ラッシュガード

朝早くから行楽に出かけた昨日とは打って変わり、今日は一日中ずっと家にこもっていた。夕方に雷雨があったが、逼塞していたのは天気のせいではない。昨日被った日焼けが思った以上にひどく、出かける気にもならなかったのである。特に背中の日焼けがひどく、後ろから見ると全部真っ赤だ。何かがふれるだけでも痛いから、仰向けに寝るのもつらい。ここまでひどくなるとは思わなかった。

昨日、海水浴に来ている客を眺めていて分かったが、今は大人の男性も上半身裸で泳ぐ人はあまりいないようだ。何人かちらほら見たものの、男性客全体の中では1割か2割というところだったろう。ほとんどは、上半身にいわゆるラッシュガードを着ているのである。うちも子どもには着せているが、成人男性も着るものとは認識していなかった。しかし、日焼けでこんな痛い思いをするのでは、もう気楽に海水浴など楽しめない。近いうちに自分の分も購入しておこうと思う。

下蒲刈島に行く

夏休み中、一度くらいは海に行きたいと上の子がせがむので、今日は一念発起して早起きし、朝から海水浴場目指して出発した。いつも日が高くなってからのそのそと起き出すのが当たり前の我が家としては、相当頑張った行動である。8時過ぎに家を出て、9時半にはもう目的地でテントを広げていた。今回は下蒲刈島の梶ヶ浜海水浴場に行ってみたが、さすがにこの時間帯ではまだ海水浴客もそれほど多くない。天気が心配だったが、薄曇りでむしろ日焼けの心配が少ない分ありがたいと感じた。

下の子はまだ海で泳ぐには幼いため、波打ち際での砂遊びがメイン。一方で上の子は浮き輪でバシャバシャやりたがる。夫婦でときどき役割を交代しながら、片方がどちらかの子の様子を見るようにしていた。海は冬に比べるとやや透明度が悪く、やたらと透明なクラゲが浮遊していた。7月のうちに来ていればまた違ったのかもしれない。

お昼過ぎまで遊んでそろそろ撤退することにしたが、場を片づけて出発するまでにえらく手間取ってしまった。特に、テントがなかなかうまくたためないのには本当に参った。ちょうどこのころから日が照りつけて暑さが厳しくなったため、テントの骨組みをつかんで格闘しているだけでくたくたである。やっとすべて終えて車に乗り込んだときにはもう2時をとうに回っていた。

2時半を過ぎたころにやっと「かつら亭」に到着し、だいぶ遅いお昼をいただく。それから帰路に就いたが、あちこち買い物に立ち寄ったりしたので、帰宅したときはもう6時半も過ぎていた。さすがに疲労困憊。一番つらかったのは、いつの間にか日差しが強くなっていたために背中の日焼けがひどくなってしまったことだ。真っ赤になってしまい、ヒリヒリが止まらない。しばらくはこの痛みに耐えることになりそうだ。

オイルサーディンのパスタとナスのチーズ焼きをつくる

今日からお盆休みだが、一日目はそれほど頑張らずにのんびり過ごした。お昼はオイルサーディンのパスタ。コロナ禍が始まって半年ほど経ったころ、日高良実シェフのレシピ動画を見てつくり始めたが、簡単にできるうえに子どもも食べてくれるので、今では「とりあえずつくるパスタ」として何度もリピートするようになっている。オイルサーディンの缶詰と青ネギ、それにレモン果汁があればよいから、いざというときに食材がすでに冷蔵庫にあることが多いのも強みだ。今ではもう動画を見返さなくても適当にやってできるようになった。元々はシチリアのパスタだそうで、本来は青ネギではなくフェンネルを入れるらしい。少しでもその味に近づけるべく、最近つくるときはフェンネルシードを調理中に振るようにしている。

夕飯は妻にまかせたが、副菜を一品だけはつくってみようと思い、ナスのチーズ焼きをやってみた。こちらはコウケンテツ氏のレシピ動画を参考にした。ちょっと味噌を入れすぎて味がきつくなったかと心配したが、まあまあ好評だったようだ。あと一品ほしいというときでナスが冷蔵庫にあれば、選択肢として持っていてもよいかもしれない。

明日からお休み

今日は、まもなく研究室に配属される3年生を対象に研究室見学会という催しがあった。少人数のグループに分かれて訪れる3年生を相手に、研究室に配属されてからの流れを説明したり、学生の居室に案内したりする。朝から2時半頃までそれが続いた。その後自室に戻り、部屋を訪れた学生の質問に対応。それから夕方に線形代数学の担当教員で集まり、先週行った期末試験の答案の受け渡し。終わったあとに点数を入力したり過去のレポート提出状況のチェックなどをしていたら、すっかり帰るのが遅くなってしまった。

いろいろ仕事は山積しているが、ひとまずこれでお盆前の仕事は終了ということにした。明日から1週間ほどお盆休みに入る。

健康診断

今日は勤務先で健康診断があった。毎年やっていて慣れているとはいえ、やはりかなり身体に負担がかかる日である。前日の夜から何も口にできないとか、尿検査の検体を指示通りに採取できるかが気がかりというようなこともあるが、最大の問題はやはりバリウムである。健康診断があるたびに書いていることだが、これさえなければどんなに気楽だろうかと思う。何十年も続いている検査方法だが、もう少し身体への負担が少ないやり方にそろそろ変わらないものだろうか。

健診は10時半少し前から始まり、小一時間で終わった。渡された下剤を部屋に帰ってすぐ飲み、何度かトイレに行ってバリウムを排出する。帰宅後も少し腹痛があってつらかったが、夜になってようやく楽になってきた。だいたい全部抜けたことを祈りたい。

オープンキャンパス

今日はオープンキャンパスの開催日になっており、日曜日に勤務先へ赴いた。昨年と一昨年はオンライン開催だったので、こうやって実際に出向くのは3年ぶりになる。ただ、今年は来場者が事前に予約をする形式になった。決められた時間に決められた研究室を訪れ、ツアー形式で見学して回るスタイルである。これまでは朝にどっと参加者が押し寄せて大忙しになっていたが、今回はツアーが昼過ぎから始まるということで出勤も遅めでよかった。

ツアーでは時間を正確に守るようと言われていたのでちょっと心配だったが、幸いトラブルは特になく、予定通りタスクをこなすことができた。ただ、入れ替わり立ち替わりツアーの参加者が来るたびに15分間の説明を繰り返していたら、結構エネルギーを消耗したようだ。さらにオープンキャンパス終了後に教務委員としての仕事も一つ片づけなければならず、夕方に帰宅したときはかなり疲労困憊。立っている時間が長くて足が少々むくんでしまったので、ゆっくり寝て疲れを取ろう。

たらこパスタ、タコとジャガイモのサラダをつくる

原爆の日。小学校はこの日は登校日になっており、上の子は7時半過ぎに出かけていった。今日の広島はすぐ近くを雨雲が通過しており、午後は一時期遠雷が聞こえてきたが、幸い本格的に雨が降り出すことはなかった。

何日か前に買っておいたたらこを消化すべく、今日はたらこパスタをつくった。和風パスタは普段あまりやらないが、たらこパスタだけは例外である。ボウルの中で和えるだけなのにかなりおいしくできる。ベランダのプランターで育てている大葉をたくさん消費できるのもよい。今回はもう一品、タコとジャガイモの温サラダもつくった。こちらもそれほど難しくないが、上の子には結構好評なのでときどきやっている。ただ、下の子はタコは見た目がお気に召さなかったのか、ジャガイモしか食べてくれなかった。二人ともよく食べてくれるようなものをつくるのは、かなり大変である。

学童保育の臨時閉鎖

このところ暑いだけの日が続いていたが、今日は雨雲の通り道に当たったようで、出勤したころから急に雨が降り始めた。ときおり降り方が激しくなったが、雲の主力部隊はもう少し西側を通過したようで、トータルの雨量としてはそれほど多くはなかったように思う。明日の原爆の日も、午前中から雨が降る可能性があるようだ。

昨日の夜に、上の子が通う学童保育が臨時閉鎖されるという知らせが入った。職員の方にコロナウイルス陽性だった方がいたようだ。今日は大事な会議があって休むのは厳しい状況だったため、申し訳なかったが妻に家にいてもらった。こういうことは今後も当分続くだろう。自分たちが感染しないことを祈るしかない。

採点作業

今日は全国的にひどい天気のところが多かったようだが、広島はまた暑いだけの一日だった。今は夏になると、毎年のようにどこかが集中豪雨に見舞われる。広島も4年前は大変なことになったのだった。川の近くや低地に住むことのリスクが年々大きくなってきているような気がする。

月曜日に実施した試験は、今日までに自分の担当分はだいたい採点を終えた。一つ仕事は片づいたが、お盆休みが来るまでにやっておかなくてはいけない作業がまだ山ほど残っている。時間を有効に使おう。

松田道弘氏の逝去

ツイッターで知ったが、奇術研究家の松田道弘氏が昨年に亡くなられていたということだ。

松田道弘氏の著作を、私は中学生、高校生のころに愛読していた。当時、マジックに凝っていた私は、松田さんの本を始め何冊もマジック解説本を買い込んではあちこちのページを眺めていた。しかし、ほとんどの本は技術的な説明が何ステップかに分けて淡々と書かれているだけで、結局自分のものにできたものはほとんどなかったように思う。しかし松田さんの本は、ミスディレクションとはどういうことかを理解するための題材としてマジックが紹介されており、まず読み物として実に魅力的だった。あのころ、学校の友だちに放課後見せていたカードマジックのほとんどすべては、松田氏の著書「トランプ・マジック」に載っていたものだ。そのころ覚えたものは今でも手順や注意点は頭に入っており、カードがあればいつでも演じることができる。実際、これが自分のものになっていることが、対人コミュニケーションにどれほど役立ったことか。コロナ禍になる前、出張で訪れた研究集会の懇親会で何度かマジックを披露したが、あんなことができるようになったのも、出発点は中高時代に松田氏の著作を読みふけっていたことにある。そう考えてみると、今の自分が形成されるうえで、松田さんの本の存在は相当に大きかったといえるかもしれない。

これを機会に、本棚に並んでいる松田さんの本を久しぶりに読み返してみようと思う。