。雲一つない青空の下に広がるカルスト台地の光景はさわやかだった。

そこから萩市内に移動し、松陰神社へ行く。萩には2008年、2012年、2018年とほぼ5年に1回のペースで訪れているのだが、実は毎回この松陰神社内にある「吉田松陰幽囚の旧室」の縁側に座って写真を撮るということをしている。同じ場所で同じポーズをした写真を撮ることで、少しずつ年老いていくのを可視化しようというわけである。今回も何とかそのタスクは行うことができた。2028年に来られるかどうかは分からない。

5時半過ぎに宿泊先に到着。夕飯をお腹いっぱい食べて苦しい。明日も早いのでもう休もう。

会議漬けの日

今日は大雨になると言われていたので覚悟していたのだが、蓋を開けてみれば全く大したことがなかった。朝方に降ってはいたものの、激しくなるようなことはほとんどなく、お昼にはあがってしまった。夕方には雲もすっかり去り、日が照りつけて蒸し暑くなる。今回豪雨に見舞われたのは、もっと東の地域だったようだ。明日は久しぶりに泊まりの旅行に行くことを計画しているのだが、この分なら道路状況も心配はないだろう。

今日は朝から午後まで会議が集中しており、会議漬けの一日だった。とはいっても全部オンラインである。授業などはほぼ以前のスタイルが復活してきているが、会議の類いはもう4年前に戻ることはあまりなさそうだ。

ものもらい

午前中のうちに教育実習をしている学生の訪問指導をするため、車で30分くらいのところにある高校に赴く。先生役の学生も少々緊張しているようではあったが、よく準備をして一生懸命やっていた。今どきの高校生の様子も、じかに見る機会はなかなかない。思った以上に素直な反応をしてくれるのだなと感じた。

昨日の午後から、左目にものもらいができてしまったようだ。目頭の部分が少し腫れ上がっていてかゆい。前に眼科でもらった目薬がまだ使用期限内で余っていたので、早速数時間おきにさしてみている。まだゴロゴロした感覚は消えていないが、峠は越えたような気がする。

それにしても、今回使っている目薬が入っていた薬局の袋に、「調剤日:令和3年6月1日」と書いてあったのにはちょっと驚いた。つまり2年前の今日である。今の時期はものもらいにかかりやすいということでもあるのだろうか。